第35話 我ら帰宅部 5

「俺はミアはいい加減な奴だと思っていた。それが、あんなことをする奴だったなんて……」

「明日学校で会ったら、話をすればいいわ」


 高志と雪菜は静かな山道を歩いていた。

 駿とミアがいなくなって随分と静かになったように思える。

 雪菜が口数が少ないというのもあるが、少し寂しいと思えるのはそれだけが理由ではないだろう。

 あれから追っ手が掛かることもなく、二人が振り返ることもなかった。

 山道の終わりが近づき、住宅街に入る道が見えてきた。

 高志は雪菜に声を掛ける。


「ここまで来れば」

「うっ」


 そこで雪菜が足を抑えてうずくまってしまった。高志は彼女の足を見て驚いた。

 彼女の靴下には赤く滲んだ染みが広がっていた。


「雪菜! その足……」

「さっきの爆風で飛んできた砂利が刺さったみたいね。大丈夫、たいした怪我じゃないわ」

「どうして、早く言わないんだ。おぶっていくぐらいしたのに!」

「あなたにそんな時間は無いはずよ」


 高志を見る雪菜の瞳には確かな強い光があった。高志はそれ以上何も言えなくなってしまう。

 雪菜は道の片隅の岩に腰かけ、いつものようにノートパソコンを開いた。


「ここは静かでいいわ。私はここでいい。あなたは自分の役目を果たしなさい」

「雪菜……済まない……!」


 高志は彼女の気づかいを感じながら、その場を走り去った。雪菜は見送り、軽い笑みを浮かべた。


「束縛されない自由が欲しい……ね。まさしくここがその場所なのかしら」


 爆風を食らった時に壊れたのか、ノートパソコンの画面は真っ黒のまま映らなかった。

 雪菜は静かにパソコンを閉じ、目を伏せた。

 風を感じながら耳を澄ませ、その場の自然の環境に自分の身を委ねた。




 高志は住宅街の道を走っていく。家までもう少しだ。

 いつも閑静な住宅街。まだ部活や仕事から帰ってくる人もいない。

 人気のない場所だ。だが、今日は人がいた。

 高志が家の傍まで着いた時、強面の人物が自宅の門の前で待っていた。

 彼は高志の姿を見つけると、にやりとした嫌らしい笑みを浮かべてから組んでいた腕をほどき、高志の前に立ちはだかった。


「勝手に帰ったら駄目じゃないか。部活にはいかないと駄目だろう」

「先生……」


 彼は教育主任の先生だ。とても体格がよく、スポーツの部活の顧問をしている。

 どこにも隙が無い。それでも高志は何とか先生の隙を探す。


「先生こそ、部活の顧問をしなくていいんですか?」

「問題無い。私はここに個人指導をしに来たからだ。君は今からここですることになる。私と部活をな」


 先生は拳を構え、巧みなフットワークで近づいてきた。挨拶代わりの鋭い拳が突き出されてくるのを、高志は何とか避けた。


「先生が暴力なんてしていいのかよ」

「暴力なんてしておらんよ。先生はボクシングを見せてやっているのだ。君も知れば部活をやりたくなるだろう。さあ、ボクシングを知りたまえ」


 拳を引いて、さらに繰り出されてくる先生の鋭い拳を高志は避け続けていく。いや、これは避けているのではない。避けさせられている。

 先生はわざと当てないようにしている。


「どういうつもり……」


 そうと気づいた高志が迷い、動きを止めた瞬間だった。先生の目が凶悪な光を帯びた。


「これがボクシング。そして」


 一瞬の隙を突かれてしまった。懐に踏み込んできた先生の手が高志の胸ぐらを掴み、高志は投げられていた。視界を大空が舞う。綺麗な一本背負いだった。

 下はアスファルトの地面だ。当たれば怪我をしていたかもしれない。

 だが、高志の体は地面に叩き付けられる寸前で止められていた。先生はニヤリと笑んだ。


「これが柔道だ。君の入りたい部活を決めたまえ」

「何のつもりなんだ」

「君は部活を知らないから入れずにいるんだろう。だからこうして見せてやっているのだ。興味を引いた技はあったかな?」

「冗談じゃない。俺は部活には入らない。いや、もう入っている!」


 高志の脳裏に仲間達の顔が思い浮かんだ。みんなで決意して帰宅の道を選んだ。高志は胸ぐらを掴まれたまま、体をバネとして動かし、足を地に着けた。


「俺は……俺達は帰宅部だ!」


 先生の手を振り切って離れる。先生は余裕の態度を崩さなかった。

 彼はまだ多くの技を持っている。高志は息を切らせながら構えた。

 ここへ来るまでに多くの体力と犠牲を払ってきてしまった。対して先生は無傷。勝負の行方は明白だった。

 それでもあきらめるわけにはいかない。先生は余裕の笑みを浮かべながら、両の掌を高志に向けた。


「帰宅部か。そのような部活は学校で認められてはいない。さあ、先生ともっと部活をして入りたい部活を決めようじゃないか。相撲部なんてどうかね!」


 先生が張り手を繰り出してくる。高志は何とか両腕をクロスさせて防御するが、その威力に大きく後退させられてしまう。家が遠ざかってしまった。

 先生はニヤリと笑った。


「なってない動きだ。だが、先生と部活をすれば君の才能を大きく伸ばすことは可能だろう。三年! 頑張れば先生の足元にぐらいは立てるかもな」

「俺はあんたと部活をするつもりはない」


 高志は喧嘩の構えを取った。スポーツの技を使っては、先生の思惑に乗るだけだからだ。

 拒む意味も込めて、あくまで部活の技は使わずに先生と対峙する。その態度は先生の神経を逆なでしたようだ。少しこめかみが震えていた。


「良いだろう。聞き分けの無い生徒を指導するのは先生の務めだ!」


 先生が空手の構えをして突っ込んでくる。どこまで通用するか分からないが、高志は我流の喧嘩で迎え打とうと身構えた。

 だが、先生の踏み込みは途中で止まった。騒ぎを聞きつけて人が集まってきたのだ。高志は周囲に素早く目を走らせる。

 彼らが来たのは高志にとっては味方の援軍を意味しない。余裕が出来たのは先生の方だった。先生は朗らかな笑みを浮かべて、戦いの構えを解いた。

 大人は学校の味方だ。高志も先生もそう思っていた。先生が微笑みを浮かべ、優しい手を差し伸べてくる。


「さあ、みんなが来てしまったぞ。自分の過ちを認め、部活に行こうじゃないか」

「いやだ! 俺は帰宅するんだ!」


 高志は先生の手を振り払う。先生の顔が不機嫌に歪んだ。


「往生際の悪い奴だ。周りを見ろ。みんながお前がさぼっているのを見ているのだぞ。恥ずかしいと思わんのか!」

「くっそー」


 敵に囲まれているのを高志は感じずにはいられなかった。

 勝ちを確信している先生はさらに言葉で言いくるめてくる。

 恥ずかしい行動を見せたくないのは、高志も先生も同じだった。先生は教育者としての威厳のある決着を図っている。


「親が帰ってきたらどう思うのだろうな。部活をさぼる子供を持ったことを申し訳なく思うのではないかな」

「俺は帰宅部だ!」

「まだ言うか!」


 先生が聞き分けのない子供をさらに叱ろうとした時だった。


「帰らせてやればいいじゃないか」


 見ていた大人達からそんな声が上がった。高志と先生は驚いて目を見開いた。周囲の大人達からは次々と賛同する声が上がっていった。


「帰りたがっているんだ。帰らせてやればいいじゃないか」

「そうよ。彼は帰りたいんでしょう」 

「本気で言っているのですか? 父兄方! 彼はさぼろうとしているのですぞ!」


 先生は泡を食ったように反論するが、それに同調する人はいなかった。


「彼は帰宅部なのでしょう。なら、問題は無いはずです!」

「わたし達は生徒の自主性を尊重します!」

「うぬう、だとしても! 規律を守らせるのが学校よ!」


 先生は高志を捕まえようとするが、大人達が立ちはだかってバリケードを築いた。

 驚く高志に大人達は振り返って笑みを向けた。


「ここは任せて先に行きなさい!」

「家に帰るんだろう? 後はわたし達の仕事だ!」

「学校で会議を開きましょう。先生!」

「く、うう……」


 囲まれて言いくるめられていく先生の声を背に聞きながら、高志は自分の家に入っていった。




 高志は今まで大人達はみんな敵だと思っていた。子供の言うことなんて誰も聞いてくれないと諦めていた。

 でも、味方してくれる人達がいた。彼らに深く感謝をして、高志は玄関を上がった。


「ただいま」


 いつもより早い時間の帰宅だ。父も母もまだ帰ってきていない。

 崩れ落ちそうになる体を奮い立たせながら、高志はリビングへと歩みを進めた。

 ここで倒れるわけにはいかない。みんなのおかげで今自分はここにいる。目指す物はこの先にある。

 高志はリビングのソファに腰を下ろし、テレビのリモコンを手に取った。

 ここに来るまでにいろいろあった。

 友達の顔、戦ってきた思い、味方してくれた人達。様々な思い出を噛みしめながら、リモコンのスイッチを押した。

 合わせたかのように時計の秒針が真上を通過し、アニメが始まった。


「間に合った……」


 明日学校で帰宅部のみんなと再会したら、これから見るアニメのことを話そう。

 そう思いながら、高志はリモコンをテーブルに置き、ソファに深く座り直した。

 静かな部屋にアニメの賑やかな光と音が流れていく。

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