第25話:反転

 冷酷な目を私に向ける彼に、私は確かに、私自身の恐怖を覚えた。


「……ならば、お前の妹は殺す。今度こそ」


 怯える私から目を離し、彼は凶刃を手に妹に歩み寄る。まだ、自分が人間を死なせていたという現実を受け入れきれず、その場にへたり込んでいる年端も行かぬ少女に。


「抗って見せるか? 人間が大好きな、人間を幸せにしたがる狂った妖怪。人間の俺を叩きのめして不幸にしてでも、生き延びて見せるか?」


 妖怪である妹に対して躊躇なく殺意を向けられる人間への恐怖。『理解不能な存在』への恐怖。それは、本来人間が闇に対して抱き、妖怪を生み出す過程の筈なのに。


 屍食鬼を近づいただけで殺せる妹さえ怯えさせている彼に、私は恐怖を抱いていた。


「どうした? 人間を愛した、狂った妖怪。震えていないで立ったらどうだ? 俺はそこの人喰いと渡り合うのが精一杯の雑魚だぞ?」


 彼は自身の言葉の通り、屍食鬼一体を相手にするのが精一杯なのだ。近づくだけで、自分でさえ気付かないうちに屍食鬼を殺した妹が、彼に力で劣るとは考えがたい。


 ならば何故、彼は妹をああも威圧できるのか。答えは単純だ。


 彼は言った。『人間の俺を叩きのめして不幸にしてでも、生き延びて見せるか?』と。


 人を幸せにしたい、という妹の歪んだ愛を、彼は最大限に悪用しているのだ。


「なんて人なの……」


 その邪悪さに、その狡猾さに、私は身震いした。


 悪意の権化といえば邪悪な妖怪の出番だと思っていたのに、今私の目の前にいる人間の悪意は、妖怪の私すら震え上がらせている。無論、それは私に限った話ではない。


 そんな鮮烈なまでの悪意に晒されて、妹は泣き出してしまった。


「こんなの……嘘だよ……私は……」


 嗜虐の快楽にでも目覚めたか、彼は凄絶に微笑んだ。


「歓迎される筈だった。人を幸せにして、感謝とともに受け入れられる筈だった。か?」


 妹が怯えているのは、この顔。愛している者から憎悪ですらない悪意を向けられること。ありえない筈だった、自身の善意に対する悪意の報復。


 それができる、あらゆる他者を拒絶する彼が、妹の心を容赦なく踏みにじる。


「……とった!」


 泣きじゃくる妹に、彼は容赦なく刀を振り下ろす。その場にへたりこんでめそめそと泣く妹には、それを避けることなど出来るはずはない。


「やめてよお兄ちゃん!」


 どのようにその一撃をかわしたのか、妹は悲鳴を上げて飛び去った。


「チッ、逃がしたか。だが、人喰いに食われずに済んだのは事実か。感謝すべきなのだろうな」


 周囲の屍食鬼の亡骸を見渡した彼はそんなことを呟き、私のほうを振り返った。


 その目は既に悪意を持たず、どこまでも透明な視線を私に向けていた。


 だからこそ怖い。なんとも思われていないことが怖い。


 殺意すら向けてくれないことが、どうしようもなく怖い。


「いや……来ないで……来ないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 恐怖に駆られ、私は踵を返して走り出した。


 まるで、妖怪に遭遇した年端も行かない少女のように。

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