第2話 最初の死者

「ぐっ」


 小さな呻き声が学校の一階男子トイレから漏れた。

其処には四人の少年が居り、その中に康禄も居る。


 彼は次の日も学校に登校していた。そして登校すると直ぐに

トイレに連れ込まれ、上級生に暴行を受けている。

弟は生徒会の為早く家を出た。

テーブルには自分用の朝御飯など有るはずも無くそのまま学校へ。

下駄箱で靴を脱いでいる時、彼の腹の音が鳴るのを上級生が聞き

ムカついた顔を貸せと言われ引き摺られて行った。

それを見ている生徒や先生もいたが、ざまぁ見ろと言わんばかりの顔をして見送る。


「ったくデキソコナイの分際で腹なんか空かすんじゃねぇよ」

「そうだぜ、全く御前みたいな奴が存在するだけでもキモいのに、

てくてく歩いてると癇に障るんだよ。迷惑だから家の中に大人しく居て下さいよ」

「おい、もう行こうぜ? 俺らも腹空いてきちまう」

 そう言ってボロ雑巾の様になった康禄に唾を吐き捨て去って行った。

暫くしてようやく起き上がれる様になると、洗面台に這いつくばって行き

「康武にばれない様にしないと」


 そう呟いて彼は自分の制服を洗い始める。

洗い終えた後、前の鏡を見る。

其処に映るのは鼻の頭の様に丸く、腫れ上がった三枚目の情け無い顔。

憎まれるのは当然だ。

小さく力無く笑う康禄。


「無能力者が居るぜ」

「他行こう他」


 康禄の後ろから入ってきた男子生徒達は、

康禄の顔をまるで汚物を見る様な目で見てそう言って去って行った。

もう何処にも居場所なんて無い。このセカイには何処にも。

康禄は濡れた上着を背負い歩いていく。

階段に差し掛かるとそれをゆっくりと項垂れながら昇り始める。

 康禄は屋上へ着くとゆっくり確実に、

不意に落ちない様気をつけてフェンスを乗り越えた。

これから死ぬのに丁寧すぎるなと思いながらも、靴を脱ぎ綺麗に揃える。

遺書などは無い。

ああ制服は脱いだ方が良いか。

これは支給品だけど結構値段が良いから両親が売れば少しは生活の足しになる。

彼はそんな自分に苦笑する。

憎悪を向け自ら生み出した子供を虐待する人間の心配をするなんて、と。

そして覚悟を言葉にして頭に中に並べる。

自分が存在する事で憎悪が生まれるのなら、自ら命を絶てば良い。

何故今までそれをしなかったのだろう。解っていた事だったのに。

その時、弟である康武の自分にだけ見せる笑顔が頭を過ぎった。

 弟は生まれながらにして、あらゆる可能性に満ちていた。

医者も、この子は神の子ではないかと歓喜した程に。

両親が咽び泣く遥か後ろ病室の外でそれを眺めていた時の自分の惨めさ。

それは弟も自分と同じだったらどうしようと思う反面、

同じなら同じで良いと思いかけた己自身の浅ましさだった。

こんな酷い目に他の人間も遭って良いなんて。

康禄は弟の前では無理をしてでも笑顔を通していた。

そして弟に牙が向きそうになると、それに割って入り自らを犠牲にした。

 だが、それももう今となっては過去の話。今では弟は遥か先を行く。

人間としても容姿も体力も何かも。

弟は変わらず接してくれているが最近思い詰めている節があった。

大丈夫だよ兄さん、僕は兄さんの分までやってみせるから。

その言葉が余計に重かった。

せめて怨んでくれたら良かったのに。惨めな自分が更に惨めになる。

いや、元々価値が無いんだった。弟だけでも生まれた事を喜ばれ、

成長を楽しみにして貰えて良かった。

自分が死んだら彼はきっと泣くだろうけど、どうか忘れて生きて欲しい。

そう康禄は康武に心の中で微笑む康武に伝えながら、

身を投げ出そうとしたその時


「勿体無い」


 野太く低い声が背後から掛かる。

だが人の気配はしなかった。

誰だろう、でももう良いんだもう全て。

憎悪を一身に受けてそれを道連れに地獄へ行こう。

そう康禄が思うと、体は背後の空から吹きつけた風にバランスを崩し傾く。

足も少しずつ地面から離れていた。

やがて体は宙を浮き、そして目を瞑る。

元より神を信じていない彼は、誰に祈ろうか考えどうせなら死神に、

安らかに死なせてくれるよう祈ろうと想った。

 暫くして地面に激突しているだろうと思い、

恐る恐る康禄は目を開くと静止していた。

斜めに傾いた状態で宙に浮いたまま。

何が起きているのか解らずもう一度目を閉じて暫く待つが、

そのまま変わらなかった。体を動かそうにも動かない。唯一目だけが動いた。


「まぁ話は最後まで聞けよ」


 何故か康禄の後ろの声だけが、止まらず聞こえ続けている。

時が止まっているなら誰も動けない筈。

にも関わらずその声は更に言葉を続ける。


「動けないのは御前達だけだ人間」


 その声が終ると康禄の体は宙を浮いたままフェンスを通り過ぎ、

屋上の床にそのままの姿勢で着地した。

目を激しく瞬きさせる康禄。


「このセカイは不条理で満ちている。その死すらもな。

だが不条理も慣れれば条理。御陰でこちとら暇を持て余しててな」


 気配が感じられないのに声だけが聞こえる。

これは死に際の走馬灯では無い。

だったら何が起こっているんだ。

康禄は頭の中であらゆる可能性を模索したが、

どの知識にも時を止めその中で動く者の名前が出て来なかった。


「意味が解らないです」

「意味など無いよ。在っても無いようなものだ。まぁ端的に言えば趣味」

「どういう趣味なんですか。人助けなら他を当たって下さいよ……

僕より助け甲斐のある人は他に幾らでも居るんですから」

「さてな。昔、と言うか分岐の違う所では死に至る病が在ったそうだ。

今このセカイに、それは無い。医学が医術に成り最早魔術の類。

それでも死人が出る。それは何故か?」

「知らないですよそんな事。放って置いて下さい」

「知れば良い。魔術師共は己の無知を理由に他人を殺し魂すら弄る有様。

法術師は法術師で反作用的な要素をひた隠し使用し、

死に至ったら神の加護が無かっただ信仰が足りなかいだと言い訳をする」

「僕とは関係無いじゃないですか」

「大有りなんだよ。一番不味いのは何かってそりゃあれだ。

旧遺物にしがみ付いて拝み倒してる事だよ。解るか? 

全ての世界の始まり、そこから神秘全てを別離し隔離した存在の塊である

セカイに人が居たとしたらどうなるか、それがこのセカイの始まり。

結果この有様だ。神秘が隠れれば科学で滅び合い、

神秘が現存すればそれで滅び合う。人と言う物は此処まで救えないのか」

「聖王会とかそう言う所の話なら結構です。僕はそう言うのは信じないので」


 康禄は生まれてこの方一度も信じた事は無かった。

恨む事ももう止めた。この国には天照大神会の他にもそう言った類の会は

存在していたが、誰一人として自分を救ってはくれなかったからだ。

上辺だけのセカイを護る為の自らを縛る呪文を唱える人間。

そんな暇が有るならその持っている力で助けて回ったら良いのに。

そう思わずには居られなかった。


「そう思うだろう? だったら良い物をくれてやる。それと共にセカイを探れ」

「何を言ってるんですか……。僕は御偉い魔術師様のお墨付きの無能力者。

術なんて使えないんですよ。例え神様にだって僕に術を与えるなんて不可能です!」


 全てを呪う様に康禄はそう叫んだ。

目からはもう枯れてしまったはずの涙が頬を伝う。


「何を言ってるんだは御前だ。誰が術を与えてやるなんて言った?」

「じゃあ何だって言うんですか。何をやるにも術、術、術! 

そんなセカイで僕はどうやって戦ったら良いんですか! 

特別な能力も何も無いんだ……。本当になんにも無い人間なんですよ僕は!」

「五月蝿い奴だ。そうやって自らを否定した所で、

誰も助けてなどくれ無い事位もう散々学んだはずだ。そして御前は勘違いしている。

まぁ良いまだ挨拶を済ませていなかった。此方を向いて貰おうか」

「向けたら苦労はしないです!」

「いや、御前は動けるはずだ。最初は瞬きが出来たな。

そして今は声も出せ大声を張り上げている。さぁもう一息だ。産声を上げろ。

御前の新しいセカイの始まりだ」


 そう言われると康禄は動かないはずの体に力を入れてみる。

先程とは違い動く事が出来そうだ。

だが体の上に重石が圧し掛かっているかのような感覚で、

すんなりとは起き上がれない。額に汗を流し、

腕を震わせながら何とか起き上がる。そして床にへたり込んだ。


「上出来だ。この空間で術を理解する者が動こうとしても無理。

奴らは元々既存の枠を出ない術しかしらない。

こんな物を体験すれば何の術かと思いあらゆる術式を考える。

そしてエーテルが反応し理解しようとすれば脳が暴走する。

その為奴らの脳みそは理解する事を

自動的に拒否する。時を止める魔術など神にすら無理なのだからな」


 そう喋りながら声だけが近付いてくる。

康禄はその声に振り返ると、其処にはボロボロの黒いローブに身を包み、

顔は骸骨が露になり、骨だけの手には大きな鎌を握っていた。

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