第二十七話 子泣 ‐コナキ‐
数秒、供助は何が起こったのか理解出来ずに混乱する。
なぜ自分は倒れているのか。耳鳴りに混ざって、友恵は何を叫んでいるのか。
とにかく起きようと、身体に力を入れる――が。
「……づッ!?」
側頭部を襲う激痛。電気が走ったようなあまりの痛みに、供助は目を瞑り眉間に皺寄せる。
痛みに耐え、状況を確認しようと瞼を開く。
横になって映る部屋の風景。視界の隅に入った、泣き叫ぶ友恵の姿。
そして――――。
「て、めぇ……か、やったの、は……ッ!」
目の前に見えた、二本の足。
子供の足ではない。足の甲も大きく、ふくらはぎに太さもある。供助が横たわったまま視線を上げると、そこに居たのは。
黒い短髪に眼鏡を掛け、三十路は過ぎているであろう男性。ゴルフクラブを握った……知らない人だった。
「誰だい、君は? 勝手に家に上がり込んで人の寝室を物色かい?」
「お、れぁ……友恵、に」
「泥棒かな?」
「がっ……!」
供助の言葉を待たず。
男は手にしていたゴルフクラブを振るい、供助の背中を殴打する。
「泥棒だね? 泥棒だよね? 泥棒なんだろ? 泥棒なんだよなぁぁああっ!?」
「ぐ、ぁ……が」
次第に激しくなり、殴りつける力も強くなる。
何度も何度も何度も。供助にゴルフクラブを叩きつけ、殴りつけ、ぶつける。
背中、肩、腕、腰、太もも。何度も強打され、体中に鈍痛が駆け巡る。
供助は最初の不意打ちの痛みでまともに動けなかったが、頭だけは手や腕で覆って防いでいた。
「っは、ははっ! ははははははっ!」
一方的な暴力を振るいながら、笑い声を上げる男。
供助が頭を覆わせている手と腕の間から見上げると、男の顔は酷く歪み、目が狂っていた。正気じゃない。誰が見てもそう思うだろう。
供助は一目見て気付いた。あぁ、こいつは憑かれている、と。
「お父さん、やめてよ! 供助お兄ちゃんは泥棒なんかじゃないよっ!」
友恵は泣け叫び、男がゴルフクラブを持つ右腕にしがみ付く。
ようやく供助への殴打は止まり、お父さんと呼ばれた男は友恵へと目を向けた。
なんとなく予想はしていたが、供助はここで初めて男の正体が友恵の父親だと知る。
「友恵、ダメじゃないか。知らない人を家に連れてきちゃあ」
「違うよ、供助お兄ちゃんは知らない人じゃないよ!」
「それも勝手に部屋に入れて。お父さんが居なかったら大変な事になってたぞ?」
「だから違うの! 供助お兄ちゃんはお父さんとお母さんを――」
「……お前もか? お前もなのか?」
「え?」
「なんであいつも、お前も! 皆して言う事を聞いてくれないんだっ! どうしていつも口答えしてぇぇぇぇ!」
父親は叫びだし、右腕に抱きついていた友恵を払い除ける。
次に向ける狂気の先は、自分の娘。
「お、おとう、さん……?」
「言う事をぉぉぉぉぉ聞かないぃぃぃぃぃぃ子供はぁぁぁぁぁぁぁ!」
鈍い銀色の光を放つゴルフクラブを両手持ちで握り直し、両腕を高く上げる。
友恵は固まったまま。大好きな父親を見上げる。自分に狂気を向け、凶器を構える事が信じられなくて。
どうしたらいいか、何を言えばいいか。思考はフリーズして動けない。
解るのは、これから自分は銀色の凶器で打たれるという事。
「ダァァァァァァメじゃないかぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「ひっ、ぃ」
容赦無く、躊躇無く、手加減無く。金属の棒は直線を描き、少女へと襲う。
フォン――――そんな、風切り音。
「避けるか逃げるかしろってんだ、クソガキっ!」
「きゃっ!?」
突き飛ばされる友恵。勢いに足を取られ、転ぶように床に尻を付いた。
代わりに供助へと銀棒が降りかかり、左腕に強打が命中する。
「ぐっ……!」
供助は態勢を崩し、背中をクローゼットにぶつけて再び床に倒れた。
咄嗟に動いて友恵を庇いはしたが、先程まで受けていた殴打のダメージが回復した訳ではない。
更に今、両手持ちの一撃を喰らった。しかも、素手ではなくて金属棒による打撃。
そうそう簡単に回復出来る筈がなく、動けたのも痛む身体に鞭を打っての事だった。
「お前か、娘を
とても人とは思えぬ形相。涎を垂らし、顔の筋肉は引きつり、目は白目。正気の沙汰では無いのは見て明らか。
そして、供助は見た。見えた。
友恵の父親の肩……背中に、嫌らしく笑みを浮かばせ、愉悦に浸る存在を。
「悪い虫はっ! 悪い子はっっ! 悪い人間はっっっ! こうなって当然なんだよぉぉぉぉぉ!」
再度、打ち付ける友恵の父親。再三、叩き付けられる供助。
そして、メッタ打ちされる中、供助は目を外さない。友恵の父親の背中から見下ろし、下卑た笑いを見せる妖怪から。
いやらしく嘲笑う、その
「んひっひ、ひっひっひっひゃ!」
友恵の父親と、その背中に張り付く老人の声が重なり、酷く不快な笑い声が部屋に響く。
一方的に、徹底的に。老人の妖怪は友恵の父親を介して、ひたすら暴力を振るう。
狙いは疎ら。供助の腕に当たり、腰に当たり、床に当たり、壁に当たり、クローゼットに当たり。
供助自身が傷つき、周辺が傷つく。ゴルフクラブも曲がって形が歪になっていく。
そして、振るわれるゴルフクラブがクローゼットに引っ掛かり――。
「あ、危ない!」
友恵の叫声がした、次の瞬間。
供助の後ろにあったクローゼットが重力のままに、倒れ落ちた。
「がっ……!」
言うまでもなく、クローゼットの下に倒れていた供助は下敷きになる。
背中にのし掛かり、供助からは短い悲痛の声を漏れた。
「供助おに――」
「友恵、大丈夫かの!?」
友恵の声を遮り、開きっぱなしだった部屋のドアから。
街へと探索から戻った猫又が、姿を現した。
「えっ……黒い猫、ちゃん?」
黒い毛並み、小さな体、四足歩行。現れた猫又は人型ではなく、猫の姿。
突然現れた喋る猫に、友恵は驚くと同時に戸惑う。しかも、自分の名前を呼んだのだ。
狂乱する父親に、殴られる供助。さらに、喋る猫。すぐに状況を理解するのは無理だろう。
「猫、又か……タイミング良いじゃねぇか」
「供助、一体何が起こっ――」
「友恵を、連れて……外に逃げろ」
「しかし……」
「依頼主に怪我ぁさせる訳にはいかねぇだろうが……!」
殴打による傷の痛みと、クローゼットの重み。
苦痛に顔を歪ませながら、供助は猫又に言い放つ。
「ッ、友恵、逃げるんだの!」
「その話し方……ネコのお姉ちゃん?」
「早くするんだのっ!」
「う、うん……!」
猫又の大声で、反射的に立ち上がる友恵。
供助に突き飛ばされたがこれといった怪我は無く、友恵は走って廊下に出た。
開けっ放しのドアから階段を駆け下りていく音が小さくなっていく。
「ひっひ、まさか人間に手を借す妖怪が居るとは思わなかった」
友恵の父親の肩に乗る、小身小柄な老人が言う。
「小僧が足を離さんせいで、小娘を逃してしまったわい」
老人が目をやるは右足。友恵の父親の右足を、供助の右手ががっしりと掴んでいた。
余裕や愉しみから友恵と猫又を追わなかったのではない。追えぬ理由があったのだ。
「そう簡単に、行かせるかよ……糞ジジイ」
「いっひひ。やはり儂が見えているか」
妖怪である自分が見えている事に驚かず、老人は下品に笑って供助を見下ろした。
供助は額から流れる血の間から、老人を睨みつけ、そして考える。納得できない事があった。腑に落ちない点が、あった。
今、目の前にいるのは友恵の父親だ。友恵がお父さんと呼んでいたので間違い無い。
だが、霊視をして妖怪が取り憑いていると予測したのは友恵の母親だった筈。なのに不意に現れたのは男性で、父親で、女性ではない。
しかも、近くに来ていた事に供助は気付かなかったのだ。一切の妖気を感じさせず、気付かせずに。
両親二人が喧嘩して出て行ったとは言え、この家は妖怪の住処となっている場所。
油断もせず、警戒もしていた。なのに、妖気も気配も感じなかったのだ。普段ならば、そのようなミスをする事は無いのに。
そして、何よりも予想外だったのは。枕から感じた妖気と、供助を見下ろし笑う老人の妖気が――――全くの別物だった。
「ひっひ。昨日、霊力の高い人間が家の近くに居たと聞き、警戒して正解じゃった」
「な、に……?」
「あの小娘を依頼主を言ってたが……まさか祓い屋か?」
「俺ぁ祓い屋じゃ、ねぇ。払い屋だ」
「妖怪の儂からすれば大差無い。とっちも厄介者には変わらん」
老人の妖怪が言う通り、人間に害を及ぼしている時点で祓う対象になる。
やむを得ず、仕方なく。何かしらの理由があって行っているのならば、払い屋なら除霊以外の方法もあるだろう。
だが、この妖怪からはその様子は見られない。友恵の父親を操り、供助を殴っていた時は楽しそうに笑っていたのだから。
言うまでもなく、払い屋の場合でも有無を言わさず祓う対象になる。
「妖気も、気配も……感じなかっ、た。どんな手品を使い、やがった?」
「ひひっ。はて、何の事か? 小僧が未熟なだけじゃ」
「てめぇ……なん、て、妖怪だ?」
「ひっひひ、この可愛らしい
皺くちゃな顔に、奇形体型と言えるその体。それを可愛らしいとほざく老人の妖怪。
冗談か、本気か。どちらにしろ供助には笑えず、笑う気も起きない。むしろ、さらに腹が立ち、苛立ちが大きくなる。
不快、不愉快。供助の表情から感情を読み取り、妖怪は愉快愉快と肩を揺らす。
そして、前歯が抜けて歯垢がべっとり付いた汚い口を開き――――言った。
「儂は子泣き爺じゃよ。んひっひひひ」
――――子泣き爺。今ではポピュラーな妖怪の一匹である。
元々は地方に伝わる妖怪で、一説では創作から生まれた架空の妖怪とも言われていた。
だが、とあるメディアのお陰で有名になり、知らない者は居ないだろう。
一般的には子供が泣いていると憐れんで抱き上げてしまうと、段々と体重が重くなっていき、放そうとしてもくっ付いて離す事が出来ず、最後は重さに耐えられず押し潰されて命を奪われると伝わっている。
――――のだが。
「はっ……子泣き爺にしちゃあ、子供らしくねぇ気持ち悪ぃ笑い方をするじゃねぇか」
「ひっ、んひっひっひ。勘違いしておるようじゃの?」
「な、ん、だと……?」
「儂は“子供のように泣く”のではなく、“子供の泣き声が好き”なんじゃよ。んひっひひ」
子泣き爺の言葉は、一説とは食い違うモノだった。
一説はあくまで一説。地方や時代によって変わる事もしばしばある。それどころか、昔からの記述から全く違うモノだった場合も珍しく無い。
人間や動物同様、妖怪もその時代、その状況で、生態が変わっていく。
「ひひひ、ひっひ。
「なに……?」
「どれ、小娘を追って泣き叫ぶ声を堪能しようか」
言って、子泣き爺は友恵の父親を操り。
供助の脳天へ、ゴルフクラブを思い切り叩きつけた――――。
「あ、がっ……!」
右手は友恵の父親の足を掴み、左手はクローゼットに挟まれ。
無防備の所を容赦無く、凶器が直撃した。
「んひっひ。にひっひっひっひひひひ」
走る激痛。離してしまう右手。遠ざかっていく不愉快極まりない笑い声。
部屋から出て行く友恵の父親の後ろ姿。額から流れる血で視界が赤くなり、薄れゆく意識の中で……供助は見た。
背に羽織った簑を被り、次第に消えていく、子泣き爺の姿を。
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