コンセプト凝縮小話

読み切り短編 (姉妹編) R15注意

 田原朝美は田原家の長女だ。嫌いな部活を半強制的にやらされ、しんどい思いをしながらも合格した、第一志望の高校に通っている。自宅からは自転車で十五分ほどの距離にある市内で唯一の公立高校は、頑張った生徒に県立だか国立だかの大学推薦を授けるらしく、両親──特に母親には、それを目指して頑張ってね、と事あるごとに言われていた。

 女子高生のレッテルを自分に貼って、スカート丈は短く、靴下はワンポイント付きの高校生ブランドで統一。お小遣いのために髪染めだけは我慢して、しかし校則を程々に破るような髪型で、朝美は高校生の毎日を謳歌していた。

 高校一年の夏だった。

 半袖シャツに赤いリボン、エアコン対策のベストを着て、スカートは三つ折りが当たり前。膝小僧ののぞく脚を組み直すと、ローファーの先を艶が走った。

 夏休みを目前に控えた、期末テスト週間の、とある昼休み。朝美は英単語帳を開いて、小テストの勉強をしていた。

「ねえねえ、夏休みさ、プール行かない? プール! 海でもよし!」

 ばさりと前に広げられたのは、ティーン雑誌の一面だ。綺麗に手入れされた指先を辿って顔を上げれば、友人の松井実花が楽しげに笑いかけてくる。

「……ミカ、あんた、他に見るもんあるでしょ?」

 呆れた声を出せば、大仰に肩を竦めて、実花は机にばんと雑誌を置き放つ。

「だって~、楽しみないと勉強のやる気なんて起きないし!」

「あたしプール。まめまめしい」

 向かいの席に座る樋口衛が、古文単語を言い当てながらさらりと希望を伝える。じたばたしていた実花は機嫌を直してうんうんと頷き、自分の髪の毛先をくるくると指で弄り始める。態度の変わりようは絵の具を水に溶かすよりも素早く、鮮やかだ。

「あたしもプールがいいなーって思ってたんだよね。って事でさ、期末テストの最終日、水着買いに行こ?」

「えええ……お金ないよ」

 結局は集中力を奪われてしまうのだと胸中で溜息をつき、渋々という風に朝美は実花に付き合う。

「誕生日祝いで半分持ってあげるから~。あさみん来ないとナンパ呼べないじゃん」

「あんたねえ、人を撒き餌にすんな!」

「あたっ」

 英単語帳の背表紙で脳天を叩くと、スパン、といい音がした。

 こんな対応をしているから、朝美はいつまで経っても男子から恐れられている。クラスの中でもちらほらと浮いた話が散見され始める頃ながら、朝美にそんな話は一つもない。噂すら立たない。悲しいことに。

 それでも、朝美の外見はそれなりに人目を引く部類に入っていた。実際、五月の林間学校では他クラスの男子から何度も声をかけられていて、自覚が芽生える程度には周囲の反応があった。

 だが、それすらも台無しにする程には、朝美の手は早かった。突っ込むという意味で、真面目に対応するという意味で、彼女の隣に並ぶものは居なかった。

「だって、朝美ちゃんは私の人生の中でもトップクラスの顔なんだもん」

 ぼんやりと振り返る朝美の視界の端で、実花が両肘をついて頬に手を当てる。あまりの堂々とした態度に、真面目に考えていた自分が少しだけ馬鹿らしくなる。

「顔だけかい」

「顔だけ~」

「嬉しく無え……」

 自他共に認める面食いな実花は嬉しそうに笑っていて、朝美の口が謝り損ねる。

 朝美は、実花が少しだけ羨ましかった。

 実花は朝美の知り合いの中で、最も女子力の高い女子だ。髪の毛先はいつだってくるんと巻いてあり、染めているのかいないのか怪しいラインの茶髪はよく似合っている。化粧は母親に教わったらしく、偶にけばけばしい時もあるけれど、大人になりたい女子という雰囲気があり、中身や話し方も相まって人受けする。黒髪ストレートを背中に流しているだけの朝美と違って、ここが古びた教室であろうと、彼女がいるだけで周囲が華やぐ。

 朝美の持っていないものを持っている。ただそれだけだから、眩しくて堪らない。

「朝美はモテると思うよ。照れ屋なだけで」

「……なに、急に」

 ポツリと呟いたのは衛で、古文単語から朝美に移していた視線を、避けるようにまた伏せる。

「……なによ」

 長くなり始めた髪を背中に払い、英単語帳を開き直す。

 余計なことを考えて卑屈になる自分は嫌いだ。友人に慰められるのは、もっと嫌だった。

「なんでも」

「なによ!」

 にやついているのは声から分かっていて、朝美が照れ隠しで叫んだことも彼女にはお見通しのようだ。

 衛は、こけし人形のように華奢で小柄な友人だ。シャギーの髪型は小顔の衛によく似合って、姿勢の悪さが一層、彼女の体格を小さく見せている。椅子に座っている様も、ちょこん、と擬音を付けたいほどに愛くるしさがあった。

「……もう。私小テストの勉強してんの」

 対し、身長百六十センチを超える朝美は、なかなか落ちない筋肉のせいもあって、どう足掻いても可愛らしいという言葉と縁を持たなかった。せめてもう少し、あと二キロ体重が少なければ華奢で通せたかもしれないが、残念ながら今日もお腹いっぱいに昼食を取ったところだ。

 太くはないが細くもない脚を組んで、膝小僧の上の脂肪を睨み付ける。

「ふふふ」

「かわいいねえ、あさみん」

 衛と実花が揃ってニタニタとそんな朝美を笑うから、素直になるのも誤魔化すのも恥ずかしくなってしまう。

「っもう! いい加減、勉強しろってば」

「あさみーん」

「分かったから。終わったらね」

「! やったあ!」

 大袈裟な動作で、実花が朝美に抱き着く。ふわふわとした花の香りに包まれて、ページ下に書かれていた英単語が、いくつか記憶から飛んだ。

 そんな他愛もないやりとりを繰り返して、日々を過ごす。贅沢な日常だった。

 そして、なんとか乗り越えたテスト期間は、手応えとしてはまあまあだった。

「なんにしよっかなー!」

 最終日、晴れ晴れとした気持ちで三人は学校を後にしていた。学校最寄りの駅から電車に乗って、三つほど駅を過ぎれば繁華街や大型デパートの通りに出る。目当ての店は其処彼処に見つかった。約束通り、水着を買いに来たのである。

 ビキニと一口に言ってもオフショルや三角など種類があって、ワンピースが付いていたりタンクトップが付いていたりと組み合わせも多様だ。脚の太さが気になる朝美はワンピースや短パンがセットの水着を見ることにして、実花や衛の水着を先に見て回った。単純に、品揃えが悪かったのだ。

「これとか可愛くない?」

 実花が選んだものはオフショルダーのものとホルターネックタイプのものを、衛は物静かな性格の割に大胆なので、チューブトップと言われるブラトップのないビキニを選んで、それぞれ着せ替えていた。胸と腰の比率が綺麗だからよく似合う。はっきり言って、どれを選んでも似合わないなんてことがない。

 じくじく、じわじわ。足の底から這い上がってくるような、胸の下から沈んでいくような、悪寒じみた感覚を笑顔の裏に隠す。

「朝美も着ればいいのに」

「はいはい。また今度ね」

 向けられる言葉を受け流して、自分の番になる覚悟をする。呼吸の隙に嚥下して、足元をしっかりと固める。

 朝美には誰にも言えない衝動を感じる時がある。

 例えば、そう、こんな、女性という性別を意識させられるような格好であったり、対応であったり、身体の変化であったりときっかけは様々日常に潜んでいて、ふとその流れに乗ってしまった時に感じる。それが性的な、女の子には秘されるようなカテゴリだと気付いてからは一層戸惑いと気持ち悪さが勝って、暴力的な衝動への嫌悪は益々増していた。

 どうしてみんな、楽しいと思えるんだろう。

 生理が来るたびに嫌になるのは、単純に、朝美が自分の身体を受け入れられていないからか、女の子のままでいたいからなのか。答えは明確な割に、腑に落ちない。

 だから、だとは自覚している。

 朝美は妹の美恵が羨ましくてたまらなくて、一方で、その衝動を吐き出す相手として最適だと認識していた。

 未発達の身体も、生意気な頭も、高校生の自分からしてみれば天使みたいに無性の存在に近く、妹なのに存在が遠い。なにより、言うことを聞くから、都合が良い。

「朝美、まだー?」

「もうちょっと待って」

 胸の形にしっかりと揃ってしまう水着を気にしつつ、予備のワンピースに腕を通す。胸のところでつっかえるそれに舌打ちをして、鏡を見るまでもなく着替え直す。

「あれ、見せてくれないの?」

「サイズ間違えた」

「どんまーい」

 表情を取り繕う気も起きず、仏頂面で実花の背後を通り過ぎ、元の位置に水着を戻す。

「衛は?」

「お手洗いだって。ねー、この後どうする? ドーナツ食べたい」

「いいんじゃない」

 適当な会話で間を保たせて、サイズの表記だけを確認する。その間に切り替えが上手くいけば、大人なのだろう。

 買いに行くから、とまるで負け犬の台詞のように言い置いて、レジへ向かった。

 その後、近くのドーナツ屋でテストや他愛ない噂話に花を咲かせて、数時間を過ごした。

 テスト期間に溜めたストレスはすっきり発散できたようで、水着選びで感じたモヤモヤも無くなっている。エアコンの効いた店内は涼しく、汗もかかないコップを持ってストローからカフェオレを吸えば、氷が粗雑な音を立てて溶けていった。

「やっぱり買い忘れてる」

 本屋で買った新刊を手元に、端末で漫画のタイトルを検索する。表示された巻数は全部で十五で、朝美が持っているのも十五巻で間違いはないが、どうやら十四巻を買い逃したようだ。

 見覚えのない最初のシーンをぺらりとめくって、頬杖をつく。

「ねえ、行くとこないなら、古本屋寄らない?」

 呟くように誘い文句が出た。一秒遅れて、あ、と口の形を変えたところで、すっと手が挙がる。

「はい。私も行きたい」

 応えたのは衛で、ココアを飲む手を休ませた実花がこほんと咳払いをした。何かを握るように指をたたんだ片手で、叩く動作をする。

「樋口氏の賛成により、賛成多数で直行でございまする」

「なんだそれ」

「テンション上げてみただけー」

 日本語と反応のおかしさに気が抜けて、顎が手の上からすっぽ抜ける。苦笑が口元に広がって、ふは、と音にもならない笑い声が口から零れた。

 すると、二人が示し合わせたように顔を合わせて、笑顔を向け合う。

「笑った笑った。おっけーおっけー」

「行こ」

 会話の奇妙さに、呆然と立ち上がる二人を見送る。

 トレイに三人分の食器を乗せて、先に動き出した衛がぽんと朝美の頭を撫でて行った。

「……な、」

「あさみん、ほらほら、漫画片付けて」

「わ、わかったって」

 ようやっと合点がいって、羞恥に似た焦りが生じる。年下の妹の気分を味わいながら、荷物を片付けて二人の後を追う。

 入り口で朝美を待つ二人の顔はどこか大人びていて、迷っている朝美をちゃんと見放さず、待っていてくれているようだった。

「……ありがと」

「いえいえー」

「どういたしまして」

 不思議だった。見透かされていたことの恥ずかしさよりも、安心感の方が強い。並んで歩けることを少しだけ楽しく思える。

 もしかすると、二人はとっくに朝美の持つこの感覚を乗り越えていたのかもしれない。朝美の気付かないところで、悩んで苦しんでいたのかもしれない。

 言葉にはしなくても、そう伝えてくれる。一人じゃないのだと教えてくれる二人と友達で良かった、と先ほどの重みを実感に変えて、想いへと昇華する。

 けれど、その有頂天な気分も急転直下、自分の生んだきっかけで台無しにしてしまうのが朝美の人生だ。

 大きな古本屋はコーナー毎に棚一列が並ぶ配置のおかげで、立ち読みに耽る人が多い。雑誌コーナーに向かう実花と小説コーナーに向かう衛と分かれ、朝美は少女漫画のコーナーに向かっていた。小学生中学生向けの角から入って中央へ進み、中古の本を見つけて大人向けの方へと足を運ぶ。少女漫画とはいえファンタジーから少し過激なラブストーリーまで様々あって、そのせいか、棚の端には大人向けのものが並んでいることが多い。大分耐性がついて、タイトルの面白さを楽しめる程度には冷静に見られるようになっていたから、戸惑うことはないが長く見ることはない。

 だから、すぐ見つけてしまえたのだ。

 大人や高校生の多い店内において、赤いランドセルはよく目立った。見慣れた黒髪は顎が隠れる高さで切り揃えられ、日焼けのしない白い細い腕が、小さな手が、不似合いな大判コミックを持っている。

 あれ、と思って足を止めた時、気配に敏感なその子が読む目を止めて、朝美を見上げた。

 妹の美恵だった。青白い顔から赤みを奪えばこんな顔になるのかと、いっそ冷静になってしまうくらいには驚いて、互いに言葉を発することができない。

「……」

 小さな口が何度も開閉して、母音を発しようとする。泣いてしまうのではないかと思うほど大きく潤んだ瞳が店の薄暗い照明を反射して、黒い部分に朝美の顔を写していた。

 手首を掴んで、小さな手から本を奪い取った。

 棚に戻し、何も言わないままに妹を連れていく。鞄を肩にかけ直し、空いたもう片手で携帯を操作する。途中何度か人にぶつかりながらも店の外に出て、一言も発することなく駅に向かった。

『ごめん。妹見つけたから、帰る』

 道中、返信が幾つかきたけれど、端末を見る余裕もなく、朝美はじっと靴のつま先を見つめていた。

 都合がいいのか悪いのか、もう分からない。家には誰も居らず、時計はまだ午後の四時半を示していて、母の置き手紙に帰宅は五時半を過ぎると書いていた。

 汗ばんだ手を、やっと離す。

「……お姉、ちゃん」

「手、洗ってきて」

「ん」

 普段は生意気で、つんと澄ました様子も見せる美恵だけれど、姉の朝美の前では従順だ。年が離れていることもあって、朝美もそこまで真面目に美恵を相手にしなかったせいもある。

 怯えているのが分かっているのに、美恵があんな本に手を出してしまったことのショックが大きすぎて、優しい姉で居てやれない。

 だって、最初にそれを教えたのは朝美だ。朝美のせいで、美恵が余計な知識と関心を持ってしまった。

 台所で手洗いうがいを済ませて、制服を脱いだ。皺にならないように最小限の配慮だけをしてハンガーに掛け、下着姿のまま、廊下の入り口で突っ立っている美恵を迎えに行く。

「あんた、今日みたいなこと、いつからしてるの」

「し、てない……今日、たまたま、帰り道に、」

「ランドセル背負ったまま? 嘘でしょ。学校まで徒歩じゃん、あんた」

「社会科の授業で、外に、出たの」

 今朝の食卓で、そういえばそんなことを言っていたような気もしなくもない。覚えていない。朝美はテストの最終日だったのだ、そんな余裕があればとっくにクラスで一番になっている。

 ランドセルの取手に沿って汗をかいた服を指して、着替えな、と最後に言った。その後に妹が何と言ったのか、自分が何と言ったのか、朝美の耳にはもう聞こえていない。

 自分の手が、妹の服を捲った。感触が暗闇の中で強調される。凹凸のない上半身に舌を這わせて、自分すら知らない場所を指で弄る。囁くような癖になる吐息に小さな声を乗せながら、美恵が肩で息をしている。乳飲み子でもないのにミルクのような、甘ったるい香りがした。舌触りは滑らかで、汗か涙かもしれない塩辛い味が美味しく感じる。くらくらする。

 シーツの上に敷いたタオルケットには朝美の手のひらが載っていて、濃い陰影を残していた。

「これで最後にするから。忘れるの」

 夢うつつのようにそれを口にした。やっと言葉が声になった、と実感が遅れてやってくる。

 聞こえないと思っていた妹の呼吸が、耳元で聞こえる。抱きしめると熱くて、触れたところの境目が分からない。

「っ……おねえ、ちゃん」

「忘れるの。いい子でしょ、美恵は」

「ん、ん」

 頭を撫でて労わりながら、あともう少しを押してやる。まだ大人になる準備も始まっていない身体が、まやかしの快楽に踊って、震える。

 吸い付いてやりたい小さな唇を眺めて、その奥で蠢く赤い舌を見守る。息を吸う、吐く。呼吸をしている。生きている。知ってしまった感覚に怯えることもなく、悲しむこともなく、妹は朝美の腕の中で静かに目を閉じる。

 同じシャンプーの香りのする頭に鼻を埋めて、朝美も静かに目を閉じた。



 衝動の行く先を見誤ったのは、朝美だった。

 あともう少し、そう、実花や衛にもう少し、自分のことを打ち明けていたら。誰かや、雑誌のような何かを頼ることができていたら、もしかしたらその衝動の行く先は違ったのかもしれない。

 けれども、現実はあともう少しが耐えきれなくて、朝美は妹の美恵を利用した。

 従順で可愛くて、少し大人びて無邪気だったから、その先にどうなるかを考える必要がなかった。

 嘘だ。どうでもよかった。妹だったから、なんとでもなると思った。

 酷い姉だった。

「……おはよう」

「おはよー」

 パジャマ姿の妹がリビングにやってくる。こんな時間に起きてくるとは珍しいなと思いつつ、テレビを見ている振りをしてそれ以上の言葉を喉の奥にしまう。

「遅刻するよ」

「平気」

 母親と妹の会話を頭上に聞きながら、天気予報を眺める。午後からの授業に備えて、洗濯物でも回そう。

「高校は遅刻欠勤もチェックされるのに」

「遅刻じゃないから」

 大学生も半分が過ぎたというのに、美恵がすっかり高校生になったことに実感が湧かない。ピ、と電源を落とせば、暗い画面越しに美恵の制服が見えた。

 朝美がかつて通った高校とは違う制服だ。

「……あんた、スカート長すぎない?」

「さあ」

 姉妹の間で交わされる言葉が減って、数年。妹が自分を嫌うようになったらしいのは朝美も感じ取っていて、必要以上に近寄らないよう努めていたらこうなってしまった。仲睦まじい姉妹を演じることもなくなって、寂しさを感じないこともない。自分勝手な感情だけれど、もう少し人として対応して欲しい気もする。

「女子高生のくせに」

 返事の代わりに、鋭い一瞥を向けられ、両手を挙げる。

 幼い頃の記憶ほどあやふやになるとはいえ、あの経験はやっぱり、美恵の中に一生根付くほどの大きいものだったようだ。

(ごめん、って言っても、ねえ)

 あの時の朝美と同じ年頃になって、美恵は今、どんな毎日を送っているのだろう。どんな思いで、毎日姉と顔を合わせ、家族として生きているのだろう。

「朝美、あんたも手伝いなさい」

「はいはい」

 知りたいような知りたくない現状を横目に流しながら、今日も朝美は姉の顔をして食卓に座る。美恵の向かいの席に座って、ニコリともしない顔を見つめながら食事の用意を手伝う。同情も憐れみも何も色のない瞳に朝美を写して、美恵は今日も静かに朝を始める。

(あんたが幸せになるまで、私は幸せにならないから)

 誰に対しての免罪符にもならない言葉を胸の中で繰り返して、いただきます、と口にした。

 一度道を踏み外し、最後ね、と言い合って終わらせた幻のような時間を、一生誰にも言うことなく墓に持って行く。それが美恵にしてやれる、最大にして最期の罪滅ぼしだと思っている。 

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