第10話 生贄の祠
村へ戻っても、クローヴィスなど無視して、ジェハは瘴気の森へ急いだ。道は、ガルバと既に通ったことがあるので覚えていた。
だが、夕暮れ時の森の中である。うんざりするほど遠い上に、昼間よりもなお暗い。やがて濃い霧がたちこめてきた。あの悪臭を放つ、一寸先も見えないような濃霧である。それでもジェハは早足に歩き続けた。
やがて、早春の冷たい夕日が斜めに差し込み、霧の中に薄赤い影となってくっきりと浮かんで見えるようになった。
ガルバが昏倒した「瘴気の森」であった。
瘴気鬼のことが思い出され、ジェハの背中がぞくりと寒くなった。
自分の剣では歯が立たないと分かっている以上、ここから先へは下手に踏み込むべきではない。踏み込むなら、「黒太子の剣」を持つクローヴィスの力が必要である。
癪に障るが、仕方がない。ついてきていないわけがないのだ。
腹を決めて振り向くと、案の定、そこにはクローヴィスが銀色の長髪を揺らめかせ、微笑して立っていた。
「待ったかい?」
「別に」
ジェハは再び森の方を向いた。
背後で呪文らしきものを唱える、クローヴィスの低く重い声がした。
みるみるうちに霧が動き出す。
やがて、人がひとり通れるくらいの大きさまで霧が晴れた。
霧の中の道は、昼でも薄暗い森の奥へと続いている。
「呪術師のもとで育ったからね。こんなことくらいは私でもできるのさ」
霧のトンネルを歩くと、石造りの古い祠が見えてきた。まっすぐ前に見えるのですぐに着けそうに見えたが、思いのほか遠い。
やっとの思いでたどり着いたのは、扉にリナの短剣の鞘と同じ紋章が描かれた切妻屋根の祠だった。
二匹の蛇が絡み合う複雑な紋章……。
それを二つに押し分けて中に入ると、どこからか「お前ではない……」という声が聞こえてきた。
ジェハは腰の剣に手をかけて身構えた。姿勢を低くして、床や壁を眺めたり、軽く叩いたりしてみる。
同じようなことを部屋のあちこちでやってみたが、罠の類はないようだった。
クローヴィスは、そんなことなんでもないという口調で言った。
「無用の侵入者を避けるために、そんな呪術を施してあるところもあるさ。私の師匠だって、そのくらいのことはできた。高い報酬をもらって、金持ちの宝物庫なんかによく術を施してたよ」
ジェハは答えずに、なおも祠の中を調べ続ける。
壁には灰色の苔がびっしりと生え、ぬるぬるしている。しかも、壁石はところどころ腐食していた。
奥の壁にも扉と同じ紋章があり、その手前には横長の自然石のテーブルがあった。
ジェハがよく見ようと歩みよると、クローヴィスが叫んで止める。
「おっと、近づくな!」
自然石が沈んだ。あわてて飛びのく。しばらくすると、その自然石のテーブルはずぶ濡れの状態で上がってきた。
ジェハが心臓の高鳴りをこらえていると、クローヴィスは平然と言ってのけた。
「こういう仕掛けがよくある」
その冷静さが頭に来る。ジェハは叫んだ。
「何で!」
クローヴィスは、珍しくもないという風に淡々と答えた。
「多分、この下に地下水脈がある。沼や湖の神に、生贄を捧げるのさ。家畜や……人。たいてい、子供や若い女」
長い溜息をつくように、クローヴィスはつぶやいた。
「こんな祠ばかり探して10年を費やした」
だが、ジェハはそんな物言いを聞けば聞くほど、何か見つけ出してやろうと躍起になった。
さっきのような罠が仕掛けられているといけないので、石の床の上に四つんばいになり、祠の隅から隅まで手を這わせていく。
手は埃だらけになったが、成果はあった。
さっきは気づかなかった扉の蝶番の辺りに、錆びた銀のペンダントを見つけ出したのである。
ペンダントはありふれた卵形で、二つに割って開けるようになっている。
中を見てみると、若い女性の肖像画があった。
肖像画は小さく、部屋も暗いのでよく見えなかったが、美しい女性のようである。
目を近づけて凝視しているうちに、ジェハは息を呑んで驚いた。
肖像画は、本人かと思うほどリナに似ていたのである。
ペンダントをまじまじと見るジェハに気づいたのか、クローヴィスもペンダントをちらりと見て言った。
「古いね。錆び具合から見て、10年はここにあったんだろうな。」
そんな分析を耳の奥で聞きながら、ジェハは考えていた。
頭の中でつながっていくものがある。
10年前という時間の一致。祠にあったペンダントの肖像画は、リナにそっくりである。
リナはユイトフロウの外から村にやってきた。何故両親が死んだか、はっきりしたことは知らない。
リナが持っていた短剣の鞘は、それを盗んだガールッタの小屋にあった。
鞘の文字……「この剣を持ちて瘴気の森のわが元に来たれ」
ジェハは一声吼えて祠を飛び出した。腐臭の漂う霧の中を真っ直ぐ走る。
背後からクローヴィスの声が聞こえる。
「おい、待て!」
一寸先も見えないほどに霧が濃い。だが、ジェハは真っ直ぐに走り続けた。
呪文を唱える声がして、少しずつ視界が晴れてきた。森の明るいとば口が見えてきたとき、隣をクローヴィスが走っているのに気づいた。
「どこへ行くんだ」
答えるのも面倒だったが、怒りで自然に言葉が出た。
「ガールッタの店だ」
「どうして!」
「頭に来るんだよ、なんとなく!」
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