過去から繋がる今-4

 ビルの隙間の入り口まで着くと、そこに見なれたものが落ちていた。拾い上げて、それを確かめる。

「……!」

 それはまごうことなき、霧島の三線。

 ますます嫌な予感に包まれながら、三線を持ってビルとビルの隙間へと入る。少し進むと、左側の建物の扉が開いていた。何のために出入りするのかも分からないような小さな扉で、覗きこんでも中が伺えない。

 その扉の先、一歩進んだところにまた見覚えあるものが落ちている。


 拾い上げてみた。先のとがった、俺の親指より少し大きいくらいの大きさの物。底面に穴が開いている。

 いつか霧島が「チミ」と呼んでいた、自分の指にかぶせるようにはめて弦を弾く、つまるところギターでいうピックだ。たしか水牛の角で作られていると聞いたことがあるが、今はそんなことどうでもいい。

(まさか……)


 霧島は松永に連れて行かれ、彼女は俺に、または他の誰かに、気づいてほしいとばかりに自分の持ち物を目印に置いていったのか。

 人がそういう行動に出るのは、見つけてほしいと思う以上に、自分の身に危険が降りかかっていることを伝えようとする合図――。

 そうだとしたら、霧島は――。

 俺は頭をぶんぶん振って、嫌な予感を必死に振りはらう。


「霧島!」

 俺はその空間に飛び込み、叫んだ。

(頼む……間にあっていてくれ……!)

 必死に、そう願いながら。

 けれど、そこでまず目にしたものをみて、俺は体中に電気が走ったように動けなくなってしまった。


「……っ!」

 廃墟のような建物の中で力なく、へたり込む彼女がそこにいた。

 そんな光景を目の当たりにしたことがあった。

 俺の記憶の中でのあいつが。

 俺の不明で傷つけてしまったあいつが。

 いまの霧島と同じ格好で、へたり込んでいて。

(俺は……また……!)

 自分のせいで、大切な人を――。


(間に合わなかった……また俺のせいで……俺が……! い、いやだ! そんなの嫌だ!)

 俺は無我夢中でうずくまる彼女の元に駆け寄り、その両肩をつかんで叫ぶ。

「霧島! 霧島っ! しっかりしろ!」

「……毛利、くん?」

 すると少女はハッと目を開けて、驚いたように口を開いた。

 意外にも彼女は、いつもの澄んだ声で普通に受け答えしている。

 出血もないし、見たところどこも変わったようすはない。

「だ、だいじょうぶか!? 怪我は?」

「怪我?」

 首をかしげる霧島。なにを言ってるの、と言わんばかりにだ。


「お前、殴られたりしたんじゃないのか? 松永に、連れてかれて……」

「ううん、まだ」

「まだ……?」

 安心しつつも戸惑う俺に、霧島はひとつのものを要求した。

「三線、ある?」

「……三線なら、ほらこれだ……」

 俺はこの部屋に入るときに一緒に持ってきた彼女の相棒とついでにチミを手渡して、返してやる。

 まず三線を求めるあたり、やはりこれは彼女にとって大切なものなのだ。


 霧島は三線の胴を優しく撫で、無事を確認するようにしていた。

 だが俺にとっては楽器よりも、その使い手が無事であった方が遥かに安堵するべきことだ。

 もう一度確認する。

「お前、本当に大丈夫なのか」

「うん」

「……そっか。とりあえず、ここ出よう。あとで話を聞かせてくれるか」

 ひとまず、彼女に怪我はないらしい。

 まだ自体は呑みこめないのだが、無事ならそれでいい。

 しかし、うずくまっていた彼女はいったい――。




「おいおいおい、そう簡単に行かせると思うかよ」

 遠雷のような声が暗室の奥から聞こえてきたのは、そんな時だった。

 部屋の奥にある掃除用と思われる長いロッカーから、人間が一人のそりと現れた。

「わわわ……」

 霧島はささっと俺の背後に回り、そいつから隠れるような格好になる。

「なんだ、警察かと思って慌てて隠れちまったけど、違げえのかよ。この俺がてめえなんかのために隠れてたかと思うとムカついてくんな」

(なんだこいつ! 松永じゃない!)


 松永が出てくるかと思ったら、もっと体格のいい大男。体重百キロはありそうだ。

 記憶をたどっても、面識はない。

 初対面の変な男を見て、俺は直感した。

「お前……松永に頼まれたってとこか……!」

「ああん? ……そうか、お前があいつの言う『邪魔者』ってわけか。なら、潰しちまっても問題ねぇなあ」

 遠雷のような低い声を発するその男は一度しゃがむと、そこにあった長い鉄の棒を手にとりながら俺に近づいてきた。霧島が「ひっ」と小さく悲鳴を上げる。


「……あれ、敵。私、襲われそうになった。大ピンチ。そこに毛利くん、助けにきてくれた。敵、隠れた。ギリギリ。でもこの状況、一難去ってまた一難でしたとさ。あきさみよー、あきさみよー」

 俺の背後で、霧島がそう言う。いつもの妙な口調に加えて恐怖と動揺で言葉がぶつ切りになっていて、こんな状況でなければ笑ってしまっていたかもしれない。が、やっぱり俺の肩をつかむ手は震えているし、精神的に少なからず来る物があったに違いない。

(おいおい、そういうことかよ)


 なんとなく分かった。

 こいつはおそらく、松永に金でも掴まされて、佐々木の時のように目標人物――今回は霧島だ――に暴行を加えろと言われたに違いない。

 佐々木もこいつにやられたかまでは知らないが、手口は一緒だろう。

 松永は霧島を連れ込んだら、あとをこいつに任せてアリバイのために逃げてしまう。

 そしてこの男と霧島だけが残されたとき、下賤な欲にくらんだ男は暴行の前に強姦に及ぼうとし、そこに俺がタイミングよくやってきて、そいつは俺を警察かと勘違いしていったん身を隠した――というところだろう。


 もし俺が、電車に乗ってから嫌な予感に包まれていたら。

 あるいはもし俺が気づかないままだったら。

 考えただけでも恐ろしくなる。

(てめえ、これは俺の南国果実だぞ……じゃなくて、この状況をなんとかしないとまずいな、おい)

 俺より背が高く、体格もがっちりしている。多分まともにやりあったら勝ち目はない。おまけに相手は武器持ちだ。

 俺は背後の霧島に囁きかけた。


「おい霧島、こういうときこそ三線を持ってるお前の出番だろ。特殊な音波であいつの脳を狂わせるとかできないのか」

「ゲームや漫画の嵌まりすぎにご注意……」

 だろうな。そう都合よく物事は運ばない。

(真面目に考えなきゃな)


 幸い、出口は俺たちの背後だ。逃げるだけならなんとかできるだろう。

 霧島を先に逃がし、俺は可能な限り時間を稼いでから自分も逃走、もしくは霧島と反対方向にこいつを引きつけて移動するのが最善のようだ。

「死ねおらああ!」

「!」

 そんな風にのんびり考えていたら、目の前の大男は武器を振りかざして迫ってくる。


「伏せろ霧島ぁ!」

「へぶっ……」

 興奮と焦りで声が裏返って、俺は右手で彼女の頭を強引に下へ押し込み、自分も身体を沈める。霧島は変な声を発して、床に屈みこまされた。

 その一瞬後、突進から横なぎに振りぬかれる鉄パイプが俺の頭をかすめた。

 俺はしゃがんだまま空いている左手で、たった今振りぬかれた相手の手首をつかんで、相手の勢いのまま引きこんで。

「うおあっ……」

「せえい!」

 元サッカー部仕込みの右のインサイドキックで、男の軸足を力いっぱい払う。


 しゃがんだ体勢のまま相手の足を払った俺の体は物理法則に従い地面に仰向けになる形になり、自分の運動エネルギーを最大限に利用された男は俺の身体の上を飛んでいき、出口横の壁に頭から突っ込んだ。

 耳をふさぎたくなるほど嫌な音が響き、部屋全体が微弱に振動した。

(うわっ……これはちょっとやりすぎたかな……)

 が、それは二の次だ。


「霧島、無事か!? 逃げるぞ!」

「も、毛利くん強い……番長って呼ぼう……」

「のんきなこと言ってる場合か!」

 俺はしゃがんだままの霧島の手をつかんで立ち上がらせ、一目散に外に出た。




「一世一代の、大脱出劇でしたとさ……」

「お前、意外と肝が据わってるな」

 俺たちは駅前広場まで戻ってきて、放置されていた三線のケースを回収した。

 ちなみに一緒に放置されていた、霧島の稼いだ小銭入りのお菓子の缶は缶ごと消え失せている。パッと見で千五百円くらいはあったと思うのだが、霧島の無事に比べればどうでもいい。

 霧島も霧島で、怖さのあまり喋ることもできないかと思われたが、意外と余裕があるようでなによりだ。

 そんな彼女を見ていて、ようやく俺も安堵できた。


「よかった……繰り返さなくて……」

「繰り返す?」

「あーいや、こっちの話だ」

「…………?」

 霧島は不思議そうな顔をしたが、ここは流させてもらおう。

 佐々木とのことは、霧島に話す必要はないと思えたから。

 そうしたら、今度は霧島のほうから口を開いた。


「でも、本当に助かった」

「いや、俺が先に帰ってしまったから、こんな怖い目に遭わせてしまったんだ。すまなかったな」

「そうだとしても、助けにきてくれた」

 霧島は、三線をケースにしまって留め具でケースを閉じると、穏やかに笑って言った。

「ありがとう、毛利くん……じゃなくて、番長」

「その称号は謹んで辞退させてくれ」

「……番長、嫌?」

 嫌だよ。

 そんな、不思議そうな顔をされても困る。


「番長って呼ばれて、喜ばない男の子はいないのに……」

「どうしてお前がそういう結論に至ったのか不思議だよ」

「だって、かわいいって言われて喜ばない女の子はいない。かっこいいって言われて喜ばない男の子はいない。番長、かっこいい。だから番長って言われて喜ばない男の子もいない」

「……なあ、ほんとにお前の頭はどうなってんだ?」

 呆れた俺は立ち上がってすぐそばのジュースの自動販売機で適当な飲料を二つ買い、彼女の元へ戻った。


「怖かったろ」

 どっちか選べ、というつもりで二つの缶を差しだしたのだが、あろうことか霧島は両方取ってしまった。まあ、別にいい。

 ごくごく飲んでいる霧島を見たら、俺の胸に湧き上がってくるものは呆れよりも安堵のほうが大きかったから。

 が――。

「……あ」

 ふと、霧島が缶から口を離し、俺の背後の一点を見つめて固まる。


「……私を連れてった本人が、あんなところに」

「な……なんだって!?」

 俺はびっくりして、彼女の眺めている方向を見定めると、確かに奴はいる。

 ここから五十メートルほど離れたところで、携帯をいじっているひょろひょろした男。


「松永……!」

「……黒幕?」

 首を傾げて俺に訊く霧島。まあ確かに黒幕なんだろうが、おまえが訊くなよ。

「あいつに連れてかれたのは、本当なんだな?」

 彼女はこくりと頷く。それで十分だった。

「ついて来い、霧島。俺のそばを離れるな」

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