第五十三話 事端 後 ‐ジタン コウ‐

 蛇のような長く鱗のついた体躯。両側面に生え並ぶ百足の如き無数の腕。いや、腕だけでなく足も混じり生えている。

 そして、その先端にあるは人の上半身。腰付きや膨らみのある胸部で女性の体だと一目で解る。

 神隠しに遭って行方不明になっていた村人……村人だったモノ。肉を喰らい、血を飲み、骨を噛み砕く。

 地面に着く長い白髪が血溜まりに浸かり、両腕の無い上半身を地面に這いずらせ、犬のように死肉を貪る妖怪の姿。


 惨場。その一言に尽きた。

 猪や鹿、山犬などの動物は勿論、虫さえ――――ここには、一切の生き物が居なかった。


 転がる大量の死体。食べ散らかされた肉片と、辺りに塗りたくられた血の絵具。

 四肢を千切られたモノ、内蔵を取り出されたモノ、骨だけになったモノ、ぐちゃぐちゃにされただけのモノ、全て胃の中に収まったモノ。

 あまりにも現実離れした目前の光景に、村人達は固まり思考が止まった。

 しかし、視覚と聴覚の機能を止まる事は無く。漂う腐敗臭と血生臭さから吐き気を覚え、そこいら中に転がり嫌でも目に映ってしまう臓物の残骸に我慢など出来る筈も無く。

 村人は全員、胃の中の物を全て吐き出して悲鳴を上げた。小便を垂らし、腰を抜かして、恐怖に身を震わせながら。

 そして、村人の吐瀉物が混じる絶叫を聞き、妖怪と化した渡り巫女はぐるんと首を振り返らせた。

 頬まで裂けた大きな口の周りを真っ赤に染め、瞳が無い血走った白目を見開き。



 アァアアアァァァァァァァアアァァァァァアアアァァァァァァ――――ッ!



 例えようのない気味悪い咆哮。鳥肌が立ち、全身の毛も逆立つ。

 村人達の限界は突破し、恐怖と混乱から思考は停止して怯え呆けるしか出来なくなっていた。そんな中、辛うじて平静を保てていたの者が一人。妖を祓う為に呼ばれた御僧であった。

 だが、平常に働く思考だからこそはっきりと……妖怪の異様さ、異常さ、異形さを理解してしまい、同時に悟った。

 自分では祓う事は不可能だ――――と。


「で、その後はどうなったのかの?」

『相応の準備を整える為に一度撤退したと資料には書いてある。尤も、逃げる際に何人か犠牲になったらしいけど』

「さらに犠牲者が増えたか。まぁ、神隠しの原因とその居場所が解っただけでも御の字かの」


 横田の話を聞きながら、猫又は小さく鼻を鳴らす。


『その後、入念な準備と作戦を練ってその妖怪は封印された。結果、村の住人は元の三分の二まで減り、村は廃村寸前まで陥った』

「村に呼ばれた御僧でも祓うのは無理だったか」

『それ程、強力で驚異な妖怪だったって事だ。さらに力を持っていた巫女が妖怪になったと言うのなら尚更、ね』


 本来なら巫女の神力と妖怪の妖力は水と油。反発し合い、決して相容れないモノである。

 しかし、村人に裏切られ生贄とされた事で、人に対する怨念が邪悪に染まり、妖怪と化した巫女の力を一層強くした。

 さらに乗っ取られた元の妖怪である野槌の妖力との相乗効果で、妖力が飛躍的に上がり、最凶最悪の妖怪となった。

 人を妖から守る者が、人を襲い喰らう妖へと変異してしまったのだ。


『妖怪と化した巫女は……彼女が村に訪れた際に持っていた竹櫛に封じられ、さらに術式を施された鉄箱の中に入れられた』

「二重封印か。先刻、その妖怪の怨念を感じたが……凄まじいものだった」

『そして、後に封印された妖怪に付けられた名は――――不巫怨ふふおん口女こうじょ


 汚く深く、そして醜い人間の欲望の被害者。

 人も妖怪も不幸にし、残されたのは……血生臭く後味の悪い、悲惨な結果だけ。


「フフオンコウジョ?」

『資料にはそう書かれているね。ま、名前の由来は文字の綴りで解るけど』


 電話口の向こうで、横田が小さく溜め息する。

 今回の以来対象である妖怪が生まれた経緯……その話は気分が悪くなるものだった。横田が溜め息してしまうのもしょうがない。


『そして、話は現在に至る……って訳だ』

「成る程。その不巫怨口女とやらの封印が解けてしまったのか」

『不巫怨口女は元々渡り巫女。封印と同時に御霊みたましずめも含め、寄り代は祀り場所を定期的に変えるようにしていた』

「御霊鎮めか。確かに、今回の妖怪は怨念が深く強い。その方法は時間が掛かるが、怨念を弱める効果的な方法ではあるの」

『祀り場所を変えるのは周期は二十年に一度。次に不巫怨神女を祀る場所を探し、候補となる村に了承を得て、封印術を新たにして人目の少ない山奥などに祠を移動させる。それと同時に、封印されている祠を管理する者も交代される』

「それで、今回の移送中に事件が起きた訳かの」

『俺もこんな事態になるとは思っていなかったよ。依頼の内容が内容だからね、慎重に下準備をしていた……と言うのにこれだ。何か怪しいと思い、前の祀り場所があった村長を問い詰めた』


 次々と出てくる問題に、横田の声は疲労と落胆で覇気が無い。

 しかも、様子からして宜しくない情報が出てくるのは予想できる。


『そしたら案の定だよ、こっちに教えてくれていた情報は嘘っぱち。封印術の効果期限が過ぎていたにも関わらず、新たな封印式どころか祀り先を決ないで先延ばしにしていた』

「管理者とやらが封印の期限を知らなかった……という訳ではなさそうだの、その言い方では」

『不巫怨口女が封印されたのは約五百年前。魑魅魍魎の類への関心が無くなっている現在、管理者もその中の一人だった。管理の怠慢のせいで申請が遅れ、今回の事件が起きた』

「昔と比べ信仰が薄くなっていく今世……軽薄に扱うのは哀しい事だの」


 昔は神仏に感謝や慰霊の為に行われていた祭りが多々あったが、そういうものは今じゃめっきりと減った。

 それは人々から信仰が薄くなっている表れで、とても哀しい事である。


『だが、おかしな点がある。依頼自体は移送だけという簡単なものだが、封印されている妖怪は非常に危険なモノだ。万が一が無いようにと、厳重な注意と万全の準備、下調べをした。しかし……』

「その時には特に問題は無かった、と?」

『そうだ。基本、封印式の効果期限は本来の期限よりも短く記述される。そうすれば今回みたいなケースで遅れて動いてもフォロー出来るからね』

「ふむ、賞味期限と消費期限みたいなもんだの」

『だと言うのに、まだ効力がある筈の封印が解けた。そこが不可解だ。そこはウチでちゃんと確かめたし、術式の効力もまだ十分残っていた。第一、封印の期限が切れていたら移送を行う前に新しい封印術を施している。なのに封印が解けたという事は、何か他の原因があったと考えられる』


 やはり、他に何か……別のイレギュラーがあったと考えるべきだと、横田が呟く。

 その言葉に猫又も、怪訝な表情を浮かべた。


『……が、今はそれが何かを考えるよりも先にしなければならない事がある。移送要員の他に護衛を五人付けていたが、封印が解けた際に全員が負傷してまともに対応出来ないでいる。さらに、人喰い対策で供助君が住む五日折市いつかおりし付近に配置していた払い屋も、最近妖怪が多くて遠くに離れてはいないが別の依頼ですぐに動けない状況だ』

「つまり、近くにまともな戦力になる払い屋は居なく、私達に白羽の矢が立ったという事かの」

『すまないが、その通りだ。今は護衛で付いていた払い屋が負傷した状態でなんとか結界を張り、ある場所に留めている』

「そのある場所と言うのが……」

『さっき言った通り、供助君が通う石燕高校だ』


 ピクン、と。供助は僅かに眉を寄せるだけの反応を見せるだけ。

 相変わらず会話には入らず、話だけを静かに聞いている。全速力で走り、目的地である石燕高校を目指しながら。


『今日は週末で明日から土日、しかも今は深夜近い時間帯。人も居ないで広い場所、妖怪を止めるには丁度良いのと、妖怪の封印が解けたのが高校の近くだったのもあって供助君の高校になってしまった。けど、そこでまた予想外の事態になった』

「予想外?」

『学校に多くの生徒が残っていた事だ。明日が文化祭らしく、準備の為に学校に泊まっている生徒が多くいたんだ』

「なんと……では結界の中には妖怪と一緒に生徒も居るのか……!」

『完全にこちらの落ち度だが、部下達が負傷していたのもあって生徒が居ることの確認をする余裕が無かった』

「そういう、事であったか」


 横田の話を聞き、猫又は一瞥する。少し先を走る、供助の後ろ姿を。

 供助が切迫した様子で、事件が起きた現場へ急ぐ理由を知り、そして納得した。いや、察しがついた。

 これだけ供助が急ぎ走る理由……恐らく、学校にはまだ友人が居るのであろう、と。


『だが、即席の結界なのと妖怪が強力なのもあって、いつ結界を破って街に出てしまうかも分かず時間が無い』

「それで、手が空いていた私達に藁にも縋る思いで依頼を頼むか」

『藁よりも信頼はしているけどね』

「藁よりマシと言っても泥船程度だろうがの」


 先程、一瞬ではあるが感じ取った不巫怨口女の妖気、怨念。

 あまりの強さ、凄まじさに、猫又も自身の頼り無さを自虐してしまう。


『そして、ついさっき……現状を知った依頼主が、ようやく事の重大さを理解したのか改めて依頼を申し出てきた』


 過去、不巫怨口女は余りに深く強力な怨念により、祓う事は不可能だと封印された。

 ここ数百年、御霊鎮めを行い怨念が静まる試みていたが……結果は先刻、供助と猫又が感じ取った通り。

 御霊鎮めの効果が薄かったのか、はたまた数百年の御霊鎮めの効果があっても尚、供助達が警戒し狼狽ろうばいする程に元の怨念が強大過ぎるのか。


『封印から目覚めた妖怪を、速やかに始末して欲しい……ってね』


 溜め息混じりに、横田は言った。

 妖力、怨念の大きさ。元は神に仕える渡り巫女と田の神と言われる野槌。最難関の依頼であるのは間違い無い。

 それを簡単に始末しろと言ってくる辺り、依頼主の無知さが測り知れる。


「簡単に言ってくれる。あのような妖怪を祓うなど、どれだけ困難か……」

『全くだよ。既にうちの部下が傷ついているっていうのに、虚偽の情報を教えていた事への謝罪も無しに出て来た言葉がこれだ。怒りよりも呆れが来るよ、ホント』


 事の重大さを知っても、現場の苦労や仕事の大変さを知らずに物を言うだけの依頼者に、横田が頭を抱えたくなるのも当然だ。溜め息の一つぐらい出てしまうだろう。

 ミスがあれば上から怒られ、問題があれば下から文句を言われる。中間管理職の辛いところである。


『けど、依頼を成功させたのなら報酬として三百万を払うそうだ』

「さんびゃっ……!? 随分と太っ腹だの、その依頼主は」

『そうでもない。今回の件は難易度が非常に高く危険だ。最初に言ったが、本来なら君達には絶対に任せる事が無い位にね。報酬金額は妥当と言っていい』

「そうなのか。私は相場を知らんからの」

『もっとも、移送の依頼は失敗して報酬は当然貰えない。もし君達二人が妖怪を倒したのなら、報酬として相応の金額を出そう』

「相応の金額? 三百万ではないのかの?」

『うちも一応組織だから、今回の件で動いた費用あるからね』

「それでも十分な大金が出るわけか。腹いっぱい寿司が食えるのぅ! 寿司だけでない、酒もたらふく飲める」

『ま、逆に言えば妖怪を倒さなきゃ一銭も入らないって事だけどね』


 払い屋稼業は結果が全て。過程がどうであってどんな大変であったとしても、依頼主から受けた内容通りにこなさなければならない。

 今回の様に目標である妖怪がどれだけ強くても、依頼を受けてしまえば内容にそった形で依頼を成功するしかないのだ。

 当然、依頼内容と報酬金額が割に合わなかったら断る事も可能である。しかし、今回は報酬云々よりも、周りに及ぶ被害拡大を防ぐ為に受けざるを得なかった。

 しかも、封印が解かれた不巫怨口女が居るのは高校。下手をすれば百単位での被害者が出てしまう。それだけは絶対に避けなければならない。


『とは言え、君達が不巫怨口女を祓うのは難しい事は理解している。だから、祓うのではなく時間を稼いで欲しい』

「時間を、とな?」

『そうだ。他の払い屋が駆け付けるまでの時間をね。確かな腕を持つ払い屋へ手当たり次第に連絡をした。全員は無理だったが、複数名の払い屋が既にそっちに向かっている』

「相手が相手だ。数で攻めるしかないの」

『だが、さっきも言ったが即興の結界なのと、妖怪が強力なのもあっていつ結界を破って街に出てしまうか分からない。現場の近くで、すぐに向かい対処出来るのが供助君達しかいなかった』


 申し訳なさそうに、バツが悪そうに。横田が苦肉の思いで出した案だというのが声で解る。

 疾走する事、約十分。猫又の視界には石燕高校の頭が見えてきた。そして、今まで無口だった供助がようやく、口を開く。


「で、その時間とやらはどんだけ稼げばいいんだ?」

『……最低でも二時間』


 間が空く。数秒の短い間が。

 あの凄まじい怨念が渦巻く強力な妖力を持つ妖怪を相手に、二時間。それも、他の払い屋は負傷していて支援は期待出来ない。

 どれだけ無理難題か。例えるなら生身で戦車を破壊しろと言うようなもの。最強の格闘家を目指すストリートファイターでもボーナスステージで壊すのはジープだと言うのに。

 しかも、しかもだ。不巫怨口女は意識を失わせた人間の生気と体力を吸い取り、衰弱させてから喰らう。

 そうなると、つまり……二時間の間、不巫怨口女の気を引き、大勢居る生徒を守りながら、増援が来るまで時間を稼がなければならない。

 倒すのが困難な妖怪の相手をし、生徒の無事も守らなければならず、結界内のという狭く限られた領域での交戦。

 どれだけ難しい依頼か……言葉にせずとも理解出来るであろう。


「こりゃあ骨が折れそうだ」

「骨だけで済めばいいがの」


 学校を覆う黒い瘴気の禍々しさ、漂う怨念の忌々しさ。

 闇夜の飲まれている学校がさらに、黒々しく染まり闇霧が包む。

 それを見上げ……一人と一匹は呟いた。


 ――――以上、回想終了。

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