第四十一話 只今 ‐オカエリ‐
「おぉ、やはり大型市場なだけあって色々な食べ物があるのぅ!」
あっち見て、こっち見て。せわしなく視線を移らせて、はしゃぐ猫又。
友恵の家からの帰り道。供助は夕飯を買おうと行きつけのスーパーに来ていた。猫又はスーパーに来た事が無いらしく、その上食べ物が多く置いてあって暇なく目移りしている。
最初は入り口辺りで待たせてようかと思っていたが、一人で待ち呆けも少し可愛そうかと思い、一緒にスーパーへと入店したのだが……まぁ目立つ目立つ。服装が着物ってのもそうだが、何より逐一子供のように騒ぐから余計に周りの視線を集める。
時刻は夜九時を過ぎていて客もそう多くないが、やはり視線の的になるのは気分が良いものではない。
これだったら外で待たせておくべきだったと、供助は後悔する。
「猫又、少し大人しくしてくれ。周りに見られてるだろうが」
「おおっ、エビやホタテが裸で売っておるのぅ! カニは無いのかの、カニは!」
「おい、静かにしろって言ってんだろうが」
「マグロの切り身! こっちはサーモンもあるのぅ!」
「話を聞けよ、この駄猫……!」
「の゛っ!?」
ごすん。供助の鉄拳が猫又の脳天に直撃。どう発音したのか解らない短い悲鳴をあげる猫又。
一応加減はしてあるが、黙らせる為に多少は力を込めた一撃。猫又はしゃがみ、頭を抱えて無言で悶絶する。
話を聞かない輩を戒めるのが目的なので痛いのは当然である。
「な、何をする供助……」
「聞き分けがねぇペットにゃ
俯せていた顔を上げ、猫又は供助を見上げる。
相当痛かったのか目には涙が溜まっていた。漫画だったらタンコブが出来ていたところだろう。
「半額になった弁当を買いに来たんだ。さっさと行くぞ」
「また半額弁当……たまには良い物を食わんと体に悪いぞ」
「無理して高ぇモンを食って金欠になっちまって、飯が食えなくなったら意味無ぇだろうが」
「エビ、ホタテ、マグロにタコ……久しく刺身を口にしておらんのぅ」
「俺だって食ってねぇよ」
背中を丸めて進んでいく供助。その後ろを、鮮魚コーナーを名残惜しそうに指を咥えて一瞥してから猫又は追い掛ける。
精肉、カップラーメン、お菓子、酒類。様々ある食品に興味を見せる猫又に対し、供助は目もくれず目的の場所へと一直線。
弁当が置かれている惣菜コーナーに着き、なるべく良い物を買おうと物色を始める供助。
「ちっ、大して良いモンは残ってねぇな」
並べられた弁当を一見して、供助は独りごちた。
半額のシールが貼られるのは夜の九時。早い時は五分前には貼られる場合もある。
仕事帰りのサラリーマンや供助のような一人暮らしの学生と、半額を目当てに買いに来る客は少なくない。
しかし、今は九時半を回っており、つまり半額になってから三十分は立っている。そうなるとやはり、ある程度は買われてしまって良い物は殆んど無くなっていた。
「しゃあねぇ、数があるだけマシか。適当に何か買ってこう」
供助は後頭部を掻き毟り、少しばかり落胆の色を見せて物色を始める。
残っていたのは鮭弁、のり弁、幕の内弁当。とまぁ、似たような物ばかり。運が良ければカツ丼や天丼、鳥そぼろ弁当など、心持ち豪華な物が残っている時がある。
まぁ、今日は遅く来て数があるだけまだ良かったと言えよう。何も無かったら、本当に伸びきったカップラーメンを夕飯にしていた可能性もあった。
「とりあえず六つだな。明日の分も買わねぇと」
今日の夕飯だけでなく、明日の朝昼の分も買っておく。
賞味期限は今日までとなっているが、冷蔵庫に入れておけば一日くらいどうって事はない。
消費期限じゃない限りはまず大丈夫である。
「おい、猫又。同じようなのしかねぇけど別にいい……って、どこ行きやがったあの駄猫は」
ほんの少し目を離した隙に姿を消した連れ人。いや、連れ人と言うか連れ猫と言うか何と言うか。
もう本当に大人しくしてくれと辟易する供助。さっき食らわせた拳骨は大して意味を成さなかったらしい。
どこに行ったのかと辺りを見回すと、少し離れた先から駆け足でやってくる猫又を見付けた。そして、供助は猫又が何かを右手に持っているのに気付く。
その様子を例えるなら、一緒に買い物へ来た子供がお目当てのお菓子を発見した子供とでも言おうか。
「供助、供助! 私これ、これがいいの!」
「これって何だよ?」
「黒糖油揚げいなりっ!」
「……げっ、八個入りで五百九十八円!? 却下、高い」
「こーれーがーいーいー! いなりいなり! いなり! いなり! コクトーいなり!」
「あーもう、ナリナリうっせぇな! てめぇは大百科の発明品かっ!?」
「いなりがいいナリ!」
「乗ってくんじゃねぇよ!」
猫又が持ってきたのは、いなり寿司。いなり寿司なのに予想外の値段に、供助の声が少しだけ裏返った。
普通の寿司ならともかく、いなり寿司でこの値段は少し高い。しかも、半額じゃないときた。
供助は即答で諦めるように猫又に言う。
「それを一つ買うだけで半額の弁当が三つも買えんだ。諦めろ」
「ぬぅぅぅ……こんなにも美味しそうなのにのぅ」
「美味そうかどうかより腹が膨れるかどうかだ。元あった所に戻してこい」
供助は猫又の返事を待たず、弁当を持ってレジへと向かう。
「ったく、やっぱ外で待たせとくんだった」
背中を丸め、目は半目。供助は疲れた様子で愚痴る。
依頼を終わらせた帰りで疲労もあり、自分から受け取らなかったとは言え、報酬はほぼ無し。むしろ、この弁当代で財布が軽くなる。
だが、今回は報酬は無くとも得るものはあった。それは、子泣き爺が鈴の音を聞いていた事。
供助が昔から聞いていた鈴の音と同じものかは解らないが、鈴の音を聞いた事がある妖怪に会ったのは初めてだった。
それに、子泣き爺は『鈴の音に誘われて』と言っていた。つまり、子泣き爺が聞いていた鈴の音は妖怪を招き寄せるものだったとも考えられる。
なら、子泣き爺と同じく鈴の音を聞いている妖怪が他にも居るかもしれない。依頼で妖怪に会う度に聞く事が増えたな、と。供助は心の中で呟いた。
まぁ色々と考える事があるが、とりあえず早く家に帰って飯を食いたい。供助は弁当を会計しようと、レジに並んで財布を取り出した。
「供助、ピザポテチの新作が出ておったの!」
「戻してこーい!」
※ ※ ※
スーパーの帰り。目的の弁当も明日の分まで買えて、あとは帰るだけ。
時間も夜の十時を過ぎているだけあって、駅前でもない限り人気は殆んど無い。電柱の上に設置された明かりに、灯蛾が数匹群がっていた。
「はーっ、今日は色々あって疲れたのぅ」
「全くだ。ひとっ風呂浴びてさっぱりしてぇ」
歩きながら背伸びしたあと、だらんと脱力して腕を降ろす猫又。
九月半ばでも未だ残暑があり、夜でも温度がある日も少なくない。今夜もその例外ではなく、歩いているだけで額に薄らと汗が滲む。
「友恵の依頼だけでなく、祓い屋とも遭遇……なにかどっと疲れたの」
「俺ぁスーパーでお前に騒がれたのが一番疲れたっつの」
「とりあえずお疲れ様、だの。色々あったが無事、友恵の家に
「あん……なに?」
「あんねい、だの。分かり易く言えば穏やかな日常が戻った、という事だの」
「だったら最初から分かり易い方で言っとけっての」
「すまんの。疲れで供助が馬鹿であった事を忘れてしまっておった」
「けっ、十分元気じゃねぇか」
顎をしゃくれさせ、猫又を見やる供助。疲れたと言いながら軽口を言う猫又に対し、供助は怠そうに返した。
供助の場合は疲れて言い返す体力が無い訳でなく、ただ単にこれ以上相手するのが面倒臭いだけだが。
「のう、供助」
「なんだよ?」
「友恵の依頼……初めから金を受け取る気は無かったのであろう?」
「あん? 金は欲しいに決まってるだろ。懐が暖かかったらこうして半額弁当を買う生活をしないで済むんだからよ」
「全く、本当に素直でないのぅ」
「うっせぇ」
「素直になれば変に回りくどいやり方をする必要もなかろうに」
「よく言うぜ。お前だって公園で友恵の事に気付いたのに、俺に会わせようと黙っていたクセによ」
「ぬ、気付いておったのか」
「そりゃな。鼻が良いお前が気付かねぇ筈がねぇ」
供助達が公園で友恵の依頼を受けたあの日。猫又がドクターペッパーを飲む為に公園へ寄り、そこで友恵と再会した。
その時、実は猫又は友恵が公園に近付いている事に気付いていたのだ。だが、それを供助に教えれば面倒臭がって帰ると思い、黙っていた。
尤も、友恵が公園に来たのは本当に偶然であったが。
「しかし、私もまだまだだの」
「あ? 何がだよ?」
「人を見る目が、だの。供助という人間の上っ面しか見て無かった」
「何言ってんだ、俺は上っ面だけで中身なんて無ぇ人間だよ」
「本当に中身が無い人間だったなら、今頃は既に見限ってるの」
「見限るも何も、友恵の依頼が終わったんだから俺とのタッグは解消すんだろ?」
「ぬっ、そういえばそんな話があったのぅ……」
猫又は少し気まずそうな顔をし、人差し指で頬を搔く。
供助の意図に気付けず、勘違いから供助を嫌悪してしまい、猫又は供助との手組みを続けられないと解消の意を唱えた。
まぁ、そういう風に思わせてしまうような言動を取った供助にも原因はあるのだが。
だが、今では猫又には供助に対する嫌悪も無くなり、タッグを解消する理由が無くなった。
「そ、それはあれだの! 私が居なくなったら供助が寂しがるからのぅ!」
「いや別に」
「ほら、私が居なければ払い屋の仕事が大変であろう!?」
「ちょっと前までは一人でやってこれたからな。特に問題無ぇよ」
「あ、えっと、んーっと……」
猫又は足を止め、必死に理由を探す。
自分からはっきりと、それも一方的にタッグの解消を言い放った事もあり、猫又の口から解消を撤回すると言い難かった。
供助同様、猫又もまた素直じゃない面もあって。全部じゃないが、どこか似た者同士なのかもしれない。
「ったく、立ち止まってぇで早く帰るぞ。いつもの癖でお前ぇの分の弁当まで買っちまったんだ」
「……供助ぇぇぇぇ」
「鼻水垂らして泣くんじゃねぇよ」
「夕飯抜きじゃなくて良かったのぉぉぉぉぉぉぉう」
「そっちかよ!」
自分の顔を和服の袖で拭き、安堵する猫又。
尤も、安堵したのはタッグ解消の件を無かった事にしてくれた事か、それとも夕飯抜きじゃなかった事にかは解らない。
まぁ、両方……という事も考えられるが。
「でも、意外だったの」
「ん?」
「友恵の依頼を無償で受けただけでなく、手作りの魔除けまであげるとはの」
「無償じゃねぇ。報酬は前払いで貰ったろ。特にお前ぇがよ」
「ふふっ、そうであったの」
「友恵ン所に妖怪が住み着いて、また泣いて縋られたら面倒臭ぇ」
「素直じゃないのう」
「ま、それになんだ……」
丸めていた背中を少しだけ伸ばし、供助は空を仰いで。
前髪を掻き上げ、言葉を続ける。
「両親が居なくなってガキが泣いたら……寝覚めが悪ぃからな」
なんて事無い、いつも通り、普通に。供助の普段と変わらない口の悪さ。しかし、どこか雰囲気が違くて重く、影のある口調だった。
それはそうだろう。供助は幼い頃に両親を亡くし、つい最近までは実家で一人暮らしをしていた。
供助は知っている。両親の大切さを、当たり前を失くす悲しさを。
だから、供助は放っておけなかった。妖怪によって家庭を壊されそうになっていた、友恵の事を。
一人になる悲しさ、寂しさ、怖さ。それを知っているからこそ、同じ思いをさせないようにと。
自分がそんなキャラでもガラでも無い事は知っている。だからこうして、口の悪い言葉で誤魔化しているのだ。
「本当、素直じゃないの」
そんな供助を見て、猫又は優しく微笑んだ。
供助が素直じゃないのも、そういう性格だというのも。猫又は知った。今回の友恵の依頼で知ったから。
なんだかんだで放っておかず、面倒臭がりなのに面倒事を手伝い、自分に似合わない言動を隠そうと偽悪的な態度を取る。
口の悪い言葉の裏に隠された優しさがある事を、供助という人間の不器用な生き方を知って。
面白い人間も居るもんだと、好奇と好意の感情を含んだ微笑する猫又。
旅は楽しさ面白さだけになるよりも、多少のハプニング……苦労があった方が印象が強く楽しい思い出として残るという。
もしかしたら人間もまともで綺麗な性格の者より、ある程度の癖や難があった方が面白く飽きないのかも知れない。
「ようやく到着だのーぅ」
「いつもと変わらねぇ距離の筈なのに妙に疲れた」
数メートル先に見える、少し古びた二階建ての家。友恵の家と比べれば古臭さがあり、よく言えば昔馴染みの家と言うか。
だが住み慣れた供助にとっては、気が休まる大切な場所には変わりない。今までも、そしてこれからも。
あと少しで足を伸ばして座り、弁当を食べて空腹を満たす事が出来る。
供助は早く家に入ろうと心持ち足取りが早くなる――――と。
「……あ」
家はもう目の前。本当に目の前で、玄関から数歩離れた所。
猫又は何かを思い出したのか、口を開けたまま立ち止まった。
「あん? どうした猫又、ションベンか?」
「違うの! デリカシーの欠片も無いの、供助は!」
「デリカシーよか金が欲しいね。第一、妖怪に人間のデリカシーは関係ねぇだろ」
「今の台詞で供助がモテん事は分かったの」
「うっせ。で、なんだんだ? 今の『あ』は」
「ここでちょっと待っとれ」
「あぁ? 家に入って早く飯を食いてぇんだけどよ」
「なに、
供助の家の玄関まではほんの数歩。猫又は理由を告げずに供助を待たせ、駆け足で向かってく。
と思えば、すぐに回れ右して戻ってきた。
「鍵」
「ほらよ」
差し出す猫又に、供助は家の鍵を渡す。
そして、今度こそ猫又は家の中に入っていった。
『入っていいの』
「ったく」
玄関の寂れた引き戸の向こう。家の明かりが点けられ、暗闇に慣れた供助は少しだけ目を細めた。
磨りガラス越しにボヤけた猫又の姿が見え、意味が解らず頭を掻きながら引き戸を開ける。
「猫又、一体何がしてぇん……」
「供助」
猫又は既に
そして僅かに顔を傾け、にっこりと微笑んで。
「お帰り、だの」
懐かしい言葉。いつかの温かさ。昔の記憶が、頭に蘇る。
かつて、この家に住んでいた両親を。優しかった人達を。
頭に浮かぶ思い出に締め付けられる心臓と、緩む涙腺。
「……あぁ」
久方ぶりの感覚、昔の思い出。
自身の感情を誤魔化すように、供助は苦笑いして。
「――――ただいま」
少しだけ気恥かしそうに、我が家へと入っていった。
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