前章(これまで公開していたお話)
第1話
二人は、出会う前から同じ空間を共にしていた。
高校入学という機会に恵まれ、同級生の誰もが期待と不安に胸を躍らせていた、春。相手の中身を知ることに少しずつ喜びを覚えると同時に、同じ分だけの嫌味を募らせていく、曖昧な時期。
そんな、危うくも華々しい時期を、彼女たちもそれなりに楽しく過ごしていた。
一人は、規律の緩さを理由に髪を染め、この為と言わんばかりに白さと程よい肉付きを保った脚を晒し、甘い顔に似合う可愛らしい態度で男女の気を引いた。部活やクラブにも積極的に顔を出し、同級生だけでなく上の学年にも少しずつ顔を広げていたものだから、一月もしないうちに彼女が一つ上の学年と付き合い始めても、誰も、何も驚かなかった。
もう一人は、どこか大人びた雰囲気を漂わせ、ざわめく教室の一角に安らぎを与えるような、落ち着いた空気を常に保つように、ひっそりと、静かにクラスに馴染んでいた。真っ直ぐの黒い髪に穏やかな物腰は女子生徒には評判が良く、図書委員という偶然の役割にも味方されて、男子生徒からは文学少女やクールビューティーなどとひっそりと持て囃される。
その程度の存在で、留まっていた。
これは、そんな二人が出逢い、互いの違いを強く意識するがために惹かれ合う、そんな危うい少女たちの物語である。
第1話(ボツ)
梅雨明けがテレビで宣言されてから、数日が経った。
曇りつつある西空を見上げてから、
湿り気を帯びた空気に当てられて、黒ずんだ木の壁はすでに一部が剥げつつある。日本家屋といってもいい、築四十年は過ぎた古い平屋が、田原家だ。改築を二度行っている為、中は外観に比べ近代的だが、それでも古いことには変わりない。畳の部屋がいくつも並び、廊下は一つ。衣装箪笥は漆塗りで今もなお、畳の一角を確実に地面に沈めようとしている。
「いってきます」
部屋の奥でご飯を食べている姉にも聞こえるように、声を意識した。
開いた引き戸の向こうに、サンダルを履いた母親が立つ。
「いってらっしゃい。今日も同じ時間?」
柔らかな微笑みを浮かべる顔は、美恵にも受け継がれている。
丸い瞳に青白くも見える白い頬、特別可愛いというわけでもないが人目を引くすっきりとした面立ち。
「うん。遅くなりそうなら、メールする」
「わかった。気を付けてね」
切り揃えた黒髪は美恵の仕草に合わせて柔らかな弧を宙に描き、母親の見送りをそっと受け流す。
バスに乗って最寄りの駅まで十分少々。私鉄に乗り換え十数駅越えたところに、美恵の通う高校はあった。
見た目も偏差値も学生の質も可もなく不可もなく。学校行事も部活動もPTAが満足する程度に行われており、生徒側の負担を思ってか体育祭の参加競技数は最低一つ、遠足は年に1回あるかないか、修学旅行は二年生のみ。
「おはよー」
「おはよう」
靴箱に溢れる生徒の波を避けながら、自分の靴を取り替えナースシューズに履き替えた。スカート丈には厳しいわりに、足元のオシャレには寛容なこの学校は、それ故に選んでやってくる学生が多い。
「ねえねえ田原さん、今日の数学の宿題、やった?」
「たはらんはやってるでしょー」
ポニーテールに丸眼鏡がポイントのクラスメイトと、セミロングの髪をだらしなく伸ばしたクラスメイトが、それぞれ挨拶とともに美恵の隣に並ぶ。
登校時間が重なるだけで話すきっかけは生まれるのだから、女子のコミュニケーション能力は素晴らしいなと思う。
「実はまだ一問、残ってるの」
「えっ、あのたはらんが?珍しいこともあるもんだねー」
貴方の想像の中では珍しいのでしょうね、とは心の内。
「じゃあさ、私と見せ合いっこしようよ。次、当たるんだよね」
「いいわよ。次は助けてね」
「もっちろん」
にこりと笑って、彼女と微笑みを交わす。もう一ヶ月以上彼女と話をしている。名前くらいは覚えていた。
「じゃあ、また休み時間にね。井上さん」
「うん」
教室の扉をくぐったところで、別れを告げて自分の席に向かう。同じ教室に居るのに、またねだのばいばいだの、何度出会いと別れを繰り返すつもりなのか。
(……なんてね)
馬鹿馬鹿しいことでも考えていないと、学校は退屈で仕方ないと美恵は思う。新しいことを学ぶのは楽しいけれど、教科書を読めばわかることはわざわざ人の声を介して学ぶ必要はないと思うし、全員が同じペースで学べるはずがないのに誰かと歩調を合わせざるを得ない空間が、どことなく居心地が悪かった。
とはいえ、家に引きこもれば当たり障りない会話しかできない母親と二人きりになってしまうので、仕方なく皆勤を続けている。
(新しい本、入ったかしら)
教科書とノートを机の中に移しながら、図書委員らしく仕事の内容を思い出す。今日はちょうど7月頭、先月頼んだ本が入荷される日だ。
確か、美恵も好きなシリーズの新刊が入荷予定だったはず。昼のうちに予約をしておかなければと、先の楽しみを作って機嫌を直す。
無論、全て表情には出さず、頭の中での算段である。
席に着けば、時間の都合もあって誰も話しかけてこない。ぎりぎりまで友人と会話を楽しみたいクラスメイトたちの声をBGMに、一限目の授業プリントを確認していた時だ。
「おっはよーん!」
声とともに、鞄の端が美恵の机に当たる。
「あっ、ごっめーん。当たっちゃった」
当たったことくらい、言われなくてもわかる。一応謝っているし、いちいち気にすることでもないと、美恵は次の授業の用意を始めた。
「ちょっとちょっと、無視?」
ばん、と美恵の目の前で机が平手打ちされる。打たれた方より、打った方が痛そうな音だ。
「……なにかしら?」
「いや、こっちの話なんですけど、それ」
顔を上げると、あまり目にしないようにしてきたはずの色が、そこにあった。
毛先をアイロンかなにかで無理やり巻いた、傷んだ茶髪。同い年にしては年上っぽく見える、化粧の施された顔。
極め付けの、薔薇の香り。
来る場所を間違えているのではないかと、最初出会った時は思ったものだ。
彼女の名前だけは、よく覚えている。忘れたいくらいに、はっきりと。
「……ああ。気にしていないわ、気をつけてね」
「……そーね。じゃっ」
不満そうな表情をしていたものの、予鈴が鳴ったのをきっかけに、柏木萌子はそう言って背中を向けて自分の席に歩いて行った。
膝小僧が丸見えの、校則やぶりのスカート丈。聞いた話では、折り目が綺麗になるようわざわざ自分でスカートを縫い直したとかなんとか。
誰かに媚びる為とはいえ、よくそこまでやれるものだ。
(今日は嫌な日ね)
頬杖をつきたい気持ちで吐息して、美恵は朝礼の挨拶を静かに待ったのだった。
★
月曜日は、
「ふっふっふ……」
食卓の上におかれた、一通の茶封筒。その中に入っているお札には、もはや有り難みは感じない。
携帯で先週付き合い始めたイケメンの先輩にメールを送り、時間を合わせて電車に飛び乗る。満員電車でないのをいいことに、萌子は車両の隅っこで鏡と化粧ポーチを開いた。
電車の中で化粧をするなとよく言われるけれど、女子高生の朝は忙しいのだ。眉を描くくらいは許してほしい。
扉に反射して映る自分の姿を見て、スカート丈を確認する。鞄は今日もスッカスカで、課題が出されていたような記憶もあるが今は忘れたことにする。
「おっはよーございますう!」
駅を降りる前から見つけていた相手に、扉が開いた瞬間に駆け寄った。
ニコニコ笑っていれば、相手は笑って萌子に優しくしてくれる。笑うだけで、ちょっと相手の変化に気づいてやるだけで、ころっと落ちてくれるのだから、男子高生は単純だ。
そう思っていることなど微塵にも思わせない笑顔で相手の反応を待っていると、彼は同じ電車から乗客が降りきり、萌子とホームに二人残されてからようやく、口を開いた。
「あー、柏木……あのな、」
「なになに?もしかして、今度のデートのこと?」
不穏な気配を感じ取っても、最初は怯まない。上目遣いで、少しだけ泣きそうな顔をして迫れば、あと一週間くらいは猶予ができる。
それは全部、萌子の経験則だ。
「あー、うん、そう。それなんだけどさ」
案の定、相手は言い淀んだ内容を喉の奥に押し戻して、萌子にぎこちない笑みを向けた。
「私、次は映画観に行きたいなあ~」
全然興味なんてないくせに、相手の好きな映画がやっていることだけは知っていて、それをだしに時間と会話を稼ぐ。
駅から学校までの10分わずかを乗り切れば、玄関でお別れだ。
「今日は部活があるんですっけ?」
「うん、そう。……明日は朝練あるし、またこっちからメールするから」
「はーい。じゃあまた」
彼の背中が階段の上に消えるまで見送って、居なくなった瞬間、背を向けて教室まで走る。
時間をかけて化粧をして、ニコニコ笑って話をして、最後まで見送って。
(どうしてよ)
彼とは先週の月曜日に付き合い始めて、水曜日に手をつないでキスをして、金曜日にはさらっと身体を合わせてみたところだ。おかしい。少なくとも数ヶ月は保つつもりで見込んでいたのに、あれでは一週間どころか三日も保たなさそうだ。
別段、かわいいわけでも頭がいいわけでもない。口が人より回って、頭の回転が人より滑り良く、衒いのない笑顔をいつでもどこでも浮かべられる。ただそれだけを武器に、あとは年下らしく年上には甘えて、ほんの少しだけ真面目に優しくしていれば、誰かが寄ってくる。
それを逃さず捕まえて、毎日愛が欲しいと全身でアピールしているだけ。
わざわざ中学の知り合いの少ない高校を選んで入ったのに、入学後付き合った相手の数はすでに右手指よりも多くなっていた。最初だからとはしゃぎすぎたか、と思っても後の祭り、クラス数が多くクラス間の交流が少ないのを好機と見ていたが、やはり二年も高校生をやっていると独自の交友関係を築いているのだろう。
彼の顔色や会話の様子から、きっと、萌子のことを知っている誰かに何か言われたにちがいない。
(どうして、邪魔するの)
奥の教室に入っていく教師の後ろ姿を見つけて、萌子は慌てて自分の教室の扉をくぐった。ざわめくクラスメイトたちの間を縫って、自分の席まで走る。
その途中で、鞄が誰かの机に当たった。女子でも持ち上げられる重さの机だ、中に荷物が入ってないにしろ、鞄の当たった衝撃は大きいだろう。
(あー、もう、誰よこんなとこに座ってんのは)
そのまま無視しても良かったが、一時の苛立ちに身を任せてクラスからハブられるなんて真っ平御免だ。そう思って背後を振り返り、艶やかな黒髪に、皮膚一枚下で顔を変えた。
(よりにもよって……)
「あっ、ごっめーん。当たっちゃった」
思ったこととは真逆のことを声に出して、明るく振る舞う。クールビューティーなどと騒がれる彼女はしかし、萌子の声など聞こえていなかったように授業の準備を始める。
彼女のその澄ました態度が、萌子は最初から嫌いだった。
「ちょっとちょっと、無視?」
足を戻して、彼女の机の上に手を置く。勢い余って強く打ってしまい、掌が少し痛かった。
「……なにかしら?」
「いや、こっちの話なんですけど、それ」
ぶつかったから謝ったのに、それすらも聞いてなかったのかこの子は。見た目だけなら萌子も好きな方なのに、彼女の態度と、こちらを見下しているような表情の少ないところが、本当に気に食わない。
成績は上位クラスのくせに、萌子の問いかけにわざと時間をかけて頷き、彼女は応える。
「……ああ。気にしていないわ、気をつけてね」
「……そーね。じゃっ」
もう1発蹴ってやろうかとも思ったが、相手の注目度のほうが高く、萌子には分が悪い。
予鈴もなったところだし、今回は見逃してやろう。
こちらが言い返す前に黒板のほうを向いた横顔を、脳裏に焼き付けながら、萌子は最後尾の自分の席に鞄を置いたのだった。
(今日は本当、ツイてない日だ)
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