Candlize

凪野基

第1話 正しい夏のつくりかた(1)

――夏などない。



 船はすでに港を離れ、宇宙空間をのんびりと航行している。

 あたしは手元のキーボードをやや乱暴に叩いて、むふふと笑った。メインディスプレイの隅に表示された室温表示が「25℃」からゆるゆると上昇していくのを横目に、コンソールの上に足を投げ出す。

 船の全システムのうち、いまマニュアル操作しているのは、操船とは関係のない居住環境系がひとつきり。操縦系はロックしてあるから、多少変なところを蹴り飛ばしても、何てことはない。

 とはいえ、宇宙船の操縦にオーディン・システムが用いられるようになって以来、コンソールはすっきりとまとまっていて、ぶつかるものなんてほとんどないんだけれどね。必要な機材はすべてフラットな卓か、操縦席の正面のメインディスプレイ、そうじゃなきゃあたしたちのここ……頭の中にある。や、比喩じゃなくて。

 宇宙船製造技術は日進月歩で、より速く、楽に、快適に、安くて長もちするものを! と、尽きることのないニーズに応えて、ソフト・ハード両面のバージョンアップや改造、改装が以前に比べて格段に気軽に、安価でできるようになっている。

 この船は少人数での運用を目的にしたものだから、速くも強くも大きくもないけれど、まあまあそれなりに多機能だ。

 あたしが、念願の「夏」を再現できるくらいには、ね。



「おい、足どけろ、足!」

 ふいに電子音声が響いた。機械っぽさがまったくなくて、聞き慣れてない人はこれが電子音声だなんて思わないだろう。そのくらい肉声に近いから、不機嫌そうだ、なんて感情もばっちりわかる。

「どけませーん。どけたらぱんつが見えちゃうじゃないの」

「アホかッ、ぱんつが見えるような服を着るな、規定外だろうがっ! ああっ、やめろっ、レンズが曇る!」

 あたしは船内カメラのひとつ、コンソール上のそれに素足を突っ張るようにして、ペディキュアを塗っていた。

 割って入った声は、この船のメインコンピュータのもの。頭の悪そうな物言いではあるけれども、単なる大容量の計算機ではなく、人工知能――AIだ。個体名は、日向ヒナタ

 AIとの音声でのやりとりは、あくまでインターフェイスのひとつにすぎないんだけど、キャッシュディスペンサーみたいな電子音声や、メッセージの棒読みが味気ないってことで、最近はAIに色んなキャラクタをインストールして、個性を持たせることができる。これは、「幼馴染み」。たまに入れ替えると、気分転換にいいんだよね。

 他にも「俺様」「兄貴」「王子様」「執事」バージョンを持ってるけど、「執事」以外は相方にすこぶる受けが悪い。きっと、「執事」以外はユーザーに……というより、あたしに対して横柄な口調だからだろう。それがいいってのに、まったくわかっちゃいないんだから。

 ちなみに、いまのをキャラクタなしで言うなら「その服装は『宇宙もしくは無重力・無重量空間における服装規定』に違反しています。直ちに着替えてください。船内カメラのレンズの曇りを除去してください」とでもなるだろうか。

 発売当初、ふざけていると非難が集中したAIのキャラクタ市場も、閉鎖環境で長時間過ごすクルーたちのストレス軽減に役立つ、っていう論文が発表されてから、俄然活気づいた。まったく、学者さまさまだ。

 不機嫌だった音声に、呆れたような響きが混じった。

「あのさあ、何で居住環境系だけ、マニュアルにしてんの? 室温三十五度って、ばかかお前? 俺を壊す気? それともお前を壊す気?」

「うるさいなあ。今日のコンセプトは夏! 夏を楽しむの!」

 だから勤務中の服装規定を破ってまで、パフスリーブのTシャツとミニのティアードスカート、生足に生腕といういでたちなのだ。放射線防護スーツでは、夏の雰囲気が味わえないから。というか蒸れて倒れるわ。

「何か夏っぽい映像とか、ない?」

 訊いてみると、データベースにアクセスした一瞬の間をおいて、すぐに答えが返ってきた。

「三百年前の海水浴場のホームビデオがライブラリにあるけど」

「かいすいよく? ってことは、地球の話?」

 何でそんなものがライブラリにあったのかはわからないが、ペディキュアを乾かす時間つぶしにと思って許可すると、メインディスプレイにでかでかと現れたのは、とんでもなく破滅的な映像だった……涼を求めて海にやってきた人、人、人の渦。

 生々しいし暑苦しいし、見てるだけじゃちっとも楽しくない。

 メインの被写体は三つか四つくらいの男の子。初めて海に来たのだろう、おっかなびっくり、母親らしき人と波打ち際まで歩いていく。寄せてきた波に足をすくわれてよろめき、ぼてんと尻餅をついて泣き出した。朗らかに笑う母親のもとへ、べそをかきながらも駆け寄る男の子。

 うーん、とあたしは唸った。落ち着かない気分をごまかすように、キャンディを舐める。

「あたしが見るには、少々面白みに欠ける気がするんだけど」

 だってこの子、生物学的には男でも、ちょっと若すぎでしょ。興味ないわよ。

「どこ見てんだよ」

「そりゃもう、地球人類と地球外人類の外見上の相違を比較してるんじゃない。わかんないかなあ?」

「わかんないね」

 雑談しながら何気なくディスプレイの端に目をやったあたしは、思わず身を乗り出した。たいそうはしたない格好だけど、慣性航行時に乗員の姿勢を注意する機能は日向にはないから気にしない。

 もちろん、ディスプレイに近づいたところで、映像がよく見えるようになるわけじゃないんだけども。

「あのサングラスのお兄さん、いい腹筋……!」

 あっと、よだれが。……ん、いや、でも、あのゴールドのぶっといネックレスはいただけないわ。男ならボディで勝負しなきゃ。

「何なら、もっとお年頃でお色気むんむんで、鼻血吹いちゃうくらいのでもいいんだけど」

「ポルノは感心しない。この前大量にダウンロードしてたアニメーションも」

「あたしの『兄貴の花園』秘蔵コレクションにケチをつけようっての? いい度胸ね」

 日向の小言に応じつつ、あたしは画面に映る夏の象徴を眺めた。水平線から立ちのぼる、マシュマロのような積乱雲。人々の肌をじりじりと焦がし、砂浜に濃い陰影をつくる強い陽射し。発泡スチロールの皿に盛られた焼きそば。真っ赤な顔をして、昼間だというのにビールで乾杯してる若い人たち。

 どれもこれも、はるか昔の光景だ。いま、地球の海に砂浜はないし、地球で暮らしている人もほんのわずかしかいない。

 海、と言われてあたしたちがまず思い浮かべるのは、砂と石しかない月の海か、この宇宙だ。月の居住区から三十八万キロ離れたところに浮かぶ水球の青みを、一番最初に挙げる人って少ないと思うな。

 それくらい、あたしたちにとっては馴染みのないものなんだ、地球の海って。あたしたちのご先祖があのビデオの映像みたいに海で泳いでいたなんて、ちょっと信じられないもの。憧れがないわけじゃないけど、怖い気持ちの方が強い。

 映像をオフにして、日向に呼びかける。

「この肉の海はもういいから。写真撮って、記念写真」

「記念?」

「オペレーション・夏の記念に決まってるでしょうが。早くしてよ、汗でファンデーションが流れちゃう」

「暑いなら、室温を下げればいいのに。そんなに汗をかくのは、身体に悪いと思うけど」

 またしても発せられる小言を受け流し、あたしは服と同時に衛星通信網インサネットのオークションで手に入れた、ミュールというゾーリをはいた。地球で人類が暮らしていた頃、あたしのような年頃の女性に人気があったシューズで……うぐ、何よこの非実用的な履き物はっ!

 こんなちっぽけな船に、遠心重力装置なんて立派な設備はない。あたしはゾーリ、もといミュールと格闘しながら、「植木鉢」につかまって浮遊する。土に代わる、無重力空間でも植物の育成が可能な培地が開発されてから、宇宙船の中でもガーデニングは可能になった。低重力環境でも「上」に向かって蔓を伸ばすように改良された朝顔のそばで、にっこり笑ってピースサイン。天井のカメラが赤い光を瞬かせ、撮影終了を告げた。

 あたしは忌々しいゾーリを即座に脱ぎ捨て、居住環境系をオートに再設定、イニシアチブを日向に譲る。ふごー、という間抜けなエアコンの稼動音を聞きながら、四季も風流なだけじゃない、とため息をついた。




 環境汚染による森林破壊や砂漠化が、地球規模の問題になっていたのも数世代前のこと。地球は再び「水の惑星」としての姿を取り戻している。

 早い話、決壊しちゃったんだ。極地の氷が。

 気温が上がって氷が溶けて海面が上昇して、異常気象に次ぐ異常気象、天変地異のフルコースの末に、陸地のほとんどがドボンしてしまった。猛り狂った水の蹂躙が一段落ついた後の地球、その陸地面積の割合は、かつての二割弱だと言われている。

 この一連の大災害による死者数は、当然ながら莫大なものとなった。桁が把握できないほどにゼロが並んでいて、何度も数え直さなきゃならないほどだ。

 折しも宇宙開発が乗りに乗ってる時期だった。地球だけじゃなく、月や火星、フォボスにダイモスにケレス、木星軌道にまで宇宙港や居住区、農業・工業プラントが次々と建造されていて、太陽系内の航宙図なんてのも作られていた宇宙バブルの時代。エネルギー資源やレアメタルを求めて、宇宙まで荒らし始めた黎明期。

 悲観的なことはいくらでも言えるけれど、人類が宇宙で比較的自由に暮らせるようになっていてよかった、というのがあたしの本音だ。そうでなくちゃ、今頃あたしたちは住む土地をめぐって、お互いめちゃくちゃに殺しあっていただろうし、あたしも生まれていなかったに違いない。まあ、そんな問題がなくとも、地球ではめちゃくちゃに殺しあったりしてたって話だけど。

 それでも、人類の多くは大災害の前に、虫が追い立てられるみたいに宇宙に出ていたから、そのまま何事もなかったかのように月や火星の居住区で暮らしているんだけれど。

 皮肉なもので、人類がほとんど宇宙に出払ってしまったせいで、地球環境は落ち着いているらしい。けれど大災害は陸地だけでなく、季節の移り変わりまでも奪っていってしまった。いまや、地球にも地球外の居住区にも、四季という概念はない。生まれ育った居住区もこの船も、温度や湿度はいつも一定に保たれている。

 あたしのような宇宙生まれ、宇宙育ちの世代からしてみれば、「四季」なんて死語だ。そりゃあ、知識としては知ってるけど、「貝塚」や「まろ」や「はやぶさの帰還」とかとおんなじレベル。理科や歴史のテストのためだけに覚えるような、薄っぺらい知識でしかない。

 でも、四季に、季節のうつろいに漠然とした憧れはある。あたしは、四季を愛でたというジャパニーズの子孫だから。あたしは八月、夏生まれなのだけど、夏がどんなものか知らないだなんて、悔しいじゃない?

 そう、あたしが「夏」を求めた理由がこれだ。シミュレーションや記録映像やテキストで得られる、想像と大差ない知識。そんなニセモノはいらない。あたし自身が、自分の感覚で、本物の夏に触れてみたかったんだ。

 うだるような暑さ、流れ落ちる汗、日焼けした真っ黒な肌。風鈴の音を聞きながら、冷たい畳に貼りつくように昼寝して、縁側に座ってスイカを食べて、ひまわりと背比べをして、短くなってゆく蚊取り線香を眺めて、煙くさくなるまで花火をして、それから……。

 そんな経験を、したかったんだ。

 あたしがここで再現しようとしたのもニセモノ、そんなことは百も承知だけど。



「終わった?」

 キャビン側の通路から首を出したのは、あたしの相方。名をユーリという。

 幼馴染みという関係にあるあたしとユーリは、なぜか常に進路が同じだった。いまもこうして、同じ船に乗っている。

 彼はあたしの「夏」計画に爪の先ほどの興味も見せず、個室に引きこもっていたのだけど、計画も終了とみて、出てきたらしい。

「暑かったわ」

 肩をすくめてみせると、彼はさもありなんというふうに鼻で笑って、有無を言わせずAIのキャラクタ機能をオフにすると、メインディスプレイを確認した。あたしも何となく、彼にならう……現在位置、速度、進路、推進剤残量、各種レーダー。オールグリーン。

 あたしはライトグレイの放射線防護スーツに着替え、写真用のメイクをきれいに落とし、再びコンソールの前に戻っていた。

 足蹴にしたカメラをきれいに拭ってから、卓の側面からケーブルを引き出し、首のジャックに差し込む。一瞬の作動音の後に、脳内に移植されたコンピュータが起動、船の航行・操縦系と同期する。

 光速神経網汎用操縦システム、すなわちオーディン・システムのお陰で、あたしたちのような若造が無限の空間を航行できる。あの肉の海の時代からしてみれば、飛躍的な進歩じゃない?

 今回の出航は、アステロイドベルトの外れにあるS型小惑星に設置された観測ポッドの回収と、航路のデブリ宇宙ゴミ拾いのためだ。かけもちするには少々ハードだけど、ぶうぶう文句を言うほどでもない。デブリはあたしたちにとって、共通の脅威だから。

 オーディン・システムが普及して、居住区内に増え続ける人々は宇宙で働くという選択肢を得た。隔壁を何枚か抜けたところにある、まったく手軽な就職先。宇宙という無限大の空間があるからこそ、人はのんびりと居住区で暮らすことができるのだと思う。

 宇宙ははるか遠い憧れなんかじゃない。陸から海へ、空へ、月へ、火星へと、人類は手を伸ばし、人が住めるような環境を作り上げてきた。いまは太陽系の精密な宙図を完成させるべく探査機が飛び交っているし、太陽系外に旅立ってゆく機も少なくはない。

 そうやって自分たちの領域を広げてゆくことは、あたしたちにとっては当然のことだった。でも、その広がりに、中身がついていけずにいるとあたしは思う。技術の進歩と環境の変化に、人間が追いつかなくなっている。だから何となくすかすかで、空しいような気分になるんだ。あたしだけかもしれないけれど。

 ユーリはふとあたしの顔を覗き込んだ。くすんだ紫の目に見下ろされ、落ち着かない気分になる。オペレーション・夏が大成功とはいえない結果に終わっていらいらしてるのを、勘づかれたかもしれない。

「マスカラがだまになってる」

 むかっ。

「それに、髪をしばる位置が左に一センチずれてる。直していい?」

 いいとも悪いとも言わないうちに、彼は慎重な手つきで髪の束の根元を持ち、ヘアゴムを抜き取った。後れ毛を丁寧に拾い上げて、満足のいく位置でくるくるとお団子を作る。

 ユーリはものすごく頭がいいのだけど、ものすごく神経質だ。まっすぐであるべきものがまっすぐでないとか、彼ルールから逸脱しているものが許せないらしい。手直しできるものは手直しせずにはいられないんだ……こんなふうに。

 あたしたちは、小さい頃はお風呂に一緒に入ったりもしたけど、いまは花も恥じらうお年頃の男女だ。こんなのを二人きりで長期間、船に閉じ込めておいて、何かあったら会社はどう責任を取ってくれるんだろう。いや、ユーリは責任を取ると嬉々として申し出るだろうけれど。

「動かないで」

 ユーリはマスカラのだまに取りかかった。蜘蛛の足みたいに細長い指が近づいてきて、あたしは反射的に目を伏せる。目元をくすぐる乾いた熱が離れるまで、そうしていた。

 頭の中で時報が鳴る。定時報告の合図だ。異常なしの定型文を港の管制室と、会社の航行管理部に送る。処理はすべて移植されたオーディン・システムを通じて行っているから、手足を動かす必要はない。メインディスプレイに送信完了の表示が出てはじめて、ユーリがそちらに視線を逸らした。

「あとどのくらい?」

 あたしたちはいま、ポッドの回収に向かっている。コイントスの結果、船外作業はユーリが担当することに決まっていた。その後、方向転換してデブリを拾って(こちらはあたしが船外作業を担当する。まったく腹立たしいコイントス!)、月に帰還する。

 気圧順化の必要ない宇宙服が一般化されたことで、船外作業の準備はうんと楽になっている。大昔は宇宙服内の気圧を下げなければ、宇宙に出たときに宇宙服が膨らんでしまって作業ができなかったから、身体を低圧に慣らす長い時間が必要だったとか。

「二時間二十九分。一時間前になったら準備ね」

 うん、と幼い返事をして、ユーリはシートに身体を預けた。長い足を組んで(あたしが足を組むと怒るくせに)、ディスプレイに回収するポッドと小惑星の情報を呼び出す。

 もうすっかり覚えてしまっているに違いない詳細なデータを見ながら、ユーリはどこかに意識を飛ばしている。

 何を考えているのか、きれいに整った横顔はまったくの無表情。

 彼の宇宙を包むものは居住区の隔壁よりはるかに薄いのに、あたしには到底届かない。そのことがほんの少しだけ、寂しいような気がする。

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