第1話 正しい夏のつくりかた(2)
観測ポッドの回収、デブリ拾い、それぞれを無事に終えて、あたしたちは報告書を作っていた。
こういう場合は、実際に船外作業をした方が報告書を書くのがルールだ。ユーリの場合、トラブルがあったわけではないから、用意されたテンプレートを埋めるだけで済むけど、あたしが船外に出たデブリ拾いの場合、重量、形状、作業にかかった時間、その他細々したことを測定し、記入しなくちゃならない。デブリ拾いの船外作業が嫌なのは、この面倒くさい報告書をやっつけなきゃいけないからだ。
嫌だ嫌だと言ってても、埒があかない。デブリの回収作業ももう慣れっこだから、宇宙服を脱いだついでに、デブリを積んだコンテナの重量も船外作業時間もちゃんと調べてある。
船外作業をしたあたしに代わり、オーディン・システムを立ち上げたユーリが、できあがった報告書と定時報告をまとめて送信している間に、あたしは席を立っておやつを取り出した。一口サイズのフルーツクッキーと、アイソトニック飲料。どちらも、ビタミンやらミネラルやらがふんだんに添加されてて、まずくはないけど、嘘くさい味のやつだ。まあ仕方ない。
ルーティンワークのように、クッキーをもぞもぞと噛んで、ドリンクで流し込む。不満はないけど、満足というわけでもない――航行中は、こんなのばかりだ。ううん、普段の生活だって。
ニセモノ。
見せかけだけの。
「ねえ、どうして夏にこだわるの」
ぼんやりしているとばかり思っていたユーリが絶妙の間合いで話しかけてきたので、あたしはぎょっとした。
考えていることが伝わってしまったのかと思った。ユーリとは幼馴染みだけれど、以心伝心というほどではない。断じて!
「どうしてって……夏が好きとか……」
歯切れが悪いのを、クッキーを食べるふりをしてごまかす。やはり嘘くさい味がした。
「何かね、最近元気がなかったから。ほたるちゃん、毎年誕生日が近づくとそわそわするんだよ。すぐわかる」
なんですって。
シートに投げ出していた身体をしゃんと起こして、我が身を振り返る。彼に、そんな素振りを見せたっけ? あたしは普段通りにしていたはずなのだけど。
クッキーの袋と、ドリンクのアルミパウチを芸術的な形にたたんでから、ユーリはゴミ入れにそっと入れる。これも、彼ルールだ。
「そんなに、変だった?」
あたしはゴミを無造作に丸めて捨てた。ユーリは頭がいいばかりじゃなくて、妙に気が回るところがある。気配りができるという意味ではなくて、相手の感情を根拠に推論するんだ。それがまたぴたり当たるから、気持ちが悪い。そんなわけで、あたしはユーリに隠し事ができない。隠しても、すぐにばれる。
「変っていうか……いつもなら、こんな本気で夏ごっこなんかしないよ」
「だって、夏がどんなのか知りたいから……」
あたしの声は、どんどんと小さくなってゆく。そういえば、何で夏なんだっけ?
夏だけじゃなくて、冬も春も秋もあたしは知らない。四季を感じるというなら、たとえば室温を下げて冬を演出してもよかったはずだ。なのに冬じゃなくて夏を選んだのは、どうして?
とどめとばかりに、ユーリの声が突き刺さった。
「ニセモノ嫌いのくせに?」
意地悪くにやっと笑う。女心をまったく理解しないやつなのだ、昔から。そういうこともあるんだ、なんて譲歩は、彼には通用しない。
あたしはニセモノが嫌いだ。
そもそもあたしがニセモノという言葉に敏感になったのは、忘れもしない、十二歳のとき。その日は家族参加の課外授業だった。
あたしは五歳の誕生日に父親を亡くしていたので、母さんと、伯父さん……父さんのお兄さんが参加してくれた。伯父さんはそれまでもあたしたちの家庭を何かと気にかけてくれていて、顔もおぼろげな父さんよりずっと現実味のある存在でもあったから、伯父さんが課外授業に来てくれることに対しては、何とも思っちゃいなかった。
それで……まあ、どこにでもいるんだよね、調子に乗った考えなしのやつって。
お調子者でクラスいち乱暴なそいつは、覚えたての薄っぺらな言葉であたしを、母さんを、伯父さんを、それから父さんまでをも侮辱した。
「フギの子!」
もう、そのときのクラスの空気ったらない。
まずは大人たちの表情がマネキンみたく強張って、その緊張は見事に子どもたちに伝染し、あっという間にクラス中がぎこちなく凍りついた雰囲気に包まれた。触れることができるんじゃないかってくらい、こちこちに冷えて固まったあの気まずさを、あたしはいまでもはっきり覚えている。
時間が止まったみたいな静けさを打ち破ったのがあたしだった。あたしはそいつを、ごく控えめにいってぼこぼこにし、ぼこぼこになったそいつばかりか、あたしまでもが病院に連れて行かれるはめになった。
腫れ物もしくは危険物扱いの数週間を過ごして学校に戻ってみると、クラスでいちばんの乱暴者はあたしということになっていた。何のことはない、こんな末端までこの世は実力社会だったということだ。
その一件が、微妙なお年頃だったあたしの心理にどんな影響を与えたのか、詳しいことは聞いていない。どうだっていい。その後はきちんと人並みに感情を制御することができるようになって、オーディン・システムの移植手術もできたし、宇宙船操縦免許も取れた。あたしにひどいことを言ったあの男の子は、実はあたしのことが好きだったんじゃないか、なんて、思い返す余裕もできた。
変わってしまったのは、むしろユーリだ。
病院に運ばれて心理テスト漬けになっていたあたしに、好物のシュークリームを差し入れてくれて、そこまではいい。麗しき友情、というやつ。その後がどうにもいけない。
ユーリは、箱越しにも感じられるバニラの香りにそわそわしてるあたしの手を取って、「結婚しよう」とのたまったのだ。
大人しくて控えめで、可憐な、という形容がはまる美少年だったユーリが、だ!
もっとも、あたしはユーリよりもシュークリームを愛していたから、シュークリームに同じことを言われたら、間髪いれずにイエスと答えていただろう。けれど、言ったのはユーリだった。おまけにあたしたちは十二歳で、何一つ公的な権利を持たない、ちっぽけな子どもだった。
ノーと答えたあたしを、誰か責められるだろうか?
彼はしたたかだった。へこたれるということを知らなかった。諦めるとか懲りるとかも知らなかったし、習得するつもりもないようだった。むしろ打たれて鍛えられているふしもある。
その後もユーリはことあるごとにあたしに愛を囁き、婚姻届をふりかざし、結婚しようと繰り返している。プロポーズというものは一生のうちでごくまれにしか起こらないからこそ、価値のあるイベントなのだとあたしは思っているのだが、ユーリはそうではないらしい。彼にとってプロポーズは日常茶飯事、宇宙港へのドッキングより回数をこなしている。
「昔さ、『愛は地球を救う』って言った人がいたんだって」
彼は突然、話し始めた。たぶん彼の頭の中では一連の話なのだろうけれど、あたしには理解できない何度かの飛躍を経ているから、がらりと話題が変わったように感じられる。もう慣れっこだ。
「僕はそういうの、思い上がりだと思うんだよね。上っ面の愛情で地球を救えるはずがないしさ。まさか地球そのものを愛することなんてできないだろうし。愛って叫べば、何だってできると思ってる」
と、偉そうな口調なのは思い上がりではないのだろうか。言い負けるのは確実なので、黙っておく。
「でもね、誰かのことを本当に、心の底から愛している人ばっかりだったら、もしかすると巡り巡って地球は救われたかもしれない。結局、地球はあんなふうになっちゃったけど」
つまり、と彼は続けた。
「僕がほたるちゃんを愛することで、ほたるちゃんは救われる」
「あたしはそういうの、思い上がりだと思うけど」
我慢できなくなって口にすると、ユーリはおばさんくさい仕草で右手をぱたぱた動かした。
「何言ってるんだよ。ほたるちゃん、だからね、僕とほたるちゃんの間で愛を育むわけ。なせばなるって言うだろ。やればできるとか」
「意味が違う」
あたしの言うことなんか、聞いちゃいない。ユーリはうっとりと続けた。だから嫌なんだよね、頭のいい人って、自分の考えに浸っちゃうから。
「僕とほたるちゃんだけじゃ、ちゃんと証明はできないけど、ほたるちゃんが赤ちゃんを産めば、ほたるちゃんがニセモノじゃないって、ちゃんと立つ場所があるって証明になるだろ。僕の愛も確かめられるし、愛はほたるちゃんを救うって、実証できる」
「ちょ、ちょっと待って。話しながら飛躍しないでくれる? ニセモノじゃないって、どういうことよ」
意味のわからないことを熱っぽく語るユーリを、慌てて止める。自分がとんでもなく鈍いのではと不安になった。もしかして、わかってないのはあたしだけ?
「ほたるちゃんはね、あのとき自分のルーツを否定されて、不安になったんだ。自分が何なのか、わかんなくなってるんだよ」
目の前でクラッカーが破裂したような気がした。ぱぁん。
そもそも、あたしがニセモノって何よ? アンドロイド? クローン? ばかげてるわ。
あたしはあたし、それ以外の何でもなくて、そのことはあたし自身がいちばんよく知ってる。ユーリにどうこう言われる筋合いはない。
「そんなの、考えたこともない」
あたしの答えは実にきっぱりとしたものだったけど、それを上回る断固とした声音で、ユーリは言ってのけた。
「僕の考えでは、そうなる。ほたるちゃんはずっと自分が何なのかわかんなくって、自信がなくて、それが怖いんだ。だからニセモノを嫌って、本物を好むんだよ。自分があやふやなニセモノじゃなくて、ちゃんとした本物だって思いたいんだ」
「ちがうわ……」
あたしが本物かニセモノかって言うなら、本物に決まってる。記憶に自信もある。あいまいなのは、父さんの顔だけだ。それだってアルバムを見ればいい、小さい時の写真はちゃんと残してあるんだから。
「ほたるちゃんの誕生日におじさんが亡くなって、足元が揺らいじゃったんだと思うな。夏にこだわるのも、そのせいだよ」
医者だって断言はしなかったっていうのに、大した自信だ。思い上がりだ。
そう思いつつもあたしは、まったく最低なことに、ひどく動揺していた。その証拠に、ユーリの目が見られない。
父さんが亡くなったことと、あたしのニセモノ嫌いに関連なんてないはずだった。なのにユーリは違うと言う。あたしのニセモノ嫌いや、夏へのこだわりの原因は自己不信で、それを遡れば父さんの死に行き着くのだと。……本当に、そうなんだろうか。
ユーリはいつも、あたしの心情を手品みたいに言い当てる。外れたことなんてない。だから逆に、彼の言うことこそ本当なのではないか、なんて思ってしまう。
それだけじゃない。この問題を解決するにはユーリと家庭を築けばいいんだっていう、策略以外の何でもない彼の言い分にまで、それも一理ある、なんて納得してしまったんだから重症だ。
そんなわけないじゃないのって、笑い飛ばせたらどんなによかっただろう。
でも、ユーリの言うことを受け流せなかった時点で、認めたのと同じだった。
「僕がほたるちゃんを好きになっても、解決しないってわかってるでしょ? ほたるちゃんが、僕を好きにならないとだめなんだよ」
「人を好きになったことくらい、あるわよ」
「観測されない事実は存在したとはいえない」
あっ、何か小難しいこと言ってる。舌戦で勝てるはずがない。ずうっと小さな頃から、そうだった。
「……何で、ユーリじゃなきゃだめなの」
辛うじて言い返すと、彼はフワフワした最高の笑みを浮かべた。天使の笑み、というやつを。
「何でほたるちゃんを他の男に渡さなきゃだめなの?」
「……っ」
いやいやいや。ちょっとぐらっときたじゃないか。ちょっとだけ。もうほんと、ちょっとだけだから。
ユーリはあたしの理性をなぎ倒す笑みを浮かべたまま、プリンタが吐き出した厚手の光沢紙をあたしに寄越した。……これって、オペレーション・夏の記念写真じゃないの。
いや。少しだけ、違う。
あたしが写真を撮ったときには、明らかに存在しなかったものが写ってる。デブリ拾いに出ている間に、ユーリがオーディン・システムを使って加工したんだろう。
「ばかじゃないの?」
あたしはユーリに言った。たぶん、顔は赤かったと思う。室温はとうに戻っていたのにも関わらず。
「愛ゆえに、だよ」
晴れやかな笑みは、あたしの中のモヤモヤしたものをすかっと吹き飛ばしていった。
パフスリーブのTシャツに、紺色のティアードスカート。ちゃらちゃらしたシルバーのミュールをはいて、にっこり笑うあたし。
その隣、朝顔の「植木鉢」を抱えるようにして。
ハイビスカス柄のど派手なシャツと、膝丈のワークパンツ。安っぽいサンダルをひっかけて、くすぐったそうに目を細めるユーリ。
――なんてすてきな、愛すべきニセモノたち。
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