六十一話 一八 ‐イチカバチカ‐
カチ、コチ、カチ、コチ……いつ、いかなる時も時間は一定で進む。急いでる時も、暇な時も、楽しい時も、忙しい時も。時は決して止まらずに進む。
楽しい時は時間が経つのを早く感じ、嫌な事をしている時は遅く感じる。時の進みに違いを覚える事も少なからずあるだろう。
だが、それはあくまで主観なのだ。時間は分け隔てなく、差別なく、均等に時を刻む。
待ち人を待っている時であろうと、期限が迫る時であろうと。非情にも、悠長に、呑気で、忙せわしなく。時はいつも、針の進みは変わらない。
――――カチン。
時計で言う、長い針が一歩進む。短針が一周し、一分が経った事を指し示さんと。
供助と猫又と、
昇降口の外壁に設置された、大きな時計。その秒針が十五周目に入ったのは。
猫又が叫ぶのと、同時であった。
「供助っ!」
猫又は相棒の名を叫び、その姿を目で追った。
不巫怨口女の攻撃により、吹っ飛ばされた供助の姿を。
「っ、……ぐ、っ」
フェンスに背中から叩き付けられ、そのまま項垂れる供助。
余りの衝撃にフェンスは
「っは、ぁ……っち、くそったれ」
供助は悪態をつきながら、頭を上げて不巫怨口女へと視線を向ける。
背中の痛みに加え、背部強打によって呼吸が上手く出来ず、力も上手く入らず。それでも供助はフェンスに指を引っ掛けて掴み、無理矢理に立ち上がる。
「アアアァァァァァハアァァァァァハァァァァァ」
不巫怨口女は夜空を仰ぎ、不気味な声で唸る。
両腕が無い女性の上半身をゆらりゆらり揺らし、野槌の名残であろう下半身の蛇体からは。切られた手足と、殴り折られた手足。その切断面から、また新たな手足がうぞろうぞろと生え始めていた。
切っても切っても、折っても折っても、減らず弱らず変化無く。ただただ供助の霊力と猫又の妖力を無駄に使い減らしているだけの状態。
そんな進展しない状況と、鎖に縛られたように経つのが鈍い時間。二人は疲労の色を隠せずにいた。
「こうもこっちの攻撃が効いてないってのは……さすがにヘコむぜ」
肩で息をして、膝に手を掛けてなんとか立っている供助。
半袖のTシャツから伸びる腕には、幾つもの痣が作られていた。
「大丈夫かのっ!?」
「あぁ、なんとかな。ったく、嫌ンなるな……いくら仕掛けても堪えちゃあいねぇ」
「供助、口から血が……!」
「口ン中を切っただけだ」
供助は答えて、手の甲で口元の血を拭う。
フェンスに吹っ飛ばされた際に、口の中を怪我していた。
「終わりが無ぇマラソンを走ってるみてぇだ」
「さっきから三歩進んで三歩下がる、といった感じだの」
「せめて一歩位ぇは進みてぇんだがな……」
「第一、私達はあと何分踏ん張ればいいんだの」
「答えならあそこの見りゃあ分かる」
「あそこ?」
釣られるように、猫又は供助の指の先を見る。
供助が親指で差すは、校舎の外壁に付けられた大きな時計。
「感想は?」
「……見るんじゃなかったのぅ」
その針の進み具合を見て、猫又は渋い顔をする。
一進一退、両者互角……なんて手に汗握るような接戦なんかじゃない。
一方的な力の消費。手に汗握るどころか、出てくるのは額に冷や汗だけ。
「アアァ、アァ、アァァァァァァ」
供助と猫又がしこたま攻撃し、不巫怨口女の手足の殆どが機能しなくなっている。
だと言うのに、折れたり切れた腕が頭をもがれた昆虫よろしく、悶えるように動くから気味が悪い。
しかも、その切断面から新しい手足が生えてくるなら尚更。
「幾ら攻撃しても
「今の俺等に出来る事ぁ限られてるし、する事も決まってる。このまま時間を稼ぐだけだ」
不巫怨口女は手足の損傷が激しく、まともに動けないからか新しい手足が生え揃うのを待って。
長い長い白髪を垂らし、上半身を揺らし、蛇体を蠢かし。夜空に浮かぶ蒼い月を眺めていた。
お陰で、供助も息を整えて体力も少し回復できた。まだ完全に背中の痛みが引いた訳ではないが、動くのに問題は無い。
元々打たれ強い供助。高い霊力と、それを活かす瞬発力と爆発力。それらと共に、この打たれ強さも供助も武器の一つである。
筋肉が柔軟なのか、骨が太いのか、鈍感なだけなのか。とにかく供助は、この程度で倒れるようなヤワな作りの身体ではなかった。
「っし、奴よりも先にこっちが回復できた」
「ふむ。手足が生え揃うまで動く気配が無い、となれば」
「奴の手足が生えきる前にもう一回仕掛かる……ッ!」
「それが賢明だの。全く、雑草みとうに生えおって……いい加減にして欲しいのぅ!」
一向に弱まる様子を見せない標的。幾ら攻撃しても再生する身体。相変わらず強大な妖力。
落ち込む気分、沈む気持ちを振り払い。二人は自ら攻撃を仕掛ける事で戦意を奮い立たせる。
言うなれば、終着点が解らないマラソンをしているようなもの。ただひたすら長い道を走り、変わらぬ風景を延々と見て、体力的にも精神的にも辛い戦闘。
いや、終着点は解っている。それは味方の増援が到着するまで。しかし、それまでが長い。果てしなく長い。あと一時間十五分。
「せっ!」
「ふんっ!」
供助の殴打と猫又の爪撃。右と左からの同時攻撃。新たに生えようとしている腕を次々と折り、供助の軍手は返り血で赤く染まっていく。
猫又も負けじと一閃。研ぎ澄ました妖気を爪に通しての斬撃。風を裂いて身を刻むそれは、不巫怨口女の手足を一気に数十本もの数を削ぎ落とす。
「アアァァァァァァアアアァイイィイィィィィィィ、アアァァァイイィィィィアアァアアァァ……」
痛がってるとも快感を得てるとも、笑っているとも泣いているとも。怒っているとも喜んでいるとも、楽しんでいるとも。
全てが違っていそうで、全てが当て嵌りそうな反応こえ。唯一解っている事を挙げるとすれば。
「アアアアアアァァァァッハァァァァァァ……」
不巫怨口女は全くと言っていい程、二人の攻撃がダメージに繋がっていなかったという事だけ。
空を見上げるのをやめ、頭を九十度に曲げ、大きな口から大きな息を大きく吐き出して。供助と猫又を、見下ろした。
「なんっ!?」
「ぬぅ!?」
と、突然。下半身の蛇体を回転させ、その周囲に衝撃を生み出す。
ビニールハウスとほぼ同等の大きさである下半身での薙ぎ払い。その巨体が振り回されれば、砂煙が舞い、石は散弾銃の如く撒かれ飛ぶ。
「あんにゃろう、手足が生え揃わなくても動けんじゃあねぇか……!」
「くっ……あの巨躯を振り回されたら堪ったものじゃないの!」
咄嗟に後ろへと下がり、二人は不巫怨口女の攻撃による被害は免れた。
砂埃によって狭くなる視界。巨体で不巫怨口女を見失う事は無いが、その下半分は砂埃で隠れている。
不巫怨口女の手足は伸縮自在。死角からの攻撃も考えられる。よって、供助と猫又は一旦不巫怨口女から離れ、大きく距離を置いた。
「……供助」
「あんだよ?」
「悪い情報が入った」
「なに?」
「後ろを見れば解るの」
猫又に言われ、後方を見る供助。気付けば背中に校舎があって、窓から教室の中を覗けた。
供助が覗く教室は一学年の教室。室内では倒れる生徒が何人も見えた。窓から一番手前に見える名も知らぬ女子生徒は、顔色が悪く顔面蒼白で、唇も真っ青。
明らかに症状は悪化し、生徒達の顔は土気色に近く。とても残り一時間以上持ちそうには……なかった。
「結局は俺等が不巫怨口女の気を引いていたのも無意味だったってか」
「結果を見ればそうなるの。少しばかりはこの頑張りも報われて欲しいかったが……」
「くそったれが……!」
後方の教室から正面を向き、供助は不巫怨口女へと視線を戻す。
奴の足元に散らばる、切断された自身の手足。まるで廃デパートのフロアに転がる大量のマネキンみたいで、バラバラの手足と血溜まりから猟奇事件の現場にも見える。
もっとも、このまま増援が来るまで供助達が持ち堪えられず、不巫怨口女を祓えなかったなら……供助が通うこの石燕高校は本当に猟奇事件の現場になってしまう。
「このままではジリ貧……だの」
猫又は呟く。圧倒的な力量差と質量差。二人が幾ら攻撃しても不巫怨口女は苦にしない。
迫る限界時間タイムリミット、先が長い増援到着ゴール。この状況。残りの時間。二人の霊力と妖力を幾ら削り消費しても、不巫怨口女は障害とも思っていない。
このままでは自分達も、生徒も。不巫怨口女にやられるのは時間の問題だと、誰が見ても導かれる答えだった。
「……猫又、
収まり始める砂埃。再度、巨体が露になる不巫怨口女。
だが、そんな状況でも。追い詰められた状態でも。時間が無くても。供助は諦めていなかった。
ただただ
自身が思い付く最善で、最良だと思う一手を……猫又に言った。
「篝火だと?」
「お前が言った通り、このままじゃジリ貧だ。増援が来る前に俺等の霊力と妖力が尽きちまうかもしれねぇ。だったら、勝負に出る」
「小さく削っても無理ならば、火力で一気に押し込むか……」
「一番火力がある技はお前の篝火だ。狙うならそれしかねぇ」
「確かに撃てはするが、奴に効き目があるか確証は無い……下手をすれば無駄に妖力を多大に消費するだけだの」
「分の悪ぃ賭けだが、他に手が無いってのが現状だ。更には時間も無ぇときた。出し惜しみ出来る状況じゃねぇってこった」
早くも再生し始める不巫怨口女の手足。
供助と猫又の背中の窓越しには、生気を吸い取られ苦しむ生徒達の姿。正面には、生徒達を苦しめる元凶が立ちはだかる。
増援が来るまでの持久戦と、イチかバチかの高火力による一勝負。
「俺が奴の気を引く。頼んだぞ」
「……うむ。任せろ」
持久戦に持ち込んでも、恐らく二人が耐え忍ぶ事は出来ても生徒達が耐えられないだろう。
生徒が助からず自分達だけが生き残り、増援と合流して不巫怨口女を祓って寿司を食っても、そんな寿司が美味い筈がなかろうと。
だったら、賭けに出る。供助が出してきた案に乗っかり、大博打に……出る。
猫又も意を決して、供助の案に賛同した。
「準備が出来たら思いっ切りブチ込めよ……っ!」
「言われるまでもないのっ!」
軍手を嵌める両手を強く握り、供助は走り出す。先程受けた背中のダメージはあるが、戦闘に支障はない。
実際は背中以外にも怪我をした箇所はある。腕、足、腹、顔……だが、供助は構わず向かう。怨念に囚われ人喰らう凶敵へと、向かう。
舞っていた砂埃は落ち着き、不巫怨口女の巨体を目掛けて猛ダッシュする。
「ちょいとばかし俺に付き合えよ、蛇腹女……!」
全身に霊気を纏い、両手には特に集中させる。
不巫怨口女の妖力に比べれば圧倒的に少ない供助の霊力だが、それでも他の払い屋と比べれば多い方である。
技術や技量が無い分、その霊力の多さと爆発力で払い屋として働いてきた供助。
今回も例外ではない。自身の両手に力を込めて、ブン殴る。シンプルで解りやすい、型の無い戦い方。
「供助が身体を張ってるのだ。それに答えてやるのも出来る女というものだの」
猫又は大きく和服の袖を振り。
「ぐ、ぬうぅぅぅ……!」
強く噛み締め軋む歯。唇は開かれ覗き出る犬歯。猫耳はピンと立ち、髪の毛も小さく靡き浮く。
黄色い猫目をかっ開き、形相は威嚇する獣。猫又は篝火を撃つべく、右手に妖気を凝縮させ始める――。
「どらぁ!」
校舎裏に広がる、供助の一声。
不巫怨口女の新しい手足はまだ生え切っていない。ならば攻め時だと、猛進する猪の如く突貫する供助。
利き腕である右手から放たれる一発は、不巫怨口女の横っ腹に打ち込まれた。
「アアアァァッ、ハアアァァイイイィィ」
供助の打撃は強力である。それは間違い無い。しかし、効かず。効いた素振りは見せず。
その衝撃に不巫怨口女の上半身は大きく仰け反り、殴られた横っ腹はバスケットボールがすっぽり収まる位にへこんでいた。
「っとぉ!」
無傷で残っている不巫怨口女の腕が数本、供助を捉えようと伸びる。
それを供助は上半身の捻りだけで上手く躱し、アッパーでその腕をへし折った。
「何本折っても効果無し……俺が疲れるだけか」
まさに骨折り損のくたびれ儲け。
いくら殴ってもダメージが無く、いくら折っても再生する。キリがない。
「だったらもう一発、土手っ腹に――――」
襲ってきた腕を殴り折り、機能を失くしたと供助は不巫怨口女の本体へ視線をやる。
だが、これが油断となった。伸びたままの腕を放置し、確信もなく大丈夫だと思い込んだ供助の油断。
「アアアアアアアアアァァァァァァァイイイイイイイッイッッイ」
「がっ……!?」
側頭部に走る鈍痛。斜めになる視界。不巫怨口女は折られた腕をそのまま、鞭のように振り払った。
意識していなかった所に重い一撃。供助の身体は斜め、そして横に。
「こんの野郎……」
――――が、倒れず。
供助は片足を出して踏み止まり、ゆっくりと身体を真っ直ぐに戻して。
殴ってきた不巫怨口女の腕を、両手でがっしりと掴んだ。
「っ
腕の肉にめり込む、供助の指。
力を入れ、一気に。
「おぉぉらぁぁぁぁぁぁ!」
ギチ、ギチギチギチ――――ブヂッ。
嫌な音をさせ、不巫怨口女の腕が引き千切られた。
「ほらよ、返すぜっ!」
ぶっきらに投げられる、千切った腕。
高く投げられた腕は不巫怨口女の頭上に上がり、それを不巫怨口女が目で追った一瞬。
供助は不巫怨口女の懐へと入る。
トッ、トッ、トッ――――タンッ。
普段の怠惰に満ちた供助に似合わない、軽い身のこなし。
下半身である蛇体を駆け上がり、三メートルはある不巫怨口女の高低差を縮め。
「――――ア?」
不巫怨口女が気付いた時には、眼前に供助の姿があった。
利き腕を振りかぶる直前の、払い屋の姿が。
「ふっ!」
放たれた供助の打撃はジャストミート。
不巫怨口女に二度目の顔面直撃し、首から上が吹っ飛ぶ勢いで百八十度回転した。
人間ならば首が骨折して重体になるが、妖怪ではそうもいかない。ましてや、相手が規格外の化物なら尚更。
「ちっ、顔面をぶっ飛ばすつもりで殴ったってぇのに……」
漏らす舌打ち。全力の一撃でこうもダメージを与えられていないのは初めてで、敵の不死身さに辟易してしまう。
手足も駄目、腹も駄目、顔も駄目。なら、次は首の骨でも折ってやろうかと思った
たが……供助は次の攻撃箇所を考える。
と、その時。
「――――供助っ!」
三メートルある不巫怨口女と同じ高さにまで飛んでいた供助。
……の、さらに上。夜空を見上げると。
「そいつから離れるんだのっ!」
腕に炎を纏う、猫又が居た。
右手に渦巻く炎に、手の平で轟々と燃え盛る炎の塊。篝火を撃つ準備は出来た。あとはその腕を振り払い、標的を燃やすだけ。
不巫怨口女は先の攻撃で首が曲がり、猫又には気づいていない。篝火を喰らわせる絶好のチャンス。
しかし、供助は不巫怨口女への攻撃で宙に浮いていて身動きが取れない。空を自由に飛ぶ術を持っていない限り、今すぐ不巫怨口女から離れるのは不可能である。
「ようやくか……よっと!」
そこで供助が取った行動は、不巫怨口女を思い切り蹴り飛ばすというものだった。
地上と違って遮蔽物や地面との摩擦が無い分、蹴った衝撃はそのまま後ろへと発生する。
それを利用し、蹴りの反動で不巫怨口女から上手く離れるのに成功した。
そして、供助は叫ぶ。
ぶちかませ――――と。
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