第27話:和尚
さして高くも無い山に登り山門をくぐった時、彼は何かを思いだしたかのように足を止めた。
「あの、どうなさいました?」
私も足を止めて彼を見上げると、彼は小さくため息をついた。
「和尚の話は長い」
どうやら、長話に付き合うのが億劫らしい。確かに彼のような思考の持ち主にとって、仏道の説法というものは拷問だろう。説法が仕事である僧は、彼にとっては出来れば会いたくない手合いだということも想像できる。
「ならなんでわざわざ来たんですか」
が、既に寺についた今足を止めたところで、会わずに済む筈も無い。
「……訊くな」
彼も、自覚はしていたようだ。
「おお、森の。久しいのう。今日は何の用……聞くまでもなかろうな」
すぐに此方を見つけて現れた老爺に、彼の顔は苦虫を噛み潰したかのように歪んだ。
その老爺の心が読めないことに、私はすぐに気がついた。高僧の心は、既に人の域にはないということだろうか。いや、別の意味で人の埒外にある彼の心は、読める。
では、何故私はこの老爺の心を読めないのだろうか。
「誰の亡骸かのう?」
彼が背負っている亡骸に目をやり、しかし老爺は落ちついたまま訊ねる。
「里の薬屋だ。檀家でなければ勝手に埋める」
「里の者は皆檀家じゃて。……おぬしもな」
普段より些か早口で用件のみを手短に並べる彼は、よほどこの老爺が苦手なのだろう。
「情などないと自称するおぬしが、何故薬屋を背負ってここまで登ってきたのか、聞かせてもらえんかのう。他にもこの霧で犠牲になった者は多くあろうに」
「薬を無断借用している」
「なるほどなるほど。償いのつもりか」
「そうだ」
「人嫌いのお主にも、やはり一欠片の仏心はあった、というところかのう。善哉、善哉」
本当に、彼はこの老爺が苦手らしい。私に対するものより遥かに態度が硬い。それ以前に、先ほどから垂れ流されている思考が『帰りたい』の連呼なので嫌でも分かる。
苦手なのは予想していたが、よもやここまでとは。
亡骸をその場に寝かせ、彼が踵を返したとき、老爺の目線が一度下がった。
「この霧の源を、いつもは腰に差しておらぬそれで斬るつもり、かのう?」
この老爺、刀一本見ただけで此方の事情を見抜いている。これは、私も迂闊な事を口にしないよう気をつけなければなるまい。
「何故分かる」
どうやら私が気をつける必要はないようだ。ただでさえ思考が好奇心に引きずられがちな彼が、あまりにも老獪なこの老爺と駆け引きなどできるはずがない。好きなように掌で転がされるしかないのだ。
「そちらのお嬢さんのことを、知っておるのでのう」
「私を、ですか?」
思わず私が問い返すと、老爺は静かに頷いた。
「知っておるとも。妖怪のお嬢さん。それとも、霧神様、と呼ぶべきかのう?」
私は、彼がこの老爺をここまで嫌っている理由が分かった気がした。彼の悪意とは違った意味で、そして彼より遥かに、底が知れないのだ。
どこまで此方を見透かしているのか、という部分において。
それが本来私の領分だということを、私自身に失念させるほどに。
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