第二十四話 解消 ‐カイショウ‐

 まだ暑さ残る九月。もうすぐ十月を迎えるというのに、涼しくなる気配はありそうにない。

 草木の葉もまだ青々しく、綺麗な紅色に染まるのはもう少し先みたいだ。

 今の時刻は午後六時過ぎ。空は青色と茜色の二色半分に分かれ、子供は友達と別れる。そして、社会人は仕事を終え、疲れを癒そうと居酒屋へと繰り出す。

 そんな、一日の終わりが見え始める時間。


「……寝過ぎた」


 寝癖でボサボサの髪に、目ヤニが付いた半開きの目。

 黒いタンクトップにジャージという寝巻き姿で、供助は陽が落ち始めた空を見て呟いた。

 寝たのが早朝なのもあってか、目が覚めたのは昼をとうに過ぎた時間だった。

 本日は土曜日。学校は休みで、別にサボった訳ではない。だが、せっかくの休日の半分を寝過ごした事に、勿体無さを感じてしまう。


「起きるか。腹も減ったし」


 昨夜、横田からの依頼があり、家に帰ってきたのは明け方。

 帰ってきてから少しやる事もあった為、布団に入ったのは外が明るくなってから。

 寝る時間が時間だったので起きるのは昼過ぎだと予想していたが、まさか夕方過ぎになるとは供助も思っていなかった。いかんせん、寝すぎた感は否めない。

 供助の部屋は二階。家自体が少し古臭く、フローリングやら床暖房といったハイカラな物は無い。

 部屋は畳、廊下は木目調。昔馴染みの日本家屋である。

 供助の部屋のドアも取っ手の付いた物ではなく、襖のような引き戸。その滑りが悪い引き戸を開け、供助は少し軋む階段を降りて一階の居間に入る。


「おう、居たのか」

「……」


 居間に居た猫又に声を掛けるも、返事は無い。供助へ背中を向け、テーブルに頬杖をしながら漫画を読んでいる。

 後ろ姿で顔は見えないが、不機嫌であるのは理解できた。それに、猫又が不機嫌な理由がなんなのか。供助には心当たりもある。


「っておい、お前ぇ……俺の分の飯も食いやがったな」

「……貴様が起きんのが悪いのだろう」


 猫又が頬杖しているテーブル。その上には、空になった弁当の容器が複数転がっていた。

 しかし、猫又は悪びれもせず、漫画に視線を向けたままぶっきらに答えた。


「ちっ……カップラーメンでも食うか」


 猫又の態度に舌打ちし、供助は頭を掻きながら隣室の台所へと移動する。

 昨日、猫又が怒った。供助の態度と言動に。子供にすら金を求める、余りの最低さに。

 愛想が尽きた。頭に血が上った。我慢できなかった。そして、手組みを終わらす決意をした。

 その為、昨日からずっとこの調子である。友恵の家から帰った後も、横田からの依頼をこなしている時も、この通り今も。

 供助は変わらず、いつもの脱力した態度。対して猫又はまともに口をきかず、目も合わさない。

 供助は気にしていないが、二人の間には不穏な空気がずっと流れている。


「あん?」


 供助がカップラーメンを求めて台所の戸棚を物色していると、ジャージのポケットから音楽が鳴り出した。

 正体は携帯電話。部屋から出る際に、誰からか連絡が来るかもしれないと持ってきていた。

 画面には大きな文字で『横田さん』と表示されている。


「はい、もしもし」

『やーやー、こんばんは。今、電話大丈夫かい?』

「俺の場合はおはようございます、だけどな。電話大丈夫ですよ」

『今起きたの? 昨日依頼があったとは言え、ちょっと寝過ぎでない?』

「寝過ぎなのは否定しないですけど、ちょいとばかし気苦労が多くて」

『君にも気苦労なんてあったのに驚きだぁね』

「そりゃあ色んな人や妖怪に振り回されてれば、俺でもね」


 小さく鼻で笑い、供助は皮肉で返す。


『ちょーっと耳が痛いかなぁ』

「耳鼻科に行く必要はなさそうですね」

『冗談はこれ位にして、と。俺が電話した理由は解るでしょ?』

「そりゃね」


 開けっ放しの戸から、供助は猫又の後ろ姿を横目で見る。


「ま、俺よりか本人に聞いた方が早いですよ」


 供助は横田の返事を待たずに、台所から居間へ行く。


「おい、猫又。こっち向け」

「……なんだの? 私は貴様の顔はなるべく見たく――――」

「電話。横田さんだ」

「わっ! っと、とと!」


 猫又が振り返ったと同時に、供助は持っていた携帯電話を投げ渡した。

 予想外の事に、猫又は落としそうになりながらもなんとか携帯電話を受け取る。


「これ! 急に投げるで……話を聞かぬか!」

「俺の顔はなるだけ見たくねぇんだろ?」

「……ふん」


 供助に目を戻すと、すでに背中を向けていた。

 目も顔も合わせず。さっさと供助は台所へ戻っていく。


「代わった。横田かの?」

『やー、猫又ちゃん。供助君の報告でよく話は聞いているけど、話すのは久しぶりだねぇ』


 猫又は供助の見様見真似で携帯電話で横田と話す。

 とは言っても猫又の場合、耳は頭にある為、人間と同じように携帯電話を顔に寄せても、少しばかりシュールな絵になってしまう。

 もっとも、人間よりも聴覚が優れているので問題無く聞き取れるが。


「うむ。前に話したのは一週間以上も前だのぅ」

『さっそく本題に入るけど、急にどうしたのよ? 供助君のパートナーを解消して欲しいって』

「横田には悪いと思うておる。だが、私はこのまま供助とやっていけるとは思えん」

『当たり前だけど、訳ありみたいね』


 昨晩の依頼を終え、その報告を横田に送る際に、供助は猫又の意思を一緒に報告した。

 手組みを解消したい、という言葉をそのまま文字にして。


『猫又ちゃんが辞めるのを止めはしない。けど、理由は聞かせて欲しいねぇ』

「……なに、理由は簡単なものだの」


 猫又は話した。昨日あった事を全て。自身が言った事、全部。

 友恵の事やその経緯。祓い屋との接触。供助の言動と行動。自身の気持ちと意思。

 話すのに時間は掛からなかった。そんな長い経緯があった訳でも、長い付き合いでもなかったから。

 淡々と喋る猫又の話を、横田は黙って聞いていた。

 猫又が全てを話し終えるのに、五分も経たなかった。


『なるほど、そんな事がねぇ。確かに小さい子供からお金を取るのは感心せんなぁ』


 話を聞き終え、横田はいつもの軽い口調で感想を言った。

 別段、供助を咎めるでも怒るでもなく、普段通りと変わらず。


「まさかあのような最低な男だったとは……私の見込み違いだったようだの」

『まぁ、ね。確かに供助君は捻れた性格しているからねぇ』

「あれを捻くれと言うには度が超えておる」

『そこがいい所だったりするのよ、意外と』

「ふん、とてもそうは思えんの。幼子に報酬を求め、金を取るなど……人格を疑う」


 横田と会話する猫又の声に、段々と怒りの色が混ざっていく。

 少女の必死な助けを求む声にも、供助は感情を見せず無気力で怠惰感を丸出し。

 真面目に相手にせず、適当に話を聞き、その上報酬を求める。

 人としてどうか……いや、妖怪である猫又から見ても、信じられぬ行動だった。


『供助君の相棒解消の件だけど、書類等の手配は簡単に出来るよ』

「すまんの」

『こっちから提案した事だしね。そう強要はできないし。さらに人手不足になるのは頭を抱えるけどね』


 電話の向こうで横田は、はははー、と空元気の混ざった乾いた笑い声をあげた。


『ま、色々と準備が出来たらまた電話するよ』

「うむ、手間を掛けるの」

『管理職だからねぇ、手間を掛けさせられるのも仕事の内よ』

「人間は色々と大変だのぅ」

『生きる為にはしょうがないのよ。んじゃ、またね』

「またの」


 猫又は携帯電話を顔から離し、通話を切ろうと指を伸ばす。


『あー、余計な事かもしれんけどさ』

「ぬ?」


 ――と、思い出したかのように、横田が再度口を開いた。


『今回の件、最後まで見てから決めても遅くないと思うけどね』

「……一応、覚えておこう。望み薄だろうがの」


 そして今度こそ、通話が切れた。猫又が切るよりも先に横田側から。

 ただ通話が切れる間際、小さく笑う横田の声が聞こえた……ような気がした。


「っちち、あっち」


 まるで電話が終わったのを見計らったかのように、供助が居間にやってきた。

 手には湯気が立つカップラーメンを持ち、口には割り箸を咥えて。


「電話はもう終わったのか?」


 カップラーメンと箸をテーブルに起き、供助は座って猫又に話し掛ける。


「……ふん」


 猫又は強く鼻を鳴らし、携帯電話を供助へと投げる。


「人のモンを雑に使うんじゃねぇっての」

「……」


 返事もせずに後ろを向き、読んでいる途中だった漫画を再び読み始める猫又。

 顔を見たくもなければ、会話もしたくない。供助は完全に嫌われ、猫又の態度に肩を竦ませた。

 カップラーメンが出来上がるまで約三分。特にする事もなく、供助はリモコンを手に取ってテレビを点ける。

 見たい物がある訳でもない。静かで会話の無い居間に、BGM代わりに点けただけ。


「……供助」

「あん? なんだよ?」


 適当にチャンネルを回していると、猫又が供助の名前を読んだ。

 しかし、やはり背中を向けたままで、供助の方を向きはしない。


「友恵の件が終わり次第、私は貴様の相棒を辞める」

「そうかい、好きにしな」

「友恵の依頼までは相棒という事だの。ならば、報酬の半分は私が受け取る権利がある」

「まぁ、そうだな」

「友恵からの報酬……今回はきっちりと半分、私も貰う」


 今までの猫又と組んでからの依頼で得た報酬は全て、供助が受け取って管理していた。

 その為、猫又は詳しい金額や自分の貰い分は知らない。

 だが報酬の代わりに、供助の家に居座り、一日三回の食事を貰っていたのだ。

 猫又も金銭に執着があった訳でもないし、腹が膨れて暖かい場所で寝れるならそれで十分だし、満足していた。

 そんな猫又が、こうしてはっきりと報酬を要求するのは初めての事だった。


「人に散々言っておいて、お前ぇも報酬が欲しいのかよ」

「私は貴様みとうに意地の汚い人間ではない無いの……!」

「そりゃそうだ。俺は人間、お前は妖怪。綺麗汚い関係無く人間じゃあねぇな」


 供助は小さく鼻を鳴らし、小馬鹿にするように猫又に返す。

 いつもなら流していた供助の冗談や皮肉も、今は腹が立つ。苛立って、腹立って、毛が逆立ってしまいそうな程。

 猫又は何かを言い返しそうになるも、我慢して言葉を飲み込んだ。

 どうせあと数日で別れる。今更真面目に相手にするのも馬鹿らしい。


「あと幾日で終いとはいえ、まだ相棒だの。報酬を受け取るのは当然だの?」

「お前の取り分だ。文句は無ぇよ」


 言って、供助は割り箸を持ち、真っ二つに割った。

 二本になった割り箸の形は非対称で、歪な形になっていた。

 まるで、仲違いをして別れる今の二人みたく。


「ちと早ぇが、まぁいいか」


 カップラーメンの蓋を全てめくり取り、供助は手を合わせる。

 シーフードの良い匂いが、鼻を刺激する。


「いただきまぁ……あ?」


 今まさに食べようと、箸で麺を掬ったのと同時。

 テーブルに置いていた携帯電話から、再び音楽が流れ出した。

 供助はメールかと思い無視してラーメンを食べようとするが、着信音がメールよりも長く鳴り続ける。

 渋々と箸をスープの中に戻し、供助は携帯電話を手に取った。


「友恵からだ」

「む……っ!?」


 供助が着信相手の名前を言うと、背中を向けていた猫又が素早く振り向いた。

 本日初めて合った猫又の目からは、早く出ろと無言の威圧を放ってくる。

 供助は一瞬カップラーメンへと目をやるが、観念して電話に出た。


「おう、どうし――――」

『供助お兄ちゃん、どうしよう……!』


 電話に出ると、供助が言い切るのを待たずに友恵の声が重なる。

 その声は鳴咽おえつが混じり、困惑と焦燥の感情も感じ取れる。

 とにかく只事では無いのは簡単に伝わった。


「何があった?」

『ひ、っく……お、お父さんとお母さんが……』


 鼻を啜り、息を詰まらせ。友恵は泣きながら答えた。


『いなくっ、なっ、ちゃったの』

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