18.真の勝者は狂喜に堕ちた者
「こんなに遅くまで付きあってもらってすみません、愛菜。気を付けて帰ってくださいね。」
「いいえ、こちらこそですわ。また行きましょうね!」
「ええ! 楽しみにしてます!」
夕日も沈み、夜も更けた頃、有子と二人でショッピングに行っていた愛菜がブレッド・フラシャリエへと帰ってきた。店の二つ手前の交差点で二人は別れた。
「遅くなってしまいましたわね。お兄様怒りますかね……」
「…………」
そんな様子を誰かがレンガの塀に座りながら眺めていた、そう感じて愛菜は少し後ろを振り返る。
「急ぐべきですわよね……」
そう呟きながら愛菜はまだ履きなれない黒いリボンの付いたブーツで駆けだす。コツコツとヒールの音が夜道に響く。クリーム色のミニスカートで、スカートの中が見えようと構わないと思いながら全速力で走る。元々足は速いので、そんなに減速することはなかった。そしてもう少しで家に帰れるというところで何者かに黒ボーダーの白いカットソーの袖をひっぱられ、家に入ることを止められる。
「えっ!?」
「おっと、危ない危ない。あ、声出さないでね?」
その瞬間愛菜の口は黒い袖によって塞がれる。愛菜は思わずその腕を力強く掴み、外させようとする。
「だからって暴れるのも良くないと思うけど。」
その瞬間愛菜の意識は飛んだ。脳を強打され、脳死状態にされたのだ。おっと……と倒れかける彼女をフィルーネは両手で腕を支える。
「ユリウスと同じ緑……とりあえず家に入ってくの見て捕まえちゃったけどこの子血縁っぽい。」
ということは年齢的にも継承戦争に参加してるのかな。
とりあえずフィルーネは両腕で愛菜を抱き上げ、人目の付かない店の裏の森へと歩いて行った。
「どうやって殺そうかなぁ。どうせなら顔も潰した方が効果はあるかな。」
首なしでもちゃんと視力はあるっていうのが変な話だよなぁ……そう思いながら気絶している愛菜の顔を覗きこむ。
「起きてから殺そう。どうせなら喚いてくれた方が実感があると思うし……」
そう言ってフィルーネはふふ、と心の中で笑った。
「あ、そうだ。もう一人そこで別れたこの子の友達にも面白いことしてみようかな。」
* *
そのころの有子、彼女もまた急いで帰らないと……と思い駆けだしていた。
「勤さん……心配してるかもしれません。」
ブルーの短パンに黒いハイソックス、白と水色のインヒールスニーカーと動きやすい格好ではあったので不自由なく走っていた。そんな彼女の影は駆けだすことなくその場に留まっていたが……
「や、やっと着いた……」
有子ははぁ……と膝に手を置き、息を整える。そして何と勤に伝えるべきか考えていた。
「どうしましょう……なんと言えば勤さんは許してくれるでしょう……」
色々と言い訳を考えたが、結局正直に喫茶店で長居しすぎたことを伝えようと決め扉の前まで行く。蛍光灯の光が入口を照らしていた。
「ただいまもど…………」
いやああああああああああぁぁぁぁ!!!
扉を開けようとした瞬間、有子は腹部に激痛を感じた。そして思わずその痛みの深さに叫んでしまう。それを聞きつけた勤が真っ先に走ってくる。そして自分の姿を見ると中に居る他の人に手で合図している。
「博! オレの部屋にある青色の引き出しの3段目のところからグレーのケースを持ってきてくれ!! 美沙は洗面所からタオル!!」
「え、あ……了解!!」
「お、おっけー!!」
どうやら中には博と美沙がいるらしい。そう思いながら有子は自分の腹部で最も痛む所に触れた。するとその触れた手にも何かが貫通したような痛みが感じ始める。徐々に閉じる目を精一杯見開くとその手と腹の真ん中辺りから大量出血をしていた。周りも見ると自分の出した返り血が壁に付いている。目の前では勤が足取りの落ち着かない自分の肩を支え、立たせてくれる。
「な、なにこ、れ……」
「有子、傷は腹と左手だけか?」
「は、はい……」
その瞬間有子の脇腹辺りから血液が噴き出した。それは辺りに散り、目の前にいた勤にもかかる。彼の顔にも返り血が付いてしまう。
「ああああっ……!!」
「ミリィ、少し落ち着いて考えるんだ。……どうして自分は魔力回路に異常も出ていないのに傷口が増えて行くのかを。」
「お、おと……うさん……」
「アルテマ様!! そんな無茶言ってないで少しくらいてつだ……」
手伝ってください、そう言うつもりで勤は廊下の方からするアルテマのほうを向く。すると彼は白く綺麗な壁にもたれながら腕を組み、勤をジッと見ていた。
「君はミリィの相方らしく彼女を助けてやればいい。だが僕はこの子の父親だ。君は人間らしく命を救ってあげて。」
そう言うとアルテマは有子のほうを見る。いつものおどけたような笑顔はなく、真剣そのものだった。切れ長な紫の瞳が鮮血を噴き出し続ける娘を真っすぐ見ていた。
「兄さん、グレーのケース!!」
「ありがとう、そこから緑のラベルのコルク瓶を出してくれ。」
「はい! これタオル!!」
「助かる、それで有子の脇腹を押さえてくれ。」
博はグレーのケース……勤の救急箱から緑のラベルのコルク瓶を取り出し、美沙は持ってきた桃色のタオルで有子の脇腹の止血をする。まるで練習したかのように素早く効率のいい連携だった。
「あ、ありがと、うございま……す。」
「ゆ、有子さ……有子ちゃん喋っちゃダメッ!! 血が出ちゃう!」
「す、すみませ……ん。」
「博、それをオレに渡してお前はその黄色いラベルのコルク瓶に入ってる液をガーゼに含ませて有子の足元に塗ってくれ。」
「あ、うん? 足……?」
博は頼まれた瓶を兄に渡し、言われるままに黄色いラベルの瓶から出てきた液体をガーゼに付けハイソックスで隠れていない有子の膝辺りにそのガーゼを当てた。するとそこから紫の決してきれいとは言えない液体がヌルッと滴り落ちてきた。
「ありがとう、博君。」
それを見て白い瞳のアルテマが微笑んでこちらを見ていた。一瞬色素が抜け落ちた様な真っ白な瞳に驚くが、はい……と首を縦に振った。
「どうして僕の瞳が白いか気になった?」
「よ、よくわかりましたね……」
「そりゃあ、君ってわかりやすいからね。表情と状況を把握すればすぐに考えてることなんてわかる。」
そう、アルテマは有子の足元を見ながら博に語りかける。博もガーゼで有子の脚に薬を塗りながら彼の話を聞いていた。
「一応これで魔力の根源を探しているんだ。でも……想像以上に見つからなくて苦労してる。」
「そんなもの、長時間使って大丈夫なんですか。」
「うん、だって失明はしないから。一日このままでもいられなくはないよ。生活に支障が出るから嫌だけど。」
……それにしてもこいつは強敵だな。
そうアルテマが小さく呟く。一旦しばらくしていなかった瞬きをして白い目のまま、有子に近づいて行く。そして彼女のスニーカーの先に手を伸ばし触れた。すると触れた瞬間に黒い鋭利なものが見えた。それを見て博は驚きを隠せない。
「え、これって……」
「そう、これは誰かが仕掛けた細工さ。細工というか魔術。面倒なことするもんだよ。」
これで、ミリィの体を少しずつ傷つけているんだろう。
そう言いアルテマは黒い鋭利なものをがっしりと掴み、それを渾身の力で握りつぶそうとする。だが実際は彼の手が震えているだけでそれは引きちぎれることはなかった。
「……あれ、ちぎれないや。」
「博、それを切って! アルテマ様にはそれは何時間たっても出来ないから!」
「あ、うん……」
博は美沙に言われた通りに、覚醒して槍を水平に動かしその鋭利な物を切り落とした。それはすんなり切れて、紫色の液体が溢れだした。
「ナイス博君。」
「アルテマさん、視界悪くて力入らないなら言ってくださいよ。」
「はは、そうだね。……でももう僕の視力は戻ってるんだ。」
ほら、と自分の目を指してアルテマは微笑む。確かにその瞳はいつもの淡い紫色に戻っている。じゃあどうしてこの決して硬くない奇妙な物体を千切ることを出来なかったのだろう。これくらいの硬さならきっとパンを千切るくらいの力で十分それが可能だったはずだ。でも、それをあの神である彼は出来なかった。
「これだけ力があれば立派な紫の契約書だね、君も。」
そう余裕の笑顔でアルテマは博に言った。手にはまだ黒い物体の先が残っている。それはうねりと少し動いていた。
「あ、アルテマさんそれっ!!」
「ん……?」
博がそれを早く消すべきだと言おうとしたと同時に、その物体はアルテマの手を抜け出して鋭利なナイフに姿を変えアルテマの目をめがけていく。それは真っ赤な鮮血を被りながらアルテマの左目を貫いた。
「うぐあっ……!!」
「あ、アルテマさんっ!?」
「「あ、アルテマ様っ……!!」」
「お、おとうさんっ!!!」
そのナイフはアルテマの目を貫くと、後ろにあった壁に突き刺さり動かなくなる。元々目玉がないところを突かれたせいで血管へのダメージは大きかったらしく、ふらつきながらその場に彼は座った。
「だ、だいじょ、うぶだ…よ。油断しただけだ……」
「つ、勤さん!! 私よりもお父さんを……」
いても立ってもいられなくなった有子は腹部に薬を塗っている勤の手を払いのけ、目を押さえ手を真っ赤にしている父親の元へと行く。
「みー、僕らはこの黒い物体について調べよう。きっと切った感じこれは黒毒を物質化させて作ったものだ。だから契約書の肌を簡単に傷つけるんだと思うから。これを使うのは紫だ。」
「わかった。姿を現さないって事はきっと外に居るよね。」
博は勤と有子、アルテマに目を合わせ軽く頭を下げて外へと出て行こうとした時……
「博っ!!!!」
「……え?」
「い、いやあああああああああああっ…………!!!!」
顔を上げた博の顔には返り血がつき、その目の前では……
「勤さんっ!!! 目をあけてっ……!!! 勤さん……!!!」
黒いナイフに心臓を突かれて、血を流している勤がいた。
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