第2話:霧神

 奇妙な同居人が出来てから、一晩が経った。


「……何故、こいつは俺の布団に潜り込んでいる」


 霧に飲まれて理性を失う可能性を考慮すれば触れ続けるという選択肢は合理的だが、これではいずれ俺のほうが特殊な性癖に目覚めて理性を失いかねない。


「考えるだけ無駄か」


 俺は、少女を放置して朝食の用意に取り掛かることにした。


 俺がそろそろ朝食の用意を終えようという頃に、後方に誰かが立った。


 それが誰なのかなど、俺には振り返るまでもなく理解できた。


「おはようございます」


 少女は随分と礼儀正しいらしく、朝飯を作っている俺に後ろから挨拶などしてくる。


「ああ」


 味見をしながら、俺は背中越しに返した。


「……おはようございます」


 同居人である少女は、不満げにもう一度挨拶した。


「二度も言わなくていい」


「……ちゃんと返してください」


 どうやら、少女は俺の返答が気に食わなかったようだ。


「……おはよう」


「はい、よくできました」


 子供を褒めるような口調が腹立たしい。


「鬱陶しい。母親か姉でも同居しているような気分だ」


「あら、嬉しいですね。実感がなくなって久しいですから」


 俺の悪態などどこ吹く風と少女は切り返す。


「子持ちだったのか」


 俺が言うと、背後の空気は露骨に不愉快そうなものへと変わった。


「……あなたには私の姿がそう見えるのですね」


 無論、俺がそう言った事にはそれなりの理由がある。


「妖怪変化の姿形などあてになるものか。……弟か妹でもいるのか」


 この少女、昨日自分で言っていたとおり、人間ではないのである。


「はい。妹が一人。人間を愛し、しかし愛し方を間違えた、哀れな妹でした」


 少女の話を聞き流しながら、俺はいつもより騒がしい朝食の時間を過ごすのであった。


 細かな内容はほとんど覚えていないが、この地に住んでいた、人間と仲の良かった妖怪の話を聞いたことがある。長い間、守り神のような扱いを受けてきた妖怪の話だ。


 あるとき、恐ろしい霧が里を覆った。そして里がほとんど壊滅したとき守り神が現れ、あろうことかこう言った。


 『お前達を楽しませるために、この霧を放った。楽しいか?』と。


 守り神が守り神などでなかったことに、ようやく人々は気付いた。


 そして、人々が長らく守り神だと思っていた邪悪な妖怪は封印された。


 そんな話だ。


 何故俺がこの話を思い出したのか。そんなことは言うまでも無い。


 里を覆った霧。人間ではない目の前の少女。


 そして、少女の『愛し方を間違えた妹』の存在。


 一つの結論を得るのに、さしたる時間は必要なかった。

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