第14話:屍食鬼
沈黙と静寂が満ちた家に、腹の虫が空しい音を響かせた。
……腹が減った。
思えば今日は朝から何も食わずに飛び出し、怪我を負った少女を今の今まで看病していた。早い話が俺は今日何も口にしていないわけだ。
保存食の類は常備しているが、里が壊滅している今、迂闊にそれを消費するわけにはいかない。
結論としては、今日のところは飢えに耐えつつ眠るしかないだろう。
「少し五月蝿かろうが、許せ」
少女も空腹だろうに、その上近くにいる俺の空腹まで読み取ってしまってはさぞ辛かろう。
「はい」
……なんということだ。俺が、他者に気遣うような台詞を吐くことになろうとは。
三日前の俺に、この顛末が予想できただろうか。
「いいことです。人はもともと孤独に生きられるようにはできていません。ちゃんと、誰かとともに生きるべきです。私は練習台でも構いませんよ?」
頭を抱える俺に、少女は柔らかく微笑んで見せた。
「そうなのだろうな。やる気はないが」
俺は、何もかもを吐き出すような気分でため息をついた。
それでも俺が欲しいのは、やはり孤独なのだ。
早く終わらせて、元の穏やかな暮らしを取り戻さなくては。
再び、沈黙と静寂が訪れる。
「……?」
静寂の中で、俺の耳に普段なら聞こえない音が届いた。
「……おい」
それが足音であることに気付いた俺は、少女を呼ぶ。
「どうしました?」
声色から判断したのか、それとも俺の違和感を読み取ったのか、少女は体を起こした。
「この足音、獣ではありえないと思うのだが」
聞こえてくる足音は二足歩行のものに思えたのだが、そう判断した理由を説明するのはいささか難しい。が、少女に対し事細かに説明する必要はなかった。
「私が読めば何者か分かる、ということですね」
流石に心が読めるだけあって察しがいい。
「ああ。頼めるか」
二足歩行なら人間である可能性が高い。人の心が読めるのなら、敵意を持つかどうかの判断はこの少女に任せよう。
「視界内に入れなければ難しいです」
面倒な制約のある能力だ。だが、碌に人と関わらない俺が判断するよりは早かろう。
「見て、判断するまでにはどの程度時間がかかる?」
「一秒とかかりません」
十分だ。最初から不意打ちを受けない限り対応できる。
「なら、頼む」
刀を手元に引き寄せ、暫く外の足音に意識を向けていると、不都合なことにその足音は家の前で止まった。
のみならず、家の戸が叩かれる。
「来たか……どうだ?」
少女に目を向けるが、首を横に振る。
「……分かりません」
やはり、直接見るまではなんとも言えないか。
俺はひとまず刀を少女に預け、家の戸を開けた。
そこにいたのは、一人の女だった。
「……」
何も言わぬその女は、虚ろな目で俺を見つめた。
瞬間、俺は全身の毛穴が開くような恐怖を感じた。
「逃げて!」
少女が叫んだときには、俺の拳がその女の頬を打ち抜いていた。
「気付いたのですか?」
刀を差し出しながら少女が問う。俺の心を読む余裕はないようだ。俺とて絶叫する者の傍で囁きを聞き取るのは難しい。それほどにあの女の思考が圧倒的だということだろう。
「いや、恐怖ゆえだ」
殴り飛ばした女を見ながら、俺は刀を鞘から抜いた。
「飢えのあまり人を食べ、人肉の味の虜となったようですね」
女の心を読んだらしい少女が言う。
霧のせいで里の蓄えはすぐに底をついた。人肉でも食わねばならぬところまで追い込まれても不思議ではないが、そのまま人肉屍食の快楽に目覚め屍食鬼に身を窶す者まで出るとは、霧の影響は想像以上に深刻だったようだ。
このままでは、ただでさえ少ない生き残りが共食いで全滅しかねない。
「人食い妖怪の正体が人か、面白い」
自分を食い殺そうとする者と戦うなど、そうそう出来る経験ではない。人肉を食わねばならぬほど飢えることと同程度には貴重な経験だろう。
「戦うのですか?」
少女は、心配顔で俺を見上げた。
「斬らぬ理由はない」
そして斬らねば、此方が食われる。
「できますか?」
俺はその質問の意図を図りかねた。
思いつけるのは、あの妖怪じみた女に俺が勝てるのかという意味か、さもなくば人を殺す罪悪感に耐えられるのかという意味の二つ。
だが、俺の答えはどちらの意味であっても一つだ。
「さあな」
そんなもの、やってみなければ分からない。
「ご武運を」
「ああ」
少女を背に庇うように、俺は刀を構えた。
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