第13話 彼は何も知らなかった
その男は、3年前にここに来た。
理由は勧誘があったからだ。本来ならば、長くアメリカ軍人を務め続けるつもりだった。しかし、彼は多くの戦争を通して弱くなってしまっていた。別に、大きな肉体的な負傷をしたわけではない。体はいつも通り動くのだ。ただ、人を殺すのに抵抗を覚えるようになってしまった。彼の前で泣き叫んでくれたあの人間達のせいだろうか。彼自身、何が直接的なトリガーになったのかは分からなかった。いや、違和感を覚え始めたのはアフリカ紛争からだった気がする。だとすれば、随分もったほうだ。
――俺は、人を殺しすぎたのかもしれんな...
そんな中、彼が理解できたことは、こんな状態では、軍人として役に立たないということだった。彼は生涯現場主義で、デスクから現場の者にワーワーと指示を出すだけの仕事など、自分には向いていないと感じていた。
そんな時、以前、米軍で彼の上司を務めていたガレル・リヒドリッヒから、世界自然科学監視機関(WNF)で働かないかとの誘いを受けた。彼にとって、断る理由はも無かった。人を殺める軍人よりは楽な仕事であることは間違いないと感じたからだ。
しかし、1つだけ些細な問題あった。それは仕事塲になる光合成樹林が、アフリカ紛争の舞台となった場所にあるということだ。あそこには、嫌な思い出が沢山ありすぎた。
ただ、そうは言うものの、昔とは随分風貌が変わったと聞く。彼は、これも良い機会だと自分に言い聞かせ、そこで働く決心をした。
仕事内容は光合成樹林内の調査班の護衛。護身用の武器を持たされて、探索に行くだけの楽な仕事だ。これで米軍で人を殺していた頃と同じくらい、もしくはそれ以上に稼げるのだから、文句は無かった。
そうして、『光合成樹林第一管理研究所』それが彼の新しい仕事の拠点となったのだ。
「やあ、久しぶり」や「初めまして」なんていう挨拶を、これから共に任務につく仲間と交わした。
彼の所属先となる実動部隊には、多くの退役軍人や、元傭兵などの人間が多くいた。ほとんどが精鋭と呼ばれていた者達ばかりだ。彼も今日からそこに加わるわけだ。しかし、なぜこんなにも精鋭が集まっているのかは彼には分からなかった。
そんな実動部隊を統率するのは、彼の尊敬する元上官、ガレル・リヒドリッヒだった。ガレルの説明によると、実動部隊の任務内容は戦闘経験の無い調査班の護衛であった。樹林内の生態系は未知数らしい。が、樹林内の危険生物、察するに、毒などを持った害虫や、害獣なんかから守ってやるということだろう。銃と殺虫剤があれば事足りることだと彼は思った。
ガレルによると、彼も今回が初の任務らしく、ここのことはよく知らないらしい。ここに集められた実動部隊51人、全員が初めて光合成樹林に入るという事実に、彼は疑問を抱かざるをえなかった。
ガレルによると、以前までここには 実動部隊が30人ほど居たそうなのだが、皆、樹林内で行方不明になったらしいのだ。原因は不明。今回の調査では、その原因究明も期待されているらしい。なるほど、樹林内の驚異判定が十分に出来ていないから、これだけの彼を含めた精鋭が揃えられたのだろ。
しかし、彼はそれを聞いた後でも、あまり危機感は抱かなかった。所詮、森を散策するだけ、その上、このメンツだ。恐れることなど何も無かった。
当時は、今とは違って武器や装備品なども特別なものではなく、普通の兵装だった。加えて、光合成樹林の侵食も今ほどではなかった。
その日、彼やガレルなどの51人の実動部隊は光合成樹林に足を踏み入れたのだった。調査班の人間12人を合わせると計63人おり、それを3班に分けて、21人のチームを作った。彼がいたのはガレルと同じC班だった。自分で言うのもなんだが、特に精鋭が揃っているように感じられた。
C班の調査区域は3班の中で最も中心に近い場所だった。所々、酸素濃度が異常に高い地域があるらしく、そこの生態系の調査が目的らしい。
――酸素濃度が高いだけで、生態系が大きく変化するなんて、あるわけがないだろ。それに光合成樹林が出来てまだ十数年だっていうのに...
彼はそんな想いを無理やり胸に押込み、任務に集中しようと思った。昔、荒廃した戦場だった場所はその面影なく、見事なまでのジャングルと化していた。光合成樹林の高さは平均して30㍍らしい。彼はその圧倒的な自然のスケールに言葉につまる。
因みに、光合成樹というのは通常の樹よりも日光で酸素や養分を多く合成することが出来る樹木の総称である。そして、そのほぼ全てが陽樹である。ここには陰樹も生えてはいるが、厳密にいえばそれは光合成樹ではないのだ。
さて、あれだけ楽な仕事だと思っていたのに、いざ現場となると、嫌な汗が沸き出てくる。人間同士の戦場では自分の力に自信もあって余裕を持っていられたが、この場所でそんな感覚にはなれなかった。別にジャングルでの戦闘が初めてというわけではない。密林などでの厳しい訓練を
――何か、嫌な予感がする...
そう感じたのは別に彼だけではなかった。実質部隊の手練は皆、額に汗を浮かべていた。一方の調査員はというと、当時は気に留めなかったが、どこか目がうつろで蝋人形のような表情をしていたと、今になってみれば思う。
そんな不安はよそに、調査は始まった。銃をしっかりと握り周囲を警戒しながら進んでいく。流石は、光合成樹林ジャングルとだけあって進むだけでも一苦労だった。植物が鬱蒼と茂り、地面は湿り気を帯びていた。唯一の救いは、赤道上付近のわりには樹林内は陰が多く、蒸散が活発に行われていたため、涼しかったことくらいだろうか。
バサバサッと近くで鳥の羽音のような音が聞こえた。調査班がそちらに向かうと言うので彼らはそれに頷く。
音のする方へ進むために、緑の壁のように行く手を阻む植物の葉や絃を掻き分ける。すると、突然視界がバッと広がった。
――湖...!?
彼は目の前に広がる美しい水の溜まり場をそう表現したが、それは正確ではなかった。その透明度の高い水は地下から湧き出てきたものであり、泉と表現するのが適格だった。
そして、彼はすぐに羽音の正体を眼で捉えた。黒い大きな翼を持った鳥のような生き物が、湖の中にいる餌となる生き物を捕獲しようとしているところらしい。その鳥の足は異常なまでに大きく、そして鋭い形をしており、人間さえも餌と化してしまいそうな容姿をしていた。
――なるほど、このための護衛か...確かに、調査員が丸腰でこいつの相手をするのは厳しそうだ。
この生き物は、恐らく、ここでの生態系のピラミッドの上位に存在するのだろうと、彼はおもった。
まだ、バチャバチャと水面を叩く音が聞こえる。流石に、餌となった生物に同情せざるをえないと感じた。だが、その時、彼は水中がバチバチと光っているのに気付いた。まるで稲妻のような光だった。加えて、水面が炭酸水のように泡立つ。
――あれは...一体...
そこにいた、実動部隊皆が空気のざわめきを感じた。ガレルが「伏せろ!」と叫んだ瞬間、その声は一瞬の凄まじい爆裂音でかきけされる。その音の元凶は、泉の上に瞬間的に現れたオレンジ色の炎のせいなのは分かったが、何故炎が上がったのかは理解出来ない。
もう一度、水面をよく見てみると、あの鳥が浮かんでいた。死んでしまったのか、気絶してしまっているだけなのか、分からないが、ピラミッド上位に君臨すると予想した生物が呆気ない姿を晒していた。ただ、彼らは悟った。こうなってしまう対象には、間違いなく
調査班の見解では、水を酸素と水素に分解し、それを爆破したのだろうとのことだった。原理を理解しても、目の前の出来事を受け入れるのには抵抗を感じざるをえなかった。
彼らはそれから多くの
17人の実動部隊隊員は皆、未知なる生物との戦闘による負傷と疲労で、重苦しい空気が漂っていた。特に糸を吐く緑の虫は、彼らを苦しめた。体から粘着性のある糸の弾のようなものを飛ばして来たからだ。直撃すればその衝撃で負傷するだけでなく、粘着物が体の動きを制限した。あまりに想定と違っていた。もう、皆理解していた。以前、行方不明になった者達の末路を。そして、皆覚悟し始めていた。我々の最後を。
ガレルはそれでも皆を励まし、着丈に振る舞う。ガレルのリーダーとしての責任感がそうさせていたのだろうと、彼は感じた。それでも、いつまでも人の感情を抑えておけるわけではない。溢れ出る不安は言葉になって口の外へと飛び出していく。
「おい!どうなってんだよ!ここはいったい!!」
そう怒鳴りながら実動部隊の1人が、4人いる調査班の1人の研究員の胸ぐらを掴む。何故かその研究員笑っていた。その眼は明らかに焦点が定まっていない。それに、口からはよだれが垂れていた。
「なんて表情してやがんだテメェ...」
胸ぐらを掴んだ男がそう呟く。ガレルも彼も、その男を止めようとしたが、そうしなかった。...何故か?それは調査班の4人全員が、それと同じ頭がイッたような顔をしていたからである。
「な...何が、どうしたんだ!?どうしてそんな顔をしている?」
いつも冷静沈着なガレルににさえ焦りや困惑がみえた。
「フフフフフフ...何を焦っているんですか?米軍で『奇跡のガレル』と呼ばれていたとは思えない表情をしてますよ??説明は受けていたでしょ?未知の生態系の調査だと...ね?」
調査隊の言葉に、他の実働部隊の隊員が声を上げる。
「聞いてねえぞ!こんな危険生物がウジャウジャいるなんてなぁ!!」
その言葉により大きな笑い声を上げながら返答する。
「聞いていなかった?それは勝手にあなた方が人間の戦場よりも
調査員の話によると、世界自然科学監視機関(WNF)は、実際に扱う内容は非常に高度なものであるにも関わらず、他の組織に比べその重要性を軽視されがちで、出資も少なかった。そこでWNFはこの組織で扱っている事象がどれだけ
というのは、前回の調査では参加者全員が死亡したが、「そもそも部隊のレベルが低かったのでは?」との指摘があり、それなら過去に功績を残した軍人や傭兵を起用しもう一度、調査をしてみればよいとの結論に至ったらしい。
全員、もしくは大半の人間が死亡すれば扱っている事象の重要性が示される。もし仮に無事に調査が終わったとしても、それはそれで本来の調査という目的を遂行できるという、どう転んでも上層部にとってはおいしい
彼が調査前に感じた謎、なぜ精鋭がこんなにも揃っているのかという疑問は、思いもよらない告発によって解決してしまった。
「そして我々4人の調査員はいろいろと問題を抱えてましてね。それを帳消しにしてもらう替わりにここまでの案内役を命じられたんですよ。正直、これだけ精鋭揃いなら無事に帰還出来ると少し思っていたんですがね。我々も認識が甘かった...せっかく薬まで打ってここまで来たというのに、もう終わりです...」
皆、絶望の表情で空を仰ぐ。しかし、残念ながら光合成樹の葉が邪魔をして、澄み切った青空を見ることは叶わない。ガレルは問う。何故ここの現状を事前に通告してくれなかったのかと。返答はこうだった。それを言えば貴方たちはここに来なかったろうと。
彼も皆も図星だった。こんな場所だと知っていたらこんな場所に足を踏み入れようとは思わなかったろう。ガレルも正論には反論できなかった。
調査班の顔はラリッており、負傷兵の顔には絶望が滲みだし、残りの者の心情も複雑であった。それでも、ガレルの目は決して死んでなどいなかった。
「帰るぞ!何が何でもだ!!帰還して上層部の奴らに文句の1つでも言ってやらんと気がすまん。全員、もしくは大半の人間が死亡すれば扱っている事象の重要性が示される?俺たちを甘く見るなって話だ。これより、任務開始地点まで引き返す。もちろん、全員でだ!!」
彼も皆も
――それを阻むものは全て排除する!!
彼も決意を固めた。実動部隊の誰も絶望などしていなかった。武器を手にして皆進み始めた。希望を胸に...
しかし、その希望は所詮、まやかしであり、虚構である。その証拠に調査員の首が突然、赤い液体を散らしながら宙に舞い上がった。
彼は何も知らなかった。理解していなかった。
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