第37話:悪夢

 暗闇の中、俺は一人で座っている。


 何も見えない。何も聞こえない。何も感じられない、俺自身の存在すら疑いたくなる、圧倒的虚無。その静寂に、俺は至上の安らぎを感じていた。


 それなのに、暴力的な一条の光が、慈悲深い漆黒を斬り裂いて俺の前に立つ。


「あなたを、お慕いしております」


 その残酷な音は、俺の静寂を容易く打ち砕く。


「やめろ……」


 俺は、その光から顔を背けた。


「せめて……私のほうを向いてくれませんか……? 何も言ってくださらなくても、構いませんから……」


 やめろ。


 俺はそんなもの欲しくない。


「来るな……」


 光はやがて一人の少女の形を取る。音は一人の少女の声となる。


 その姿が、その声が、なぜか途方も無く恐ろしかった。


「あまり難しく考えないで。悩まないで。苦しまないで。私は、あなたを苦しめたいわけじゃ……」


 恐怖に震える俺の頬に、少女はそのおぞましいほど美しい手を伸ばす。


「触るなッ!」


 叫んだ俺の意志とは無関係に右手が動き、左腰から不慣れな重さを抜き放つ。


 それが刀であることを、俺は振り抜いてから理解した。


 少女の手首は血の尾を引きながら緩やかな放物線を描き、存在しない地面を通り抜けて暗闇に消えた。


「……怖がらないで。私は、あなたを傷つけたりしませんから」


 穏やかなその微笑みこそ、何より恐ろしかった。


 何故だ。何故この少女は、俺の前に留まる。手を斬り落とされてもなお、何故こんな顔を俺に向けていられる。


「……何故だ!?」


 何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故……。


「あなたになら、殺されても構いません」


 その笑顔が、俺を壊した。


「あああああああああああああああああああああああああ!?」


 狂乱のまま、刀を振るう。


 微笑む顔を叩き割る。目玉が飛び出し、砕けた頭骨に混じって血でも肉でも無い何かが飛び散る。


 たおやかな腕を切り落とす。裂かれた肉と割られた骨が溢れ出す鮮血に彩られ、真紅に染まる。


 華奢な体を斬り裂く。ぱっくりと開いた腹から臓物がでろりと零れ落ちる。


 それらをまとめて、もう一度刀で捉える。


 もう二度と、その姿を俺に見せることのないように。


 それでも存在しない顔で微笑み続ける少女が、怖くて怖くて仕方なかった。



「……ッ!」


 布団を跳ね上げ、俺はそれが夢、悪夢の類であることを理解した。

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