第8話 黒太子の剣と謎の短剣

 村の中は、相変わらず人通りが多かった。

 風はまだ冷たく、道は昨夜の雨でぬかるんだままである。

 だが、ボロ布の塊のような服を幾重にもまとった村人たちは、誰もが畑に春を迎えるために、鍬をかつぎ、鋤を手に忙しく行き来していた。

 暗いうちからもう働き始めていたであろう人たちの目は、非が高く昇っても働こうとしていない余所者に冷たかった。

 クローヴィスはジェハに尋ねた。

「こんな目で見られるのは嫌かい?」

 ジェハは素っ気無く答える。

「慣れたよ。どこへ行っても他所者だったからな」

「今まで何をしてきたんだい?」

「傭兵」

「その前は?」

 うるさい、と言ったきり、ジェハは口を閉じた。

 クローヴィスはしばらく黙って歩いていたが、やがて自分の話を始めた。

「グルガンとは、いろんなところで会うんだ。ユイトフロウでは初めてだけどね。いろんなところで、いろんなことをやった」

「それはもう聞いた」 

 ジェハはクローヴィスの話を遮って聞いた。

「あのじいさんの祈祷、本当に効くのか?」

 クローヴィスは、少し考えて言った。

「お金次第じゃないのかな」

「じゃあ、あんたも、何か助けてもらうときは金を払うのか?」

「払うね」

 さらりと答えられて、ジェハは呆れた。

 グルガンのがめつさもさることながら、そんな胡散臭い祈祷師と10年以上も付き合ってきたとは……

「グルガンは、そうやって暮らしている。自分のためでもあるし、一族のためでもある。グルガンのような放浪民族にとって、自分が生きることは、一族が生きることでもあるんだよ。だからグルガンは、効く祈祷でお金を稼ぎ、効かない祈祷でお金を巻き上げながら、いつも一族を探して歩いているのさ」

「じゃあ、リナの面倒見るのは……」

「放浪民族としてはたいへん珍しい人だと思うよ。たいていは、家族が街々に残していく目印を探すので精一杯だからね」

 それからクローヴィスは、放浪民族の目印について延々と語り始めた。

 木の枝に結び付けられた布の長さで、そこからどの程度の距離にいるかが分かること。家族に何かあった時には、大きな焚き火の跡を残すこと、その焚き火の仕方にも、伝える内容によって決まりがあること……。

「で、あのじいさんは、何ができるんだ?」

「病気を治せることは、さっき見たろう? 風を呼んだり、一時的に小雨を降らせたりすることもできるね。私なんかは、姿を変えてもらったことがある」

 これにはジェハも驚いた。

「嘘だろう?」

 クローヴィスは大げさな身振りで、森の木々の彼方を指差してみせた。

「本当さ。ニルトセイン河を越えると、遠くに山が白く見えるだろう。あそこに住むサテュロスに化けたことがある。顔の形が変わるなんてもんじゃない。足の膝が、ヤギみたいな向きに曲がるようになるんだ」

 ジェハは溜息をついた。呆れたというより、そこまで自分の手足が変形した様子を想像して、たまらなく気が重くなったのである。

「何でそんなことまでしたんだ?」

 その問いには直接答えず、クローヴィスは話題を変えた。

「『深き水底の王』を知っているか?」

 興味もなかったので、知らない、とだけ答えた。クローヴィスは眠たげに続けた。

「私はそれを探している。いつも眠りが浅くてね」

 そう言いながら、じっと目を閉じて欠伸をかみ殺したとき、瞼の奥から一筋の涙がこぼれ落ちた。

 本当に眠そうだった。

 道理で、グルガンの小屋に来てからとろんとしてるわけだ、とジェハは思った。

「君の持っているリナさんの短剣、あの鞘に描かれている紋章のせいだ」

 ジェハは、背嚢の中に入っている短剣を思い出した。

 蛇が二匹、絡まっている形の柄。鞘にはめ込まれた宝石を包み込むように描かれた、絡み合う蛇……。

「幼いころから、あれが私の眠りを妨げるんだ。夢の中に現れて、私の名を呼ぶ。私は呪術師のもとで育ったが、それが何だか自分では分からなかったし、師匠にも心当たりはなかった。だから私は、君くらいの年の頃に旅に出たのさ。そして、間もなくグルガンにめぐりあった。そのグルガンでも、『深き水底の王』の紋章だということしか分からない」

 クローヴィスの生い立ちなどには興味がなかったので、ジェハは別のことを尋ねた。

「その剣は?」

 刃の通らない瘴気鬼を真っ二つにした剣を、いつ、どのような経緯で手に入れたのかと言うことには興味があった。

 クローヴィスは相変わらずの眠たげな口調で長い話を始める。

「私はね、この地方だけでなく、河川湖沼の多いところには必ずある祠を調べて回っているんだ。祠には必ず、祀られている神を表す紋章がある。それに、紋章は祠によって違う」

 それは、剣の話とは全く関係ないように聞こえる。

 再び、しょぼつく目が遠くを見た。

 だが、それがどこを見ているのかは分からない。

 眠たげな声は、聞かれたことは全く関係ない話を続ける。

「祠といっても色々あってね、どこからが神の土地だという目印にすぎないものもあれば、深い森の中に巧妙に隠されているものもある」

 相槌も打たず、ジェハは首をわざとらしく左右に振った。

 クローヴィスは、話し相手が退屈していることなどはまったく気に留めてもいないかのように、自分の話をやめようとはしなかった。

「迷信深い地方の祠はたいてい森や深い洞窟の奥にあってね、昔はそこで沼や河の魔性を鎮めるために生贄が捧げられたらしいよ」

 とうとうジェハはしびれを切らした。

 だから何だよ、と結論を急かそうとしたが、答えはそこで返ってきた。

「この剣は、そんな祠を守っていた不死の番人が持っていたんだ。呪術で甦らされた大昔の騎士さ」

 どうやら、クローヴィスの剣はそんなおどろおどろしい場所と深いかかわりがあるもののようだった。

 それを手に入れるときの様子が、恐怖の記憶と生きていることの安堵の入り混じった深い息となって、身体の奥から吐き出すように語られはじめた。

「あのときは死ぬかと思ったね。最初の一撃が心臓に来たんだ。絶対にこれで死んだと思ったよ。でも、祠の床で仰向けに倒れたものだから、この剣が逆さに振り下ろされるのが見えて、我に返ったのさ」

 ようやくジェハにも分かる話になってきた。

 グルトフラング傭兵団の少年兵は、剣一本を手にたった一人で生き抜いてきた銀髪の美剣士の戦語りを、真剣な面持ちで聞いている。

 話し続けるクローヴィスの視点は、そのときの動揺を思い出すかのように、右や左を向いて定まることがない。

「怪我の功名ってやつで、私の手は恐怖でカチカチに固まっていて、自分の剣を離そうにも離せなかった。無我夢中で突き出したその剣が、騎士の剣が当たる寸前で相手に命中して、私は立ち上がることができたんだ」

 そこでクローヴィスは、背中の剣の柄に触れた。

 ジェハの顔をまっすぐに見つめて感慨深げに言う。

「この剣を相手に、比べ物にならないくらい貧弱な武器で死に物狂いで戦って、どうにか倒すことができた。よく生きてたと思うよ」

 ジェハもようやく一息つくことができた。こんな魔剣を操る、しかも生きているのか死んでいるのかわからない相手と戦って生き残る自信は、まるでなかった。

 ジェハの質問に答えたクローヴィスは付け加える。

「この剣が『黒太子の剣』だって教えてくれたのはグルガンさ。何でも、最初の一撃で必ず相手の急所を仕留める力を持っているらしいよ。それなのにどうして私が生きているのかは分からないけれども」

 最後の一言を聞く前に、剣の威力を聞いたジェハは息を呑んだ。そんな剣があったら、向かうところ敵なしではないか!

そんなジェハの気持ちを察したのか、クローヴィスは、さっきとは打って変わって重々しい声で告げた。

「この剣は、私の意思では抜けないんだ。この剣は抜くべきときを自分で判断して唸り声を上げるのさ」

 話しているうちに、村の真ん中辺りにまできた。真っ直ぐ歩けば、さっきガルバが案内してくれた瘴気の森が見える柵にたどり着く。

 ふいと横を向けば、村はずれに出た。

 その先には、リナの家に向かう、森の中の小道がある。

 村の中と外、二つの方角を見比べたクローヴィスは、「さて」と言うなりジェハのほうを向いて言った。

「リナさんに会わせてくれないか」

 ジェハは顔をしかめた。これから再び瘴気の森の謎を解きに行こうというときに、再びリナに会うのは照れくさかった。

 はいともいいえとも言いかねて、ジェハは返答に困った。

 クローヴィスは白い歯を見せながら畳み掛ける。 

「その短剣は、彼女のものだ。君は、その子のために瘴気の森まで来た。おそらく彼女はあの祠に関係がある」

そう言われると、断ることもできなかった。

ジェハは黙って、村の外へと歩き出した。

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