第五十二話 事端 前 ‐ジタン ゼン‐

 着信音を鳴らして存在を主張する、供助の携帯電話。先ほど感じ取った異様な妖気と、尋常じゃない怨念。さらには、携帯電話の画面に表示される『横田』という二文字。

 嫌な予感が……いや、嫌な予感しかしない。供助は鼻で空気を吸い、口からゆっくり息を吐く。嫌な予感を振り払うように。

 そして、テーブルの上で鳴り震える携帯電話を手に取り、供助は電話に出た。


「もしも……」

『――――供助君、いきなりですまないが依頼を引き受けて欲しい』


 電話を受けるや否や、横田は供助の短い言葉も待たず、いつもの雑談もくだらないやり取りも無く。

 声も少し早口で、受話器越しでも切迫した雰囲気が伝わってくる。


「随分と急っすね。その依頼ってのは何時です?」

『――――今から、だ』

「……ホント、急っすね」


 供助は前髪を掻き上げ、小さく溜め息して心の中で呟く。

 嫌な予感ってのは当たっちまうから嫌な予感なんだ、と。


『引き受けて欲しいと言っておいて悪いけど、今回の依頼は強制だ』

「拒否権は無い、って事っすか」

『それだけ緊急でね。非常事態なんだ』

「さっき、物凄い妖気を感じた。今回の依頼……それに関係するんですか?」

『やっぱり感じていたか、その通りだよ。妖気を感じ取って解ると思うが、非常に厄介な依頼でね』


 普段は飄々ひょうひょうとした喋りをする横田が、一切の冗談も雑談もしない。声も重く、低く。

 今回の依頼の重大さ、いかに緊急なのかが解る。


『すぐに現場に向かう事は出来るかい?』

「大丈夫です。動きやすい服に着替えるだけなんで、すぐ出れます」


 横目で猫又を見ると、頭の猫耳を一動させてから供助に頷いて見せる。前に猫又が、猫は人間と比べれば遥かに耳が良いと言っていた。

 さっきの妖気に、このタイミングで横田からの電話。こんな状況で気にならない訳が無い。

 供助と横田の会話を、猫又はしっかり聞き取っていた。


『なら、今すぐ向かってくれ』

「えっ……すぐって、本当に今すぐなんですか!? 払う目標の情報とか……」

『時間が惜しい、君達が現場に向かう間に電話で話す。それだけ緊急事態なんだ』

「でもせめて場所くらいは教えてくださいよ。でなきゃあ現場に向かいたくても向かえませんよ」

『そこ、なんだよねぇ……一番厄介なのは』

「どういう事っすか?」

『今回の依頼、その場所なんだけど』


 少し声を曇らせながら、横田が伝えた言葉は。

 供助の表情を強ばらせ、そして、今回の依頼がどれだけ緊急なのかを認識させた。


『――――君が通っている、石燕高等学校だ』





     ※     ※     ※





 綺麗な円形、淡く放つ明かり――――今宵は満月。

 こんなにも月が青い夜。風流であり、また神秘的でもあり……不吉を思わせる奇怪さが漂う。

 日付が変わる時間帯の街中は静まり返り、月明かりが街並みを青白く色を塗る。

 しかし、深夜という理由とは他に……何か不気味な空気、異様な感覚が原因でもあるだろう。

 鈴虫の鳴き声はどこからも聞こえず、無風で物が揺れ擦れる音も無い。無音無声の静寂に包まれた街、不気味に流れる空気。

 そんな夜街を走り抜ける二つの影があった。一人と一匹の、影が。



 ――以下、回想。


『今回のは非常にランクが高い依頼でね。本来なら供助君と猫又ちゃんの実力じゃあ回さないんだが……』


 電話口の向こう。横田は本意では無いと付け足すと、言葉を続ける。


『実はつい先刻まで、妖怪が封印された寄り代をとある地方から移送中だった』

「封印された妖怪、とな……?」


 供助と猫又は夜の街を走る。つい数分前に横田から依頼を任され、目指すは石燕高校。

 猫又が持つスピーカーホンにされた供助の携帯電話から聞こえてくる横田の声に、猫又が言葉を返す。


『東北地方の田舎に昔から伝わる土地神でね。遥か昔に寄り代に封印されて長い間、神社に祀られていた』

「む……土地神? さっきは妖怪と言ってなかったかの?」

『ま、色々と経緯があってね。村の言い伝えでは土地神とされていたが、実際はそうでなく妖怪だった』

「その言い方からすると、村人が妖怪と知らず祀り称えていた……という事かの?」

『いや、今回の場合は妖怪と知っていた上で神として祭っていた、だね』

「ふむ……何やら面倒な話のようだの」


 少しいぶかしげに、猫又は眉間に皺寄せる。


『土地神とされる封印されていたのは草木や花、畑の作物を豊作にすると言われていた妖怪でね。本来はそこまで危険な存在ではなかった』

「作物の豊作……となると、田の神などの類かの?」

『俺も最初はそう思った。が、資料を元に調査したらその妖怪は野槌のづちではないかと結果が出た』

「野槌、か。神とまではいかぬが、野の精霊と言われておるの。だが、野槌は作物を豊穣させるような妖怪ではなかった筈。むしろ兎や鹿を喰らい、さらには人を襲う事もある有害な妖怪と聞いておるが……」

『よく知っているね、猫又ちゃん。相変わらず妖怪に関して博識だねぇ』


 野槌――蛇のような形をしており、頭の頂辺に口があるだけで、鼻も目も耳も無い。深山に住み、山野の精とも言われている。

 記述されている文書によっては差異があり、全身が毛だらけであったり人型であったりと、複数の言い伝えがある。

 ただ、共通しているのは目、鼻、耳が無く、頭部の頂辺に口があるという点。

 一説では、あの有名なツチノコの名前は、野槌と似ている事から命名されたとされている。


『昔、ある村が台風や豪雪によって作物が育たず、凶作が何年も続いてね。村人は酷く苦しんでいた』

「今も昔も、自然には勝てんからの」

『そんな深刻な食糧不足をどうにかしようと、村人が取った行動は近隣の山に住んでいた妖怪に助けを求めるというものだった』

「その土地に住む妖怪や神に縋るというのは昔では珍しく無い。人身御供など特に、の」

『ま、そこに救世主が現れて全てを解決する娘を救う……なんて御伽噺みたいな展開じゃないんだけどね。妖怪へ貢がれたのは残り少ない作物と、野山で狩った鹿や猪らしい』

「それで、結果はどうなったのかの?」

『作物は豊作になって食料不足も解決し、村にも活気が戻ったそうだ。それ以降、定期的に妖怪へ作物や山で採れた野鹿などを供えるようになり、凶作になる事は無くなった』

「しかし、野槌は農作物を実らせるような能力なんて持ってなかった筈だがのぅ」

『野槌も“草木の精”と言われる妖怪だ。村一つの畑作を実らせる位、そう難しい事でもないだろう』


 猫又と横田の会話に供助は入らず、無言で走行を続ける。別に無視している訳ではなく、話はちゃんと聞いて頭に入れている。

 しかし、供助の表情は強張り。いつもの気怠そうな態度は一切消え、危機迫り、鬼気迫る顔をしていた。


『そして、ここからが事の始まり。妖怪が封印された理由と由来だ』


 横田は受話器越しに小さく息を吐き、声のトーンが下がる。


『妖怪のお陰で村は毎年豊作、大きな自然災害に悩まされる事はなくなった……が、一度甘い蜜の味を知った村人たちは、それに依存するようになってしまった』

「そりゃあの。作物の一部を供えるだけで豊作が約束される。手放すのは惜しくもなろう」

『俺が言うのも何だけど……人間ってのは本当に欲深くて愚かだね』

「む? なんだ横田、いきなり」

『その妖怪の力を欲した村人達が隣村や他の土地の者に知られ、取れれぬよう、妖怪に酒を振る舞い酔って眠った所を狙い、手足を切って監禁しようとした』

「……ッ! しかし、手足とな? 野槌は蛇のような体躯に、四肢が無いと聞いておるが……」

『地域によっては人型であったとされている所もある。多様な姿形を持つ妖怪も珍しくないだろう?』

「まぁ、の。で、野槌は……?」

『村人の目論見は失敗。野槌は右腕を切断された所で目が覚め、村人の行いに激怒し、その場にいた人間を全員喰い殺したそうだ』


 人を喰い殺した……その言葉に供助は微かに反応を示したが、それでも会話に混ざる事は無かった。

 自分が探している者が“人喰い”である故、どうしても人を食うという言葉には敏感になってしまう。

 だが、今のは昔話の事。供助は無言で走り続けるだけだった。


『それからは作物も再び凶作に見舞われ困り果てた。さらに野槌が村を襲うようになってしまい、村人は心身共に追い詰められ衰弱していったらしい』

「因果応報だの。欲を出し、恩を忘れた人間が悪い」

『だが、ある日……その村に救い手が現れた』

「救い手、とな?」

『現れたのは渡り巫女。または歩き巫女とも呼ばれているね』

「日本に昔から伝わる巫女の一種だの。もっとも、その全てが全うな巫女と言う訳ではないが」


 渡り巫女、歩き巫女――古来、日本に多く存在していた巫女の内の一つ。日本各地を旅し、祈祷きとう勧進かんじんを行って路銀を稼ぎ、生計を立てていた。

 だが、旅芸人や遊女を兼ねていた歩き巫女も存在し、猫又が言ったように全てが実力を持った巫女という訳では無い。

 それでも実力を持つ渡り巫女は存在する。中には口寄せで死人の口を聞く者も居る程だった。


「なるほど。では村人たちはその渡り巫女に助けを求め、野槌を封印してもらったのか。それで、今回の依頼途中で野槌の封印が解けた、と」

『……いや、違う。人の欲深かさは本当に怖いよ』

「ぬ?」

『確かに村人は渡り巫女に野槌を祓って欲しいと頼み、巫女もそれを承諾した』

「では、何が違うのかの?」

『村人は妖怪を退治して欲しいと巫女を騙し、祓いに向かった巫女を後ろから襲い気絶させた。そして、妖怪に対してこう言った……“巫女の力を喰らえば失った右腕も元に戻るだろう。だから、その代わりもう一度、この村に実りを戻してくれ”』

「村を助けようとした巫女を売ったのか……ッ!」


 人の欲。その深さ。罪深さ。

 善意で村を助けようとした渡り巫女を、村人は贄として捧げる。外道非道の極み。

 猫又は不愉快さと、苛立ちを隠せず怒りを見せる。


『しかも、渡り巫女は生きたまま野槌に喰われた。死んでしまえば神力が無くなってしまう、とね』

「胸糞が悪うなるの……!」

『巫女を食らって野槌の腕は元に戻り、怒りは収まったのか村を襲う事は無くなった』

「村人にとっては万々歳だが、巫女は報われんの……」

『村人は野槌に襲われる危険が消え、来季からは凶作の心配も無くなると安堵した……が、少し間が経ってから村に不可解な事が起こるようになった』

「その不可解な事とはなんだの?」

『――神隠し』


 横田の話では、渡り巫女を捧げてから野槌が村を襲う事は無くなったが、不定期に村人が行方不明になるようになった。

 子供、大人、老人。歳や性別は関係無く、無差別に、そして前触れも無く姿を消す。ものの二ヶ月で被害人数は十を超える異常事態。

 新たに起こり始めた問題に、村人はまた頭を抱え悩んだ。


『ただ事ではないと村で少ない金銭を集め、遠くから有名な神社からお坊さんを呼んで解決してもらおうと試みた』

「凶作で蓄えも少ない筈。それでも呼んだという事はそれだけの状況だったんだろうの」

『そして、呼ばれたお坊さんが村には入るや否や、村人達に鬼気迫る顔で問い詰めたそうだ。ここで何が起き、何をしたか、を』


 それだけ村には悍しい妖気と濁った空気が充満していたのだ。

 村を覆い尽くし、飲み込む程の寒気と悪寒。尋常でない状況に、お坊は只事ではない事を瞬時に感じ取った。

 そして同時に、自分では手に負えないと。


『村人は正直に経緯を話し、それを聞いた坊さんは激怒したそうだ』

「そりゃあの。聖人君子でもキレて仕方ない事をしたからの」

『そして、十三人目が神隠しにあった辺りで……その原因がようやく見付かった』

「その言い方からして……大体の予想は出来るがの」

『場所は山奥の崖下。案の定、村人の神隠しの原因は妖怪でね。そこら中に喰われた残骸が転がっていたそうだ』

「やはり原因は野槌だった訳かの」

『半分当たり、だ。正確には野槌だったモノ』

「だった?」

『見付けたのは本来の姿から掛け離れた形の……』


 故意か無意識か。横田はひと呼吸の間を空け。


『――――渡り巫女に乗っ取られた野槌だった』


 裏切られた妖怪と騙された人間の成れの果て。

 憤怒と怨念に取り憑かれた巫女の怨霊。それに飲み込まれ乗っ取られた野槌。

 人の欲は妖怪も、同じ人間すらも―――惨劇の禍渦へと巻き込む。

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