第六十話 怪戦 ‐カイセン‐
ギギ、ギィ、ギ、ガシャン。
破壊され変形したフェンスが軋む音を鳴らし、奴は威嚇するように歯軋りする。
ぎりぎり、ぎりぎりぎり。怒りで歯を噛み締め、口以外に無い白い顔、肌。その中央に、深い皺が現れゆく。
「アアァァァァァアアァァァァ……!」
慣れず、変わらず、気味悪く。
不巫怨口女は声を出し、大きく口を開く。不揃いで尖った、何十本もの歯。
人の歯など比べ物にならない。ライオンやワニの歯よりも鋭く。それはもう、刃物と言っても過言ではない。
「……供助、何か作戦は思い付いたかの?」
「奴が校舎に戻らねぇように戦いながら、増援が来るまでの時間を稼ぐ」
「つまり何も無い、と」
「そういうこった……来るぞっ!」
不巫怨口女の腕。数は十数本。蛇体の側面から生える腕が伸びる。
常人の十倍はあるその長さ。まとまった複数の腕は電柱みたく太い。それを天へと向け、重力に逆らわず一気に……振り下ろす。
「っとぉ!」
「んぬっ!」
ズダァン、と土煙を巻き上げ、地面に落ちた不巫怨口女の腕。
身体と腕が巨大ならば、モーションも大きく。供助と猫又は左右に避け、攻撃を容易く躱かわした。
大型トラックが通ったタイヤ痕のように、地面には小さく作られた溝。それを挟んで、供助と猫又は攻撃を躱した際に離れた位置になっていた。
「アアァァァ……アアァァ、アァァァアアァァイ」
右、左、右。不巫怨口女は交互に見やる。右にいる供助と、左の猫又。二人は不巫怨口女の攻撃によって位置を分断されたのでない。自らの意思で分かれたのだ。
挟み撃ち。左右からの同時攻撃と、四角からの牽制、隙作り。
今のを見ての通り、不巫怨口女の攻撃範囲は広い。二人が一緒に居ては、同時にやられてしまう可能性がある。
だが、挟み撃ちならばその危険も低く、片方が攻撃された時にフォローが可能となる。
作戦も無い、案も無い。そう言っていた二人であったが、会話も相談もせず、自然とこの方法を取っていた。
「さぁて、気張れよ猫又」
「供助こその」
供助は指の関節を鳴らし、猫又は妖力を込めて指の爪を伸ばす。
野の精と呼ばれる野槌と、渡り巫女が喰い合わさった妖怪。妖気は凄まじく、怨みは底知れず。禍々しい瘴気を周りに放ち、人間の生気を吸い取る。
体躯は巨大。妖力は強大。依頼は難題。それでも二人は立ち向かう。立ち向かわねばならぬ理由が、ある。
払い屋と不巫怨口女。祓うか、喰われるか。喰うか、祓われるか。対なす存在の戦いが、今――――怪始する。
「アアアアアアアアアアアァァァァアアッ!」
不巫怨口女の叫びを皮切りに、戦闘が始まる。
左右に分かれた対象物。最初に狙われるは……猫又だった。
「ぬっ、私を狙ってきたか……!」
灯火で髪を焼かれて怒るような女心でもあったのかと、構えつつ冗談混じりに思う猫又。
しかし、不巫怨口女には女心も乙女心も、もはやありはしない。あるのはただ一つ。騙し、妖怪の生贄とした人間への怨念のみ。
何十何百と年月を重ねようとも、渦巻く怨叉は薄れない。
「アアアァァァァァァァッッ!」
地面に叩き付けた腕を引き上げ、猫又を掴まんと巨腕に似合わず素早く動く。
数十集まる奴の腕は、例えるなら大木の丸太。それはもう、肉塊の突進であった。
「ぬおっ!?」
放物線を描き、頭上から落ちくる無数に絡まる腕塊。掴むなど生易しく、その勢いは押し潰す速さ。
高速で伸びる腕の集合体は、猫又の元へ降り襲った。
――――ズドドドッ!
地を抉えぐり、石を割り、腕が地面にめり込む。多大な質量が降り落ち、地面との衝突で起きる小さな地震。
不巫怨口女が自身の手元を見るも、猫又の姿は見えず。姿だけじゃなく、肉の感触も無い。
「力差は明白ではあるが……そう簡単にやられるつもりはない」
纏まとまり太くなった腕の影。猫又は紙一重で避け、伸ばした爪へとさらに妖力を込める。
そして、両手を振りかぶり――――月夜に光る爪が、複数の線を書く。
「やられてしまっては寿司が食えんからのっ!」
言って、猫又は小さく飛んで後ろに下がる。
一、二、三秒経って。
「アァァァァァァァアアアアァァァイイィ!」
時間差。一気に血が吹き出す巨腕。
かまぼこでも切るかのように、不巫怨口女の腕はバラ切りにされた。
「っとぉ、オマケだ貰っとけ!」
「アァ"イ"ッ!?」
不巫怨口女の蛇体、尻尾に部分から。供助は走って上り、一気の飛んで……顔面へ、渾身の一発。
不巫怨口女は大きくよろけ、態勢を崩す。も、倒れるまではいかない。
何十本も生えている手足で踏み止まり、上半身だけが仰け反っただけだった。
「……っち、結構マジでブチ込んだんだけどな」
着地し、供助は顔に難色を見せる。手加減も遠慮も一切していない。出来る限りの力を込め、力一杯殴った。
なのに、上半身を揺らしただけで下半身は微動だにしない。
霊力と妖力の総量差。その表れでもある。焼け石に一滴の水を垂らしでも、少しの蒸気が出るだけなのと同じ。
不巫怨口女を相手にするという難解さを改めて感じ、舌打ちしてしまう。
「身体もそんな固くはねぇ。こうやって傷は負わせる事ぁ出来る。が……」
「あの再生力が厄介だの」
供助と猫又が視線を向けるのは二点。爪撃によって切断された複数の腕と、供助が殴った頬。
しかし、みるみる内にヘコんで変形した頬が回復していく。腕にいたっては切断面から新たな腕が生え始めている。
ぐじゅる、と音を立て。一本の腕から伸び出る複数の腕。昆虫の腸はらわたから寄生虫が蠢き出るように。
「アアァァァァァハアアァァァ……」
痛がっていた様子は既に消え、上半身を地べたに這わせ、肉塊と化した腕を確かめてから。
不巫怨口女は切り落とされた自らの腕を拾って、口に運んだ。
「アアァァァァァァァ」
ごぎ、くっち、こり、ごりん。
次々と口に放り込み、咀嚼そしゃくし、飲み込む。我が身を喰らい、人の身を
この手足、血肉は渡り巫女を騙した村人のもの。過去に喰い襲った怨みの対象。だから、喰らう。何度も何度も喰らい、幾度も幾度も噛み締める。
その血肉を我が身にして、離さない。救わせない。報わせない。成仏など、させない。
「増援が来るまでこんなのを相手にしなきゃあならねぇたぁ……骨が折れるな」
「骨を折るどころか切ってやったと言うのに、ピンピンしておるから厄介この上ないの」
骨折り損の……ではなく、骨切り損のくたびれ儲け。
切断された筈の腕は再生し、元通り。いや、それどころかむしろ増えた。一本が二本に。二本が四本に。
童謡に出てくるビスケットも顔負けの勢いで増殖した。
「アアァァァァハァァァァァア」
「今度は地面に溜まったテメェの血を飲み始めやがった」
ぴちゃ、ぴちゃり、ぴちゃん。
長い舌を出して、血溜まりを舐め、啜り、喉を潤す。
「供助、動きが止まっておる今だの!」
「おう、もう一発くれてやる……!」
猫又の掛け声に、供助も同時に走り出す。
回復するならば、回復しなくなるまで攻撃するだけ。一分でも二分でも出来る限り時間を稼ぎ、自分達に意識を向けさせる。
校舎内で気絶する多くの生徒を助ける為には、自らが戦わなくてはならない。
「おう、らっ!」
「ぬぅん!」
打撃と爪撃の同時攻撃。狙いは同じ。不巫怨口女の胴体。
しかし、不巫怨口女は気付かず、気にせず。血を啜り飲むまま動かない。
肉が切り裂かれる音と、肉が抉られる音。二つの生々しく痛々しい音が、した。
猫又の爪によって、ぱっくりと裂かれた不巫怨口女の横腹。そして、手首まで腹部に深くめり込む、供助の右手。
普通の妖怪であれば確実に致命傷。体から白い煙を吹き出し、消えていく。だが、そんな様子は全く見せやしない。
「アアァァァァァ……ア?」
動じず、臆さず、退かず。
不巫怨口女はゆっくりと上体を起こしていく。
「くそっ、今度は痛がりもしねぇか……って、手が抜けねぇ!?」
不巫怨口女の全長は三メートル。
腹部に手が嵌ったままの供助は、起こされていく上半身と一緒に体ごと持ち上げられていく。
「供助っ! 早う離れんと掴まれてしまうのっ!」
「わあってる! けど、全然抜けやしねぇ……っ!」
まるで、腹の中で手を掴まれている感覚。がっしりと手首を握られ、手放すまいと力強く引かれる右手。
ついに供助の両足が浮く。不巫怨口女の腹からぶら下がって宙ぶらりん。
しかも、片腕は抜けず塞がったままの隙だらけ。今攻撃されれば防ぐ術すべは……無い。
「アアアァァァァアァァイィィ」
「供助ぇっ!」
不巫怨口女が供助に狙いを付け、血だらけの口を歪ませる。
危険なのは見て分かる。猫又は走り、供助を助けようと爪に妖力を込める……が。
「くっ……!」
先程、猫又が切り落とした腕。そこから新たに生えた腕が伸張し、猫又を妨げた。
細腕の見た目で力は強い。掴まれれば厄介であるのは、一度供助が掴まったのを見て知っている。
猫又は一歩後退し、再度供助へ視線をやると、もう目の前まで不巫怨口女の口が迫っていた。
「俺を喰ったって美味うまかねぇぞ、メンヘラ妖怪……ッ!」
供助は左手を右腕に添えて、大きく呼吸し。
腹の底に力を溜め、霊力を右手へと集中させる。
「こん、のぉ!」
そして、一気に。集中し溜めた霊力を放出した。電気が走ったような、高く弾ける音。
いや、不巫怨口女からすればそのまま、読んで字の如く。身体に電流が走った。
「アァイイッ!?」
外部ではなく内部からの攻撃、痛み。不巫怨口女は叫び、上半身を痛みでうねらせ悶え苦しむ。
供助の右手は腹から抜けて、地面に落ちて膝を付いた。
「ハッ、食中毒よかタチ悪ぃだろ?」
悶える不巫怨口女を見て、供助は鼻で笑う。
俺を喰ったらそれだけじゃあ済まねぇぞ、と。
「供助、大丈夫かのっ!?」
「あぁ、ヒヤッとしたが何て事ぁねぇ」
腹部の穴は早くも塞ぎかかっている。驚くべきその再生力。切っても、殴っても、抉っても。すぐに回復し元通り。
いくら傷を与えても手応えが見えず、供助と猫又は早くも焦燥を感じ出していた。
相互の激しい攻防。だが、時間はものの五分足らずの出来事。払い屋と不巫怨口女の戦いは、まだ始まったばかり。
増援の到着まで――――あと、一時間半。
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