第1話 深淵を覗くもの

「はぁ……」


 学校の校舎の二階の窓から上半身を投げ出し、溜息を吐く少年が居た。

陰鬱な表情で今にも身を投げ出しそうな雰囲気を

醸し出しているが、彼は事実毎日身を投げ出そうと考えている。

それこそ生まれてきた時から。

彼が誕生して親が医師から最初に聞いた言葉は、特別手当の申請の仕方である。


 このセカイにはエーテルという粒子が漂っており、

それを利用し生活全般のみならず、戦争においても術は欠かせない。

この粒子を、人は生まれる時に操る事が出来る力を備えて生まれてくる。

そこからは鍛錬によって方法を学び、具体的に活用して行く。

これがセカイにとっての普通であり、それが無い事は特別だった。


 無能力者。


 そんなレッテルを張られたら、これから一生哀れみと

蔑みの視線の中で生きていかなければならない事を意味していた。

確率的には一億分の一とまで言われる存在である。


「田島、授業に居ても居なくても良いんだったら出てくるな。

 御前は何もしなくても一流魔術大学を出る手筈になっている」


 後ろから声を掛けた教師は吐き捨てる様に言い、

彼の首根っこを掴んでそのまま落そうとする。

後ろの生徒達から失笑が起き始めたが、田島と呼ばれた少年は抵抗しない。

誰かの手に掛かって楽に死ねたら良いのに、そう考えていた。


「いい加減にしろ!」     


 囃し立てる声を怒号が裂く。教師はその声に振り返ると、

教室の入り口のドアを開けて、背の高い少年が肩で息をしながら教師を睨んでいた。

それを鼻で笑い視線を元に戻すと、忌々しい兄弟だと心の中で吐き捨て、

掴んでいた少年を教室の中へ投げ捨てる。


「神にも愛されず、悪魔にもそっぽを向かれるような奴に触れてしまった。

 皆席に着け」


 髪をオールバックにした痩せ細った顔の初老の教師は、

汚れたと感じてハンカチを取り出すと手を拭き、

それを少年の顔の辺りに落とし教壇に戻る。

倒れたままの少年は起き上がる気もしない。

野垂れ死ぬ勇気も無く、自分から命を絶つ勇気も無い。

ならいっそ誰かの手で、そう願っていた。


 未だ争いが絶えないセカイで少年が考えたのは、戦地に行く事である。

しかしそれも彼の立場では無理だった。二月に一回、魔術研究所による体質検査。

それを受けなければ手当ては出ない。それが無ければ家族は生きていけない。

無能力者として彼がレッテルを張られた事により、彼の両親は職を失ってしまう。

そして様々な規制を受けいた。両親は彼の事で言い争い、

離婚をしようとするもそれも不可能だった。

家庭内は冷え切り、その鬱憤を晴らす為の牙が誰に向くかというのは

どの世界でも同じ事。それによって、少年は打たれ強くなってしまった。

何度か重傷を負い死に掛けたが生還する。

その様を見て、両親はまるでゴキブリの様だと忌々しげに言い、

それを聞いた医師も笑っていた。

少年の心はとっくの昔に死んでしまったのかもしれない。


「さ、行こう康禄兄さん」


 康禄と呼ばれた少年より少し背の高い少年が、彼に肩を貸し教室を出て行く。


「弟が優秀で良かったじゃないか。死んだら解体して貰い、

 術が何故使えないのか調べれば有効活用になる。田島の家も潰れなくてすんだな!」


 自分に背を向ける兄弟に、教師は馬鹿にする様にそう言葉を投げつけた。

兄弟は教室のドアの前まで行くと振り返り、肩を貸している弟は

教師を睨み付け兄は俯いて薄ら笑いを浮かべていた。

弟は一礼しゆっくりきっちりドアを閉める。それを教師は舌打ちして送り出した。

暫く廊下を歩くと、笑い声が先程兄弟が居た教室から起こり、

担がれている康禄は弟に力なく微笑み掛けている。

それを見た弟は歯を食いしばり涙した。


「康武、御免ね……」

「もう何も言わないで」


 整った顔立ちで鼻も高く髪は綺麗に整えられており、

二枚目で魔術の腕も学校内一と言われる弟。

顔は普通で鼻の頭が少し団子の様になっていて、

垂れ目で眼鏡を掛け髪も曲毛でぼさぼさな上、無能力者の兄。

両親はこの外見についても言い争いをし康禄だけは違う家の子供だ、

病院のミスで取り違えただけだと言う始末。

弟の康武を見れば解る、そう彼ら二人を引き連れ役所で強く訴えた事がある。

その日の光景が弟の脳裏から離れずにいた。


 明日は全員で出掛ける、そう母から聞かされたある日。

兄も一緒かと父に尋ねると、無表情で全員だと言った。

変だとは思いながらも、初めて家族全員で出掛ける。

そう思うと前の日から寝られなかった。

何時も兄を置いて三人でばかり出掛け、

御飯も兄だけは何時も別で、遊ぶのも親が居ない時だけ。

両親の優しさも兄の優しさも疑わない。

それまでの風景はとても暖かい家族だった。

朝、両親も綺麗な格好をして居て、兄も綺麗な格好をしている。

じゃれ付こうとするも遮られ、その時の父と母の兄を見る眼は憎しみを宿していた。

そしてその両親の視線を浴びて俯き、弟の視線に気付くと寂しく笑った兄。

兄の笑顔の裏にある物を初めてその日知る事になる。

その日から、いや最初から変わらず向けられる兄の笑顔に、

康武は悔しくて乱暴に残った手で自分の顔を拭う。

兄が無能力者である事を、康武はあの日から教え込まれていた。

ああ言う人間になるなと。それを本人が居る前で言う両親に

弟は憎しみを増していく。


 康禄はと言うと、兎にも角にも自分よりも弟第一に考え優しかった。

家庭に潜む陰を感じさせまいと、笑顔を弟の前では崩さない。

優秀な魔術師になれと繰り返す両親に追い詰められ、

塞ぎこみなりそうになった彼を、殴られるのを覚悟で

両親に弟の気持ちを伝えた。そして両親が不在の時は息抜きにと、

魔術とは違う事をして遊んだりしていた。


 弟は思う。今の自分は自分だけの力では成しえなかった。

両親はただ想う通りにさせようとせっついただけ。

兄さんは僕を励まし支えてくれた。

そんな兄さんを侮辱するセカイなんか無くても良い。

そう最近の彼は思い始めていた。


 康武の能力は万能の仕手と呼ばれる魔術師の卵で、

今通っている中学を出たらその足で日本国における

術の研究所に行く事になっていた。正式名称は陰陽魔法術研究所という。

其処に研究員として高校に通いつつ配属される予定である。

彼の二つ名は、あらゆる魔術法術を使いこなす事が出来るという凄さを表していた。

 本来であれば生まれた頃からどの系統の魔術法術が向いている、

と言う事は解らない。その成育過程によって左右される部分も大きい、

と言う事が一応解っているだけだった。

魔術にとって大事な要素でもある精神環境的には劣悪の部類に入る彼が、

何故その様な類稀なる仕手になれたのか。それは兄の為だった。

康武は兄が虐待されている所を見て以来、自分には何が出来るかと考え続けている。

 そして自分が早く有能な魔術師になれば、政府の機関に配属され

成果を上げればいずれ家が手に入る。

そう知った康武は難しい資料を読み耽り、優秀な術師を家庭教師として

どんな術が専門でもせがんで付けて貰い努力した。

自分が優秀であれば兄を護ってやれる、そう信じて。

結果彼の低かった能力も底上げされ、グラフで言えば平らになる。

年齢にしては高い上に、苦手な事が何一つ無い魔術師法術師は稀であった。

だがその事によって更に兄を苦しめてしまうのを予測出来なかった事は、

自分の罪だと彼は感じていた。


 何が万能の仕手だ、そんな二つ名だけじゃ兄さんさえ救えやしない。

康武はその二つ名を他人から言われる度、心の中でそう吐き捨てていた。

優秀ではあるがそれでも魔術師全体から見れば下の上と言った位置。

だが将来性を買われ研究所から誘いが掛かる。

康武は自らのプライドを投げ捨てる覚悟をした。

研究所には日本国中の優秀な者達が集っている。

その中でも彼が渇望して止まない、無能力者についての研究も其処が最先端。

願ったり叶ったりだ、セカイも神も兄を救ってくれないのなら自分の手で確実に

救ってみせる。そう優男に似合わない鬼の様な形相で前を見る弟。

対照的に兄の康禄は虚ろな目をしていた。


 自分は存在だけしていれば良いのだ。それ以外の自由は無く、

後顧の憂いを絶つ為の研究に実験体として、

生きていれば良い。ただそれだけ。必要とされているだけマシだ。

もう何も考える事は無い。何故弟は自分に構うのか、理解出来ずに居た。

皆と一緒になって糾弾すれば良いのに。

そうすれば弟の評価に見合う対応をして貰えるのだから。

それが正しいのに。

何故だか今も解らずに居た。

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