11.自我を壊すことで切り開ける道がある

「ひ、博っ!!」

「み、みー。ご、ごめんこんな情けない姿で……」

「ちょ、ちょっと永坂君これはどういうこと!?」

 こちら永坂邸。さっき窓ガラスが派手に粉砕した部屋で博は両手両足に拘束具をつけられていた。美沙はそれを見て平然としている竜冴に問いかける。

「どういうことって? 彼を人質にしているんだ。お前みたいなダメな魔術師が相方を放置しておくからこうなるんだぞ」

「そ、そんな! 永坂君がこんなこと信じてたのに……。」

「そう、それはありがとう。でもこれを見てまだそんなこといえるのか?」

 真面目な顔でそう言うと、竜冴は拘束されている博の元へ行き散らばったガラスの破片を3枚くらい集める。そして博のグレーと紺のTシャツの袖を七分までめくり上げ、肌を露出させた。

「これで、こいつの肌を傷つけても俺は信じられる存在か?」

「や、やめっ…………」

「うっ……ぐっ!!」

 美沙が制止するのを無視して竜冴はガラスの破片で博の腕に切り傷を綺麗に入れていく。そこからは綺麗な鮮血が流れ出す。

「ひ、博っ!!」

「だ、大丈夫だよ……」

「永坂君やめてっ……!!」

「やめてほしいか? なら交渉しよう、水野美沙。」

 この継承戦争から辞退しろ。

 えっ……。美沙は一歩下がってその言葉の意味をよく考えた。辞退ということは博を捨てて逃げる……そういうことだった。

「そ、そんなこと……」

「こいつ一人残しておけないのなら先に契約書を殺せば、退いてくれるか?」

「ひ、博を殺させなんて……」

「だろうな。はぁ、もうすぐ瑠璃が帰ってくるから長引かせたくない。申し訳ないが強行手段に出る。」

 竜冴はため息をつきながら、自分のポケットに入れていたナイフを取り出し、それを博の右手に当てた。

「……っ。」

 そしてその銀製の美しいナイフを振りかざし、博の右手首に振り落とす。それは彼の腕を貫通し、大量の血液を溢させる。

「あ、ああああっ!!」

「……ちょっと声が大きいな。」

 竜冴はちっとも動揺することなく、博の口を自分の左手で押さえる。美沙は声にならない声を出してその光景を見ている。

「もう一つ、開けないとお前は決意してくれないか。」

 美沙の反応を確認すると竜冴は冷静に次は肘のあたりにナイフを当て、それを垂直に振りかざす。また新しい傷が生まれ、血液はみるみるうちに流れ出しカーペットを汚していった。

「あああああァァ……!!!!」

「や、やめてっ……」

「まだ諦めないか? 次開けるとしたら……場所的に服も汚れるんだが。」

 また竜冴が博のどこに刺すか悩んでいた時、美沙はナイフを持つ彼の血で汚れた手首に飛びつくかのように掴んだ。当然美沙の手の平も赤色に汚れる。

「お願いだからやめてっ! 博に恨みがあるのなら私に!!」

「それは出来ないな。こいつに頼まれたんだ、水野は傷つけるなって。それにお前に恨みはない、だからこそ辞退してほしい。」

「そんなのっ……」

 美沙はその言葉に思わず竜冴を掴んでいた手を離しかける。でもすぐに掴んで目を閉じた。

「……瘴気、来て!」

「はっ!? お、お前バカだろっ……! 」

「永坂君も博を殺す気なら同じだよ。それに、私が甘くてこうなったなら私は責任がある。」

「だからって……いっつっ!?」

 瘴気の痛みに耐えられず、美沙が掴んでいる腕を振るい美沙を自分から引きはがす。彼女が掴んでいたところは炎症を起こし、綺麗に掴んでいた手形が残っている。少し肌も溶けかかっている。

「……そっちが本気なら私も博の為に戦う。」

 地を這う大蛇よ、鎖の如く縛り上げろ……グラウンド・チェイン!!

 美沙は詠唱し、地面から二本の鎖を出し竜冴を掴もうとする。竜冴はすぐに体勢を切り替え、鎖を華麗に避けていく。

「くっそ、こんな狭いところじゃ……」

「もう私は、あなたを信じないから!!」

 美沙は鎖を更に4本に増やし、タンスやテーブルなどを大胆に音を立て壊しながら竜冴を追い詰めて行く。それと同時に鎖の一本で博の拘束具を壊す。

「み、みー待って……」

「これで……再生に集中できるでしょ? ごめんね博。私のせいで……」

 そんな深い傷負わせてごめんなさいっ……!!!

 美沙は更にその鎖に瘴気を込め、逃げる竜冴を追いかける。その間に竜冴は割れた窓から広い庭に抜け出す。

「みー……」

「……あれに縛られたらさすがに終わりだな。」

「…………。」

 美沙は外に出た彼を見て、鎖の一本を引きちぎり博に渡す。

「これ、私の魔力こもってるから。回復するでしょ?」

「あ、ありがとう。でも……」

「こんな最低なやつはここで倒す!」

 大地よ轟け……ロック・バースト!!

 地の初級術を唱えながら美沙も庭に出て行く。5本の岩の槍が竜冴を襲う。そんな中竜冴は目を見開き、自分の周りにも岩の槍を展開させ壁を築く。

「一瞬で術を……?」

「……あんまり俺を舐めない方が良い、暴走魔!!」

 美沙が驚いているのを無視して、竜冴はグラウンド・チェインを唱える。その鎖は地面を伝って美沙の元へ向かって行く。

「これなら勝てるっ!!」

 にっと笑うと美沙は自分の元にやってくる鎖の先端を掴む。そしてそれに自分の膨大な魔力を注ぎ、更に瘴気も入れる。

「なっ……!?」

「よしっ!! これで逃げられない!!」

 自分のものにした鎖をうねらせ、竜冴の手首をそれで縛った。それに瘴気が伝い、竜冴の皮膚に直接当たる。

「あああっ……がっ……!!!」

「……あなたが博にしたこと、このくらい彼は痛みを感じていたのよ。」

 歯を食いしばりながら美沙は苦しむ竜冴を見た。瘴気の触れている部分はみるみるうちに変色して、健康そうな肌色は消えて行く。

「こ、これ以上は……手首がえ、壊死するっ……!!」

「私は……私はあなたが許せないから……!! 離さない……!」

「ま、待って……みー!!」

 美沙は鎖を引き、遠くに投げかけていた囚われの竜冴を自分に近づける。彼は汗をかいて苦悶の顔を浮かべている。彼の言うとおり手首も限界を迎えているようで、もう少し炎症を起こせば手がちぎれそうだった。そして博の制止の声も聞かず、美沙は苦しむ竜冴の顔を見て小さく口を開いた。

「……私は悲しいよ、もっと永坂君を良い人だって思ってたよ。」

「……っ!」

 竜冴が何か答えようとしているのを待たずに、美沙は鎖を振るい竜冴を上から突き落とす。ごめん……と小さく呟き、鎖を消した。大きな音を立て、硬い石造りのアプローチに彼を落とした。そこから割れた石が飛ぶ。

「…………。」

「みー……!?」

 部屋の中から、傷が完治した博が顔を出し、窓から飛び降りて美沙の元まで来る。

「ひ、博……」

「……僕は人殺しをした君を咎めない。」

 その言葉を聞いた瞬間、美沙の目から涙がこぼれ出す。だがその瞬間自分の顔の横を何か鋭利なものが通り過ぎて行く。ハッとなり美沙は後ろを振り返る。そこにいたのは買い物袋を持った瑠璃だった。

「瑠璃ちゃん……」

「……。」

 博はスッと目を閉じて覚醒する。泣き崩れそうな美沙を紫のコートにそっと抱き寄せ、槍を敵に見せ庇うようにした。

「美沙ちゃん、あなたは絶対にあり得ないと思ったけど……」

「…………」

「黙らないでよ!! そんなにっ! そんなに自分を魔術師に戻した彼が憎かったの!?」

 瑠璃は瞬時に覚醒し、炎の銃弾を討ち放つ。完全に彼女の顔は怒りに満ち溢れていた。それを博は一本の槍で美沙を庇う。

「都合の悪い時だけ黙らないで……! 竜冴をこんな無残な姿にして!!!」

 ふと美沙は叩きつけた竜冴の方を見た。そこには右半分の顔面を破壊された醜い顔の遺体があった。その下には血液と体液がこぼれている。これを彼だと証明する手首の炎症もはっきりと残っていた。あの幼くも整ったグレーの髪を持つ同級生はここまで無残な姿になっていた。自分のせいで。

「じゃああなたは何故僕を監禁した彼を止めなかった? あいつは僕の両足を壊してまで監禁した。それは止めなかったのにみーは止めるのか?」

「竜冴は殺してないわ!! あなたの両足を壊しただけ、正当防衛だわ!! 襲いかかってきたあなたが悪いんじゃない!!! でも美沙ちゃんは殺したのよ! もう二度と彼は起き上がらない、喋らない……!!!」

「あいつはみーを脅したんだ。それに耐えられなくなったみーは『正当防衛』で彼を殺したと言ったら?」

「それでも美沙ちゃんは『人殺し』よ!!!」

 瑠璃はそう言って駆け出し、素手で美沙に殴りかかろうとする。完全に混乱して魔法を唱えることも忘れているようだった。

「赤が武力で紫に勝てるとでも?自殺行為だよ、それ。」

 それを博が長槍で制止する。その瑠璃の瞳は濡れていた。涙が溜まっている。

「瑠璃ちゃん……ごめんなさ……」

「謝って許すわけないじゃない……!!!」

「素晴らしいね、これは。月光のお二人、ナイス手柄♪」

 そんなとき、また玄関の門の方から声が聞こえた。拍手をしながら白いローブの男がこちらに向かって歩いて来る。髪も同じ美しい白銀の髪で左目が隠れている。彼の黒いブーツはこぼれている血液と体液を付着させながら足跡を残していく。

「また殺し方も大胆だねぇ……死体がとても醜いよ。」

「あ、アルテマさまっ……」

「やぁ、瑠璃。久しぶりだね。久しぶりに抱かせてよ。」

 瑠璃は死体を見て動揺しない男、アルテマを見て彼に飛びついて行く。そして涙を大量にこぼし始めた。

「そんなに泣くほど? それほど嬉しかった?」

「それもっあるけどっぉっ……。」

「アルテマさん、あんた本当に空気読めないんだね。」

「そうかい? 全く、君は僕がアルテマだとわかってそんな口のきき方してるのかな?」

「わかってるよ。だからちゃんと「さん」って付けてるじゃん。」

「まぁそれもそうか。」

 ははっと笑いながらアルテマは瑠璃の頭を撫でていた。瑠璃は彼のケープをがっしりと掴み、泣きじゃくっている。それを見て博は槍をしまった。

「……ごめんなさい、アルテマ様。瑠璃ちゃんの大切な人を……」

 前会った時のことなんか完全に忘れ、美沙は申し訳なさそうにアルテマに向かって言う。

「ん? どうして謝るの、美沙ちゃん。君は自分の力で一つの組を壊しかけたんだよ? 別に君は悪いことを何もしていない。」

「でもそれで瑠璃ちゃんが、あなたの大切な娘さんが傷ついて……」

「……ああ、それは良いよ。これくらいで折れるなら瑠璃の心が弱い。こんな契約書がアルテマになんてなれないからね。」

 そう言ってアルテマは美沙を慰める。泣き続ける娘よりも美沙の事を慰めていた。むしろ遠まわしに瑠璃を貶していた気がする。

「美沙ちゃん、これが最初の君の功績だ。この継承戦争を頑張って勝ち抜いてね。遠くからだけど見守ってるよ。」

「……はい。」

「で、アルテマさんここに何しに来たの? 絶対みーを褒めるだけじゃないでしょ?」

「そりゃあそうだよ。こんなに泣いている愛しの娘、瑠璃を見たらいても立ってもいられなくなって思わず来てしまったのさ。」

「ふぅん。本当に瑠璃さんの事好きだよね。」

 博は呆れたようにアルテマの話を聞く。誰にでも気が付きそうな矛盾まで発言しておいて……と思う。

「まぁ怒りに身を任せたってせいもあるけど十分、君にも勝ち残れる力はある。二人で頑張って僕のところまで来てね、待ってるよ。」

 そう笑顔で言うとアルテマは小さく手を振って泣き続ける瑠璃を連れて門を出て行った。それと同時に美沙は博の手首を掴んだ。

「私……取り返しのつかないことを……。」

「そうだね。こうなったら僕は意地でもアルテマの所へ行かないと。」

「でもそのためには人を犠牲にすることに……。」

 それを聞いた博は良いことを思いついたかのように沈む美沙の顔を覗きこむ。そんな彼の顔は笑顔だった。

「じゃあ、僕がアルテマになったらこの戦いで犠牲になった人々を生き返らせよう。それで、どうかな。」

「そ、その手が……」

 それを聞いた美沙は少し笑顔になって首を縦に振った。博は笑顔になって良かったと思う。そして彼女の手を引きながら、一人の遺体を残し永坂邸を後にした。

「あの後、永坂君は何を言おうとしてたのかな……」

 それを考えるとまた涙が溢れる。……命は重いものだ、自分たちはどうしてそんなものを奪い合うのだろう。美沙は自分にそう問い詰めるばかりだった。


「…………君を、笑顔に出来なくてすまなかった。」そう、帰り際に博は小さく呟いた。


~第二幕:狂気と切なる願いの章~へ続く……

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