第43話 天空世界の魔王

 お湯が気持ちよくてすっかり長湯をしてしまった。

 まあ、次の作戦は明日からにするつもりなので問題は無い。今日やることは後は休んで明日に備えることだけだ。

 さっぱりした気分になったアリサはお風呂から上がって、脱衣場で髪と体を拭いてから、使い魔に用意させた着替えを手に取って……困惑に眉を顰めた。


「これは……」


 使い魔に用意させたこの世界での夜着が、魔王の配下の者が着るにしては妙に威厳に欠ける気がしたのだ。

 それは可愛らしいウサギや人参の模様が散りばめられたとても子供っぽくてファンシーな感じのパジャマだった。


「この世界でわたしが着るのにふさわしい物なのでしょうか……?」


 アリサは迷ったが、使い魔のことは信頼していた。信頼していなければ作戦を任せることも出来ない。アリサは決めた。


「まあ、いいでしょう」


 考えなければいけないのは明日からの作戦だ。アリサはここは気にしないことにして袖を通すことにした。




 パジャマに着替えて、使い魔を待たせているリビングに向かう廊下を歩いていく。自分が学校にいた昼の間に使い魔に用意させたホテルの最上階の部屋は結構広くて立派だ。

 とても値段の高そうな部屋だが、手続きは長くアリサの手足として働いている信頼できる使い魔達がやっているので、今更アリサがそのことを気にしたりはしない。彼らは命令には最大限の行動を持って答えてくれているはずだ。

 扉を開けて部屋に入って冷蔵庫から牛乳を取ってソファに座ろうとして、アリサは思わずずっこけそうになってしまった。


『待っていたぞ、アリサよ』

「ま、魔王様あ!?」


 予期せずいきなり聞こえた声にそちらを凝視する。

 見ると、床に置かれた通信機から魔王の影が立ち上って投影されていた。魔王が向こうの世界から通信を送ってきているのだ。

 ホログラムのような映像の前で、アリサは慌てて正座した。使い魔達はすでに衛兵のように直立して控えている。


「まさか今までお待ちになっていたのですか!?」

『うむ、そちらはなかなかに忙しいようだな』

「忙しいと言うか……」


 アリサはなぜすぐに呼ばなかったと非難の眼差しを使い魔に向けたが、風呂に来た使い魔を追い返したのは自分だった。

 無益なことはすぐに止めて、魔王に報告を行った。


「この世界の勇者は見つけました。すでに接近を試みております。黄金の鳥はまだ姿を見せませんが、おそらく勇者に揺さぶりを掛けておけば、何らかの動きは見せてくるかと思われます」

『勇者か……やはりその世界にも勇者がいるのだな』

「はい」


 魔王はしばらく何かを思案しているように沈黙していた。自分も考えに耽ることの多いアリサは先を急かせることはしなかった。

 考えを纏めたのか、魔王はやがて言った。


「そのパジャマ、似合っているぞ」

「ありがとうございます」


 思わぬ好意的な発言を受けてアリサはつい華やいだ声を上げてしまった。魔王は続けて言った。


「お前が余の配下にいてくれて良かった。今日連絡を入れたのは、お前に勇者のことを伝えておこうと思ったのだ」

「勇者のこと?」


 勇者と言われてアリサに分かるのは勇希のことだけだった。こちらの世界に来てすぐに使い魔達をロボットであしらわれ、調査に乗り出したものの隙を見せることはしなかった。

 後は天空世界の文献で語られることぐらいだった。アリサにとって勇者と魔王の戦いは自分より前の世代の出来事だった。魔王は言う。


「お前の今いる世界とは違う、余の世界の……余と戦った天空世界の勇者のことをな。奴の事を教えることでお前の作戦の何か手助けとなれれば幸いだ。それと黄金の鳥の予言のことも伝えておこう」

「黄金の鳥の予言……?」

「そうだ。余にとってはあまり良い思い出ではないが、お前には伝えておいた方がいいだろう。他に話す相手ももういないしな。あれは余がまだ若い魔族の青年だった時のことだった……」


 魔王は語りだす。アリサの知らない時代の話を。

 アリサは一言も聞き逃すまいと真剣な目をして、静かに魔王の話に耳を傾けた。




 天空世界の市場が魔族で賑わっている。ここは魔族達の暮らす国だ。

 魔族といってもその生活ぶりはあまり人間と大差は無かった。世界は平和に思える。戦いが行われているのは遠い場所の話だ。

 魔王は退屈しのぎで世界征服を始めたものの、部下が有能すぎて征服はあまりに順調すぎた。受ける報告はいつも同じだった。作戦は成功。人間の国をまた支配下に置きましたと。

 魔王は分かり切った同じ報告を聞くのにも飽き飽きして退屈になってしまったので、身分を隠してお忍びで町に出ることにした。

 買ったりんごを齧りながら散策していると、ふと耳にした言葉があった。よく当たると評判の占い屋がいるらしい。

 そんなに当たるのなら退屈しのぎて寄ってみるか。魔王は軽い気持ちでその占い小屋を訪れた。

 占い屋の老婆は魔王を魔王とは気づいていないようだった。まあ、どうでもいい。魔王は純粋な興味から依頼した。


「これから先、俺を殺す奴がどんな奴か占ってもらえるか?」

「変わったことを言いなさるねえ。そんなことが知りたいのかい?」

「ああ、人生が退屈すぎて張り合いが無さすぎてなあ。まあ、俺を殺せる奴なんていないだろうがな。ははは」

「占うよ。むむむ」


 余裕に笑う魔王の前で、老婆は水晶玉に手をかざして占いを行った。やがて、結果が出たようだ。難しい顔をして唸った。


「これは……大きすぎてよく見えないね」

「大きすぎてよく見えない……?」


 魔王も水晶玉を覗きこんでみるが、何か黄色い物が揺らめいているだけのようにしか見えなかった。

 老婆の方が水晶玉を見る能力には長けているようだった。情報を読み取りながら言った。


「翼が見えるね。とても大きな奴だ。これは黄金の鳥……か? お前は黄金の鳥にやられて死ぬよ」

「勇者じゃなくてか?」

「勇者にもやられるが、その時は深い怨念の力で蘇るんだ」

「怨念があるのか。その時は無いのか?」

「そんなことは知らないよ。とにかくお前さんは黄金の鳥にやられて死ぬんだよ。あたしの占いは役に立ったかい?」

「ああ、役に立ったよ! この余を脅かそうとは良い度胸だな!」


 魔王は一気に不機嫌になった。予想もしなかった不愉快なことを聞いて笑っていられるはずも無かった。


「ひええ! まさか、お前さんは! ま、まお!」


 怒りを露わにして闇の気を膨らませた魔族の青年の正体に気づいて、老婆は慌てふためいて椅子から転げ落ちた。


「お許しください! あなた様の最期を占うつもりなど無かったのです!」


 許すも何も無かった。魔王は老婆になど目もくれず、まだ見ぬ敵に怒りと焦りを覚えただけだった。弁明を聞く時間も無かった。

 次の瞬間には老婆の体は鋭い槍で貫かれていた。老婆は絶命した。

 魔王が振り返ると、傍に側近の悪魔の騎士団長の美青年が立っていた。


「魔王様、勝手に出歩かれては困ります」

「うむ」

「老婆の戯言です。黄金の鳥など、くだらぬ虚言に惑わされぬよう。世界支配は順調です」

「分かっている。余は魔王だからな」


 魔王はその場を後にする。

 順風満帆で退屈だと思えた人生。だが、魔王はその日から何か得体の知れない黒い棘のような物を心の奥底に感じるようになっていた。

 そして、そんな心境を現すかのように戦況が思わしくなくなってきた。

 報告では、勇者が現れて魔族の軍勢を撃破しているらしい。その破竹の勢いに人間も活気づいて魔族を倒すための武器の開発に着手したらしい。


「何が黄金の鳥だ。余は滅びはせぬ。勇者だ……勇者さえ倒せば占いは覆る……」


 魔王は苛立ちに爪を噛みながら、その到来を待ち望むようになった。

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