第二十九話 枕返 ‐マクラカエシ‐
猫又と友恵が供助を助けに家へ戻ろうとするも、それは叶わず。第一歩を踏み出す前に阻まれてしまう。
公園の入り口。二人に立ち塞がるように、奴は長い髪を垂らして妖気を放つ。
子泣き爺とは別の妖怪。もう一匹の元凶が、姿を現した。
「お、母さん……?」
猫又の言葉遅く。既に立ち上がって茂みから身を出した友恵は、猫又と同じ方に目を向ける。
そこに立ち、現れ、妖気を流れ出す存在。それは友恵の母親であった。
「おか――――っ」
「友恵、待つんだの」
名を呼び、声を掛け、近寄ろうとする友恵を制止する猫又。
理由は言わずもがな。取り憑かれているのだ。友恵の父親同様、この母親も。
「供助が言っていた事、忘れた訳ではあるまい?」
「やっぱり、お母さん、も……?」
「うむ、奴からも妖気を感じる。確実に憑かれておるの」
友恵の母親から発せられる妖気。元から友恵の家で感じていた妖気と、臭いも、完全に一致していた。
ボサボサに乱れた髪。瞬きをしない目。伸びた爪。垂れた前髪の間から覗いてくる母親の目は、瞼を大きく開き、ぎょろりと眼を剥き出す。
血走り光沢の無い瞳を、猫又と友恵へ狙い向ける。
「も、え……友恵、かえ、帰りましょう? そこの人は、悪いヒトだから、一緒にいてはダダ、メ、ダメ」
「お母さんもそんな事を言うの……? 猫又お姉ちゃんは悪い人じゃないのに……」
「帰りマしょう? お家に、お母さんと一緒に、帰りまショウ? ネ? ネ? ネ?」
「い、嫌っ! お前はお母さんじゃない! お母さんは私のお友達を悪く言わないもん!」
友恵は首を横に振り、強く断る。
「キ……ギギキッ、ギギギギ……」
拒否された友恵の母親は、歯軋りを鳴らし、肩を震わせ、口端から涎を垂らす。
それは酷く醜い顔つき。とても人の表情とは思えぬ程、歪みきった顔。
「なんで、なんでなんなんで、なぁぁんでぇぇぇぇぇぇぇ! 子供は! 親のぉぉ! 言う事を黙ってキキなさイよぉぉぉ!」
友恵の母親は奇声をあげながら伸びた爪を立て、乱れた髪を掻き毟り出す。
女のヒステリーは怖いと言うが、これはもう別次元の怖さがある。どう見ても狂っている。狂わされている。
「お、お母、さん……」
「友恵、涙を流すでない。泣けば奴が喜ぶだけだの」
「でも……」
「あれは友恵の母親ではない。
「……ッ! んーん、違う! あんなのは私のお母さんじゃない! お母さんはもっと優しくて、綺麗で、妖怪なんかに負けないもんっ!」
自分は信じていると。大好きな人は、大好きな人として戻ってくると。
友恵は強く言葉を紡ぎ、猫又に答え涙を拭き取った。
「うむ、奴等は人間の弱い心に擦り寄ってくる。心を強く持つんだの」
猫又は友恵を一瞥して頭を一撫でし、友恵の母親を睨み付ける。
いや、友恵の母親ではなく――――背後に取り憑いている、妖怪を。
「隠れてないで姿を見せたらどうかの、下衆が……ッ!」
猫又は犬歯を剥き出し、自身の妖気を目標へと放つ。
強風が吹いたかと錯覚する程の妖気の塊。それを受けた友恵の母親は僅かに仰け反り、短い呻き声を上げ。
そして、友恵の母親に憑いている妖怪が姿を現した。
「ギィ、ギィギィギィギィ!」
のこぎりで木材を削り切ったような、低い笑い声。友恵の母親の背中にべったりくっ付き、肩越しに覗いてくるその顔は。
赤黒くくすんだ肌に、眉毛が無く腫れぼったい瞼。そして、額に生えた一本の小さな角。
大きさは中型犬と同じくらいか。猫又と友恵を見やり、妖怪は頭を不安定に揺らして笑う。
「な、なに……あれ?」
「あれが友恵の母親に取り憑いている妖怪だの」
姿を目視し、初めて目の当たりにする妖怪に驚き戸惑う友恵。
本来、霊感を持たいない友恵には妖怪が見えない筈である。現に、友恵の家で供助が襲われていた時、父親に憑いていた子泣き爺に気付いていなかった。
だが今、猫又が自分の妖気を相手にぶつけ当てる事で、その姿を無理矢理に現させたのだ。
例えるならば、何も映っていなかったテレビに、猫又というリモコンが妖気で強制的に映像を映させたと言えばいいか。
「正体は“枕返し”。それが友恵の家族を狂わせた元凶の一匹だの」
枕返し――――メジャーな日本妖怪の一匹。
主に夜中寝ている人間の枕を引っくり返したり、頭と足の位置を逆にしたりと悪戯好きな妖怪として有名である。
地方によっては枕返しは座敷童子の仕業とされたり、その部屋で死んだ人の霊が枕返しになるとも言われている。
「ギヒッ、ギヒッ、ギィギィギィギィ! オ前モ妖怪カ」
「見ての通りだの」
「俺ノ獲物ダ。邪魔スルナ」
枕返しは掠れた声で言葉を話し、猫又に視線を返す。
「ふん。貴様にとって獲物ならば、私にとっては大事な依頼主だの。邪魔しか出来ん」
「妖怪ガ人間ノ肩ヲ持ツノカ」
「人間も妖怪も関係無い。自分の好きなようにするだけだの」
「セッカク見付ケタ獲物ダ。返シテモラウ」
「低級の妖怪ならば知能も低級か。元々貴様のものでは無かろう。勘違いも甚だしいの」
小馬鹿にするように。否、小馬鹿にして。
猫又は枕返しに向かい、鼻で笑って見せる。
「ギィギィッ!」
枕返しは馬鹿にされた事に腹を立て、眉間に皺を寄せて怒りの声を上げる。
そして、友恵の母親が肩に掛けていたトートバックから取り出したのは、一本の包丁。
それを友恵の顔面を目掛け、一投した。
「友恵、掴まっておるんだの!」
「きゃっ!?」
隣に居た友恵を抱きかかえ、猫又は一足飛びで宙に舞う。
高さにして軽く五メートルはある。投擲された包丁を避け、猫又は地面に着地する。
「母親を使い、娘に刃物を投げるなど……最低だの」
友恵が元居た場所。その後ろにあった木の幹に、投げられた包丁の三分の一がめり込んでいた。
猫又が友恵を抱いて避けていなければ、今頃あそこには遺体が一つ転がっていたかもしれない。
「ね、ねぇ、猫又のお姉ちゃん」
「む?」
「枕返しって、寝ている人の枕を返す妖怪でしょ? それがなんで、お母さんがあんなになっちゃうの……?」
抱えられていた猫又の腕から降りて、友恵は自分の母親を見て問う。
自分が知っている面影すら消え、豹変している母親。友恵は枕返しがどんな妖怪か知っていた。だから、不思議だった。
自分が知っている枕返しという妖怪は、このように人を操り、酷く人に害を働く存在では無かったから。
「うむ。よく書物や言い伝えに出てくる枕返しならば、悪戯で済む程度の事しかせん」
また枕返しに狙われても庇えるよう、猫又は友恵の前に立って答える。
「一説だと枕返しは、猫が化けた火車とも言われておる……が、あくまで一説で本当ではないの。それにあんなのと同じ猫の妖怪とは思われたくないのぅ」
お世辞でも可愛いとは言えない枕返しの面構え。おまけに中年男性のように弛み出っきった腹。
醜いというより不細工ななりに、猫又は同じ猫の妖怪と思いたくなかった。
「じゃあ、あの妖怪は枕返しじゃないの?」
「いや、あれは枕返しで間違いないの」
猫又と友恵が話している間。
枕返しが操る友恵の母親は、またもやトートバックに手を入れ、次に取り出すは果物ナイフ。
友恵は恐怖で半歩下がり、猫又は迎撃態勢を取る。
「ただ、間違いでは無いが正しくもない。言うなればあれは――――」
こちらを見てくる枕返しを睨み返し、猫又は妖気を体に纏わせ。
言葉の先を続けた。
「枕返しの亜種……とでも言えばいいかの」
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