第15話:惨殺

 刀を構えた俺の前で、屍食鬼と化した女がゆらりと立ち上がる。


 虚ろと見えた女の眼が映すのは、食料としての俺への、底の見えない食欲。己を殺し喰らうつもりでいる女を前に、俺は不自然なほど落ち着いていた。


 俺は自分で思っていたより、背後の少女を信頼しているのかも知れない。


「踏み込み、右、左の順に爪で牽制し首筋に喰らいつく」


 何の前触れもなく少女が言った言葉が、明らかに女を動揺させる。己が手を読まれた狼狽だ。そして何故か俺は、それが少女の援護であることに微塵の疑いも持たなかった。


「おおお!」


 俺はその隙に踏み込み、女の右手首を斬り落とした。


「がああああああああああああああああああああああああああ!?」


 女らしい金切り声ではなく、獣じみた咆哮が俺の耳を穿つ。


「せいっ!」


 返す刃で女の左手を落とす。さすがに両手を失えば戦えまい。


「ああああああああああああああ!」


 女が動く。それは苦痛による悶絶ではなく、明らかに攻撃のための動作だった。


 ……甘かった。


 もはや人にあらず、喰らうという欲求しかないこの女を相手に、首を残しておいたのが過ちだった。


「ぐぅッ!?」


 剣を握る左手首に喰らいつかれ、その肉を一部噛み千切られる。


「……く」


 即座に服を食いちぎり、刀を放り捨てて縛る。左手の指は、全て動く。現在の出血は激しいが、養生すれば治る類の傷だろう。


 熱湯で洗浄したのちに傷薬でも塗りたいところだが、眼前の敵の存在がそれを許さない。己を殺し喰らう気でいる捕食者を前にして悠長に湯を沸かす時間などあるはずがない。


「がああああああああっ!」


 獣のように吼えながら、女が踏み込む。大きく体を前傾させ、首を前に突き出して。俺の喉笛を食いちぎり、勝負を一気に決めるつもりらしい。


「……舐、めるな!」


 その顎を、全力で蹴り上げた。


 女がよろめく隙に刀を拾い上げ、振る。片腕では先刻の二回のように腕を落とすというわけにはいかないが、最低でも鈍器としての打撃は与えられる。


 こうなれば、鋭さを持つ鈍器で滅多打ちにすると思ったほうが良かろう。


「このまま殺し切る!」


 己に誓うように咆哮し、力の限り右腕を、刀を振るう。


 右上から振り下ろし、右に振り抜き、右下から振り上げて同じ軌道を振り下ろし……何度斬りつけても仕留めるには至らず、ただただ肉片と血を撒き散らすのみ。


 骨を砕き、一撃で致命傷を与えて楽にしてやるには、俺の右腕は非力に過ぎた。


「があああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 少しずつ肉を削がれながら、女は絶叫する。


 当然だ。生きたまま少しずつ切り刻まれる苦痛は想像に余りある。


 両手が使えれば、一瞬で楽にしてやることも出来ただろうに。


「あ……あが……あ……」


 血溜りに倒れこみ、苦悶に喘ぐ女を見下ろし、俺は刀をくるりと逆手に持ち替えた。


「……許せとは言わん」


 逆手に持ち替えた刀を心臓に突き立て、炎を呼ぶ。


 人間なら心臓を刺された時点で死ぬところだが、この霧によって魔怪変化の類に成り果てている可能性を考えれば、駄目押しの一つも必要だろう。


「……が……あ……あ……あ……」


 既に叫ぶ力もなかったのか、女は少しの間もがいただけで、すぐに果てた。


「……終わった、か……」


 焼け焦げて炭と化した女から刀を引き抜き、俺は振り返った。


「……ひっ」


 何故か、少女が息を呑んだ。


 少女の怯えた顔の意味を、俺は理解できなかった。


「どうした?」


 訊ねてみても、これまでのような返答は返ってこなかった。


「こ、来ないで……」


 へたりこみ、尻を地面につけたまま少女は後ずさる。その視線の先にあるものが俺であることは、どうやら疑いようも無いらしい。


「俺に言っているのか?」


 確認しようにも、相変わらず少女は怯えたまま俺から逃げ続けた。


「……嫌……やめて……殺さないで……」


 殺さないで? 一体誰が、少女に殺意を向けているのだろうか。


「お前は何を言って……成程」


 問いかける途中で、俺はようやく理解した。


 見なければ心が読めないと少女は言った。見れば否応なく読めてしまうとすれば、俺に殺された女の恐怖をそのまま全て読んだことになる。


「や……やだ……!」


 俺が一歩近づくだけで尋常ではない怯えようだ。刀を持った俺の姿がよほど恐ろしく映るらしい。


 両手首を切り落とされ、必死の反撃も空しく碌に防ぐ方法も無いまま少しずつ体を刻まれ、最後には心臓を貫かれて焼き焦がされるという苦痛に満ちた死に様を追体験したとすれば、さもありなんというところだが。


「しかし……」


 これではどちらが妖怪なのか分かったものではない。


 いや、逆に考えよう。これでこの少女に付きまとわれることはない。共食いすら始まっている里から霧を払ったところで、果たして何人が助かるものか。人命に拘泥する正義の味方ならともかく、自分勝手な俺が戦う理由はもはやない。


 俺は、少女の横に刀を置いた。


「刀それは返す。あとは一人で妹を探せ」


 無論、この少女の事情に付き合う理由も無い。


 柄にも無い共同生活はこれで終わりだ。壊滅した里に拘る必要も無い。明日にでも、荷物をまとめて引っ越すとしよう。


 これで、俺は解放される。


 ……今夜は久々に、ゆっくりと眠れそうだ。

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