第四楽章 潰えた旋律

潰えた旋律-1

 翌朝、午前九時半。

 停学のため学校が強制的に休みになってしまった俺は遅く起きたのだが、これからどうしたらいいのか悩み、真面目に勉強をする気にもなれず、霧島に電話してみた。

 彼女は以前、夏休みになってからは昼ごろから演奏していると聞いたので、今ならまだ大丈夫だろう。

 コール二回目ですぐ彼女は出た。


『……毛利くん?』

「よう、俺だ。おとといは済まなかったな、いろいろ大変な目に遭わせて」

『長い一日でしたとさ……』

 相変わらずのマイペースに、つい失笑してしまう。

 だが、その口ぶりから本当になにも彼女の身に降りかかっていないことが分かって安心した。

 俺はさっそく本題に入る。


「今日も、演奏するのか?」

『……問題が、二つある』

「は?」

 霧島の言う問題とは、ひとつはあんな騒ぎが起きてしまった東畔木駅前では演奏ができないから、他の場所を探さなければいけないということ。

 それはたいした問題ではなかったが、もう一つの問題が意外に重要だった。霧島はおとといのあの騒動で、ウマを紛失したのだという。

「ウマ?」

『そう、ウマ。あれがないと、三線は弾けない。困った』

 彼女は抑揚をつけずに話すので、聞いただけではあまり困っていなさそうな感じなのだが。

(そういえば……)

 俺は過去の記憶を引っ張り出してみた。


 ――これをチルチーガの間に挟んで『立て』ないと、音が鳴らないのでした。


 俺が以前、霧島に騙され、弄ばれた時の記憶。「ウマ」というパーツがないと、三線は音を鳴らせないのだ。

「それを……失くしたのか?」

『たぶん、あのビルに連れ込まれるときに三線を置いていったんだけど、そのはずみでウマが外れたんだと推測……』

 予備はないのか――と聞こうとしてやめた。あったら、問題は即刻解決するのだから。訊くだけ無駄だ。

「じゃあ、取りに行くか?」

『たぶん無理。あんな小さな部品だし。それに、騒ぎがあったばっかりで、あそこには行きにくい……』

 だよな。いろいろと難しい。


『今日、和楽器とかを売っている店を探して、ウマを買おうと思うけど』

「そんな簡単に、見つかるものなのか?」

『そう、それが最大の難関……』

 電話の向こうで、霧島は黙ってしまった。

「ネットで買えばいいんじゃないか?」

『……私がネットで買い物すると、バレて怒られる……あんた、また三線なんか弾いてー、って』

(そう言えば……)

 自宅では霧島の三線は嫌われている、と以前彼女は言った。

 それがなぜなのか具体的にはわからなかったが、そこから察するに彼女の三線を快く思わない家人がいるからなのだろう。

 俺はため息をついて、どうせ暇だから俺も付き合うよ、と申し出た。




 本来であれば停学期間中は自宅で謹慎していなければならないのだが、目立たないようにしていればいいのだ。

 俺は意図的に地味な服を選んで、渋谷駅前のハチ公像の前で群衆に紛れて霧島を待つ。俺が到着してから五分後に彼女はやってきて、俺のそばに来るなりこう言った。

「……負けた」

「勝ち負けじゃないだろ」

 ちなみに霧島はやはりと言えばやはりなのだろうか、三線を持ってきている。

 ハードケースの中に入ったそれは、ウマがなくて鳴らせないがゆえ、現状飾りと言ってもいいくらいなのに。


「さて、毛利くんが待ち合わせをここに決めて、やってきたのはいいけど、どこに和楽器店があるのか分からない……」

「ネットで調べてきた。和楽器店は少ないから、今から行くところが駄目ならまた電車に乗って遠征だぞ」

「……がんばる」

 あまり力がこもっていない言い方だが、これで彼女にとっては本気なのだ。

 俺と霧島は並んで歩きだす。

 歩いている途中に俺はふと思いついて、こう言うことで霧島がどんな反応をするのか見てみた。


「こうして歩いていると、俺たちって周囲に溶け込んでるな」

「…………?」

 すると、彼女は顎に手を当てながら考えて。

 その『周囲』を見まわし、どういうことなのか理解したように手をぽんと打った。

「なるほど、美女と野獣……」

「おい待て、いろいろ聞き捨てならんぞ」

 彼女が美女なのはいいとしても、俺が野獣なのはいったいどういうわけだ。

 霧島は不思議そうに、大きな目で俺を見つめて訊く。


「……間違えた?」

「そうだな、もう一度考えてみろ」

 普通なら「彼氏と彼女?」というふうに答えるのだろうが、やはりこの少女は一味も二味も違う。

(しかし……)

 俺と霧島は彼氏彼女の関係ではない。

 俺もそうだし向こうにしても、互いに恋愛感情は持っていないと思う。

 そりゃ、こいつの見てくれや胸の大きさなんかは、女としては間違いなく魅力的なのだけれど。


 俺が彼女に惹かれたのは男としてではなく、あくまで一人の人間として、彼女の三線に共感したから。

 きっと、俺たちの関係を近いもので表現するなら「奏者と聴者」であり、それ以上でもそれ以下でもないだろう。

(なのになぜ、俺はこうまでこいつに入れ込むのだろう? こいつの三線が好きだから、か……?)

 その答えは、まだ漠然としたもの。

 俺を突き動かす力としては、いまいち決定打に欠ける気がする。


(まあ、結論を急ぐ必要はないよな)

 そう蹴りをつけた時、霧島がまた手をぽんと打った。

「ボケとツッコミ……」

「……あ、ある意味そうだな……」

 予想外の角度からの攻撃に不意をつかれた。確かに傍から見ればそう見えなくもない。

「毛利くんがボケで、私がツッコミ……」

「どっからどう見てもお前がボケだろ!」

「……ほら、毛利くんにはツッコミのセンスがある……」

(しまった、乗せられた!)

 噛みあうようで噛みあわない会話を繰り返しながら、俺たちは和楽器店の入り口まで辿り着いた。




「いかにもなとこ……」

「だな。創業百年はいってそうだ」

 古そうな木の看板には、『琴・三味線店』と書いてある。

 三線まで置いてあるかは知らないが、三味線があるなら三線もついでに置いてあるだろうと、根拠のない見通しを立てて当たりをつけた店だ。

 扉を開けて中に入ると、ちょっと埃っぽい。

 店の左側に琴が並んでいて、右に三味線がいくつも置いてある。

(しかし、三線を見なれてきたせいか、三味線がでかく見えるな……)

 邦楽の三味線は三線より大きい。まるで親子のようだと、俺は思った。

 俺がそれらをのんびり眺めていると、霧島はさっさと店主を見つけて声をかけていた。


「すみません、三線のウマってありますか?」

「いやー、ないね。うちでは沖縄の三線は扱ってないから」

「そうですか……」

 霧島は悪い返事に少しだけうつむいたかと思うと、次の瞬間には俺のほうを向いて喋っていた。

「毛利くん、撤収」

(すがすがしいまでの引き際だな、おい)




 その後何件か楽器店を回ったのだが、三線を扱う店は見つからなかった。

 結果の出せないことに若干のいらつきを覚えながら、俺と霧島は適当に見つけたファーストフード店に入って昼食とした。

 霧島に荷物番と席取りをしてもらい、俺がカウンターに注文しに行く。

「ごちそうになる……」

「バカ野郎、お前の分は後で払ってもらうぞ」

 二人分の食事をトレイに乗せて戻ってくるなり、霧島はいい笑顔でそう言いやがった。

 悪いが俺にそのいい笑顔は効かないぞ。いや、ちょっとは効くかな。

「毛利くん、金の亡者」

「なんでだよ、当然の請求だろうが」


 霧島はストローを飲料の蓋に突き刺すと、不満げな顔で中の液体を啜った。

「女の子の食事代くらい、どーんと出せないと出世しない。一生、平社員」

「根拠はないだろうが。ってかいいよ別に一生平社員でも。俺は普通に食えさえすればそれ以上は望まない」

「最近の流行り、草食系男子……」

 浮世離れしている雰囲気を醸し出すくせに、ここぞとばかりに流行を持ちだしてきやがった。


「毛利くんは草食だから、ハンバーガーの肉は食べちゃダメ。外側のパンと、レタスだけ食べよう……」

「なにが悲しくてファーストフード店で、ハンバーガーのハンバーグ抜きを食べなきゃいけないんだ?」

 そんなもの、コーヒー抜きのカフェオレのようなものだ。味気もなにもない。

「じゃあ、『俺は出世したい、女の子の食事代も景気よく出したい』って言って」

「ふざけんな、ただでさえ奨学金停止されて小遣いが……あ」

 つい、言わなくてもいい言葉が出てしまった。

 そして耳聡い霧島は、すぐさまそれを拾ってしまう。


「……奨学金? 止められた……?」

「あ、あー……その……」

 そして、俺はいざというときに誤魔化しが効かないのだ。

 俺がまごまごしているうちに、霧島は素早く頭を回転させて答えを出してしまう。

「毛利くんは成績優秀だったけど、問題を起こして奨学金を止められてしまいましたとさ。その背景にはおとといの騒動が見え隠れ……」

 上目づかいに「合ってる?」と訊かんばかりの霧島の表情にため息を返し、俺はポテトを咥える。


「……気持ち悪いほど正解だよ」

 そしてそれを人差し指と中指で挟んで口から離し、ため息をもう一つ。無意味に、煙草を吸う真似をしてみせた。

「私の、せいかな」

「気にすんな。軽挙妄動けいきょもうどうに出た俺が悪い」

 少し落ち込んだ霧島を見ているのが辛くて、俺は煙草になったポテトを咥え、口の中の半分を噛んで飲みこんだ。

「そんなことより、残った時間でウマを探さないとな」

「残った奨学金で私のご飯代も……」

「ダメだ」

 そこは、かたくなに拒んでおく。

 すると霧島はストローを咥えて飲み物を吸い出し嚥下すると、不満そうにこう言った。


「毛利くんに彼女ができるとしたら、よっぽど優しい人じゃないと大変そう……」

「はっ、そうだな」

 つい佐々木のことを思い出して、俺は軽く笑った。

 不思議とその時は、負の感情にとらわれることなく笑い飛ばせた。

 それは目の前のこの少女を助け出せたことで、過去の過ちを繰り返さずに済んだからかもしれない。

(罪は拭えないけれど……同じ過ちを繰り返さなければ、それでもいいんじゃないだろうか……?)

 そんな風に俺は思った。




 夕方近くになって、やっと目当ての楽器店が見つかった。

 邦楽の三味線に混じって沖縄の三線を少しだけ扱う店で、店主に訊いてみたところウマのばら売りもしているとのこと。

 めでたくウマを予備も含めて五つ購入し、ようやく霧島の三線は再び鳴るようになったわけだ。

(しかし……)

 店を出て、思う。

「一個三百円かよ。こんな物のために俺たちは電車を乗り継いで東奔西走したのかと思うと泣けてくるな」


 俺は、手に入れたばかりのすぐ壊れてしまいそうな竹製ウマの一つを指先で弄びながらぼやいた。費やした労力を俺の主観で円に換算すると、ウマ五つ分の千五百円より高くつく。

「仕方ない。これがないと三線は弾けない。地味だけど必要、そう、毛利くんみたいな存在なのでしたとさ」

 小声で「うん、我ながらうまいこと言った」と付け加え、一人で頷き満足げな霧島。本当に随分と言ってくれるな、この女は。

 しかし、俺が静かに怒気を発しても気づかないのか気づいて流しているのか、彼女は平然としたものだった。


「でも、ここまで付き合ってくれて、ありがとう。お礼にパフェでも一緒に食べよう」

「お礼って言うことは、俺の分はお前が払うんだな?」

「…………」

 そうしたら、そこで霧島は何か答えればいいのに、黙って下を向いて十秒ほど考え込んでから、微妙に俺から焦点をずらしてこう言いやがった。


「……お昼のハンバーガー、あれを毛利くんがおごってくれれば今度は私がおごったのに、やれやれ、残念でしたとさ……」

「て、てめえ、てめえなあ……」

 もう言葉も出ない。

 俺に出来るのは、ただ肩をわなわなと震わせるだけだ。

「というわけで、お礼のパフェは割り勘です」

「一応言っておく。それはお礼って言わない」

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