第二十八話 二匹 ‐カタホウ‐

 夜の住宅街。太陽は姿を隠し、闇夜という名のカーテンが辺りを包む。

 一定間隔で設置された外灯のある道を、猫又と友恵は走っていた。明かりが付いた民家が次々と視界外へ消えていき、景色が流れていく。

 供助が文字通り足止めをしている間に、友恵の家から出来るだけ離れようと。


「はぁっ、はぁっ……黒い、猫、ちゃん……どこまで、行くの?」


 友恵は息を切らせながら苦悶の表情で、先を走る猫の姿の猫又へと声を掛けた。

 友恵の家を出てから五分。中学生や高校生くらいならともかく、友恵はまだ小学生。体力の量も少なく、全速力で走っていれば長く保てず、息も体力もすぐに切れるだろう。

 猫又は友恵を一瞥し、体力の限界であるのを感じ取る。


「……友恵、そこの公園に入ろうかの」

「う、うん、わかった」


 数十メートル先に見えたのは、いつもの公園。あそこならば遊具があって広い、身を隠すには丁度良い。

 友恵は残り少ない体力を振り絞り、猫又の後ろを付いていって公園の中へと入る。


「こっちだの」


 公園の中央付近。前に供助にドクターペッパーを買ってもらって飲んだ、ベンチの裏。

 そこにある茂みの中に、猫又はヒョイっと潜り込んだ。それを友恵も四つん這いになって追っていく。


「屈み身を低くして隠れるんだの。ここならばそう容易には見付からん」

「うん。よい、しょ」


 友恵は言われた通りに地面に座り、体を小さく丸めて息を整える。

 やはり相当疲れていたらしく、肩が上下に揺らしていた。


「友恵、一体何が起こっておったんだの?」


 友恵の呼吸が整うのを待たず、猫又は質問する。普段ならば待ってあげるが、今は余裕が無い。

 先程、友恵の家で何をして、何が起きたのか。猫又は状況を早く知り、対策を考えねばならない。


「わ、私にもよく解らないの……お父さんが部屋に入ってきたと思ったら、いきなり気付いていない供助お兄ちゃんを叩きだして……」


 起きた事、行われた事。

 友恵は思い出し、思い返し、猫又に説明していく。


「そしたら、お父さん、今度は私を叩こうとして……でも、供助お兄ちゃんが私を押してくれたから、供助お兄ちゃんがまた叩かれて、でもお父さんはそんな酷い人じゃないのに、また何回も何回も供助お兄ちゃんを叩き出して、私はやめてって言ったのにお父さんは聞いてくれなくて……」

「友恵、落ち着くんだの」

「だって、お父さんはあんな怖い人じゃないんだよ!? もっと優しいんだよ!? なんで、なんで……」

「……友恵」

「なん、で、どうして、お父さんは……あんな事、しない、のにっ」


 友恵は嗚咽する。顔を手で覆い、声をひしゃげて涙を零しながら。

 大好きな父親の変わり様を、自分に対して凶器を向けた事を。友恵は信じられず、信じたくなく、ぐちゃぐちゃに混ざる様々な感情に泣くしかなかった。


「泣くでない、友恵。其方そなたの両親は必ず、元に戻る。私達が戻してやるの」

「……ほんとう?」

「うむ。こう見えて強いんだの、私は」


 友恵は顔から手を離し、真っ赤になった目で猫又を見る。

 小さく頷いて首輪の鈴を鳴らし、猫又は力強い目線で友恵に答えた。


「それに一瞬ではあるが、友恵の父親に憑いていた妖怪を見る事も出来たの」

「っ、やっぱりお父さん、妖怪に取り憑かれていたの……?」

「うむ。少しばかりたちの悪い妖怪が、の」


 霊感が無い友恵には一切見えていなかったが、同じ妖怪である猫又はしっかりと見ていた。

 友恵よりも小さな体に禿げた頭の、年老いた妖怪の存在を。


「あ、あの……でもね」

「ぬ?」

「供助お兄ちゃんは最初、お父さんじゃなくてお母さんに妖怪が憑いてるって言ってたの」

「……ふむ。その時、供助は他に何か言っておらぬかったかの?」

「ベッドから妖気を感じたって。そのベッドにあった枕と枕カバーの事を聞いてきたよ」

「なるほどの、ベッドに枕か」

「あと、少し前にお母さんが悪い夢を見ていたって教えたら、なにかわかったような顔をしてたよ?」

「ほぅ、悪い夢とな」


 ベッド、枕、悪い夢。このキーワードが揃えば、ほぼ答えと言っていいだろう。

 友恵の話を聞き、供助も妖怪の正体に気付いていたと猫又は知る。

 しかし、供助は母親に妖怪が憑いていると考えていたが、実際は父親に憑かれていた。

 では、供助の推測は外れたのか。それは――――否。

 供助の推測は当たっていたのだ。ただ、さらに先にあった正解を導き出すには情報が足りなかった。

 結果、予想外の展開に陥り、あのように不意打ちを受けてしまった。


「やはり、妖怪は複数おったか」


 猫又は驚くよりも、合点がいったと納得する。

 友恵の家で供助と分かれてから、一人で妖怪の臭いを追っていた。

 そして、その途中で気付く。友恵の家からしていた妖怪の臭い。その中に微かに混じった、もう一つの臭いに。

 偶然と言うには怪しく不可解で、意図的なものを感じた。だから、猫又は予想した。今回の件は単独の妖怪ではないと。

 街中の途中で二つの臭いが二手に分かれ、どちらか一方の選択を迫られた猫又は。考慮した後、薄臭の方を追う事を選んだ。

 結果、辿り着いたのが……いや、戻ってきた、が正しいか。着いた先は友恵の家。

 すると、家の中から追っていた希薄の臭いが強まり、臭いと同様の妖気を感じたと同時。

 友恵の叫び声が聞こえ、家に入ってみると供助が倒れ殴られていたのだ。


「しかし、どうも腑に落ちんの」

「ふにおちん?」

「納得いかない、という意味だの」


 猫又は二本の尻尾を揺らし、思考する。

 友恵の父親に憑いていた妖怪。あれはどうやって残り香を消す事が出来たのか。臭いだけじゃない。妖気の残滓ざんしもかなり消されていた。

 妖気や臭い、気配を消す事は可能ではあるが、ここまで完璧に近く消せるのは上位妖怪でなければ出来ない。

 だが、先程見た限りでは供助を襲った妖怪は、上位妖怪には到底見えなかった。しかも、友恵の話では妖怪の接近に供助は気付いていなかったという。性格に問題あるが、実力は確かなものだ。そこだけは猫又も認めている。

 その供助が易々と後ろを取られ、さらには不意打ちまでさせるとなると……これは何か種がある。

 こちらが一本取られてしまう程の、何かが。


「ね、ねぇ……黒い猫、ちゃん?」

「うん? なんだの?」

「黒い猫ちゃんって、ネコのお姉ちゃんなの?」

「うむ。しばし待っておれ」


 猫又は地面に着けていた尻を上げ、ぴょんっと宙で一回転。

 すると、舞い上がる白煙と共に黒い着物を着た女性が現れた。

 着物の裾を宙で躍らせながら、猫又は着地する。


「この通り、私は猫又だの」

「ほ、本当にネコのお姉ちゃんだ……」

「すまんの。騙すつもりは無かったのだが……実は私も妖怪での。そうそう言うものでもなく、隠していたんだの」

「んーん! でも、びっくりした。頭に猫の耳が付いてる、尻尾も二本だ」


 今まで友恵と会っていた時は人型で耳と尻尾を隠していた。

 こうして人型で猫耳と尻尾がある状態を見るのは、友恵は初めて。

 猫又が座って頭を近付けてやると、友恵は物珍しそうに頭の猫耳を触り始めた。


「普段は妖怪とバレぬよう、耳と尻尾は隠しておっての。私が妖怪と知った友恵には隠す必要もあるまい」

「じゃあ、クッキーを食べたのもネコのお姉ちゃんだったの?」

「うむ、美味かったぞ。この事は他の人には秘密だの」

「うん、わかった。秘密」


 友恵は猫又の耳から手を話して、人差し指を立てて口元に置いた。

 それを見て、猫又は小さく微笑む。


「じゃあネコのお姉ちゃんは、猫の妖怪なの?」

「うむ、私は猫又だの」

「猫又って名前じゃなかったんだ」

「まぁ、名前と対して変わらんの」

「ネコのお姉ちゃんじゃなくて、猫又お姉ちゃんだね」

「そうなるの」


 猫又はにっこりと笑い、友恵の頭を撫でてやる。

 猫又と同じ黒い髪。花飾りが付いた髪留めがチャームポイントで、大切にしているのが解る。

 きっと大好きだという両親に買ってもらったのだろう。


「猫又お姉ちゃん……これからどうするの?」

「それを今考えておる。ちと不可解な点があっての」

「でも、早く戻らないと……!」

「戻る? 戻ってしまってはまたあの妖怪に見付かってしまうの。その様な危険を犯す必要はなかろう」

「だって供助お兄ちゃんが!」


 体力も回復し、猫又と話をして落ち着いたか。友恵は状況を思い出し、供助の事も思い出した。

 額から血を流してまで自分を庇ってくれた人。自分を逃がしてくれた人を。


「怪我はしておったが、恐らく大丈夫だの。だからこそ友恵を逃がしたんだろうの」

「けど……」

「それに、あんな目に遭ったのはバチが当たったんだの。子供からお金を取るなど、最低な事をしようとしたせいでの」

「そんな事ないよ、供助お兄ちゃんは優しい人だよ!」

「優しい? あやつがか?」

「そうだよ。猫又お姉ちゃんと供助お兄ちゃんにお願いする前に、沢山の人に相談したんだよ。でも、みんな話を信じてくれなくて、まともに相手をしてくれなかったの」

「供助も初め、聞くつもりなど毛頭無かったの。私が居なければ帰っていたかもしれん」


 猫又はその時の事を思い返して、不機嫌に鼻を鳴らした。


「でも、今こうして助けてくれてるよ? さっきも、私の代わりに叩かれて……」

「金の為だの。自己犠牲などと言う綺麗なものでは無い。供助にあるのは意地汚さだけだの」

「それでも嬉しいよ。私の周りは相手にしてくれない人だけだったから、すごく嬉しい」

「友恵……」

「一回ね、二万円を持って霊媒師さんに頼みに行った事があったの。そしたら、五十万円って言われた。一枚のお札が、五十万円って」


 友恵は自身の膝の上に置いていた両手を、強く握る。

 悔しかったのか、悲しかったのか。表情を暗くさせ、下唇を歯で噛んで。


「私は……助けてくれるつもりが無いのにお金を取ろうとする人より、助けてくれてお金を欲しがる人の方が信じられるよ」


 薄らと浮かべていた涙を拭う友恵。

 これまでどれだけ悩み、悲しみ、苦しんだか。猫又は心中を察す。


「だから、私が持ってるお金で真面目に解決しようとしてくれるだけで嬉しい。私にとっては供助お兄ちゃんも、猫又お姉ちゃんも、優しい人だよ」


 そして、涙を拭ったその手で。

 友恵は猫又の袖を、小さな手で掴んだ。


「猫又お姉ちゃんは強いんでしょ? 供助お兄ちゃんを助けにいこうよ、死んじゃうかもしれないんだよ?」

「……友恵は優しい子だのぅ」


 くしゃりと、友恵の頭を撫でる猫又。

 また襲われるかもしれないのに。父親があんな状態なのを見たくないだろうに。

 なのに、友恵は人の事を心配するのだ。本当に心優しい。


「じゃあ!?」

「うむ、供助に死なれては流石に寝覚めが悪いからの。危険ではあるが助けに行くとしよう」

「うん!」


 猫又は立ち上がり、友恵も立とうとした瞬間。

 猫又の耳と、鼻と、肌が――――感じ取った。

 まごう事無く、妖気を。嗅ぎ覚えのある、臭いを。


「友恵、そのまま身を隠せ! 立つんではないの!」

「えっ?」


 猫又が止めようとするも、間に合わず。友恵は立ち上がり、身を隠していた茂みから頭を出してしまう。

 感じる妖気……さっき友恵の家に居たモノのではない。これは最初に追っていた、元々友恵の家からしていた臭いの妖怪。

 自分達がやってきた公園の入り口、その方向に。


「どうやら、お出ましのようだの……!」


 もう一匹の元凶が闇を背景に。

 奴は――――いた。 

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