第5話 雛鳥の巣
「何あれ……」
康禄が通り過ぎた後ろから、それを訝しげに見ていた女生徒が気味悪げに言った。登校の時も目立ち一度も前を向いた事の無い様な人間が、
濡れた制服を肩に掛けて前を真っ直ぐ向き堂々と歩いている。
何処かぎこちなさが残るがそれでも前を向いていた。
あの後五本の剣は一つのネックレスに変わった。
驚きはしたが、死神様に逢って命を救われた事に比べれば大した事は無い。
そう思いネックレスを首に掛けた。胸元には五本の剣が交わった
小さな銀細工がぶら下っている。
康禄は取り合えず学校を出た。
色々面倒だし、どうせ居なくても解らないというか居るなと言われてるんだから
最早どうでも良かった。弟に会わなかったのも幸いだ。
康武は校内での騒ぎを聞いて校舎の中を康禄を探して走り回っていた。
最後に屋上に辿り着いた時、フェンスの下に兄はいた。
生きたままで背筋を伸ばし学校の外へと歩いている。
それを見た康武はほっとしつつも連れ戻そうと来た道を走り戻ろうとしたが、
兄の後姿を見ているとそれは必要ではないと思いフェンスに寄り掛かる。
どんな形でも良い。彼が生きていてくれるならそれで構わない。
康武は前々から考えていた事があった。それはあの家を出る事。
自分が研究所に入れば収入が出来る。親は康禄の不本意な特別手当で暮らせば良い。兄は俺が護る、それが一番良い。そう思っていた。
「何があったのか解らないが何処かの誰かに感謝しなとな」
空を笑顔で見上げた康武は久しく見上げていなかったそれを、
何時までも変わらぬ青さだと鼻で笑った。
これからやらなければいけない事は山ほどある。
万能の仕手の二つ名に恥じない仕事をしてやろう。
そう意気込み校舎に戻った。
康禄は自分の家である一軒家の前まで来ると、裏手に回った。
両親は康禄の存在を盾に仕事を貰うべく外出している。
彼には合鍵など持たせて貰えるはずも無く、何時も隣の塀を昇り
二階ベランダ下の屋根を伝って自分の部屋へ行くしかなかった。
以前は中から鍵も掛けられていたが、今は自分で緩くして外からでも
入り易い様にした。中は泥棒が入ったとしても取る物が無い程閑散としていて、
人が住んでいない様な雰囲気だった。タンスと机と布団が
それぞれ一つずつあるだけの部屋。それでも康禄にとってはこの家での
唯一の居場所。それ以外彼は詳しい場所を知らなかった。
靴も自らの部屋に三足あるだけ。トイレは歩いて直ぐの公園のトイレを
何時も使っていた。康武にそれを見付かって気を使わせるのは嫌だったので、
なるべく見付からない様にしている。三足ある靴も、成長期の康禄には
少し小さくなっていたが黙っていた。勿論変な歩き方をしているのを
康武に見付かって、兄さんの金で俺達は食べているんだから
遠慮なんかしたら駄目だと真剣に叱られた。
それ以来巧くやるよう心がけた。発覚すれば、弟は両親と喧嘩になる。
自分だけが虐げられるならまだしも、弟は巻き込みたくない。
自分さえ居なかったらきっと両親と弟は幸せにやっていける。
だから自分が消えて無くなれば良いと思っていた。
だが今は違う。この先この剣に見合う人にならなければならない。
それだけで死ぬ訳には行かなかった。
同じかそれ以上に酷い境遇の人達の祈りが胸元にあると思えば、
死ぬ事なんてずるいと思える。 康禄は着替えを基本持って居なかった。
唯一あるのはサイズの変わらないくたびれたジーンズのズボンとワイシャツだけ。
それに着替えて部屋までの道のりを戻り、家を離れる。
「何あれ。無能力者が偉そうに」
道をさっきの調子で歩いていると、道の脇で井戸端会議をしていた主婦に
そう言われ、一瞬肩を落とし目を伏せ猫背になる康禄。
だが伏せ為に胸元のネックレスになった六韜兼光が輝いた気がして、
もう一度胸を張り顔を上げ歯を食いしばった。
それから人気の無い裏山に辿り着くまでそれを繰り返し、
自分はまだまだ巧く出来ない事に落ち込んだ。
「さてどうしようかな」
裏山は両親が居る家から逃れる為の場所でも在った。
雑草が生い茂り、人が立ち入る事は滅多に無い。子供ですら遊びには来なかった。
まだばれていない隠れ家に居ると、康禄は自然と救われた気持ちになる。
死ぬなら此処が良いなと考えたりもした。小さい頃に、本気で死を考えた事が
あった。その時自分の墓としてその裏山の頂上にある大きな樹の下に折れた枝を
突き立てた。それが今も残っていた。
獣道を通りその樹の下まで行くと、御免なさい少し痛いかもしれないけど
と声を樹に掛けするすると登り、一番太い枝に腰掛けた。其処が康禄の特等席。
夕焼けに染まる街を見て、その灯りを眺めれば幸せな家族が見える。
其処に自分も入れたら、ありもしない幸せな自分達家族を想い康禄は
涙が溢れて止まらなかった。
「今が無理なら自分で作れば良いではないか」
康禄の後ろから聞き覚えのある声が届く。直ぐに言葉を出せず、
涙を拭い咳払いした後
「作れるんですかね、こんな僕に」
そう小さな声で答えた。暫くしても答えが無い。
何時もなら無能力者にそんな事は夢幻だと思い落ち込んだが
「作ってみます。そして代々この剣と共にあるでしょう」
そう答えを自分で出した。自分がもし最悪塵芥と共に消えてしまうとしても、
子が想いを受け継ぎ剣と共に在ってくれれば終らない。
その時は術が使える子ばかりだと良いですねと笑って見せた。
「俺は御前と直接共に戦ってやる事は出来ない。
だが、御前を強くする事なら出来る。どうする? 御前と同じ歳で戦場を拳一つで
駆け抜ける奴も居れば、剣のみに己を写し子供を護る奴も居る。
御前は出遅れているが」
「構いません。元より競うのはセカイですから」
間髪入れずそう腫れた目で前を強く見据え答える康禄。
其処に微塵の迷いも無かった。
だが自分と同じく戦う者が居る事を知り、心強く思った。
何時かその子達と顔を合わせる
かもしれないと思うとじっとしていられない。
そう康禄が思うと、胸元の六韜兼光が強い光を放ち辺りを覆う。
今度は目を背けず康禄は見つめ続けた。
ネックレスだった六韜兼光は彼を離れ目の前に五本の剣となり現れる。
そして最初に康禄が差した位置や自ら着いた
場所に其々収まった。
「御前の思いに答えてくれる剣が居る。遠くで戦う志の似た者が居る。後は」
そう声は問う。康禄は剣に手を据え
「勇気ですね。剣だけでなく僕の胸を光らせて進みます」
そう凛々しい表情で後ろを振り向く。其処には屋上で逢った死神とは違う、
少し体格の良い黒いスーツに身を包み、白く長い髪と頬に十字傷そして帽子を
深々と被っていたが、眼光は鋭く命を射抜く様な初老の男が居た。
「人間界に居ても可笑しくない姿を模して見たがどうだろうか?
これなら御前を鍛えていても不審には思われまい」
そう野太く低い声で呟く。康禄は目を細める。
死神様だからしょうがないのか、その姿は一般的じゃないですよと
言おうかと思ったが、本人が何やら得意気な顔をしているので
そのままにして話を進める康禄。
「早速稽古をつけてくれるなんて有難いです!」
「その前に腹ごしらえだ。ほれ」
意気揚々と剣に手を掛けた康禄に、太い腕で何やら袋を突き出した。
それを手に取り中を見ると、御握りが五個入っていた。
それを見て目を輝かせたが、直ぐに康禄は顔を曇らせ死神に返す。
「頂けませんこんな物」
そう蚊の鳴く様な声で言った。それを死神は受け取ろうとしなかった。
「御前朝も昼も何も食べていないだろう。正確には一度も満足に飯を食った事も
無い。違うか?」
帽子を更に目深に被りなおしそう尋ねる死神に、目を伏せ答えない康禄。
彼が御飯を食べられるのは弟が一緒に食卓に居る時だけ。
しかも小さな茶碗に一杯だけ。弟がおかずを分けようとすると両親は怒り、
弟がそれで席を立つと片付けられてしまう。特別手当の検査にパスする様に
ぎりぎりの体重をキープする為、最低限の物しか与えられていない。
それでも歳相応とは言い難い体つきで、見れば解る貧弱さだった。
「別に御前が哀れだから恵んでやる訳ではない。修行はハードだ。
倒れたら元も子もないのでな。ちなみにこれはきちんと御前達のセカイの通貨を
使って、俺が購入した。俺の立場だったら支給されるであろう金額を貰った」
そう胸を張り拒否する死神。そういう子供の死を幾つも何度も見てきた
彼にとって、目の前の弟子はあまりにも不憫だった。親も居る金もある。
だが居場所が無く食べる物も着る物すらままならない。そんな話があって良いのか。本当は少し涙がでそうだった。それを隠したくて帽子を目深にした。
最初彼の人生を見た時、もっと可哀想な子供も居ると大した事は
無いと踏んでいた。だがいざ介入すると決め、姿を隠し後ろを歩くと
辛くて仕方なかった。死神も死神に成る前はラグナロク以前の何処かの
戦場で果てた屍。それ以前の記憶は失くしてしまったが。だがそれでも自分は、
屍になる前は子供が幸せになる様にと戦ったと思う。結局幸せになどなっていない。それでは自分の死は何だったのか。死神になる為? そう考えると自然と
怒りに仮初の肉体が振るえ隆起した。
「あの、有難く頂きます」
康禄はそれを見て突き出した手を引っ込める。
それに気付き腕を組んで樹に凭れ掛る。
「俺の顔色を窺う必要は無い。俺は必要だと思った事をしたまでだ。
本当に腹が空いていないなら食わんでも良いぞ」
目深にした帽子を親指で跳ね上げ笑顔で言う死神。当る所を間違えてはいけない。俺は神とも魔界神とも違う本当の一石を投じる。
その為に目の前の子供を強くすると決めた。
審判を怒らせた事を後悔させてやる。
そしてこいつ自身にも幸せを掴ませて、笑顔で爺になった時
迎える為に手を抜かない。跳ね上げた帽子を掴むと被りなおした。
目が見える位置に。目を背けるなといった本人が背けてどうする。
死神は決意を新たに気合を入れ直した。それを見て康禄は頷くと、
御握りを貪り食い始めた。喉を詰まらせた時乱暴に背中を叩く死神の顔を見て、
心配してくれる人が居るのは良いなと思った。
そして康武はどうして居るだろうかと思った。
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