第36話 勇者の帰宅

 将棋部の部室に静かに駒を指す音がする。

 アリサは部長に教えられるままに彼と向かい合って将棋を指していた。アリサの背後では良美と正太が固唾を呑んで盤面の成り行きを見守っている。

 二人はアリサを応援していたが、どちらが有利かなどまだ図る段階では無かった。アリサはただ部長の思惑通りに打たされている。

「だいぶ様になってきたな」

 部長がぽつりと呟き一手を指す。様子見に過ぎない、だがそれでも鋭さを感じさせる一手だ。アリサは教えられたばかりの駒の配置と動きを意識して一手を打つ。

 大分前に出てきたが、誘い込まれたとしか思えない。そのアリサの認識はおそらく正しいだろう。部長がアリサの指した駒を見て言った。

「敵陣に攻め込んだ駒は裏返すといい」

「裏返す?」

 疑問に思いながらもアリサは言われた通りにする。駒が違う文字になった。背後で良美と正太が息を吐くのが聞こえた。

「その駒の動きもやりながら教えよう」

 部長は相も変わらぬ仏頂面で指導を続けた。

 アリサは戦慄を感じずにはいられなかった。これがロボット同士の戦いだったらどうなっていただろう。

 自分の乗るサキュバスはなすすべもなく部長の乗る将棋ロボに翻弄され撃墜されていただろう。

 そうでなくても勇希にはすでに使い魔達のロボットを撃退されている。彼は今頃は本で読んだ帰宅部の試練に挑んでいるのかもしれない。

 この世界は思った以上に手強い。うかつに手を出すのは危険だ。

 そう意識しながらアリサは駒を持ち、将棋を打った。

 静かな部室に将棋を指し続ける音がする



 勇希は特に何のトラブルにも会わずに無事に自分の家に帰りつくことが出来た。

 いつも通りの景色の展開された、変わらない日常の帰り道だった。

 今日は朝から家でも学校でもいろいろあったが、世界はいつも通りの平和な空気に包まれていて、何の脅威も迫ってくるような予感は感じさせなかった。

 ソアラの危険視していた魔女も思ったよりずっと良い人そうだし、話も通じそうだ。今日は避けるように行動してしまったが、落ち着いた頃にアリサと話をしてもいいかもしれないと勇希は思った。

 ともあれ自宅に帰ってきた。玄関の鍵を外して、ドアを開ける。

「ただいま。あっ」

 玄関の上がったところでエミレールが待っていて、勇希は少し驚いた。

 彼女が待っているとは思わなかったが、おそらく玄関の鍵が開く音を聞きつけて来たのだろう。

 エミレールは何か言いにくそうにもじもじとしている。

「勇希、あの、あの……」

「どうしたの? エミレール。何かあった?」

 彼女の姿を見るのも随分と久しぶりに感じる。今朝会ったばかりだが、学校でいろいろあって気を揉んだせいだろうか。

 エミレールはソアラと仲良くなるために家にいたはずだが。

 やがて意を決したのか、彼女は顔を上げた。いつになく強い視線で話そうとして口を開きかけて

「あの!」

「どーん!」

 いきなり背後に現れた金髪の少女に突き飛ばされていた。飛びこんできた黒髪の少女の体を勇希は難なく受けとめた。

「大丈夫? エミレール。こら、ソアラ。いきなり人を突き飛ばしたら危ないじゃないか」

 文句を言ってもソアラは動じない。小さい体を偉そうに張っている。彼女はこことは違う世界からやってきた、天空世界の神だ。

 神だからか偉そうに言う。

「わらわは待ちくたびれたぞ、勇希。今度はお前がわらわと遊ぶ番じゃ。魔王と一緒に向かってくるがいい!」

「まったく……」

 相変わらずソアラは無駄に元気だ。まあ、元気なのは良いことだが。勇希は手元の少女の方に目線を下ろした。

「大丈夫?」

「勇希……」

 胸に顔をひっ付けさせられて、エミレールは少し顔を赤くして口をもごもごさせていた。

 女の子を抱きしめていたことに気づいて、勇希は慌てて手を離した。

「あ、ごめん」

「いや、いい。お前はわたしを助けてくれたのだろう」

 勇希に礼を言って一歩下がったエミレールはソアラの方を振り返って睨み付けた。魔王が神にガンを付けている。エミレールが人を睨むなんて、勇希の見たことのない彼女の表情だった。

 仲良くなれたかなど訊くまでも無かった。ソアラの方はどこ吹く風だ。全く気にしていない。神にとってはエミレールのことよりも勇希と遊ぶことの方が重要なのだろう。

 このままでは神と魔王の戦いが勃発してしまう。何とかしなければならない。勇希がそう思った時、


 ぐう


 お腹の音が鳴った。誰のお腹の音かなどと探す必要も無かった。エミレールが恥ずかしそうに顔を伏せて両手で自分のお腹を抑えていた。

「あう……」

「そういえばお腹が空いたな」

 呑気にそう呟いたのはソアラだった。エミレールはキッと強い眼差しでソアラを睨み付けた。今度は少し涙目になっていた。

 さすがのソアラも少し驚いた表情を見せて、リビングの方へ歩いていった。神の姿が見えなくなって、エミレールはその場に膝をついてうつむいてしまった。

 勇希には声を掛けることぐらいしか出来なかった。

「ごめん、エミレール。ご飯用意してなかったよね」

「お前は悪くない。わたしは神と仲良くしようとした。仲良くしようとしたんだ……」

 そこに当の神様が小走りで戻ってきた。金髪を揺らしてエミレールの傍に立ったソアラはそっと手を差し伸べた。軽く笑みを浮かべる彼女の手にはコロッケパンがあった。

「悪いな、魔王。お前がそんなに腹を空かせていたとは知らなかったんだ。これは今日遊んでくれた礼だ」

 エミレールはうつむいていた顔を上げてコロッケパンを、そしてソアラの顔を見た。

「これはお前にあげたはず……」

「ゲームをやっていて食べるのを忘れていたぞ」

 にこやかに笑うソアラの手にはもう一つ、焼きそばパンがあった。

「食事にしよう、魔王。そしてまたゲームをしよう」

 ソアラは自分の言いたいことだけ言ってリビングへ向かう。

 エミレールは見送って、両手でコロッケパンを持ち上げてじっと見つめ、そして見ていた勇希の視線に気づいて照れたように数回瞬きして、ソアラの後を足早に追っていった。

 彼女達は仲良くなれそうだ。

 二人の少女を見送って、勇希はこの分だと安心そうだなとほっと安堵するのだった。

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