第7話:奇行

 少女の奇行は、提灯の火を消さずにはいられないことに留まらなかった。


 俺の後ろを歩いていた少女が、不意に袖を引くのだ。


「どうした」


「いえ、なんでも」


 何の用でもなければなんらかの異常に気付き知らせているわけでも無い。何の意味も無く、俺の袖を引くのである。


 それも、一度や二度ではない。数歩ごとに。


「用があるなら言え」


「いえ……済みません」


「用がないのなら何故袖を引く」


「つい……。何故でしょうか、袖を見ると……」


 提灯の火を消したのと同じような理由だ。発作的に袖を引きたくなるという。袖を引くしか能のない小物妖怪ではあるまいに。


「お前は袖引き小僧か。……横を歩け」


 横ならば、袖を引こうという気にもなるまい。


 俺の目論みは当たったが、同時に別の奇行を誘った。


 今度はしきりに、横から俺の頬を撫でて来るのである。


 指先で俺の頬の感触を楽しむようなその撫で方は、撫でられる側にとって心地よいものではない。そもそも、何故撫でるのか全く理解できない。


「何の真似だ」


「済みません。急にあなたの頬を撫でたくなってしまって」


 何故だ。何故こうも、この少女は異常な発作を幾つも抱えている。


「……頬撫でか」


 ならば、前を歩かせてみてはどうだろうか。


 結論から言えば、無駄だった。


「あの」


「今度はなんだ」


 足を止めて振り返り、訊ねてきたのである。


「私、綺麗?」


「口裂け女か……」


 この少女、俺をおちょくって楽しんでいるのではなかろうか。


「そんなことは……」


 得意分野というだけあって、心はいつでも読めるようだ。


 とすると、さとりに近く、しかし他の妖怪でもあるというのが、この少女の性質なのか。それは、妖怪と呼べるのだろうか。鬼は鬼であり、見越し入道は見越し入道であり、豆腐小僧は豆腐小僧以外の何物でもない。それが妖怪というものの筈。


 ならば、俺の目の前にいる少女は……。


「考えるだけ無駄か」


 俺は、そこで考えるのをやめた。


 どうせ、何を成し遂げることも無く怠惰と懈怠の内に朽ち果てる人生だ。無価値な好奇心など狗にくれてやれ。面倒は今巻き込まれている霧だけで、たくさんだ。


 家に着いても、妖怪少女の奇行は留まるところを知らなかった。


「甘酒はありませんか?」


 家の玄関先についただけでこれだ。


「甘酒婆か」


 昨日はそんなことはなかったというのに。何故今日になって急に妖怪の真似事など始めたのか。無駄と分かっていても、無駄に考えてしまう。


 余計なことは考えず、夕食をとって寝るとしよう。


「夕食の用意は、済ませておきました」


 台所に向かう俺を制止し、少女は囲炉裏を示した。どうやら、雑炊を火にかけたまま俺を探しに出かけたらしい。


「手間をかけたな」


 運が悪ければ家が丸焼けだったかもしれないわけだが、責めるわけにも行くまい。この少女に悪意はないのだから。


 ……これだから、人付き合いというものは嫌いなのだ。


「済みません」


 俺はどうにも忘れがちだが、この少女は心が読める。


 言葉を選ぶことは無意味というわけだ。


「今俺が考えていたことは忘れろ。とっとと食って寝るぞ」


 だからと言って、思考にまで気を使うつもりなど毛頭ないが。


 夕食後も、少女の奇行は続いた。


 いささか催して雪隠へ向かえば、鍵を閉めずに少女が屈んでいた。


「きゃっ」


「済まん」


 無論、先に戸を叩いたのだが、少女は返答しなかった。少女のみを責めるつもりはないが、すぐに戸を閉める以上のことが俺にできたとも思わない。


「鍵のかけ方が分からなかったのか?」


「済みません。なぜか忘れてしまって」


 出てきた少女に問うてみても、これまでと似たような答えが返ってくるのみ。


「せめて戸を叩いた時には返答しろ」


「何故だか、隠れているような気になってしまって」


 理由も分からず雪隠に隠れるか。やはり、妖怪の行動を意思とは無関係に模倣しているということだろうか。


「……雪隠婆か」


 雪隠婆まで模倣されても、こちらが面倒なだけなのだが。


 妖怪だからと放置して布団に潜り込まれた今朝の教訓から少女にも布団を用意してやろうと納戸に向かえば、少女はそこに潜り込んでいた。


「何をしている」


「何故だかここにいると妙に落ち着いてしまって」


 納戸に隠れる妖怪も聞いたことがある。そろそろ少女の奇行にも慣れた俺は、自分が少女の不可解な行動の意味を全て、不自然なほどに理解できることに違和感を持った。


「納戸婆か」


 やはりこの少女、自分の意思と関係なく妖怪の行動を模倣している。問題は、俺がそれを一つ残らず即座に言い当てることが出来るということだ。


「何度も婆って言わないでください」


「…………」


 いや、そうでも無いようだ。くだらぬ洒落を言う妖怪に覚えはない。俺が気付かないだけで、俺の知らない妖怪の行動も模倣していると見るべきだろう。


「ち、違います!」


 物凄い勢いで否定された。偶然だったらしい。


「……もう寝るぞ。今日はもう、何も考えたくない」


 不可解なことが起これば、無駄と分かっていても考えずにはいられない。そして、考えてしまってから無駄な労力を費やしたことを後悔するのだ。


 この少女、思っていた以上に俺をかき乱す。早く解放されたいものだ。

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