過去から繋がる今-2

 一年前の夏、佐々木と付き合い始めてすぐに夏休みがやってきて、俺たちはほぼ毎日夏期講習に追われていた。

 デートすらろくにできず、塾の夏期講習と学校の夏期講習の板挟み。

 ちっとも彼氏らしくなくて悪い、と謝るたび、佐々木は「気にしなくていいよ、毛利くんも大変なような、そうでもないような」 と、周囲のプレッシャーにさいなまれる俺をそっと励ましてくれた。


 佐々木は間違いなく、優しかった。

 俺になにも求めず、重荷にならないようにはからってくれた。

 彼女と出会う場所は塾でしかなくて、世間一般から見れば彼氏彼女の付き合い、とは呼べないものなのかもしれなかった。

 それでも、俺にとって大切な存在であったことは確かだ。


「へえ、毛利くんってサッカー部なんだ」

「と言っても、元だけどな」

「じゃあ、中学の頃はサッカー少年だったってこと? ポジションは?」

「ボランチ」

「……えーっと……つまりエースストライカー毛利ってこと?」

「いや違うし、意味分からん……自分から点入れに行ったりはしないから」


 この日は塾での夏期講習が終わってから、行きつけとなったハンバーガーショップで勉強を教え、それが終わってから夜の街をゆっくりと歩いていた。

 塾の自習室を、彼女は嫌った。

 みんなが必死に勉強している空気が嫌いなのだという。

「一種の強迫観念みたいなのがあるような、ないような。その点、毛利くんと二人きりだと安心するし、勉強もはかどるような、はかどらないような」

 と、彼女は言う。

 そりゃ重畳だ、と俺は思う。

 俺たちは、良くも悪くもマイペースだった。

 ゆるゆると、まったりと、想いを深めあっていった。


「ちなみに、私はねえ……」

「言わなくても分かってる、剣道部だろ」

「ありゃ? 私、言ったっけ?」

「言わなくても、お前はたびたびマイ竹刀持って塾に来るだろ」

「あっ、あー……」

 この日こそ持っていなかったが、佐々木はたまに布袋に入った竹刀を持って塾に来る。


「けど、剣道部の竹刀って学校に置いてくもんなんじゃないのか? 夏休みも練習あるとしたら、なおさらだろ」

「いや、それがさ、一度盗られちゃったんだよね、マイ竹刀。ご利益あるからかな、全国出場の」

 意外な理由を彼女は語った。ご利益云々はともかく、本当に全国に出たというのだろうか。

「へえ、お前そんなに強いんだ?」

「まあね。二段持ってるよ。どっからでもかかってきたまえ!」


 今日はたまたま午前中に雨が降ったこともあり、俺たちは差さない傘を持っていた。

 暗い道だった。人通りも少ない。

 俺は周囲の安全を確認してから、本当にぶつかっても大丈夫な力加減で、彼女に向けて軽く傘を振りおろしてみた。

 すると、佐々木は悪い視界にも関わらず、全く構えていない体勢から目にもとまらぬ速さで俺の傘を自分の傘で軽くいなして――。

「ほらね」

 まるでバトル漫画に出てくるキャラクターのように一瞬で間合いを詰めて、空いた方の左手で俺の頬にそっと触れた。


「う……わ……」

 近い。

 彼女の体が、俺の体と触れ合って。

 あたりは暗くて、人もいなくて。

 急速に、胸の鼓動が高鳴る。

 安いドラマだったら、ここでキスでもしそうな展開だが――。

 もちろんそんなことはなく、佐々木は俺から身を離した。俺は内心少しほっとし、少し残念な気持ちを抱えながら、歩きだす彼女についていく。


「ねえ、毛利くんの高校って男子校だよね?」

「そうだけど、なんだ急に」

 突然話題を切り替えた佐々木は、歩きながら俺を振り向き、そう訊いてくる。

「ね、文化祭のときとかは、女の子も入っていいのかな?」

「いいんじゃないか? 去年も他校の女子、遊びに来てたはずだし」

「わお! 私、男子校行ってみたかったんだよね! 男、男、男だらけの花園……うひへへへ……」

 怪しい笑いを響かせ、恍惚の表情を浮かべる佐々木。大丈夫だろうか。


「いつやるか、なにやるか、決まったら教えてね!」

「やれやれ……」

 俺はため息をひとつ吐いた。

 ありがちといえばその通りだが、その時はまさか佐々木にあんなひどいことが起こるなんて、考えもしなかったのだ。




「やっほー」

 夏休みが終わり、体育祭が過ぎ、あっという間に文化祭の日がやってきた。

 そして、宣言通り佐々木は俺たちのクラスが経営する『男だらけのフランクフルト屋』という、男子校だから当たり前のはずだがどこか卑猥な看板を掲げた店に現れた。

「佐々木! 本当に来たのかよ……」

「えー、いいじゃん来たって。いやーしかし、むっさい教室を無理やり華やかにした感じが、教室の隅や飾り付けの隙間から見え隠れするような、しないような」

 それは仕方ないだろう。飾り付けなんかも全部男がやっているんだから。こういったところでは女子のセンスがないと無理がある、という点にはおおいに同感だ。


「ま、とりあえずフランクフルト一つ持ってきてほしいな」

 金券を手渡して、佐々木は注文した。

「マスタードは?」

「いらなーい」

「変わり種のバナナ味のフランクフルトもあるけど」

「普通のちょうだーい」

「了解」

 どこか抜けたやりとりをして、俺が簡易厨房に戻ろうとしたとき。


「毛利いいいいいいいい!」

「優佑ええええええええ!」

 俺の名字と名前を叫びながら、物凄い形相の二人の男が突撃してきた。

 友人の吉川と小早川だ。

「なんだいったい、飲食店内で走るなよ、埃が立つから」

「なんだじゃねえよ、お前、いつから彼女なんて作ってたんだよ!」

「ほんとだよ、校門前の桜の木の下で誓ったじゃねえか、『もてない我ら、生まれし日は違えども、一生清い体で生きていくぜ!』ってよう!」


 そんな変な三国志みたいな記憶はない。こいつらが捏造したに違いない。

 ともあれ、俺がフランクフルトを揚げて持って行くと佐々木は嬉々としてかぶりつき。

 一本たいらげて一息つくと、伸びをして立ち上がった。

「んー、美味しかった! ……んじゃ、遊びに行こう?」

「そんな自由すぎることできるか。俺は、午前中は店を……」

「いいから!」

 強引に腕をつかまれ、教室の外まで引っ張られていってしまう。


「ちょ、ちょっと佐々木! おい、吉川、小早川! 助けてくれ!」

 俺は必死に友人二人に助けを求めたのだが。

「吉川、お前ってイケメンだと思うぜ。すぐ彼女できると思うぜ」

「いやいや小早川、お前こそイケメンだよ。明日にでも彼女できるよ」

 あろうことかこの二人は互いに傷のなめ合いをしていて、俺のほうに気が回らないらしい。

「さあさ、諦めて一緒に回ろうよ。ゴーゴー!」

 腕っ節じゃ剣道二段のこいつに適う気はしない。あきらめて店は放棄し、一緒に行動することにした。




「ごめんね、無理やり連れ出して」

 ある程度出店を回ったところで、俺たちは人気のない旧校舎の階段に腰を落ち着けてお菓子を食べていた。

「今さらもういい。男ばっかで店やってるより、やっぱりこういうことしてるほうが楽しいしな。怒られるなら怒られるで構わん」

 それに――。

「俺のほうこそ、悪いな」

「ん?」


「普段から、こうして遊んでやれなくてさ。普通、高校生で彼氏彼女とかの付き合いだったら、もっと遊んだり、飯食ったり、映画館や遊園地に行ったりとかしそうなもんなのに、結局今まで一回もそういうことをしてやれなかった」

 時間は、無常にも、無情にも、過ぎてゆく。

 本当はできたかもしれないあんなことやこんなことで、佐々木の心を満たしてやれたはずなのに、そうしなかった俺は今までどれほど彼女の心を満たせたのだろう。

 そんなことを悔いながら、そう詫びた。


「いいんだよ、それはさ。私だってなんだかんだで剣道部と塾が忙しかったりするし、毛利くんはそれ以上に学校や塾での勉強が大変そうだし」

「……やっぱ、佐々木って優しいな。それに、強い」

「そうかなあ?」

 そうだよ。

 俺を責めないもんな。

 正直なところ、そろそろ『きみと付き合っていてもちっともデートしてくれないし、楽しくないから他の男子に乗り換える』なんて言われるのではないかと危惧していたほどだ。

 でも、そう言って笑ってくれる。


「なあ、佐々木。こんなこと、俺が言うのもアレなんだけどさ……」

「うん?」

「こんな彼氏らしくない俺だけどさ……これからも、できれば一緒にいてほしい、んだ……」

 そう言ったら、剣道少女はくすっと笑ってこう言った。

「美優、でいいよ」




 さんざん遊び倒して教室の前に戻ってきたときには、既に多くの店が片付けの準備を始めていた。

「帰り遅くなっちまうな。今日は俺が送っていくよ」

「ほんと? ありがとう! 今日は竹刀持ってないし、助かるよ。いくら段持ってても、刀がないとただのかよわい女の子だからさ」


 俺は彼女のしなやかな体躯をまじまじと眺めた。全く無駄な肉のない身体と、意志の強そうな目つき。別に武器がなくても、俺がいなくてもなんとかなりそうだが、それを認めてしまうと俺の男としてのなけなしのプライドが霧散するので言わないでおいた。

「かよわい、ねえ……」

「な、なに、なんか文句ある?」

「いや、ないけどさ……」

 俺たちが不毛な言い合いをしているとき、佐々木の背後からひょろりとした長身がやってくる。


「毛利。俺と一緒に回ろうって約束したのに、なんで勝手にどこか行っちゃうんだよ」

「…………出たよ……」

 鬱陶しい自称俺の友人、松永。

 こいつは俺のことを友人扱いするが、俺はこいつのことを友人とは思っていない。学業の成績でのみその人間の頭の善し悪しを図るような器の小さな人間だ。そんな奴を俺は好きではないからだ。

 その松永は佐々木に気づき、彼女の顔を眺めた。


「…………」

「…………」

 互いに、一言も喋らない。

 にらみ合っているわけでもない。

 ただ、佐々木のほうはこの男に少し警戒心のようなものを抱いているように見えた。

 先に口を開いたのは松永。

「毛利、これお前の彼女?」

 俺のそばで小さく「こ、これ!?」と驚愕する声が聞こえた。

 俺にしたって、自分の彼女が物扱いされたことに憤りは隠せない。


「だとしたらなんだよ」

 不快感をあらわに切り返すと、松永は大げさに肩をすくめた。

「毛利、お前に異性交際なんてする時間があるとでも思ってるのか?」

「どういう意味だよ」

「お前は頭がいい。俺も頭がいい。だけど俺たちは勉強に没頭して、さらに頭に磨きをかけなきゃいけない。俺は現にそうしてる。でもお前が、そういうくだらないことで勉強以外に現うつつをぬかしてみろ。俺だけ頭が良くなってしまったら、俺は誰と仲良くなればいいんだよ」


 なんだその自分本位で無茶苦茶な理由は。俺は呆れ果てた。こんな奴と会話を試みた自分に腹が立つ。

「佐々木、行くぞ」

「おっとっと!」

 俺は教室を出る前とは反対に、彼女の腕を少し強引に引っ張って松永から離れた。

 去り際、なにかあいつが言ったようだが、気にも留めていられなかった。

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