第二十三話 同業 ‐ショウバイガタキ‐
白のタンクトップの上に黒いレザージャケットを着こなし、ブラックデニムにレザーブーツ。そして、深く被った黒いニット帽。
格好、姿、立ち振る舞い。暑い日には合わない服装ではあるが、それ以外に変わった所は特に無い。
だが、供助と猫又は見てすぐ解った。その者の
「見えてるな」
「うむ、見ておるの」
ニット帽の男は視線を上げ、見ていたのだ。
友恵の家ではなく、家のさらに上。
家から漏れ出る――――その妖気を。
「妖気は消しとけよ、猫又」
「阿呆、既に消しておる」
払い屋が全て友好的とは限らない。
供助と組み、相棒となっているとは言え、猫又が妖怪。妖怪にとって払い屋が天敵であるのは変わらない。
「友恵が私達以外の誰かにも除霊を頼んでいたのかの?」
「いや……あいつの口振りじゃあそれは無ぇだろな」
「では何故、友恵の家に……?」
「俺が知るかよ」
猫又は見付からないようにと供助の後ろに身を隠す。電信柱の影から頭だけを出し、供助はニット帽の男の様子を伺う。
男は右手を額にやり、山を見るように友恵の家を見上げていた。このまま何も起こらず、気付かず。ニット帽の男が立ち去ればそれでいい。
もし猫又が見付かれば、面倒な事になる可能性は高い。面倒臭い事が嫌いな供助にとって、それは避けたい。
「とりあえず、このままやり過ごすのが無難だの」
「……いや、そうもいかねぇらしい」
小さく舌打ちする供助。
否定の言葉を聞き、猫又はニット帽の男の方を見る。
すると、男はこっちを向いているだけでなく、手招きして供助達を呼んでいた。
「既に感付かれておったとは……いつからかの?」
「さぁな。けど様子からして、俺達が気付くより先に向こうは知ってたみてぇだ」
ニット帽の男は振り返るや否や、迷う事無く真っ直ぐ供助が居る方を向き、隠れる間もなく目がバッチリ合ったのだった。
しかも、男は供助に向かって手招き、口元も微かに笑っているようにも見える。
かと言って、やぁこんにちは。なんて簡単に出て行ける筈がない。見ず知らずの者に呼ばれても、警戒してしまうのが普通だ。
「見た感じ、敵意は無さそうだけどよ」
だが、見た感じでは危険ではなさそうだった。
むしろフレンドリーに感じる。
「ちっ、こっちに来やがった」
動く気配が無い供助達に痺れを切らしたのか、ニット帽の男は二人の方へと近付いて来た。
「どうするかの、供助? 猫の姿に変わった方がいいかの?」
「そしたら煙で妖怪とバレるかもしれねぇだろうが。妖気は消してんだ、このまま人間のフリしてろ」
猫又の頭の猫耳と二本の尻尾は隠し、見た目は普通の人間と変わらない。友恵も最初は猫又の事を妖怪とは気付いていなかった。
しかし、ニット帽の男は恐らく供助と同業者。妖気を消しているとは言え、誤魔化せるかは怪しい。
「やーやー、コーンニーチハ。いや、夕方だからコンバンハか?」
軽い口調。警戒する供助達に対し、緊張感の欠片も無い声。ニット帽を目深に被り、顔の半分は隠れ見る事が出来ない。
声や見える顔の部分だけで判断するに、まだ若いのが判る。この男の年齢は二十代後半から三十代前半あたりだろう。
ニット帽から僅かに伸び見えるのは、赤い髪。そして、腰のベルトに掛けられた、束ねられたロープらしき物。
「この場合はハジメマシテ、じゃねぇかと思うけどな。俺は」
「おーそうだな。んじゃ改めてハジメマシテ、っと」
明らかに供助が警戒している態度でも、ニット帽の男は関係無しに話し掛けてくる。
猫又は一歩引いて、供助の後ろで様子を見ていた。
「なんか用すかね、俺等に」
「あー、ちょっと聞きたい事があってな」
男は腕を組み、ニカッと白い歯を見せて笑う。
「あそこの青い屋根の家……お前達が除霊頼まれてんのか?」
「解んのか、俺が払い屋だってぇの」
「そりゃな。珍しい職業だ、同業者が近くにいれば気付く」
男は組んでいた手を解き、手を腰にやる。
男が言う通り、払い屋というのは稀有な職業だ。珍しく専門的な仕事な為、同業者に気付く事は難しくない。実際、
供助もニット帽の男が同業者だとすぐに気付いた。見分け方があり、それで同業者かどうかがすぐ解るのだ。
その見分け方というのが、相手の視線を追う事。同業者の場合、高確率で一般人とは違う所を見ている。
そして、その見ている先には大体、妖怪や幽霊が居る。
長く払い屋をやっていると、少しでも妖気や霊気を感じれば一度はそれを確認しようと見てしまう。一種の職業病とも言えるかもしれない。
「それに、強い霊力を持つ奴と一緒に妖怪が居たらな。その筋の奴なら簡単に解るだろ」
「……ッ、気付いておったか」
「いくら上手く隠しても微かに漏れていたりする。誰かにバレたくないなら、妖怪は妖力よりも姿を隠す方がいい」
当然のように言っているが、この発言で男の強さの一片が見えた。
男はこう言っているが、猫又が妖力を隠すのは完璧に近かった。少なくとも、隣に居た供助が感じられない程には。
だが、供助達の所へ近寄ってくる前の数十メートル離れていた時点で、男は隠していた猫又の妖気を簡単に感じ取っていたのだ。
それだけで、供助よりも実力が上なのは明らかである。
「それで? あの家の除霊、頼まれてるのか?」
顔を横に曲げ、男は友恵の家を一見する。
「まぁ、そうなるな。依頼されたのはつい一時間だけどよ」
「ありゃー、そうか。まだ未物件だったら稼ごうかと思ったんだが、既に取られてたか」
「やっぱアンタ、俺と同じ払い屋か」
「同業者っちゃあ同業者だが、払い屋ってのは違うな」
男は顔の向きを正面に戻し、不敵な笑みを浮かばせ。
霊力を纏わせながら、こう言った。
「俺は“祓い屋”だ」
瞬間、猫又は一足飛びで後退る。
猫又は警戒態勢から戦闘態勢へと変え、男に隠していた妖気を放ち、剥き出される敵意。
眉間に皺を寄せ、噛み締める犬歯が唇から覗き見える。
「同業者じゃねぇかと思っていたが……まさか祓い屋たぁな」
供助は男と猫又の間に立ち、戦闘態勢は取らなくも警戒心は一層強まっていた。
祓い屋……払い屋と並ぶ、除霊や妖怪退治の専門職。
ただ払い屋との違いは、祓い屋は金さえ積めばどのような幽霊、妖怪でも構わず祓う。
悪霊、怨霊、精霊、守護霊、土地神……種類も、理由も、善悪も、関係無い。関係あるのは己への利益のみ。
そして、祓い屋によっては除霊でも成仏でも無く……“消滅”という最も残忍な方法で祓う者もいる。
成仏や除霊の場合は天国や地獄に行き、魂の浄化、罪の制裁等を行った後に転生すると言われる。だが、消滅したモノは現世にも黄泉にも存在しなくなり、二度と転生出来なくなっていまう。
消滅とはそのまま、文字通りの意味――――消えて滅する。
「元気な相棒だなぁ、少年」
「元気なだけなら良いんだけどな。燃費が悪くて食費が嵩みやがる」
供助は男に対して軽口で返すも、警戒は解かず目を離さない。
「あっはっはっは! 相棒を作ると仕事は楽になるが、貰い分が半分になるのは痛いよなぁ」
口を空に向け、男は大笑いする。
供助の睨むような視線も、猫又の敵意と妖気も。気にする素振りすら見せず、笑う。
「まぁなんだ、そんな気を張るな。無駄に力を使うと腹減るぞ?」
「腹ァ減れるのも生きてれば、だ。命の危険を感じれば嫌でも肩に力が入っちまうだろ」
「肩じゃなく、別の所に力が入ってるように見えるんだがな」
男はチラリと、目だけを供助が手を入れているポケットへとやる。
手はズボンのポケットで猫背。供助はいつもの怠そうな態度。
しかし、ポケットに隠れている両手は力強く、固く、握り拳が作られていた。
「安心しなって。別に取って喰うでも、祓って金にしようって訳でもないんだから」
まるで怒った子供を宥めるみたく、男は供助と猫又を見て笑いながら話す。
「後ろの妖怪ちゃんも、そんな力を使っちゃ疲れるだろ」
「天敵を目の前に、安心しろと言われて簡単に信用するような馬鹿ではなくての」
「ま、そらそーだ」
男は小さく肩を上下させ、苦笑いを一つ。
「少年、同業者なら祓い屋がどんな生き物か知ってるだろ?」
「ま、一応はな。いい噂は耳にしねぇな」
「いい噂が立つような事をしてる覚えはないからな。そうだろうよ」
言って、また男は苦笑い。
「俺は祓い屋。金を払えばどんな依頼も請け負う。逆に言えば、金を払われなければ何もしないって事だ」
「だから、こいつを祓う気は無ぇってか」
目は男から離さず、供助は顎で猫又を差す。
「金にならない事、面倒な事はしたくないしな」
「それに関しては同感だ」
「もっとも、君が金を払うなら祓ってやるが?」
「生憎、俺は裕福じゃねぇんで。そんな金は一銭も無ぇよ」
ハッ、と乾いた笑いを出して、ポケットから手を出す供助。
男から流れ出ていた霊力は収まり、敵意がない事は解った。
……少なくとも、今は。
「ほらよ。もし俺に仕事を頼みたくなったら電話一本、金額次第で請け負うぞ」
男はジャケットのポケットから取り出した物を、指に挟んで供助へ差し出す。
受け取ると、それは一枚の小さな紙。
「商売敵に頼む事は無ぇだろうがな」
供助は渡された紙を軽く見通して、すぐに男へと目線を戻した。
「ははっ、まぁそうだろうな。仕事が仕事だ、またどっかで会うかもしれない。軽い挨拶だ」
右手の親指を額にやり、ニット帽を軽く上げる男。隠れていた目が現れ、供助は初めて目が合った。
すると、面白そうに一笑してから、男は背を向けた。
「いい相棒を持って良かったなぁ、妖怪ちゃん。んじゃーなー」
頭の高さまで上げた右手を、ひらひらと振って男は去っていった。
気付けば、茜色に染まっていた空は陽が落ち、電信柱に設置されている小さな外灯が足元を照らしていた。
いつの間にこんな時間が経っていたのか。緊迫していた空気も元に戻り、一気に疲労が襲ってきた。
「ちっ、今日は面倒な事ばかり起きやがる」
ついてねぇとボヤき、供助は疲れから思わず悪態をつく。
髪を掻き上げようと左手を見ると、じっとりと汗が滲んでいた。
「去ったか」
「あぁ。ったく、気ぃ張りすぎて肩が凝っちまった」
「何やら紙らしき物を受け取っていたが……何を渡されたのかの?」
「見るか?」
ようやく戦闘態勢を解いた猫又が、供助の近くへと寄って来た。
供助は首に片手を当てて関節を鳴らしながら、男から貰った紙を猫又に見せる。
「これは……名刺、かの?」
「名刺だな。電話番号だけじゃなく名前も書いてある」
「ふむ。『この世の鬼も金次第。怪異問題解決します。祓い屋、
供助から名刺を摘まみ上げ、印刷されている文字を読み上げる。
「このような職業はそうそう表に出さぬものだが、名刺を配り宣伝するとは
「さぁな。けど、巫山戯てんのかどうかは別として、あいつの腕は本物だ」
「うむ。態度や口調は軽い奴だったが、それに反して底知れぬ威圧感があった」
「けどよ、それよりも……」
「供助も気付いておったか」
「あぁ」
供助は目を細め、思い出す。
七篠という男よりも力強く、遥かに危険だと感じた存在。
それは――――。
「あのロープみてぇなのから異様な感覚がした」
ベルトに掛け、結び束ねられていた物。
それから放たれていて、強く感じ取っていたのだった。
「初めは何とも無かったが、男が霊力を纏ったのと同時に空気が変わったの。思わず距離を取ってしまう程に」
「正直、七篠って男の霊力自体はそう多い訳じゃねぇ。見た感じ、俺の三分の二程度だ。けど、あのロープがヤバ過ぎる」
「私も恐ろしく異様な気配を感じたの。あれ程の力を持った物となると……神器の類かも知れんの」
神器とは昔から受け伝えられた宝器と言われており、その力は神の名が付くに相応しい代物。日本では
言い伝えや昔話に出てくる有名な物だけでなく、書物や文献で記し残されていない神器は多く存在すると言われている。
未だ発見されていない物や、見付かっていても神器だと認識されていない場合もあるだろう。
もしかしたら七篠言平が持っていた物も、まだ知らぬ神器の一つかもしれない。
「それと、あれはロープではなく“
「しめなわ? なんだそりゃ?」
「神社の鳥居などに掛けられている紐を見た事無いかの?」
「あー、あれか。二本の紐をグルグル巻きにして、紙が付いているヤツか」
「うむ、それだの。注連縄は神道における神祭具とされておっての。厄を払ったり神域を作ったりと、まぁ色々とあるが言っても理解出来んだろうしの」
「出来ねぇだろうな、俺の頭じゃあ」
頭が悪い上に暗記も苦手な供助に、興味が無い話をしても右耳から左耳へと通り抜けて終わってしまう。
それを解っていた猫又は詳しく話さず、軽い説明だけで済ませた。
「ま、答えが解らねぇ問題を話しても意味は無ぇ。俺達があの男とまた出会わねぇように祈る、それしかねぇだろ」
供助は猫又の手から名刺を取り返し、それをポケットに突っ込んだ。
「会わないように祈る、と言って名刺は取っておくとは矛盾してるの。まさか、依頼でもするつもりかの?」
「ばーか。言ったろ、ウチにはそんな金は無ぇ。燃費の悪ぃ猫を食わせてやるのに手ぇ一杯だ」
「ぬ……馬鹿に馬鹿と言われるとはの」
「一応商売敵だしな、横田さんに知らせる為に取っておくんだよ。もしかしたら、あの注連縄とやらについて何か解るかもしれねぇしな」
供助がズボンにから手を抜き出すと、名刺の代わりに携帯電話が握られていた。
「もう八時前じゃねぇか。時間潰しにゃなったが潰し過ぎたな」
供助もいつもの様子に戻り、背中が丸まって怠そうに携帯電話の画面を見る。
すると、新着メールのマークが表示されているのに気付く。
「……猫又、今日は終わりだ」
「む? まだ友恵の両親を見ておらぬだろう」
「どうやら、さっきの商売敵に邪魔されちまったらしい」
供助は溜め息を漏らして、猫又に言う。
「友恵からメールが来てた。母親は帰宅。父親の方は飲み会で今夜は泊まりとの事だ」
「なんと……」
「つまり、ここに居る必要は無くなって、待ち呆けしてたのも無駄になった訳だ」
最近の子供は小学生でも携帯電話を持っているのが当たり前らしく、友恵も例外ではなかった。
友恵とは公園から移動中に連絡先を交換していて、とりあえず今日は友恵の両親を霊視し、後日また会って払う予定を立てる手筈だった。
しかし、それは一人の男に狂わされてしまった。
「さっさと家に帰るぞ」
「ちょ、ちょっと待つんだの、供助。せめて母親の方だけでも霊視して……」
「どうやってだよ? 友恵に頼んで外に出てきてもらうか? それとも正面から呼び鈴を押してか?」
帰ろうと一歩足を踏み出した所で猫又に止められ、供助は首だけを向けて話す。
「何より俺ぁ疲れた。横田さんからの依頼が今夜あんだ、帰って少しでも寝る」
「しかしの、供助。友恵はあんなに困っておったのだ。せめて……」
「無理、帰る。俺はそこまでお人好しじゃねぇ。第一、面倒臭ぇ」
「面倒臭い……? 今、面倒臭いと言ったかの……!?」
供助は大きな欠伸。開いた口は隠しもせず、目には薄らと涙。背中を丸めて気怠そうに、少し重く感じる足を動かして自宅を目指す。
その発言。その態度。その性格。その、最低さに。
猫又の中で切れた。ブチンと、音を立てて。
「少女が泣いて! 自身よりも両親を助けたいという気持ちを! 優しさを! 面倒臭いと言うのかッ!」
「あん? 言っちゃあ悪ぃのかよ?」
「何が商売敵……何が払い屋だの! 祓い屋とは違うとよう言えたものだの!」
暗く夜が訪れた住宅街の真ん中で、猫又は叫んだ。
周りに家があろうと、誰かに聞かれようと、関係無く。
腹の中に溜まっていたモノが、感情が。抑えきれず吐き出された。
「幼子から金銭を見返りに求め、その癖やる気は見せず、挙げ句の果てに面倒臭いと言いおって!」
「依頼として友恵から頼まれたんだ、報酬を求めて何がいけねぇ?」
「ふんっ! 義理も、人情も、道徳も無い! 結局は供助も同じであろう! 先程の七篠という男と! 祓い屋と!」
「違ぇよ、俺は払い屋だ。祓い屋じゃねぇ」
「変わらん! 友恵の助けの声も無関心だった供助は、見返りが無ければ動かぬ貴様はッ! いや、むしろ報酬を与えれば相応に働く分、祓い屋の方がまだ上等だの……ッ!」
猫又は嫌悪感を露わにし、供助へ投げる。言葉を、感情を、怒りを。
気に入っていたのだ……猫又は、気に入っていた。
だらしなく気ままな最近の生活を。口が悪くても、なんだかんだで応えてくれる同居人を。それなりに気が合っていた相棒を……気に入っていたのだ。
だから、怒りが収まらなかった。だからこそ、悲しかった。
認め始めていた相手がここまで薄情無情だった事のに。それを見抜けなかった、自分に。
「私は貴様と、このままやっていけるとは思えん」
奥歯を噛み締め、軽蔑の視線を向けて放った猫又の言葉は。
「……友恵の依頼を解決したら、貴様との手組みも解消だの」
手組みの解消……つまり、解散。互いに一人の人間と、一匹の妖怪に戻るという事。
供助は足を止め、猫背のまま、ゆっくりと、背中越しに猫又を見て。特に特別な感情も、反発反抗する様子も。何かという何かも無く。
無感情な表情と、半開きの目。そして平坦で抑揚の無い声で、一言だけ返した。
「あぁ、そうかい」
星は雲に隠された曇った夜空。月も薄い雲に覆われ姿が見えず。
ぼんやりと、濁った白い光だけを放っていた。
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