第20話:適応

 しばらく歩いていると、おもむろに彼は私に目を向けた。


「近いうちに、お前の服を調達すべきだな」


 刀傷を気にしなくてよくなったことで、今度は斬られた服が歩くたびにヒラヒラするのが気になるようになったらしい。確かに、縫い合わせないと少し塩梅が悪い。


 他者のことを気にすることが彼の生き方にとって『無駄』であることに、果たして彼はいつ気付くだろうか。無駄と拒みながら無駄なことをしてしまう未熟さを可愛いと思うのは、私が数百年生きている立派な老婆だからだろう。


 そんなことを考えながら、私はすっとぼけた答えを返す。


「何故です?」


「俺が斬ったせいで、ちらちらと見える」


 見える? 何が見えているのか彼の心を読んでみると、服に包まれて本来見えないはずの、私の体の特定の部位が気になるらしい。


 霧は通じていないようだが、彼もやはり男性だったということか。しかし、そういう部位が気になるということは、彼は私に魅力を感じているということだろうか。


「……あの、それってもしかして、褒めてくださっています?」


 私は、無意識の内にそれを尋ねていた。


「どういう意味だ?」


 問い返す彼は、脈絡のない私の質問にいささか混乱しているらしかった。彼自身が目のやり場に困るから服の調達を提案したわけではないようだ。


「……しくしくしくしく」


 何故か、無性に悲しくなった。


「とりあえず、今はこれでも羽織っていろ」


 彼は羽織っていた上着を取ると、私に被せた。


 ……前から。投げつけるように。


 優しく肩にかけてくれるなどという妄想ははなからしていないが、これはあまりにも酷いのではなかろうか。


「あの、このままだと前が見えないのですが」


 見事に私の顔面に服が被さったこともあって、不意打ちにまず布を被せて視界を奪う攻撃でも受けているような気分だ。


「……何を遊んでいる。さっさと着ろ」


 視界を奪われたせいで心は読めないが、彼の声は心底から呆れているように思えた。


「誰の所為だと思ってるんですか」


 被せられた服を剥ぎ取りながら、外見相応の少女のように頬を膨らませてみる。


「お前の為だ」


 即答だった。微妙に受け答えになっていない気がする。だが、それ以上に。


「……え?」


 理解できなかった。私の為に彼が何かをしてくれる、ということが。


 呆けている私に、彼は心底不思議そうに首をかしげた。


「嬉しいとお前は固まるのか?」


 その質問の意味は、彼の心を読まなければよく分からなかった。


 彼が思い出していたのは、出発前の私の言動。彼が『誰のためだと思っている』と言ったとき、私は確かに『私の為だと言って欲しい』という旨のことを言った。


 著しく用法を間違えているような気がするが、彼は私が喜ぶと思って私の為だと言ったらしい。他者を喜ばせようとするなど、随分と彼らしくない。


「いえ、そういうわけでは」


「成程。俺は何かを著しく間違えたのか」


 彼は何かを納得した。納得したのが私の硬直の理由だということは考えるまでもなく分かるが、意外に過ぎた。相手の心情を汲むなどということを、彼が行うようになるとは。


「随分、適応してきましたね」


 人間は環境に適応する生き物だ。知恵があるゆえに、どのような環境も肉体の変化ではなく創意工夫によって適応できる。彼は私という他者が隣にいるという不愉快極まりない現状に、適応し始めているのだ。


「そうなる前に、けりをつけたかったのだがな」


 彼は、少しばかり苦しげに吐き捨てた。誰かが近くにいる状況に慣れ始めている自分が悲しい。彼の背中はそう言っていた。


 ……ちなみに、彼の上着は着心地が良かった。

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