第4話 夢の後先

ボクの家の近所には公園がある。そこまで大きな公園ではないが、必須要件であるブランコやシーソー、ジャングルジムなどは揃っている。

 サラリーマンが行き場を失い家に帰りづらい場合は公園のベンチやブランコで一日を潰すのが鉄板だ。そこから子供達が無駄に騒ぎ、主婦達の無駄なマウンティング会話を聞き、更に暗黒の坩堝にハマっていく負のスパイラルが待っている。

 ヒヨリちゃんも例に漏れずそのような行動を取るのか。おそらく駅や電車も分からず、駅に着いたとしても改札の通り方も知らないだろう。

 この公園は駅にもほど近いので、可能性は大きい。

 公園を遠目から眺めると、案の定それらしき人影が見える。公園にはその人影一つしかない。朝っぱらから公園に来ているのは、最早公園に『住んでいる』人しかにないだろう。

 更に人影に近づく。着崩れたスーツ姿が見えてきた。その顔も見覚えがある。ボクの顔だ。ネクタイはまともに結んでおらず、スーツの襟は立ったまま。なおかつズボンは後ろ前に穿いている。何もかもメチャクチャな着こなしだった。

「おい、そこでなにしてる?」

「ハッ!」

 声をかけられた事に驚き、その場を立ち去ろうとするヒヨリちゃんの腕をボクは掴んで放さない。

「放してよ!」

「いいや、放さない!」

「わたしが代わりに会社に行かなきゃ迷惑かけちゃうでしょ?昨日も一昨日も迷惑かけてて、これ以上は負担掛けたくないって、思ったから・・・・・・」

 ヒヨリちゃんの瞳から涙がこぼれ落ちた。

「・・・・・・ゴメン。そんな負担だなんて、ボクの方こそヒヨリちゃんに負担を掛け過ぎちゃったよね。ご飯も、今まで通りボクが作れば良かったんだよ」

「ううん、そんなことないよ。あれはわたしが好きでやってたことだから」

「ありがとう、ヒヨリちゃん。その気持ちだけで嬉しいよ」

「うん・・・・・・」

 ヒヨリちゃんはボクのふくよかな胸に抱きつき泣きじゃくる。そんな姿を見て、ボクは微笑ましく思うのだ。

 でもそんな幸せの中、『あれ』が突然頭に流れ出した。

『hrゲフオエがhゴ死ねアhンjfンs度;lhン殺せfへ追いrhjgペj日rfンうぃhgル亜hgルh後rへrjgvrぴふ皆殺しぇあwjrp死ねフィじぇあgp:jgpjロイj殺せ替えjgr後エア』

 昨日のものより更にヒドくなっている。しかも時間も長くなっている。思わず膝から崩れ落ち、頭を抱えて地面に倒れてしまった。

「ねえ、大丈夫?」

「ああ、うん。落ち着いたから。ありがとう。もう家に帰って落ち着こう。ここ三日間頭が休まってない気がするんだ」

 ボクはヒヨリちゃんに抱えられながら、帰宅の途についた。


 ボクらが家に着く頃には、奈良雄も既に家に戻っていた。

「どうしたんだ?なにかあったのか?」

「それが、突然頭を抱えて、倒れちゃったんですよ」

 家に入るなり、ヒヨリちゃんの手によって即座にボクは布団に帰された。奈良雄はうなだれているボクの顔を覗き込み、何やら深刻な様相を見せた。

「恐らく意識の拒絶が起こり始めてる。しかも、ネット情報も常にアップデートされるから更に意識が混濁していってる」

「どういうこと?」

「簡単に言えば、もう一週間どころか、明日まで意識が存在し続けるかも怪しい」

 そうか、ボクはいずれ消えてしまうのか。それもそうだよな。普通ではあり得ない、アンドロイドとの入れ替わりを果たして、ただで済む訳がないよな。

 ボクは何のために生きてきたのだろう。特に取り柄もなく、誰かのためになることをやるわけでもなく、ただ生きるために時を過ごしてきた。

 このまま消えてなくなってしまって良いのだろうか。このままでは、ボクが生きた証など一切残らずこの世を去ることになるのだ。

 よく今まで生きて来られた。ボクをボクで褒めてあげたい。そう自分の中に言い聞かせて、眠りについた。


 次に起きた時にはもう朝だったようだ。というのも、既にボクは起きていたのだ。何を言っているか分からないかも知れないが、既にボクが入っているヒヨリちゃんの体が勝手に動き出していた。ボク自身は考えることはこのように出来るが、体を操ることは一切出来ない。ただ誰かも分からない何かが、ヒヨリちゃんの体を動かしているのだ。

 ボクはリビングの椅子に腰掛け、ヒヨリちゃんを眺めている。右手には何故か包丁が握られている、ヒヨリちゃんに料理でも教えようとしているのか。毎日悲惨な手料理を食べさせられるよりはマシだしな。

 ボクはふと椅子から立ち上がり、包丁を腹の辺りに構えている。まだキッチンにも立っていないのに包丁を構えるなんて、あまりに気張り過ぎではないか?

そのままヒヨリちゃんの背後へ足音一つ立てずに近づき、背中に刃を突き刺そうとしたところで体の制御が戻った。

「おっ、おはよう」

 間一髪、背中の一センチメートル前で止まっていた。

「あれ?さっきもおはようって言ってなかったっけ?」

「そ、そうだっけ?アハハ・・・・・・」

「昨日もいきなり倒れちゃうし、ゆっくり休まないと。はい、出来たよ~」

 ボクが何故か包丁を握っていた間に、ヒヨリちゃんはどうやら一人で料理を作っていたらしい。ガスコンロの上に鎮座していたのはおかゆの入った鍋だった。なんと驚くことに、ご飯が炭になっていなかった。

「お~美味しそう」

 ボクはひっそりと包丁をキッチンの包丁入れにしまい、再びテーブルの席に着く。

「おはよう~。お、今日もちゃんと出来たのか!偉いね~ヒヨリちゃん」

 匂いにつられたのか、奈良雄もリビングへ顔を出した。

「今日も、って昨日もヒヨリちゃん料理してたの?」

「おいおいおい!覚えてないのかよ。キミがヒヨリちゃんに教えたんじゃないか」

 ・・・・・・嘘だろ?ボクの意識のない間に、そんな事をボクではないボクがやってたのか?

「ゴメン。その記憶が全くないんだ。記憶があるのは、昨日公園で倒れて、寝たってところまでで」

 その言葉に奈良雄は表情を一変させる。

「そんな・・・・・・早すぎる。やはり認識移行によって乖離が早まっているのか」

「記憶がないってことは、その間ボクは一体何してたんだ?」

「昨日は帰ってから正午くらいまで寝ていた。その後は研究所に帰って所長やらなんやらに事情を説明したり過去データ解析したりで外に出ずっぱりだったけど、夜帰って来た時にはもうヒヨリちゃんとご飯作ってたよ」

「じゃあ、奈良雄が居ない間、ボクは何をしてたんだ?」

 先程のボクでないボクの行動を察するに、穏やかでないことが巻き起こっていた可能性が高い。

「え?う~ん、分かんない」

 ヒヨリちゃんは天を仰ぎ一人虚ろな笑いを浮かべる。

「そんな・・・・・・」

 この家周辺では騒がしくなっている様子はなく、ボクが何かした可能性は無さそうだ。

 少し怖くなったので、ネットのニュースを確認することにした。

 いつも見ているガホーニュースを閲覧すると、いつも通り不倫やなんだの平和なニュースが軒を連ねていた。

「良かった」

 どうやらボクは記憶がない間は何もしなかったようだ。とりあえず一安心。

「もう今日からちゃんとボクを監視してくれ。意識がなくなったら何するか分からないから、頼む!」

「分かった。とりあえずモニタリングは二十四時間してるから安心しなよ」

「わたしも、ずっといっしょにいるよ“」

「ヒヨリちゃん・・・・・・」

「おい、無視するなよ」

 奈良雄はふて腐れてしまい、ボクの顔を無理矢理、奈良雄に向けさせてきた。

「あ、ああ、もちろん奈良雄にもお願いするよ、たのむ」

「よろしい」

 そう言うと、奈良雄は何故か玄関へ向かっていった。

「おい、こんな夜遅くに何処行くつもりだよ」

「研究所。早く入れ替わりと、アンドロイドの稼働時間の延長、それに意識乖離の抑制について、早く手を打たなきゃいけないし。一分一秒が惜しい。もうこれは人の命が掛かってるんだ」

 奈良雄はそのまま振り返る事無く、ボクの家を去った。

「奈良雄は奈良雄なりにボクを救おうと頑張ってくれてるんだな」

「ねえ、ちょっと待って」

 突然、ヒヨリちゃんがドスのきいた低い声でボクに呼びかけた。

「わたしは助けてくれないの?」

「何言ってるんだよ、ヒヨリちゃんもに決まってるよ」

「・・・・・・そう」

 ボクはその悲しげな表情に居ても経っても居られず、思わず抱き寄せてしまった。

「奈良雄が必ず解決出来る方法を見つけてくれる。それを信じてボク達は待ってよう。大丈夫、必ず二人で助かろう」

「ほんと?信じていい?」

「もちろんだよ。なんてったって、ボクはヒヨリちゃんの恋人だもん」

「・・・・・・大好き」

 ボクとヒヨリちゃんは、この夜初めて現実世界で、唇を交わした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る