第四十話 妙薬 ‐ミョウヤク‐

 猫又が取った強攻策。その内容は……勢いで押し切る。

 上手くいくかどうか。結果はすぐに出る。供助が冷たい視線を猫又に送っている時点で結果はお察しだが。


「おーし、わかった。てめぇが反省しねぇなら本当に晩飯抜きだ」


 まぁ予想通り、失敗。

 そもそもこんなもので上手くいく訳が無い。当然です。


「す、すまん供助っ! 今のは冗談、冗談だの! だから夕飯抜きだけ勘弁して欲しいんだの!」

「じゃあ俺が食い損ねたカップラーメンな」

「むぬぬ……飯抜きよりはマシだが、出来ればもう少し譲歩して――――」


 言葉の途中。会話を止め、何かに反応する猫又。顎を僅かに上げ、鼻を二、三回鳴らして嗅覚を集中する。

 段々とその表情は固く、そして険しくなっていく。


「ん? どうした、猫又?」


 急に黙り込んだ猫又を不審に思い、供助は隣の猫又を見やる。

 が、返事は無く。猫又は鋭い目付きになり、不機嫌……いや、警戒した様子で、無言で後ろへと振り返った。

 そして、釣られるように。供助も同じく後方へと視線を向けた。


「あぁ――――なるほど」


 最初に出たのは、納得を表す言葉。猫又の態度と行動。その二つの理由が判明し、供助は少し面倒臭そうに呟く。

 供助と猫又の視線の先。住宅街の一角、一定の間隔で設置された外灯と外灯の間。少し薄暗くも、そこに居た人物ははっきりと視認出来た。

 明らかに友好的でも歓迎的でもない二人の前に居たのは――――。


「やーやー、コーンバーンハ」


 黒いレザージャケットを着て、中には白のタンクトップ。下衣はブラックデニムにレザーブーツ。そして、深く被った黒いニット帽から僅かに覗ける赤い髪。

 供助と同業者にして異業者。商売敵でもある人物が、そこに居た。

 祓い屋――――七篠ななしの言平ことひら


「なぜ貴様がここにおる……ッ!?」

「なぜ、って聞かれてもなぁ。仕事帰りにたまたま通り掛かったとしか言えないんだが」


 警戒し身構える猫又に対し、七篠は陽気な口調で返す。

 眉間に皺を寄せて敵意剥き出しの猫又に、全く気にしていない様子の七篠。

 猫又に答えながらジャケットの胸ポケットから煙草の箱を取り出し、一本を口に咥える。

 銘柄はマルボロ。箱の色は赤と白の二色で、バージニア葉を使用していて甘さがあるのが特徴的な煙草である。


「吸うかい?」


 七篠は咥えた煙草に銀色のジッポで火を点け、一度大きく紫煙を吐き出す。

 そして、片手に持っていた煙草の箱を供助達の方へと差し出した。


「要らん。私は酒は好きだが、葉巻の類には興味が無いのでの」

「ありゃま。んじゃ、そっちの兄ちゃんは?」


 言って、七篠は供助にも煙草を向ける。


「悪ぃが、俺もパスだ。右に同じく、俺も金が掛かるだけの趣味を持とうとは思わねぇ」

「あーらら、見た目によらず真面目だな。てっきり吸ってるもんかと」

「親の躾が良かったもんでね」


 供助は七篠の煙草を拒否し、自嘲するように肩を竦めた。

 それに、供助はまだ高校生。校則的にも法律的にも煙草はダメ、絶対。


「ま、吸う吸わないは個人の勝手だから別にいいんだけど」


 七篠は煙を吸い、ジャケットの胸ポケットに煙草とジッポを戻す。


「さっき例の家の前を通ったら、すっかり妖気が無くなってたんでね。あんた達が少し先を歩いているのを見付けたんで、声を掛けようと思っただけだ」

「ふん。貴様とは私達は商売敵……話す事も無ければ、話し掛けるような仲でもないの」

「そう警戒すんなって。別に取って食う訳でもないんだから。まぁ、金を払うんなら話は違うけどな」

「どうだかな。貴様の言葉はどうも信用出来ん」

「金にならない事をどうしてするよ? 自意識過剰だ、妖怪ちゃん」


 煙草の先端を赤く燃やし、煙を吐き出す七篠。

 霊気を強める事も無ければ、敵意も見せず。本当に金を払わない限り、必要以上の仕事はしないらしい。


「どうやら妖怪は祓えたようだが……無傷とはいかなかったみだいだな」

「昔から不器用なもんで。そのせいか仕事をスマートにこなせねぇんだ」


 顔に痣を作っている供助を見て、七篠は微苦笑する。そんな七篠に供助は、自虐を含んだ返事をして鼻で笑った。

 少なくとも楽勝でなかった事は見て解る。


「はぁ、なんだかなぁ……同業者として仲良くなっておきたいところだが、どうもそんな雰囲気じゃあないらしい」

「俺は払い屋で、あんたは祓い屋。基本的なトコは同じでも、根本的な部分は別だ。それに、仲良くなる理由がねぇ」

「まだまだだな、少年。世の中、何事も情報は大切だ。人脈を作っておくに越した事はないぞ? どこから仕事の話が入ってくるか解らないからなぁ」

「情報が重要だってのには同意見だ。だが、あんたとの人脈を作る気は俺にゃ無ぇよ」

「んー、残念無念、また来週」


 七篠は大きく煙草を吸って、がっくりと肩を落として煙を吐く。

 商売敵である供助にまで人脈を作り、仕事を募集する節操の無さから金銭第一っぷりがよく解る。

 金さえ払えば何でも除霊し、仕事さえ貰えれば誰でも構わず。祓い屋の鏡と言えるかも知れない。


「ま、いいか。ほれ、少年。受け取れ」

「あん?」


 いつの間に手に持っていたのか、七篠は小さな瓶を供助へと投げ渡した。

 供助が受け取って中を覗いてみると、若草色のヨーグルトみたいな物体が入っていた。


「なんだ、これ?」

「怪我をしているみたいなんでな、些細な贈り物だ。傷によく効くぞ」

「なんか裏があるとしか思えねぇのは……俺の性格が悪いからか?」

「いんや、そう思うのは当然だろ。ま、御近付きの印みたいなもんだ。俺はまだ予備があるからやる」


 供助が受け取る理由が無いと投げ返そうとするも、七篠は既に背を向けて軽く手を振っていた。


「何か仕事があったら、前にやった名刺の電話番号によろしくー」


 プカプカと煙草の煙を口から出して、七篠は供助達とは真逆の道を歩いて行った。

 一体何をしたいのか、何をしに来たのか、何が目的なのか。唯一解る事と言ったら、七篠という男は金欲が深いという事だけ。

 最後に言った言葉も、とても商売敵に向かって言うようなものでは無い。

 供助と猫又が目を離さずに七篠を見つめる事、十数秒。黒い服装が街の暗闇へと溶け込むように――――消えていった。


「一体、奴は何をしに姿を見せたのかの……?」

「さぁな。俺が知るかよ」


 供助は悪態をつき、猫又に返す。

 他人が何を考えているかなんて誰も解らない。人間はどう頑張っても自分自身の考えている事しか解らない。

 七篠という男が何を考えているかは、七篠本人だけが知っている。


「で、さっき何を渡されたのかの?」

「傷に効くっつってたから、薬か何かじゃねぇか?」


 猫又は供助の隣のやってきて、気になるのか貰った小さな瓶を覗き込む。

 供助は瓶の蓋を開け、中に入っている物体を人差し指で掬ってみる。


「む……匂いはあまりしないの。強いて言うならミントに似ておる。まさか、これは……」

「本当に効くのか、この薬」

「って、何してるんだの供助っ!?」

「何って薬を傷に塗ってんだろうが」

「まだはっきりと何なのか解らぬ物を簡単に使うでない!」

「おっ……? いやでも、痛みが引いて……っつうか、頭の傷口が塞がっちまったぞ?」

「なぬ? 本当かの、供助」

「見てみろよ、ほら」


 供助が髪を分けて傷口があった箇所を猫又に見せると、血の跡はあったが確かに傷口は無くなっていた。

 まるで元から無かったように消えた傷。猫又は見覚えのあるこの薬に、自分の記憶の中に当てはまる物があった。


「やはり、これは……」

「知ってんのか、猫又?」

「うむ。昔、何度か使った事があっての。今思い出した」


 猫又は供助が持つ薬瓶の中から軟膏を人差し指で少量だけ拝借し、それを供助の腕へ塗り始めた。


「これは――――鎌鼬の妙薬だの」


 すると、供助の腕にあった痣は薄くなっていき、ものの十秒程で消えてなくなった。


「おー、あっという間に痣も痛みも消えた。こりゃすげぇな」

「うむ。鎌鼬の妙薬は外傷の特効薬とも言われておる。なにせ、鎌鼬が負わせた切り傷を一瞬で治す程だからの」

「へぇ。少しとは言え、そんな良いモンをくれるたぁな」

「……」

「どした、猫又?」

「いや、の」


 供助が薬瓶を掲げてまじまじと眺めると、猫又がなにやら訝しげな表情をさせているのに気付く。

 顎に手を当て、目を細めて。猫又は眉間に皺寄せていた。


「前に鎌鼬を祓う依頼があったろう?」

「あぁ? あー、一週間くれぇ前だっけか。工場跡地ん所のだろ?」

「うむ。あの時も気になっておったが、ちょっと引っかかっての」

「何がだよ?」

「覚えておるだろう? 私達が祓った鎌鼬が……一匹足らんかったのを」

「言われてみれば、そいやそうだったな」

「しかも、だ。居なかった最後の一匹は……」

「薬を塗る奴、だったな」


 左手の薬瓶。その中にある若草色の軟膏を見つめ、供助は答える。

 この奇妙な一致。偶然と納めるは何か引っ掛かり、必然と言うには根拠が無さ過ぎる。

 胸の突っ掛り、何とも言えぬ違和感。


「供助、お前はどう思うかの?」

「どう思う、か。俺がさっきから思ってんのは『早く帰って飯食いてぇ』だな」

「私は真面目に聞いてるんだの」

「俺だって真面目に答えているっつの。こちとら起きてから何も胃に入れてねぇんだ。このままじゃあ腹ぁ減って餓死しちまう」


 供助はわざとらしく大きく肩を竦ませ、薬瓶をポケットに突っ込む。

 何も食っていない上に、食う直前で飯をお預けされてから早数時間。いい加減に空腹の限界が来ていた。

 さっさと半額弁当を買って家に帰りたい。それが供助の本心であった。


「第一、それを今考えてどうなるってんだ。白だったにしろ黒だったにしろ、どっちにしろあの祓い屋を警戒するのは変わんねぇんだろ」

「まぁそうなんだがの」

「あいつとはこっちから望んで会う事は無ぇし、向こうはこっちの連絡先も居場所も解らなねぇ。もう会わなけりゃそれで済む」

「しかし、気になるんだの……いや、気になると言うよりも、何か危険な感じがしての……」

「まぁ、お前が言いてぇ事も解らなくはねぇよ。けど、鎌鼬の事も別に俺等が何か被害に遭った訳でもねぇだろ。今も言ったが、もう会わなけりゃそれで済む話だ」

「う、む……」


 供助が言う通り、七篠という男に会わなければいいだけの話。

 猫又が何かを感じて何かを懸念するのも解らなくもない。が、取り越し苦労という言葉もある。

 いくら警戒して、疑い、怪しもうと。別に何かされたでも被害に遭ったでも無い。尤も、現時点では、だが。


「いい加減に帰るぞ。まだうだうだ言うんなら本当に飯抜きにしちまうからな」

「よし、帰ろうかの。今すぐ帰ろうかの」


 さっきまでの険しい顔も鎌鼬の薬を塗った傷の如く消え、猫又はしれっといつもの調子に戻り、先頭をきって歩き出す。

 兎にも角にも、一転二転と色々な事が起きはしたが、これにて本当に一件落着。

 夕方まで寝ていた供助でさえ、今日はもう疲れた。風呂に浸かって飯を食い、ゆっくりしたい。

 今日は土曜で明日も休みなのが救いである。明日から月曜で、また一週間が始まるとなったら憂鬱になるだったところだ。

 とりあえず供助は家に帰る前に夕飯の弁当を買うべく、行きつけのスーパーへと足を向けるのであった。

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