第32話:苦衷

 草木も眠る丑三つ刻、私は、また彼の寝床に潜り込んでいた。


「もう、寝てます……よね?」


 一度自覚してしまった恋慕を抑えるのは、少なくとも私には不可能に極めて近い困難だった。


「私……もう……」


 私が彼に恋をした理由を探すなら、それは私が封印される前、人の数え方にして千年ほど昔、まだ私が霧の中の幻であったころまで遡らなければならないだろう。


 霧の向こうの得体の知れない幻影に向けられる視線は、見られる私にとっても不気味で恐ろしいものだった。私はただそこにいるだけなのに、恐怖され、拒絶され……。


 ずっと、望まぬ孤独の中にたゆたっていた。


 それなのに、私を孤独に突き落とす者達は、自らを人間と称する彼らは、同胞に対して私に向けるような視線を向けはしなかった。


 いるだけで拒絶される人間など、いくら探しても見つけられなかった。中には他の人間から少し離れて暮らす人間もいたが、そんな人間に限って、たまに他の人間と触れれば普通以上に大切にされていた。


 私と同じ孤独に苦しむ人間など、一人としていなかった。


 そして私は霧の中で、いつしか人と人の関わりに憧れるようになっていった。


 人と同じ体を得てからも、私に向けられる視線は変わらなかった。人と同じ体なら受け入れてくれるかも知れないなどという淡い期待は、すぐに砕け散った。


 人は、人以外を受け入れられるようにはできていない。同じ外見をしていれば、むしろそれだけ嫌悪は増す。私は、人間になりたかった。


「だから……」


 彼の心は、私にとっては救いだった。どれほど歪でも、最低でも、私の望んだ形と違っていたとしても、私が千年求め続けてきたものをくれたから。


「あなたは、私を他の人間と同じように見てくれたから……」


 寝ている彼に覆いかぶさり、その唇に自分の唇を重ねる。その行為の意味など、知らない。意味さえ知らず、理由も知らず、私は何も分からぬままに彼の唇を貪ることに言い知れぬ幸福を覚えていた。


「なのに、あなたは……」


 それは私の一方的な都合でしかない。


 彼は全てを拒み、かつて私が置かれていたような孤独を求め、そのために隠遁している。だからこそ彼は、私を他の人間と等しく扱った。


 そんな彼にとって、私という存在はただ邪魔なだけだ。私がどれほど彼を求めても、彼が私に求めるのはただ一つ。


 自分の前から、いなくなってくれることだけ。


「……理不尽……です……」


 やっと、私を人間のように扱ってくれる人に出会えたのに、それが何の混じり気も無い純粋な拒絶だったなんて、理不尽にもほどがある。


 どうして、誰も私を受け入れてくれないの?


「たった一人でいいのに……」


 彼だけでいいのに、その彼が、恐らくは私が見たことのある誰よりも、私を拒んでいる。私以外の扱いも同じだからといって、何故彼に救いを求めてしまったのだろう。私を受け入れてくれないという意味では、何も変わらないというのに。


 ……どうやら私には、今のまま彼の傍に居続けることは難しいらしい。

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