第六十二話 単攻 ‐ソコヂカラ‐
解き放たれ、手放される炎の塊。炎は大きく太く。火柱と言うよりも、炎柱と呼ぶに相応しい。
猫又の最大にして最高火力の持ち技――――
空高くから敵を捉え、放ち飛ばされる炎の柱は。
「アアアアアァァァアァァァァァァァイイッィィィッィイイアアアアアアアッッ!」
月明かり、校内の電灯。それ等とは違う、紅い光源。激しい熱を放ち、余りの熱さに不巫怨口女は悲鳴を高々と上げた。
供助と猫又、二人の賭け。生徒達の衰弱具合と、己の残存体力からして味方増援までの時間稼ぎは厳しいという判断からの、自分達が出せる最高火力による力押し。イチかバチかの博打。
猫又の篝火の威力はとてつもない。そこいらの低級妖怪ならば一瞬で蒸発する威力を持つ。
そんな大技を頭上から落とされ、まともに喰らい、目の前で火達磨になる不巫怨口女。炎の猛熱に身体を蝕まれ、骨肉を燃やし、魂をも焼き焦がす。
「ハアッ! ハアッ! ハアッ!」
着地して地面に膝を突き、四つん這いになる猫又。
今ある妖力の殆んどを費やして篝火を放った。その代償に多大な疲労が一気に襲う。
「猫又、大丈夫か?」
「う、む……案ずるでない。ちょい、と……気張り、過ぎた……だけだの」
答えながら、大きく肩を上下させて息をする猫又。額からも大粒の汗が幾つも流れていた。
供助に言葉を返すだけでも辛そうで、どれだけ篝火に妖力を消費したかが解る。
「どう、だ……? 奴は……不巫怨口女、は……!?」
「あぁ、見ての通り」
過程や行程を並べるのは無意味だ。今知りたいのは、結果。
供助と猫又が出た賭けの勝負。単刀直入に、その結果だけを言うなら。
二人は、賭けに――――。
「倒すのは無理だったみてぇだ」
――――負けた。
「……駄目、で、あったか」
「おい、猫又……ッ!」
猫又は息も荒く、自身の身体を支える事も出来無く、地面に倒れてしまう。それだけ、篝火に妖力を注ぎ込んたのだろう。
しかし、結果虚しく報われず。不巫怨口女は今もなお顕在する。
「アアアァァァアッハアアァァァァァァッ……」
あれ程に燃え盛っていた炎は今や消えかけ。
不巫怨口女の身体の所々が小さく
あんなにも轟々と激しく燃えていた炎は何処に行ったのか。猫又は疲弊しながら不思議に思っていた。
「大丈夫か、おいっ!?」
「う、む……それ、より、なぜ奴は……」
息苦しそうに、猫又は供助に目だけを向けて答える。
体も殆んど動かせず、短い言葉すら途絶え途絶え。猫又が戦力になるかどうかは、言わずも解りきった答えだった。
「はぁ……はぁ……そう、か……奴、は」
猫又は不巫怨口女へ目をやり、先程から浮かんでいた疑問が氷解した。
「アアアァァ、アアァァァ、アアアァァァァ……」
不巫怨口女は上半身を低く下げ、下半身の蛇体に巻き付くように擦り付けていた。
この奇妙な行動、動作。一見、意味不明な動きに見えるが、これが篝火の炎を消えた理由であった。
――――ジュ、ブシュ……ジュウゥゥゥ。
不巫怨口女の体に小さく残る篝火の炎が、音を立てて消えていく。と同時に、不巫怨口女は赤く染まっていき、紅く濡れて。
奴は切断された腕から流れ出る、自身の血で炎を消していた。自分の血液を被り、頭に掛け、全身を濡らす事で、篝火を防いだのだ。
「まさか……己の血で、火を消す、とはのぅ……」
「今まで一番ブッ飛んだ妖怪だ、あの野郎は」
不巫怨口女を見やり、供助も嘆息する。
二人の攻撃を幾ら受けても平然とし、さらには賭けに出た最大火力の篝火も無駄に終わった。
もう、打つ手が無い。最後の一手……切り札を使用しても、不巫怨口女を倒すのは不可能だった。
生徒を見捨てて逃げるか、このまま生徒と一緒に喰われるか。最悪の二者択一。
どっちも選びたくない。しかし、どちらかを選ばなくてはならない。
「くっ……」
猫又は何とか身体を起こし、考える。
何か手が無いか、何か策は無いか、何か、何か、何か何か何か何か。思考を巡らせ、頭を回転させ、考える。考えて、考えて、考えて、考える。
しかし、出る訳がない。思い付く筈が無い。出来る限りの事は尽くした。最高の一手も尽くした。そして、妖気も尽くしそう。
自ずと出てくるのは、やはり。最悪の答えしかない。考えても考えても。出てくるのは同じ答え。ぐるぐる、ぐるぐると。巡っては返って来る。
「――猫又」
ハッと、戻される意識。名を呼ばれ、猫又は下げていた頭を上げた。
そして、目に入ったのは……不巫怨口女へと対面する、供助の背中。
「動けるようになったら、どこかに身を隠せ」
「供助、お前はどうする……」
「お前と違ってまだ元気はあるからな。もうちょい遊んでもらうわ」
「一人で相手する気かの……!?」
「へばってる奴を働かせる程、ウチはブラックじゃあねぇからよ」
バシンッ、と。いい音をさせて、供助は右手を左手に打ち込む。自分に気合を入れ、集中する為に。
最大火力の一手。猫又の精魂込めた一撃、篝火の炎は無情にも濡れ消された。
だが、しかし。最大の技が通用しなくても、賭けに負けても、最悪の条件と環境で心が折れそうな状況でも。
供助の闘志は――――まだ消えちゃいなかった。
「あれほど仕掛け攻撃しても効果は見られんかった。私の篝火でさえこの有様だの」
「それでもやるしかねぇ。俺に出来るのは力一杯ブン殴る事だけだ」
「しかし……!」
供助は背中越しに、首だけを後ろの猫又へと向いて。
自分の事なのに他人事のように、供助は困ったもんだと言いたげに。
「俺ぁ馬鹿だからよ……一回二回やったぐれぇじゃあ学習しねぇんだ」
軽く笑った。
「それに親しい誰かが死ぬのは……もう勘弁して欲しいからよ」
「……あ」
供助は顔を隠すように前を向き、猫又は思い出す。供助の家にあった写真を。
仏壇に置かれていた、今は亡き、供助の両親の写真。若い男女が寄り添う、一枚の写真。
親しい者の死が如何に辛く、悲しく、寂しいか。供助は知っている。だから、何が何でも嫌だった。このまま諦めるのは。不巫怨口女を野放しにして逃げるのは。
そして何よりも、誰かの“死”を――――味わいたくないから。
「第一、俺ぁ人喰いをブッ殺して仇を討つまで死ぬ気はねぇ……!」
倒すべき敵。祓うべき標的。篝火によって焦げた箇所を、地面に溜まる己の血で冷やしている不巫怨口女。
奴を睨み付け、拳を固く握り、霊力を練り込む。
「ひたすらブン殴ってやらぁ!」
供助は大声で叫び、敵へ向かって疾走する。
先手必勝……と言う訳ではないが、動きが止まっている間ならば殴りやすいと、供助は自ら仕掛け出た。
そもそも先手を取れば勝てると言うのなら、どれだけ楽な相手だっただろうか。
「オラァ!」
「アアァイ……!」
地面に這う不巫怨口女の上半身。その顔を、供助は掬すくい上げる形で拳の一撃を喰らわす。
世間で呼ばれる言い方ならば、アッパー。拳を下から上へ振り上げる拳撃。
不巫怨口女の頭部は鞠が跳ねるように、宙へと弾き飛ぶ。
「てめぇが人を喰うってんなら、その前に俺の拳をしこたま喰らわせてやる……ッ!」
不巫怨口女の頭部がよろめいている間に、腹部へ何発も喰らわす。
右、左、右、左、右、左……一気に打ち込み、ひたすら殴る。無呼吸乱打。まるでサンドバックに拳を打ち込むボクサーの如く。
先の事は考えない、出し惜しみ無い戦い方。賭けの一手も無に終わり、相棒は疲れ果てている。生徒達の症状も危険な状態で、増援までの時間はまだ先。
圧倒的な不利。完全な窮地。絶望的な状況。それでも供助は希望は捨てていない。諦めてなどいない。
増援が来るまでの、あと一時間。たかが一時間。それぐらい、
「そらぁ……よっ!」
最後に大振りの、一発。不巫怨口女の体が、全身が揺れて後ろに下がった。
バランスを崩したのでも、不巫怨口女が己の意思で引いたでもない。供助の攻撃だけであの巨体が、僅かではあるが退いたのだ。
「なんと……拳一つの打撃だけで、不巫怨口女の巨躯を退けおった……!」
猫又は驚愕する。
いくら攻撃しても傷付ける事は出来たが、奴を引かせ攻勢に出れた事は無かった。だと言うのに、供助は今、それを、一人で。拳だけでやってのけた。
綺麗な言葉を並べるなら、決意の硬さ、意志の強さ、思いの形。燃える展開の格好良い少年漫画ならばそう書かれるだろう。
だが、供助にとってはそんな格好良く、綺麗で、立派なもんじゃない。これは死に物狂いの、抗い――――その現れ。
死にたくないから抵抗する。殺されたくないから邪魔をする。喰われたくないからブン殴る。
そんな簡単な、解りやすい答え。シンプルな一言で終わる、答え。
嫌なモンは嫌だ。それだけ。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァッ……!」
とは言え、全力投球の全力疾走。おまけに全力全開。
残る体力の事など頭に入れず、ペースなど糞喰らえ。思い付くままに思った通りに思うがまま打ち込む。
そんな体力配分を考えない行動を取れば、息が切れるのは当然である。供助は肩で息をして、顎からは汗が滴り落ちる。
「イイィィィッハアアアァァッァァア」
けれども、やはり。それでも、奴は。
供助の
スポンジで顔を殴られたように、何事も無かったと言いたげに。
「ハッ……! 殴りがいがあるってもんだ……!」
強がりにしか聞こえない台詞。しかし、供助は再び拳を握り、構える。
戦意は消えず、闘志も込み上げ、力はまだ尽きず。身体だってまだ動く。霊力も残っていて、五体満足。
諦めるには、まだまだ早い。
「アアアアアァァァィイッ!」
不巫怨口女は供助を見下ろし、奇声を上げての威嚇。
供助の攻撃により身体を怯まされた事に、苛立ちや怒りを覚えたか。
歯を剥き出して、血まみれの上半身をぐねぐね曲げる。
「イイィィィィアアァァアァァイイッ!」
ぐ、ちゅ……ぐち、ぐ、ぢゅ――――ッ!
立ち向かってくる人間を排除しようと。雄叫びのような声を上げ、不巫怨口女は手足を伸ばして供助に襲い掛かる。
供助と猫又の攻撃で何十と殴り折り、削ぎ落としはしたが、不巫怨口女の手足は何百とある。無傷の手足はまだ無数に残っていた。
加えて、切っても折っても引き千切っても。奴の手足は切断面から新たな手足が生えて再生するときた。
対して、供助の霊力も無尽蔵ではない。当然、猫又と同様に使用すれば必ず底は見えてくる。全力で殴りまくった直後であり、疲弊してるのは隠せないでいた。
「っち……!」
疲れれば当然、反応も遅れる。
目で見えていても、頭で解っていても、体が追い付かなければ意味が無い。
それでも、供助の身体能力の高さが光る。身体を捻らせ紙一重で攻撃を躱した。
「……こ、の!」
目の前に伸びる目障りな細腕を、また殴り折ってやろうと拳を振るう供助……だったが。
ふと視界の端に、何かが飛来してくるのが映った。咄嗟に振り向き、その方を見やると。
不巫怨口女の連続攻撃。顔面を狙った腕に続き、数本纏まった腕と足が、次は動きを止める為か足元を狙ってきていた。
「おわっ!」
だが、その連続攻撃も。供助は抜群の反射神経で反応し、バックステップで後ろへ下がって避けた。
そして、空振った不巫怨口女の攻撃は、襲い掛かった勢いのまま地面に突き刺さった。
――――それを、供助は見逃さず。
「足も使えんのはテメェだけじゃあねぇんだよっ!」
「イィイィアァアァ!」
足元に突き刺さる標的の手足を、思いっ切り踏みつけた。
べきん、と骨が折れる音。それも、一つや二つじゃない。複数の骨が、束ねた木の枝を折られるように、容易くへし折られた。
供助が払い屋として扱う戦闘方法は、
拳、脚、肘、膝、肩、踵。機会があれば頭突きだって咬ます。
「っらぁ!」
二度、三度、四度。踏みつけ踏み潰し、最後のおまけと蹴り払う。
不巫怨口女の手足の骨は折れ曲がり、肉を破って突き出て、血が吹き出す。
供助はそれを蹴飛ばし、鋭い眼光放つ目で敵を
「っはぁ、はあっ、ふっ、はあっ……!」
何度も大きく酸素を吸い込み、頬から垂れる汗を手の甲で拭う。
供助の様子を見れば明らかに疲労が蓄積し、体力も霊力も減っている。
身体を纏う霊気も小さく弱まり始め、一撃一撃の破壊力も下がってきていた。
「供助っ! 無理をするでない!」
「ハッ! 動けねぇ奴が動けてる奴の心配なんかすんじゃねぇよ……!」
言って、供助は作り笑い。
空元気で、やせ我慢なのは簡単に解る。
「アアアァァァァアィイイィ!」
「うぜぇ!」
――バチンッ!
供助は拳を振り払い、再度攻撃してきた不巫怨口女の腕を弾き防ぐ。
「チマチマチマチマとよぉ……っざってぇんだよっ!」
どれだけ打ち込んでも、幾ら攻撃しても意味を成さず、効果を見せず。供助と猫又が奮闘しても、状況だけがどんどんと悪化する一方。
全く好転しない状況へ溜まっていた苛立たしさ、腹立たしさを爆発させるように、供助が叫ぶ。
叫んで、拳に力を入れ、走る。不巫怨口女へ向かって、走る。
「もっかい土手っ腹に穴ぁ開けてやらぁ!」
弱まっていた霊気は力強さを取り戻す。
一体どこから出てくるのか。供助の霊力スタミナが多いのは知っていたが、まさかここまでとは猫又も予想外だった。
右手に霊力を集中させ、不巫怨口女の腹。上半身である女性の腹部を狙い……飛ぶ。
「喰らい――――」
キィィィィィィィ……ン。
拳に集中し凝縮された霊力は金切り音にも似た甲高い音をさせ、フラッシュライトのように眩しく光る。
「――――やがれっ!」
渾身の一発。限界まで集密された霊力を纏う、強烈な一撃が決まった。
凄まじい霊力が凝縮された拳から打ち出される拳撃は、杭打ち機を連想させる威力を発揮する。
防ぎもせず、躱しもせず。防御も回避もしない不巫怨口女の腹に、供助の腕が突き刺さる。
「打撃であれ程の貫通力……ハンマーと言うよりも巨槍だの」
予想外の威力、予想以上の霊力。あの威力に猫又は唾を飲み、驚愕する。
供助と払い屋として組んでから二週間以上経つが、これ程の一撃を打ち放てるのを始めて知った。
「アァァ……イィ……ア」
「どうだよ、腹に穴ぁ開いた気分はぁよ……?」
肘近くまでめり込み、肉抉り、突き刺さった供助の右腕。
腹から突き刺さり、背中から突き出る利き腕。ぶしゅり、と。赤紫の血液が吹き出る。
腕に感じる肉の感触。滴る冷たい血。普通ならば致命傷は避けられない傷……だと言うのに。
「アァ、イィ……イ」
不巫怨口女が、微かに笑ったように……見えた。
そして、腕が刺さる穴に起きる異変。供助もその違和感に気付き、表情が強ばる。
「んなっ、に……ッ!?」
不巫怨口女の腹部に開けられた穴。それが明らかに供助が与えた傷以外に、穴が拡大していた。
しかし、危険を察して供助が腕に力を入れる次の瞬間には……傷穴には裂け目が広がる。
先刻にも一度、供助の右手が不巫怨口女の腹に刺さった時に感じた感覚。まるで掴まれているように腕が抜けなくなった。あれは、間違ってはいなかった。
“まるで”ではなく正真正銘、掴まれていたのだと、供助は目に映る光景で理解した。
「ごぉ、ふ……っ!」
強制的に肺から吐き出される二酸化炭素。
内側から引き裂かれ、大きな穴から飛び出してきた“それ”が。
供助を宙へと、突き飛ばした――――。
「きょっ……!」
猫又の目が捉えるは、物凄い勢いで吹き飛ばされる供助の姿。
お返しと言わんばかりに、貫かれた腹と同じ箇所へと打ち込まれ、めり込む。
裂け広がった不巫怨口女の腹から新たに現れ出た、何本もの隠し腕が。
「アアァァァァッハアァァァ……」
空に打ち上げられた供助は成す術は無く。重力に従って地面に落っこちるしかなかった。
供助は勢い収まるまで砂利の上を転がり、二十メートルもの離れた距離でようやく止まる。
それを不巫怨口女は満足そうに見下ろし、息を吐く。
「ご、っが……ごぇ、え……!」
供助はなんとか身体を動かし、四つん這いになるも……あまりの酷いダメージに腹の中身を吐き出してしまう。
びちゃびちゃと地面に溢れる吐瀉物としゃぶつ。消化されかけた夕飯の弁当に混じる、赤い液体。
腹部の痛みだけじゃない。地面に落ちた衝撃で頭を打ち、視界は揺れて
激痛と吐き気、気持ち悪さと息苦しさ。様々な苦痛が一度に押し寄せ、供助の頭の中はぐちゃぐちゃ。
なまじ痛みがあって気絶出来ない分、地獄を味わう。
「アァイイ!」
「ふぐっ……がっ!」
弱まった獲物を見逃さず。身動きを取れない供助に、追い打ちが来る。
不巫怨口女から伸びる隠し腕が供助の顔を首を掴み、校舎の壁へと叩き付けた。
さらに、もう攻撃をされないようにと、供助の手足を伸びた手で壁に押し付けて。
「き、供助っ!」
供助へ行われる、容赦無い追い打ち。
今やっているのは相手を思いやり競うスポーツなんかじゃない。これは払い屋と妖怪の殺し合い。祓うか喰らうかの二つだけ。
敵が強ければ、
「っは、が……あ、ぁ……!」
「今行くっ!」
頭、背中、腰、腕、脚。全身を強く打ち、体中に走る激痛。
抵抗しようにも手足が封じられている。対策を考えようにも脳が揺さぶられて働かない。
供助は意識を辛うじて留めておくのだけで精一杯だった。
「ぬ、う……ぅぅぅぅぅぅぅううううッ!」
残り僅かの妖力を振り絞り、動かない体に鞭を打ち。
相棒を救う為に、猫又は立ち上がる。
「供っ……」
が、しかし。立ち上がれても走る事は叶わず。
たった、たった二歩。足を動かしただけで
「あ、が……ぁ」
きし、ぎち……供助の首に食い込む、不巫怨口女の指。青紫色の伸びて欠けた爪の指が、首を折ってしまおうと締め付ける。
呼吸すら叶わなくなって息苦しさに抗うも、手足を抑えられ悶える事も出来ず。供助の顔色は一気に青白くなる。
そして、完全に弱まっているのを確認して……不巫怨口女は身体を近付かせ、バックリと。捕らえた獲物を頭から喰らおうと。歯を剥き出させ、ご自慢の大きな口を開く。
「供助ぇぇぇぇぇぇぇっ!」
猫又の叫びも、供助には届かず聞こえず。
さっきまで聞こえていた耳鳴りも、遠のいて聞こえなくなり。
供助の意識はとうとう薄れ、視界もボヤけ、
「とう、さ……か、ぁ……」
閉じる瞼。真っ暗になった視界。
途切れゆく意識の中で、閉ざされた筈の視界に映し出されたのは――――。
『供助。いつかきっと、大きくなったら――――』
『その名前の通りに――――』
昔、まだ小さくて幼かった頃。
頭を撫でられながら言われた言葉。大好きだった人達に言われた思い出。
懐かしい二人が笑っていて、追い掛けようと。手を繋ごうと。
光の中に消えていく思い出に、己の手を伸ばそうとしたところで。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
誰かの叫び声に、供助の意識は呼び止められた。
薄らと開けた瞼。微かな視界に映し出されたのは――――誰かの人影。
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