第14話 託されし者、ラッセ・ラル
首が飛んだ調査員の身体は真っ赤な血飛沫を上げながらドスッと地面に倒れた。皆の警戒値が跳ね上がる。とうとう、1人死んだ。死んでしまった。首を持って行った生物は体長0.5㍍強の赤黒いトンボだった。当時はまだ名前を持たなかったが、今ではファントム・フライと呼ばれている生物だ。足の形が少し普通のトンボとは異なっており、一番後ろの足2本を合わせて槍のようにして飛行する。そして、一番彼らを驚かしたのはそのスピードだった。
――速い!速過ぎる!!俺がまったく、反応出来なかった...
彼の勘はよく当たるのだが、今回はその何となくの感覚ですら敵の接近すら感じることは出来なかった。動揺を隠せない。彼ですらそうなのだから他の者は余計にそう感じたに違いない。先の戦闘で左脇腹の辺りを負傷した兵が一人乱心して突然大きな奇声を上げながら走っていく。ガレルが声を出して止めたが、また一瞬で肉塊と化してしまっていた。皆できる限り、神経を張り巡らせ周囲を警戒する。その緊張感を感じ取ってか、ファントム・フライもそう簡単には寄ってこない。
皆が銃を構え、奴らを撃ち落とそうとした時、また新たな羽音が聞こえてくる。その音の方に目をやると、そこにいたのは黄と黒という警告色を身に纏った蜂だった。彼等の表情が一瞬凍り付いたが、すぐに安堵する。向かって来ていたのはたった5㎝ほどの蜂だった。隊員の1人がグローブを付けた手でそいつを握りつぶす。
「やっぱ、虫ってのはこうじゃあねぇとなっ!!」
トンボの方をチラチラと伺いつつそう強く言い放つ。手を開くとそこには半透明の液体を流しながら死んでいる一匹の蜂の姿が。人間の前に成す術無く死ぬ虫を目にして、少し安心する。これこそが彼等の常識であり、当たり前なのだ。
しかし、その刹那。その男の腕に長い針が突き刺さる。
「は?」
その男は状況を呑み込むことが出来ず、兵服の上から腕に突き刺さった針を見ながら間抜けな声を出す。周りにいた皆もその突き刺さった針...を持った生物を視界に捉える。現在ではコマンディッド・ビーとしてデータベースに載っている個体である。大きさはファントム・フライと同様0.5㍍ほどで、あの二色の警告色でドレスアップしていた。
――蜂!?いや...足の形が普通じゃない。バッタのような後ろ足、それに足の生え方も...
「あぐぅああああァァァァァァァァァァァァ!!!」
やっとこさ状況を理解した男が大きな悲鳴を上げる。その悲鳴の元凶を断ち切るかのようにコマンディッド・ビーは大顎を男の首筋の方へ動かす。それを見た彼の身体は考えるよりも先に動き始めていた。片手で持つには少し大きめの斧を右手に持ち、彼は近くの樹を壁キックの要領で蹴り、加速度を付けた打撃、兼、斬撃を、黒い大きな目を持つ黄色の顔面にお見舞いしてやる。そいつの顔面に大きな鈍い音とともに斧が食い込み、大顎が大きく歪み、男の肉を嚙み千切ること叶わない。続けざまに彼は黄色と黒の縞模様のボディにも攻撃を加え、針を胴体から切り放す。
彼の刹那の猛攻に成す術無く、地に落ちる0.5㍍の身体。これだけ攻撃を加えれば大丈夫だと彼も皆思った。だが、戦場における安心は死を運ぶ。動くことのないと思われた、コマンディッド・ビーの特徴的なバッタのような後ろ足がピンッと動く。そして、男を襲った時と同様の速度で隊員に突っ込み、吹っ飛ばす。
――まだ!?動けるのか??その速さで、その威力で...
「全員、銃撃許可を出す。ここは酸素濃度が基準値を大きく上回っているが、枯木は無いし、枯葉は少ない。引火の可能性は低い。いざとなれば、殺虫グレネードでの消火も可能だ。ここは銃撃と殺虫グレネードで乗り切るぞ!!出し惜しみはするな!!」
ガレルは脅威の生命力を発揮する生物達を前に、圧倒的文明の利器を行使することでこの場乗り切ろうとしていた。皆、各々武器を手に、生きる意志を胸に、自らを奮い立たせる。残りは手負いの蜂野郎とトンボだけ...こいつら処分して、即帰還するのだと皆思っていたのだ...
しかし、彼らの鼓膜を刺激したのは無数の羽音。コマンディッド・ビーだ... 無数の奴らで構成された群れは、まるで熟練のパイロットの操縦したF16のパフォーマンスのように統率された動きを披露してくれた。そして、真っ直ぐあの腕を刺された男の方へ向かっていく。男は注入された毒のせいか苦悶の表情を浮かべ、のたうち回っていた。
「全員、セイを囲むように円状に陣形を取り、奴らを全部撃ち落とす。運動能力の特に高い〇○○とジンとポールは自由に動いていい!その方が、やりやすいだろう!?」
単独行動を許された中に彼もいた。ガレルは男に鎮痛剤を打ちこみ、その後すぐに皆と一緒にマシンガンを構え、目への刺激が強いその対象を乱れ打つ。どさくさに紛れて複数のファントム・フライが動けなくなった調査班の人間の頭を
彼は自分の仕留めそこなったコマンディッド・ビーの攻撃を受けて負傷した隊員に寄って来るファントム・フライの相手をしていた。目が少しずつその速度に慣れてくる。
――このトンボ...動きは厄介だが、羽さえ潰せばたいしたことないな...足が地面を素早く移動するのに適した構造をしていない。それにこいつらは数いてもそれぞれが単独行動だ。問題はあっちの蜂公だが...
そう彼に蜂公呼ばわれた、コマンディッド・ビーだが動きが完全に洗練されていた。仲間同士の意思疎通が完璧に取れているとしか思えない動きをしている。それが空中での話。厄介なのは奴らの足の構造だった。トンボ野郎とは異なり地面での動きも卓越しており、極め付けがあのバッタのような跳躍だ。恐らく、体の巨大化により多少飛行時間が減少したのであろうが、それを補うためにあの後ろ足が発達したため従来よりもより危険性が増していたのだ。
そんなコマンディッド・ビーの攻撃を隙のない鉛玉の防御壁で防ぐだけでなく、確実にその数を減らしていくガレル達。そんな中、ガレル達から離れた場所で1匹のコマンディッド・ビーが体から長い針を突き出し、空中で静止する。
マズいっと感じたガレルは間髪入れず銃口をそちらへ向けて重い攻撃を黄色と黒のボディに与える。その容赦の無い攻撃を一身に受けるコマンディッド・ビーの腹は他の奴らとは異なり、少し膨らんでいた。ガレルは違和感を覚えたていたが、『考える前に殺す』ことが重要だと考えたのだ。
それは間違っていない。最も適当な解と言えるだろう。しかし、足りなかった...殺しきる力が!
銃撃を受ける奴の少し膨らんだその腹が、より一層大きく膨張していく。
――ッ!
そこから距離のあるラッセも異変に気付く。しかし、ここは無慈悲な場所なのだ。
パァァァッンという破裂音が樹林内の轟く。
そいつの腹は弾けとンだ。そんな武器を誰かが持っていた訳ではない。奴が自ら命をとばしたのだ。ただ、自殺してくれたのなら、ありがたいことこの上ないのだが、そうではなかった。
腹が弾けとンだということは、奴の持っていた針もとんでいったということである。ガレルは嫌な予感がして、隣に目をやる。そこには頭に深く針が刺さった仲間の姿が...加えて、奴の体液が防御円陣体形の皆に降り注ぐ。死体と化した仲間の死を悔やむ暇すらない。
「自爆した!?それにこの液体...」
ガレルはそう言った後、鎮静剤を打った壊死しかけの右腕を押さえなら、戦おうとしている男、セイの掌を見る。そこに付着している液体は最初にセイが握りつぶした蜂のものだった。
「同じ液体...」
ガレルは気付いた。この液体をかけられた物が集団攻撃対象になるのだと。
「そういうことか...ならもう俺達は...」
円陣を取り囲む光合成樹の表皮は荒れ狂う銃撃に曝され、惨めな姿になっていた。もう、それだけの銃弾を放ったということである。ガレルは殺虫グレネード弾を光合成樹上部に撃ち込む。ダーツのように刺さったグレネード弾がカシャンッと開き、スプリンクラーの要領で灰色の煙が噴射していく。
それを器用に避ける昆虫達を、銃で攻撃をし、確実に数を減らす。だが、数が減るのは人間も同様だった。いや、人間の減るスピードが徐々に勝っていく。
次々に、連携した立体起動を見せつけるコマンディッド・ビーの群れ。いくら、精鋭揃いとはいえ、人間相手でなければその肩書きは無意味と成り果てた。
「命令だ!!〇〇〇とジンとポールは戦線を離脱し、この状況を本部に伝えるんだ。誰かが生き延びねば、これが繰り返される。」
彼にも離脱命令が下される。
「なっ、俺はまだ戦えます。皆で戦えば戦況も好転するは...」
「○○○!!最早、そんな悠長なことを言っていられる状況ではなくなった。これは命令だ。俺達にこの液体が掛けられた以上、今すぐここを離れることは出来ない。それに3人でここを離脱するお前達にも俺達と同様、もしくはそれ以上のリスクがある。これは逃亡ではない。お前達が先行し我々の帰路を確保して欲しい。」
力強く語るガレル。しかし、彼には分かっていた。彼らが囮となり3人を逃がそうとしていることに。ただ、ガレルの言う通りここで戦い続けてもジリ貧である。最早、選択する時間、葛藤する時間すら赦されない。
「ガレル...隊長...」
彼の声は震えていた。ジンとポールもマスクの上からでも、複雑な表情をしているのが見てとれた。
「例え、誰かが倒れても、そいつの意志を託せる相手がいるのなら、死は無駄にはならない。仮にお前が倒れても俺や他の仲間が... そして、もし俺や仲間が生きたいと願いながら、道半ばで倒れても、お前が意志を託されてくれるなら... そこに価値はある。」
ガレルは液体が着かないように、ブンッと懐に入れていた拳銃を一丁彼の方に放る。それはガレルがいつも持っているS&W M500だった。
「大丈夫だ。俺達は生き残る。これは俺の親友の意志と共に託された大切な物だ。これをお前に渡しておく。再開の約束だ。後でちゃんと返してくれよ。それと、そこにある殺虫グレネード弾はお前達が持っていけ。」
再開の約束と言うのなら、彼にも何かを寄越すように言うべきなのだが、ガレルはそうは言わなかった。言わなかったのだ。
「走れ!!!」
ガレルの声と同時に3人が走り出す。もう、後ろは振り返らなかった。振り返れなかった。
「すまない。お前達にもここに残るように言ってしまって...」
「何言ってんすか、ガレルさん。生き残るんでしょ?」
ズガガガッ火花を散らしながら攻撃の手を休めることなく、言い返す。
「ああ、そうだな!」
もう、6人程しか戦える人間は残っていない。襲われた人間は肉を食い千切られ、クチャクチャという咀嚼音と共に、肉団子のようにされて持っていかれる。コマンディッド・ビーの黄色と黒の2色だったボディに鮮やかな赤色がプラスされていた。
生きるために全力を尽くす。それが生物の根源たる意志なのだろう。ガレル達はその本能ともとれる意志を胸に戦いつづけた。光合成樹林のいつもと変わらぬ日差しの下、その光が届かぬ場所で...
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離脱組3人はけたたましい銃撃音を背に、もと来た道を駆け抜けていく。地面には横たわる大木や植物の太い吊などが乱雑に配置されており素早く移動するのは非常に困難であった。それだけでなく、恐怖感や罪悪感や絶望感までもが彼らに纏りついてくる。
それでも、彼らは走り続けた。だが、光合成樹林は部外者をそう簡単には逃がさない。彼らの行く手を阻むのは先ほど苦しめた糸を吐く緑色の虫であった。彼らは連携を密にとり、目の前にいる障害を蹴散らそうと武器を構える。
しかし、あることに気付く。マイクが動作不良を起こしていたのだ。というのも、彼らは酸素濃度が基準値を超過したエリアでは専用のマスクを着ける。そして、マスクのマイクを使って仲間と会話をするのである。もちろん、大声で喋ればマスク越しに声を聞くことは可能だ。ただ、それでは喋りにくい。
――何故...動かないんだ?
ポールもジンも同様の障害を持っているらしい。原因は解らないが、状況は分かる。高度な連携が叶わぬとも彼らは精鋭。各々の能力で敵をなぎはらっていく。
そうして、どれくらい時間がたっただろうか。彼の周りには大きな緑色の死骸が散乱していた。始めの場所から離れてしまったせいか、辺りを見回すも2人の姿が見当たらない。2人に呼びかけてみるも、マイクはやはり動かない。
――余裕は無かったが、この程度の敵ならば2人とも無事なはずだが...
その時、彼は緑色の世界の中に銀色に輝く粉があることに気付いた。
――なんだ?これは...
銀色の粉に彼が手を伸ばし触れる。ほんの少し指先に痺れを感じた。っとその時、遠くのほうからボッボッボッボっという音が聞こえた。彼が耳に手をあてその音を聞き取ろうとした...その刹那!ズザァアアァアアアン!!!という音が大気にのって彼の鼓膜を揺らす。
彼の頭の中には最早、疑問符しか無かった。そんな彼の背後にドスッと何かが落ちた。バッと背後を振り返り音の正体を確認した彼の目に飛び込んできたのは赤黒い肉だった。正確に言うのなら、人間の腕の肉が潰れて落ちてきたものだった。腕と判断できたのは兵服の一部が残っているからである。
――ッ!! 何が!?
ポールの悲鳴と銃撃が遅れて響き渡る。だが、その銃撃はパッと止んだ。
静寂だけがその場を支配していた。その静寂は生物が存在していないという感じではなく、何か...何かから息を押し殺し、隠れているかのような静けさだった。緊張感が自身の胸を押し破るかのように大きく肥大化していく。そして、彼は感じた。その何かから放たれたのであろう高圧的な
彼は恐怖で固まった足を少しずつ動かし、一刻も早くそこから離れようとする。
――このままでは...死ぬッ
威圧感の正体を突き止めることも仲間の安否を確かめることもなく夢中にその場から離れる。意識があったのか、無意識だったのか自分でもわからなかった。ただ、任務開始地点を目指し、ナイフと斧を振るい、引き金を引き、灰色の煙を撒き散らしながら、ひたすらに進んだ。
そして...気付いた時には辿り着いていた。体には昆虫の体液や体の一部がへばり付いていた。得物の刃はボロボロで、弾の無くなったライフルは鈍器にでも使われたのか大きく歪んでいた。そして、彼自身もう朽ち果てそうだった。地面に膝をつき、空を見上げる。
――俺は託された...だからッ!!
皆の生きたいという意志を託された男、ラッセ・ラルはより一層、自らの意志を錬磨し生きていかねばならない。未来へ
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