第35話:決断

 朝食の間、俺は妙に落ち着かなかった。


 少女の様子も、どこかそわそわと落ち着きがなかったように記憶している。


「さて、今日はどうしたものか」


 食い終えた皿を放置したまま、俺はぼんやりと考えた。


 少女の妹を探し出して斬ったところで、昨日のように無傷で逃げられるのが関の山だろう。何しろ、霧のように刃をすり抜けてしまうのだから今の俺では殺しようがない。


 和尚に協力を仰げば封印することは可能だろう。だが、それではさらに妖怪姉妹が増えるだけの結末になるような気がする。


 ……少女の妹は、少女に捨てられたかつての少女の一部分だという。同じことは、少女の妹にも出来るのではなかろうか。


「そうなると、厄介ですね」


 勝手に俺の心を読んだ少女がそんなことを言う。だが、厄介なのは事実だ。


「全くだ」


 殺しようがないうえに封印などという高等技術も扱いかねる以上、人間になりたいと思わせず、力を捨てたいと思わせず、それでいて力を使うことを自制させる必要があるからだ。


 そして俺の今までの行動は、それとは真逆のものだった。


 そもそも、己の力を受け入れた上で自制するなどという、俺とは正反対の在り方をどのように教えろというのだ。ことその分野にかけては、この少女もあてにはならない。


 なにしろ、自分の力を受け入れられずに捨てた張本人なのだから。


「私に、考えがあります」


 などと言っているが、全く期待できない。


「力を捨てた私だからこそ分かる事も、あるんですよ?」


 まあ、現状で対案があるわけでも無い。試すだけ試してみるとしよう。


「……言うだけ言ってみろ」


「私を、愛してください」


「却下」


 聞いて損した。


「私は本気です。それに、無意味だとは思っていません」


「じゃあ説明してみろ」


 何故そう言ったのか、まるで分からない。人の話を聞こうとするなど、俺らしくも無いというのに。


「私と妹が同じ存在なら、落ち着いて話せれば妹も、あなたを……」


 そこまでを聞いて、俺はだいたいのことが分かった気がした。そして、少なくともそれを論破できる材料がないことも、理解できてしまった。


 霧の妖怪が俺に惹かれるのなら、俺の持つ何かが霧の妖怪を惹きつけるのなら、少女の言うことは正しい。そしてそれが間違っていると言い切るには、俺は霧の妖怪の心を知らなすぎる。少なくとも、霧の妖怪の心については少女の方が詳しい。


 しかし、少女の案も無謬でもない。


 最大の難関は、俺がこの少女を愛すると即答できないことだ。


「あの、私、表で待ってますから。受け入れてくださるなら、日が沈む前に出てきてくださいね」


 気を利かせてか、少女はおもむろに立ち上がった。


 確かに、俺には一人で考える時間が必要なのかも知れない。


 とりあえず、皿を洗いながら一人でじっくりと考えることにしよう。


 難しい問題を出された。そんな気分だ。


 誰かを信頼し背中を預けた経験を思い出すには、それこそ幼少期、まだ両親を軽蔑していなかった頃、俺がまだただの目端の利く子供だった頃にまで遡らなければならない。


 その無意味に鋭い嗅覚によって腐臭を嗅ぎすぎ、人と関わることを嫌った俺は、こんな森のあばら家に引きこもった。それからというもの、俺は誰ともほとんど口を利いていない。あの妖怪少女が、俺の元を訪れるまでは。


「……過去を振り返っている場合ではない」


 俺は一つ、深呼吸した。


 問われていることはただ一つ。俺が奴を愛するなら、外に出る。愛していないのならここで日が暮れるのを待つ。実に単純な話だ。


 では、俺は奴を愛しているのか。否。断じて否。俺に愛だの情だのという高尚な感情など期待するだけ徒労というものだ。


 ならば、俺は奴を愛せるか。そも、両親すら愛せなかった俺に、女が愛せるものか。俺が彼女に対して抱いている印象は、口うるさい、鬱陶しい、面倒くさい……事挙げしても、褒め言葉は出てこない。だが、もし俺が行かなければ。


「あいつは、泣くだろうか」


 哀しいという感情は、俺にも理解できる。だから、あいつの泣いている顔を思い浮かべれば胸がちくりと痛む程度には、共感した気になれる。


 俺にとってその痛みはまだ自分が一部分だけでも人間らしいと言い張れる救いだが、その救いの無い、締め上げられるような痛みだけがあるとすれば。それが、俺以外の人間にとっての悲しい、だとすれば。


「俺は……」


 あの少女を、無駄に泣かせる気にはなれなかった。


 俺が少女を愛する理由など、それでいいような気がする。そうあってはならない理由などいくらでも思いつくし、その不誠実さに自分で吐き気も催す。


 だが、時折思うことがある。あの両親のように己の姿を顧みない傲慢さを持つのはごめんだが、くだらない理想を現実に持ち込んでいるという愚かしさにおいて、俺は奴らと何も変わらないのではないか。


 なら、多少は現実に迎合しても、肩の力を抜いても良いのかも知れない。


「どうしたというのだ……」


 そもそも、今俺が悩んでいること自体がおかしいのだ。


 今までの俺なら、結論など最初から出せているはずだ。


 今回に限ってそれができないのは何故か。つまり、それが答えなのだろう。


「……腹を、括るか……」


 俺は、皿を洗う手を止めた。

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