第4話 道連れの巨漢
ジェハが眼を覚ましたとき、既に夜は明けていた。ふと気がつくと、毛布に包まれて階下のソファに寝ていた。
辺りを見渡すと、窓から眩しい朝の光が差し込んでいる。磨き上げられた床が輝いていた。
前の晩にあったことは覚えていた。
上の階から下りてくる足音がして、咄嗟に剣をとろうとした。
その、剣がない。
ジェハは慌てて叫んだ。
「どこへやった!」
少女の声が、こともなげに答えた。
「服と一緒においてあります。たいへんだったんですよ、運ぶの」
言われるままに暖炉の前を見てみると、服をかけた衝立に立てかけてあった。
飛びつくように駆け寄って、剣を手に取る。
扉の蝶番の軋む耳障りな音がした。そちらを見ると、昨晩ジェハが壊した扉を力任せに開けて、少女が出てきた。
昨日と同じような白い麻の服を着ているが、ジェハは意外に力のある彼女の細腕から夜中の死闘を思い出すよりも、今朝見た彼女の素肌が目の前にちらついて目をそらした。
そのジェハの気持ちなど知るはずもない少女は、にっこりと微笑んだ。
「おはようございます」
そのまま、外へ出て行こうとする。ジェハは不審に思って呼び止めた。今朝の意気消沈ぶりからは想像もできない明るさであった。
「どこへ行く気だ」
少女はやはり、こともなげに答える。
「薬草を採りに。着替えて待っていてください」
ジェハは早口に言った。
「すぐに出て行く」
聞いているのかいないのか、ほとんど同時に少女は言った。
「すぐに朝ごはんを作ります」
「俺は……」
構わず話を続けるジェハの言葉は、少女に遮られた。
「昨夜の話、忘れてください。誰にも言わないでくださったら、結構です」
「うるさい!」
ジェハが怒鳴りつけると、少女は昨夜の雷にでも打たれたかのように、大きく目を見開いて押し黙った。
毛布にくるまったまま、ジェハは肩を上下させて荒い息をつきながら、少女を睨みつける。
やがて、呼吸を落ち着けたジェハは言った。
「助けてやるから、詳しいことを教えろ」
少女がしがみついてきて、ジェハはソファの上に押し倒された。
ジェハの頬を熱い涙が伝う。
少女は泣いていた。
ジェハは間近に迫った少女の顔から目をそらして、言葉を続けた。
「ここへ来たときのことだよ」
少女は涙をふきながら立ち上がる。顔を覆って、ジェハに背を向けた。
「ごめんなさい、こんなに嬉しいのに、涙が止まりません……」
ジェハも目を背けたまま、素っ気無く言った。
「服着るから外行けよ」
ぱたんと戸が閉まる音がした。しばらく経って、扉の外から声がした。
「私のことは、祈祷師のグルガンさんが知っています」
乾いた服を着替えながら、ジェハは聞き返した。
「誰だそれ」
扉のすぐ傍で話しているようである。
「幼い頃から、ずっとお世話してくださった方です。いつも旅をしておられるので、年に一度くらいしかお会いできませんが」
着替え終わったジェハは、剣を佩きながら言った。
「後でいいよ、そういう長い話」
少女はとめどなく話し続ける。
「グルガンさんがおっしゃったんです。『16歳の新月に鏡を見てはいけない』と。それなのに、私……。」
少女は言いよどんだ。言いたいことが山ほどあるのに、何をどう言っていいのかわからない、そんな様子だった。
気持ちを抑えに抑えて、言葉を少しずつ紡ぎだす。
「それから新月の夜には……」
ジェハは既に荷物をかついでいる。言いたくないことを無理に聞くつもりも暇もなかった。
「そういう話はさ……」
帰ってから、と言おうとしたが、少女は話をやめようとはしなかった。
「今話したいんです。そうでないと、もし……」
ジェハは強く言い切り、少女の言葉を遮った。
「出て行ったりしない。心配するな」
お互いに、しばらく沈黙した。扉の向こうで、すすり泣く声が聞こえた。
やがて、少女の声が聞こえた。荒い息をしながら話す声から、まだ、涙をこらえているのが分かった。
「ここへ来たときの手がかりになるものは、そこの戸棚の引き出しにあります。持って行ってください」
少女の出て行く気配がした。ジェハはそれを確かめて、ほっと一息ついた。
とうとう言ってしまった。
……助けてやる……。
バカな約束をしたものである。一日も早く森を抜けなけばならない。もたもたしているとスロガ公爵の騎士たちが探しに来るおそれがある。それに何よりもまず、本隊に追いつかなければならない。遅れれば、たとえ戦に生き残っても、借金漬けの一生が待っている。
こうなれば、急いで彼女にまつわる謎を暴き、ここを出て行くしかない。
ジェハは少女に言われたとおり、戸棚の引き出しを開けた。
中には、抜き身の古い短剣があった。柄が絡み合う2匹の蛇をかたどっており、何か刀身に彫ってある。
読んでみたが、見たこともない文字であった。
それでもなんとか解読しようと試すつ眇めつしているうちに、再び戸を叩く音があった。
てっきりあの少女だと思って怒鳴った。
「早く行けって……」
ドアを開けると、そこにはあの澄んだ目をした清楚な少女ではなく、目のぎょろっとした、エラの張った顔のむさくるしい男が立っていた。
「リナ……?」
男はジェハより背が高く、肩幅が広く逞しい。この、短く刈った栗色の髪の男は、ジェハの顔をきょとんと見下ろしてからつぶやいた。
ジェハと男はしばらく見詰め合った。
やがて、男が口を開いた。
「誰だよ、お前」
詰め物をした厚い服に毛皮のズボン。見るからにむさくるしい格好である。しかも、その訥々としたのろくさい口調が気に入らなかった。
こんなヤツに「お前」呼ばわりされたくない。
喧嘩は時間のムダだと分かっていたが、つい突っかかってしまった。
「お前こそ誰だよ」
この男も、頭に血が上りやすい性質のようである。
負けじとばかりにぞんざいな口調で罵り返してきた。
「何でリナんとこにいるんだよ」
リナというのは少女の名前らしい。だが、この男に事情を詮索されるいわれはない。
自分より背の高い男を睨みつける。
「それを何でお前が聞くんだよ」
ただでさえ目つきの悪いジェハである。それが下から顎を突き出すようにして睨みつけたものだから、男は逆上した。
ジェハは胸倉を掴まれ、身体を床から1フィートばかり持ち上げられた。
持ち上げられての反撃は難しい。両の手足は空いているが、殴ったり蹴ったりするには身体が安定していなければならない。床から離されていては、ジェハの体重ではこの大男を倒すには至らない。
かっと見開かれた男の目を、ジェハは正面から見据えるしかなかった。
男の拳が、その耳よりも後ろに振り上げられる。
ジェハは歯を食いしばると共に、脚を縮めた。
男の拳が顔に当たった瞬間、その力を利用して相手の身体を蹴り、殴られた方向へ跳ぶつもりである。
傷をなるべく浅く留めると共に、男の手からの脱出を図るには、こうするしかなかった。
……さあ、来い。
だが、拳は飛んでこなかった。
扉がばたんと開いて、籠を抱えて駆け込んできた少女の声が男を止めたのである。
「やめてください、ガルバさん、ええと」
男が手を離すと、ジェハは床にストンと落ちて尻餅をついた。おかげでようやく少女に名乗ることができた。
「ジェハ」
見上げると、ガルバと呼ばれた男はバツの悪そうな顔をして頭を掻いている。
リナは腰に手を当てて、頭一つ高いガルバを見上げて小言を言った。
「そういう癖、よくないと思います」
「悪かったよ」
少女の一言に、むさくるしい大男が恥ずかしそうにうつむいた。
「小さい頃とちっとも変わらないじゃありませんか」
「だからさあ、誰だよ、この男」
不満そうに口を尖らせるガルバの問いを、リナは完全に無視して言った。
「悪いのはガルバさんです。仲直りしてください」
ガルバは、口論する二人の顔を尻餅をついたまま交互に見比べていたジェハに手を差し伸べた。ジェハは、リナの顔を見上げながらガルバの手を取った。
リナは、ジェハの顔を見てにっこり微笑んだ。
ジェハが立ち上がったところで、リナはテーブルにつくよう二人に促し、台所へ下がった。隣り合って座ったジェハとガルバは、互いに顔を背けあった。
やがてリナが朝食のスープを持って現れ、二人に振舞った。
リナが、ガルバにジェハを紹介した。
「昨日ひどい雨だったでしょう? 一晩泊めて差し上げたの」
「こんなヤツを?」
そういうガルバの目は、ジェハの腰に下がった剣を見ている。
話をそらすように、リナがガルバに尋ねた。
「ガールッタさんは何て?」
ガルバは、思い出したように手を叩いた。
「そうだそうだ、血止めになるヤツと腹下しの、ほら……」
「ああ、もう採ってあります」
リナは籠をテーブルの上に出してみせた。
覗きこんだガルバが小さく声を上げた。ジェハも首を伸ばして中を見た。
朝露に濡れた草がたくさん詰まっていた。爽やかな、いい香りがした。
リナとガルバは、籠を前にして額を寄せ合うように話しはじめた。
ジェハには、二人が何を話しているのか分からなかった。ただ、なにやら親しい関係らしいということだけは分かった。
話の中に入っていけないので、ひたすらスープをすするしかなかった。
「ガルバさんはね」
突然リナに話しかけられて、ジェハはスープにむせた。
「大丈夫ですか?」
あの黒目がちの、澄んだ瞳で見つめられて、ジェハは横を向いた。その先には、ガルバの顔がある。ガルバもそっぽを向いた。
ああ、と素っ気無く返事をしたジェハに、リナはガルバの話を始めた。ジェハは再びスープを口に運んだ。
「ガルバさんは、ここからちょっと歩いたところにある村の方なんです。私、そこで薬屋さんをしているガールッタさんに、小さい頃からお世話になっているんですけど……」
ガルバが横を向いたまま口を挟んだ。
「お世話っていうかなあ、アレ。リナ、お前、ずっとひとり暮らしじゃないか。それでいて、朝早くから薬草採って来いって言われてさ、代金なんか安いもんだろ。オレがいなけりゃあ……」
ガルバはジェハの目を見て言った。ジェハは顔をしかめてガルバを睨みつけ、目をそらした。ガルバはスープをすすり始めた。
リナは二人の険悪な雰囲気を察してか、ガルバに明るく答えた。
「いいんです、ひとりで暮らすには充分ですから。小さいときは、それは、ガルバさんに何かと助けていただきましたけど……」
リナがスープに口をつけると、ガルバはそれみたことかというように、ジェハに向かって顎をしゃくった。
ジェハは知らん顔でスープをすすり続けた。
食事が済んだ頃、リナはジェハにも笑顔を向けた。
「ガルバさんは、小さい頃から、ガールッタさんの注文を伝えに来て下さっていたんです。でも、本業は、村の鍛冶屋さんなんです」
「オヤジもオフクロも死んじまってな。後を継いだのさ」
そう言うと、ガルバは服の袖をまくって腕を曲げ、力瘤を作ってジェハに見せた。にやりと笑う。
「傭兵だろ? 勝負してみるか?」
「ガルバさん!」
甲高い声でリナがたしなめると、ジェハはテーブルに肘を載せた。
「試してみるか?」
おお、と答えて、ガルバも肩肘ついてジェハの手を握る。
掴みあう二人の腕は、天井を向いてぶるぶる震え始めた。しばらくすると、微かに右へ左へと振れるようになった。
向かい合うジェハとガルバの額に、汗が滲む。
リナはおろおろするばかりである。だが、しばらくしてジェハは言った。
「皿の心配はしなくていい」
何、とガルバが目を剥いた瞬間、ガルバの腕は、テーブルにぱたんと倒されていた。
ガルバから離した手をぱんぱんと払いながら、ジェハは席を立った。コノヤロウ、と立ち上がるガルバに、ジェハは冷たく言い放った。
「戦場ではな、先に気を抜いたヤツが死ぬんだ」
暖炉の前にコートを取りに行くジェハの背中をしばし見つめていたガルバは、まだ途方に暮れているリナの代わりに皿を片付け始めた。
その皿を台所へ持って行こうとするところで、リナは我に返ってガルバを呼び止めた。
「あの、それ……」
ガルバは立ち止まって、リナに重ねた皿を渡しながら言った。
「籠、持ってくぜ」
そのまま籠を手に、外への扉に向かって歩き出した。その姿を見送るリナに、ジェハは聞いた。
「あの籠、薬屋へ持っていくんだな」
「ええ」
リナは不安そうに答えた。ジェハは構わず聞き続けた。
「さっきの話のグルガンってのは、村にいるのか」
「はい、つい最近、戻っていらっしゃいました。私の誕生日が近づくと、必ず来てくださるんです」
「戻ってきた?」
「旅のお方なんです」
ジェハの心配は一つ消えた。「帰らずの森」に戻ってきたということは、出ることもできるということだ。
「行ってくる」
扉を開けて出て行こうとすると、あの、とリナが呼び止めた。
何だ、と振り向くと、微笑して見せた。
「気をつけて、行ってきて下さい」
ああ、とだけ答えて、ジェハは外へ出た。
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