~第三幕:契約の終焉の章~

23.騎士とは何か

「僕に彼女を守ることは出来ないんだろうな。」

 博は翌朝、がらんとしたリビングを眺めながら小さく呟いた。昨日あんなに人が集まっていたとは思えないくらい部屋も綺麗で、昨日のあれは夢なのか? と思うくらいである。ふらふらとした足取りで兄の死体が眠っていたキッチンへと向かう。

「結局、自分のことを優先して兄さんの埋葬も行かなかったな……」

 昨晩、有子の提案で皆で勤の埋葬を行った。そのことは悠哉が自分に伝えにきたから知っている。でもその時、行かないの一点張りで悠哉を追い返したのだ。今思えば自分は勤にも、悠哉にも最低なことをしたと思う。

「ああ、何をしよう。今まで忙しすぎて暇っていう苦痛を忘れていたよ……」

 とりあえずキッチンに常備してある紅茶のティーバッグを取り出す。あの極度の甘党である勤が気に入って買っていたものである。

「……アップルティーかぁ。」

 血のように真っ赤なお湯がティーバッグから染み出している。アップルサイダーといい、アップルティーといいあのカップルはこんなところまでこだわりがあったのかと思い、自然に口元が緩む。

「こんなにアップルティーって濃い飲み物だっけ……」

 知らず知らずのうちに白いティーカップは透明感の抜けた赤いお湯で満たされていた。それに気づいた瞬間、赤い液体がポタッと紅茶に入るのが見えた。

「え……?」

 試しにティーポットに余ったお湯をシンクで流してみる。しかし何も異常のない透明なお湯だった。そして次に博はポットを一旦その場に置いて自分の顔を手で触れてみた。再び見たときに、自分の手は真っ赤になっていた。

「なんで……」

 その疑問には二つの意味があった。なんで自分の顔に血が付いているのか。そして、なんでこれを見ても自分はとても冷静なのだろうか……ということだ。とりあえず、すぐに蛇口を捻り手を洗う。その瞬間だった。

 ピンポーンッ

 インターホンがなった。博は近くにかかっていたタオルで手を拭くと、玄関の方へ駆け足で向かう。

「はい?」

「久しぶり、博君。俺のこと覚えてる?」

「……はい、お久しぶりです高範先輩。」

 ドアの向こうに立っていたのは勤の親友である夏目高範なつめたかのりであった。黒髪で少し垂れ目、温和そうな顔立ちを持つ好青年。白いTシャツに紺色の七分のカーディガンをはおり、同色のデニムを履いていた。

「勤いる?」

「ちょっと今外出中でいませんが……」

 咄嗟に博は嘘をついた。兄の親友に簡単に彼は死にましたなんて言えない。それに自分もそれを認めたくなかった。だって、殺したのは自分なのだから。

「ならあいつが帰ってくるまで待ってるわ。上がってもいい?」

「え、いや、でも……」

「大丈夫だよ、あいつちゃんと12時までには帰るって言うくそ真面目だからさ。家族の為に昼飯作らないとってな。あと一時間だし待つよ。」

「……わかりました、上がってください。」

 そう言って博は高範を渋々家に上げる。このままでは勤が死んだと知ってしまうのは時間の問題だ。どう告げるべきなんだろう……ずっとそんなことを考えながら先輩をリビングへと案内した。

「そういえば博君、最近そういう服にハマってるの? それともコスプレ?」

「え……僕、何かおかしい格好してま…………」

 思わず自分の腕を見る。すると青紫色の袖が見えた。もしかして、そう思い手の甲を見る。やはりそこには見慣れてしまった契約の紋章があった。

「…………」

「いやいやいや、そんな困惑した顔をしなくていいよ。博君もそれだけ色気づいたってことでいいさ。でも血のりメイクが上手いとはちょっと意外だったかも。」

 それを聞いて博は怖くなった。自分でも知らないくらい無意識に覚醒してしまっていたんだと、他者から言われて初めて気が付く。つまり、普段からこの姿に慣れてしまっていたということ。そんな様子を高範は笑顔で見ている。

「制服だとわかんないけど、博君って結構整った顔してるよね。それで頭良いとか羨ましいよ、俺も頭良かったらなぁ。」

 もっと良い大学入れたかもしんないのに。

 そう言って高範はソファの背に両腕を置いて博を見る。赤紫のコートを見られて困惑している彼をさっきの口調からは想像できないような真剣な眼差しでみつめていた。

「……その目見ればわかるよ、博君。君、人間じゃないんでしょ。」

「……!?」

「勤の部屋で読んだことがある。この世には契約書っていう人間よりもすぐれた魔術を使いこなす種族がいるってことを。魔法なんてすごいなって思って興味があったんだ。まさか、こんな近くに居るとは思わなかったけど」

「……殺意とかそういうのは無いんですか?」

「殺意? 別にそんなのはないよ。別に家族や友人、恋人を殺されたわけじゃないんだから。」

「……正直なことを僕が言わなければ、殺意は湧かないでしょうね。」

 博は高範に背を向けて、目から溢れだす涙を拭う。自分は改めて最低なことをしたと思う。自分がもっと強かったなら、美沙を人殺しにはしなかっただろうし勤を死なせたりはしなかっただろう。全て原因は自分……そう心の中で囁いた。

「……ごめん、その様子だと契約書って辛い立場なんだね。」

「どうして、謝るんですか? 謝るのは僕の方ですよ……」

「なんとなくわかった。君、勤を殺したのは僕ですって言うつもりだろ?」

「…………」

 それでも僕に殺意は湧きませんか?

 涙をグッと拭うと、博は高範の目を真剣に見つめた。その見つめる瞳は茶色と毒々しく輝く紫色だった。

「逆に聞くけど、どうして俺が博君を恨むの? それとも兄がいない世界なんて耐えられない、殺して下さいってこと?」

「……両方ですね。」

「本当に、いつまでお前は子供なんだよ。来年からもう大学生なんだろ? 少しは自立しなよ。どうせ、あいつのことなんだから大切な家族を自分の身で守ったんだろう? それに兄が大好きな博君が彼を殺せるわけがないって思う。」

「さすが、先輩ですね。僕よりも兄さんの事を知ってるんじゃないですか。」

「それはないよ。なにせ博君と僕じゃ五年も彼と一緒にいた時間は違うんだから。」

 ……だから、そう自分を責めるなよ。

 そう小さく呟く。何でこの人は僕自身のことよりも僕を知っているんだろう。恐怖すら覚える。まぁ……と高範は呟きながら博の肩に優しく手を置く。

「俺にはわからないけど、契約書ってのはアルテマ継承戦争っていう戦いに参加するんだって? それに勝てば神様になれるとか。しかもあれ、主催者のアルテマが勝手に選ぶから誰が選ばれてもおかしくないんだろ? それ、知ってるから別に博君が参加者でも驚かないよ。」

「どうして継承戦争を……」

「図星? この世に紫は少ないって聞いたからまさかとは思っていたけどね。パートナーは誰なの?」

「……美沙、従妹です。」

「従妹! すごい奇遇だねまた。じゃあ尚更守ってあげないと。せっかく勤が取り留めてくれたその体で」

 まさか、その家族を……女子を見捨てるつもりじゃないよね?

「…………」

「それは駄目だよ。勤とその美沙ちゃんって言う従妹のことを侮辱することになる。」

 そう淡々と話す高範を博は無意識のうちにアルテマを思い浮かべた。あの銀髪の自己中……でも本当は優しい有子の父親で、この継承戦争の責任を取ろうとしている。本当の自分が神に負けてしまっていた時、彼も同じ気持ちだったのだろうか? 神は本気で良かれと、娘を鍛えるために発砲までして銃の腕を磨かせた。きっと本当の彼、シルヴィアならそんなことはしなかっただろう。……僕、別に他者に乗っ取られてるわけでもないのにあいつと同じようなことをしようとしてるんだ。自分ってとんでもなく弱いんじゃないか、そう思い始める。

『……だって、私が本当に戦いたいのは神でもなく家族の敵でもない。同じ境遇を持った紫の契約書だよ?』

 高範は、笑顔でそう呟き血で汚れた真っ赤な手を差し出した。

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