第36話:告白

 俺が外に出ると、待っていた少女はまるで存在し得ないものを目にしたかのように目をしばたかせた。


「私は、夢を見ているのでしょうか」


 俺はゆっくりと右拳を振り上げ、思い切り少女の頬に打ち下ろした。


 殴られた勢いのまま倒れ、何をされたのか理解していない様子で少女は頬を押さえた。


「痛みはあるか?」


 膝を曲げて前傾し、振り抜いた拳を開いて少女に差し出しつつ訊ねる。


「痛いに決まっています」


 その手を掴んで立ち上がりながら、少女は頬を膨らませて見せた。


「よかったな、現実だ」


 無論、その程度で悪びれる俺ではない。


「歴史上最もくだらない理由で女性に手を上げましたね」


 少女もそれは分かっていたのか、少し楽しそうに失笑した。


「妖怪を殴った理由としても、歴史上最もくだらないだろうな」


 そこで、一度会話が途切れた。


「……来ては、もらえないと思っていました」


 数分とも数秒とも思える沈黙を破って、少女は口を開いた。


「そうだろうな。何故自分がここにいるのか、俺にも分からん」


「それでも、諦め切れなかったんです。未練がましい女だと、自分でも思います。でも、諦めたくなかったんです。……あなたのこと」


 言いながら、少女は目に涙を浮かべた。来ないはずの俺を待つその心が、果たしてどれほどの痛みを訴えたのか。


「そうか」


 それを想像するには、俺は非情に過ぎた。


「……もっと傍に行っても、いいですか?」


 そう言った少女は、俺の答えを待たず抱きついてきた。


「私は、あなたをお慕いしております」


 ある程度覚悟はしていたが、好意をぶつけられるというのはやはり堪える。


「……」


 愛などと得意げに語る連中が、俺は嫌いだ。


 そういう連中は、『愛を知る素晴らしい自分』に酔いしれているだけの、恥知らずだ。


「あなたに、私の全てを捧げます……」


 善人気取りの連中は余さず偽善者と気狂いだ。


 だから俺は悪人であることを望んでいる。


「……」


 悪人は、愛など知らない。


「せめて……私のほうを向いてください……何も言ってくださらなくても、構いませんから……」


 その涙ながらの声に、俺は少女から顔を背けていたことをようやく自覚した。


 少女を前にしても、何もわからず何も感じられない俺は、どこまで行っても怒りと憎悪、そして申し訳程度の悲しみしか知らない外道でしかない。


「……お願い……」


 それでも俺は、この少女の想いに答えるために来たはずだ。


 俺に縋りつき、震えながら嗚咽を漏らすこの少女を愛するために来たはずだ。


 俺は……。


「俺には……分からん」


 答えるべき言葉が、向けるべき目が、まるで分からなかった。


 愛などという感情は、俺のような外道には高尚に過ぎた。


「あまり難しく考えないで。悩まないで。苦しまないで。私は、あなたを苦しめたいわけじゃ……」


 凍りつく俺を溶かすように、少女は俺の頬を撫でた。


「俺は……」


 その指先が頬に触れる感触に、俺の中で何かが砕けた。

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