第13話:亀裂

 家に着くと、俺はまず布団を敷いて少女を寝かせた。


 ここまで来る間に傷が開いたか、縛っていた布にはいささか血が滲んでいた。


「痛むか?」


 自分のつけた傷から布地に赤い染みが広がってゆくのを見るのは、あまり気分のよいものではない。


「気が遠くなるほど痛いです。あなたを騙したばちが当たったんですね」


 べらべらと元気に喋る。痛覚も失ってはいない。これならば、放っておいても死ぬことはあるまい。


「騙した、か。お前の言葉は、どこまでが本当だ?」


 俺は布団の横に座り、刀を横に置いた。


 何故俺は、まだ話を聞こうとしている? 既に俺を騙した相手だ。もう信じないと言うには十分だろう。たった一言言えばいい。お前は信用できない、失せろ。それだけで。


 なのに何故、俺は、まだこの少女に訊ねている?


「妹を止めるために妹を追い、まるで人間のように霧に飲まれ、自分が何の妖怪なのか分からず、何故かあなたの声が好きで……」


 少女は思い出しながら、いちいち事挙げし始めた。


 どうやら、ほとんどは本当のことらしい。


「ちょっと待て」


 数日分の会話を思い出しながら全部話されては此方の身が持たない。俺にとっては、会話自体が苦痛なのだ。可能な限り、短く済ませたい。


「本当のことのほうが多いなら、そうだな……刀のことを話さなかったことと、妹を殺してもいいという嘘以外には何かあるか」


「それだけです」


 即答だった。まあ、少女の予想が当たっていれば今頃俺は少女の妹に敗北していたはずなのだ。それ以上の嘘をつく意味は、万一の保険以上にはない。


 完全に信じるには弱いが、嘘と決めてかかる必要まではないだろう。


「そうか。では刀について詳しく聞こう。俺が妖刀に取り込まれるまで、どのくらいの猶予がある?」


 少女が妹を庇った理由など訊くまでも無い。ならば、訊くことはこれだけだ。


「何か違和感はありませんか?」


 当然の質問だ。いかな名医も病状を知らずして余命を測ることはできまい。


 自身に関する違和感といえば、少女の妹、つまり霧の妖怪に対して怒りを、殺意を抑えられなかったことくらいだ。


 普段の俺なら、自分の命以上に相手を殺すことを優先するなどありえない。俺は、自分さえよければいい腐れ外道なのだ。命を賭してまでやることなど、何一つない。


 それ以前に、今朝の殺意は不自然にすぎた。霧の所為だと思っていたが、妖刀が原因と言われても否定する材料はない。いや、今まで霧の中で平気だったことを思えば、そう考えた方が自然だろう。


「怒りに我を失ったのは、記憶にある限りでは今朝がはじめてだが、その程度だな」


 その答えに、少女は驚いたように目を見開いた。


「今は、なんとも無いのですか?」


「ああ」


 自制を失うという意味では霧と似たような性質なのか。だが怒りに身を委ねる快楽も、所詮俺が拒んだ快楽でしかない。


 鬱憤がたまっていたから一度は飲まれたものの、俺が求める快楽は、つまるところ静寂と思考停止。だから、怒りも欲も俺の快楽と相反する。


 だが、もしもその程度の理由なら、霧に飲まれたこの里がここまで壊滅的な打撃を被ったことが不可解だ。静寂を好む者が俺だけとは考え難い。


「戻って、来られたのですか? 凄まじい、自制心ですね……」


 その反応から察するに、俺は一度取り込まれているようだ。自制心、という部分には極大の疑問符がつくが。


「自制というより、拒絶だろう」


 言ってはじめて気がついた。俺は、自制などしていなかったのだ。


 自制していない人間が自制を失ったところで、何があろうか。何も無い。だから、俺は霧に狂わされることはなかった。筋は通るが、事実かどうかは知らん。


「そうかもしれませんね。あらゆる快楽の誘惑を拒絶する、本来求めながら自制するはずのものを心底から拒むあなたは、他者から見れば確かに狂人です」


 残酷な言い方ではあるが、俺の嗜好が狂っているということ自体は自覚しているので反論はできない。特殊な嗜好と狂気の境界は、俺には理解できない。


「ならば当面の間、俺が狂う心配はない、か?」


 俺が刀の誘惑に耐えるのではなく、俺にとっては誘惑にすらなっていないのなら、この刀に俺を狂わせることは出来ない。仮定が正しければの話だが。


「分かりません」


 そしてその仮定の是非は、俺に刀を与えた少女にも分からないようだ。


「そうか。この刀は、しばらく借りておこう。嫌とは言うまいな」


 ならば、己の目で確かめるだけだ。


「はい」


 少なくとも、少女はそれに反発はしなかった。

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