第17話:誤解

 朝、目が覚めたとき、横を見ても隣には誰もいない。


 一緒に寝ていたはずの彼は、私より早起きなのだ。


 それを寂しいと思ったのは、今朝が初めてだ。


 昨日も、彼は私を置いて行ったというのに。


「優しく起こしてくれても、いいじゃないですか」


 少し離れたところで朝食の用意をする彼に、不満をぶつけてみる。


 そんなことをしてくれる人ではないのはよく分かっているのだが、思わずにはいられない。一緒に暮らしている人に微塵の情も期待しないというのは、彼以外には不可能な芸当だろう。


「面倒だ」


 なんとも彼らしい答えに、私は苦笑した。


 彼の心を覗き込んでみても、私への好意的な感情など見えはしない。むしろ、一刻も早く私のいない日常を取り戻そうという思考で埋め尽くされている。


 きっと彼に私の心を読ませても、私の想いに共感はしてくれないのだろう。私が、彼の願いを理解できないように。


 考えるな。考えるだけ無駄だ。


 ……今のは、私の思考だろうか。彼が時々呟いているような気がするのだが。


「そういえば、昨日のあれは何だったのだ?」


 あれ、が何を指すのか。それを知るには、彼の心を読む必要があった。


 彼が想起していたのは、恐怖に震える私の姿だった。


「昨日の恐怖、ですか。あれは発作のようなものです」


 人の心を読む妖怪でありながら恥ずかしいとは思うが、あまりに強い情動を読み取ってしまうと、直前に読み取った感情と自分の感情の区別がつかなくなってしまうのだ。


 数分もすれば、自我を取り戻すことができるのだが。


「一時的なものか……」


 彼は、物凄く残念そうだった。


 どうやら、私に拒絶されたことがよほど嬉しかったらしい。


「残念、なんですか?」


「実に残念だ」


 正直に答える彼の横顔が少しだけ楽しそうに見えるという錯覚に襲われた自分が悲しい。


「あのままお前が俺から逃げてくれれば、万々歳だったのだが」


 心の底からそう思っているのが、なんとも彼らしい。


「……その言葉が紛う方無き事実であることが分かってしまうのが、心を読む力の鬱陶しいところです」


「……ふっ」


 彼は、ほんの少しだけ笑った。好き放題己に迷惑をかけてくる相手(つまり私)にとっても、この共同生活が負担であることが愉快なようだ。


 本当に、彼は性格が悪い。


 朝食後、彼は沸かしてあった湯に手ぬぐいを浸した。風呂に入っている様子も無いことから、体を拭くつもりだろうと思えた。


「おい」


「なんですか?」


「脱げ」


 私は、心を読むという発想を失うほどに狼狽した。


「な、何が目的ですか!?」


 彼は私の声量に顔をしかめただけで、何の躊躇いもなく答えた。


「お前なら、訊ねるまでも無いと思うが」


 間違いない、彼は、自分ではなく私の体を拭うつもりだ。


「じ、自分で出来ます!」


「却下」


 のみならず――。


「やめてください! 私にいやらしいことするつもりでしょう!」


「何故そうなる」


 一向に服を脱ごうとしない私に苛立ったか、彼は私を押し倒した。


「いやー! 誰かー!」


「何のつもりかは知らんが、お前の悪ふざけに付き合うつもりはない」


 残念ながら自分が何の妖怪だったのか思い出せない今の私は、見た目相応の力しかない。抵抗も空しく、私の服は剥ぎ取られてしまった。


「わ、分かりました……でもせめて、優しくしてください」


「合意など求めていない」


 残酷なことを言いながら、彼は無慈悲に私の体に触れる。


 左肩から右脇腹に抜けるように、彼の熱い手が繰り返し私の体を撫でる。


 抵抗は無意味。助けなど来るはずがない。哀願したところで、彼が躊躇うとは思えない。万策尽きて、私はただ彼のなすがまま。


 なのに。


 これから乱暴されるというのに、何故か私は、それでもいい、などと考え始めていた。


「放っておくとこういう傷は膿む。清潔に保つのが一番だが、今は湯で拭うくらいしか思いつかん」


 私の覚悟を他所に、彼は一切の雑念を交えず私の傷を拭っていた。


 手ではなく、手に持った手拭いで。


「え?」


 彼の心を覗いてみれば、彼が気にしているのは自分がつけた刀傷のことだけだった。


「医者のように手際よくはいかん。熱かろうが、堪えろ」


 今まで気づかなかったのが不思議なほど、彼に邪心はない。どうやら、本当に傷口が膿まないように気遣ってくれただけのことらしい。


 彼が一切と言っていいほど説明しなかったのは、恐らく私が心を読むことを期待してのことだろう。


 私にとっては、彼がそこまで私を案じているというのは予想外に過ぎたのだが。

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