第十七話 少女 ‐クッキー‐

 街中の歩道。

 駅から少しばかり離れているが飲食店や雑貨店が多く、歩道の脇に自転車を駐輪する者は少なくない。近くに駐輪禁止の紙が貼られているが、駐輪する者は誰も気に止めやしない。

 ガードレールに沿って自転車が七、八台程が置かれ、マウンテインバイクにママチャリと様々な種類が並ぶ。

 そんな自転車が複数台並ぶ所に、一匹の猫が混ざっていた。歩行者の邪魔にならないよう端っこに腰を下ろし、尻尾を揺らせる黒猫。

 大きく欠伸をし、待ち人が現れるのを待っていた。


「待たせた」


 待たされる事、五分。

 思っていたよりも早く現れた待ち人に、黒猫はこう答える。


「にゃー」


 黒猫こと猫又は、猫の鳴き声で返した。

 街中で猫が人語を話せば路上パフォーマンスばりに人が集まってしまう。

 待ち人であった供助は、先程までお祓いをしていたビルの鍵を事務所に返しに行っていた。ビル自体はもう無人なので、近くの別会社が今は鍵を管理したいたのだ。


「帰るぞ」

「にゃ」


 猫又は返事をして、供助の隣を付いていく。猫又の赤い首輪に付いた鈴が歩く度に小さく鳴る。

 夜中ならば人目も人気も少なく、猫又も人型で歩いても問題無いのだが、今回の依頼は昼間だったのでそうもいかなかった。

 一応、猫又は人型の時は頭に猫耳があり、腰からは二本の尻尾が出ている。これらは妖気を使えば隠す事も出来るのだが、無駄な妖力を使わないようにと猫の状態で街中を移動する事になった。

 それに、人型での猫又の格好が和服。今の時代では正月ならまだしも、和服で街を歩くだけで目立ってしまう。そういう理由で、今の猫又は本来の黒猫姿で街を歩いていた。

 だが、歩き出してから数分。問題が一つあった事に猫又は気付いた。


「んにゃ!」


 少し助走を付けて、猫又は供助の背中へ飛びつく。


「おわっ!?」


 ぶつかった衝撃で小さくよろけ、供助は驚いた声を上げた。

 しかし、猫又は気にもせず、供助の背中から肩へと器用に登っていく。元々木登りが得意な猫には、これ位は朝飯前。


「んっだよ」


 崩れた体勢を直しなら、供助はうざったそうな表情で肩に乗ってきた猫又を見る。


「いやの、猫の姿だと歩幅が狭くてのぅ」

「……で?」

「疲れるから乗っけてもらおうかと」

「降りろ」


 小さな声でごにょごにょと、供助と猫又は会話する。

 人目を気にしないでいい自宅ならともかく、ここは街中。何十、何百と人が居る。


「降、り、ろ」

「い、や、だ、の」


 横目で睨む供助に対し、猫又は拒否してプイッとそっぽを向く。

 しまいには肩より更に上に昇り、供助の頭の上に乗っかった。


「こんの……!」

「おぉ、これは楽チンだの」


 とは言え、周りには会話が聞こえないようにと言っても、肩に乗った猫とぶつぶつ何か言っている人間。端から見ればちょっとおかしな人に見られてしまう。

 遠くならば猫と戯れるようにも見えなくはないが、近くだと供助の顔が本気でうざがっている為、遊んでいるようには到底見えない。


「ほれほれ、そう暴れると周りに注目されてしまうのぅ」

「ちっ、てめぇ……帰ったら覚えてろよ」


 供助は頭から猫又を引っペがそうとするも、周りを見ると自分に奇怪な目を向ける者がちらほら居る事に気付く。

 本当は今すぐ猫又の首根っこを掴んで遠投をかましてやりたいが、人の目が多いのとこの場から離れたいのとで、渋々諦めた。

 猫又が頭に乗っかってる状態で街を歩くと、やはり人々が視線を送ってくる。

 だが、機嫌が斜めの供助の目つきが悪く、猫又を見てほっこりした後、供助の顔を見て目を逸らす。そんな感じで街人がすれ違っていく。

 猫を頭に乗せた愛想の悪い男が猫背で街中を歩く。何ともおかしな光景である。


「のぅ、供助。お腹減った」

「黙ってろ」


 頭の真上からグゥゥゥ、と音と振動がして、供助は不快そう。

 猫又は両足をだらんと伸ばし、供助の頭にお腹を付ける形で乗っかっていた。その為、音と振動が直で響いてくる。喧しい事この上ない。


「妖怪退治で走り回ったせいか腹ペコだの。何か食わせてくれんか?」

「人の頭に乗っかって楽してるくせに飯までねだるか、お前ぇは。それに小せぇ声でも街中ではなるべく喋んな」


 他の人には聞こえないよう小さい声で話してはいるが、口は動く。

 ぶつぶつと何か独り言を言いながら歩いている変人にしか見えない。警察に見られて職務質問なんて勘弁して欲しい。


「よっ、少年! 元気しとーや!」


 と、そこに。今の供助にとって更に頭を抱えたくなる相手が現れた。

 肩まであるウェーブが掛かった茶色い髪が特徴の、二十代半ばの女性。更にもっと特徴的なのは、半透明の身体と浮いた足元。

 現れたのは浮遊霊のリョーコだった。


「……はぁ」


 疲れと呆れと頭の痛みと。とにかく面倒臭さから、かなり大きい溜め息が出た。

 頭をがっくり落として額に手を当てる。


「おおぅ! 供助、いきなり頭を下げるでないの! 落ちてしまう!」

「ん? 今、猫が喋らなかった?」


 さっさと帰りたいというのに、そういう時に限ってろくな事が起きなければ、ろくな奴と会わない。

 自分の運の無さを恨みながら、供助はポケットから携帯電話を取り出し歩き始める。


「ちょっとちょっと、無視しないでよ供助」


 供助の後ろを付いてきながら、リョーコは口を尖らせる。

 浮遊霊であるリョーコは当然周りの人には見えず、当たっても何事もなく通り透けてしまう。

 歩いて数十秒。供助が足を止めた場所は、シャッターが閉まった店の前。

 少し古ぼけた木造の店で、たまたま今日が休みなのか、すでに閉店したのかは不明である。


「ここならいいだろ」


 店の前にある自販機。その横で足を止め、供助は携帯電話を耳に当てた。


「供助、何か飲むのかの? 私はドクペがいいの、ドクペ」

「お前はそこいらの公園で水でも飲んでろ」


 おでこをぺしぺしと前足で叩いてくる猫又に、供助は適当に流す。


「ったく……街中でいきなり話しかけんじゃねぇよ、リョーコ」

「なによ、知り合いにあったら声かけるのが普通でしょ」

「街中で誰も居ない所に向かって一人で喋ってみろ。変人確定だろうが」


 あたかも電話で誰かと会話をしている雰囲気を出して、供助はリョーコと話をする。

 誰にも見えない幽霊のリョーコと街中で話すのに思い付いた方法がこれだった通話しているフリなら誰にも変な目を向けられず、不審に思われない。


「んで、何の用だよ?」

「え? 特に何も無いけど?」

「あぁん?」

「今言ったじゃん。知り合いにあったら声かけるでしょ?」

「それだけの理由か」

「うん、それだけの理由」


 再び起こる頭痛。供助は堪らず、また頭をがっくり落として額に手を当てる。

 こっちは周りを気にしなければならないのに、向こうは関係無く普通に話しかけてくる。

 少しはこちらの事も気にかけて欲しいと思わずにはいられなかった。


「だから、急に動くなと言っておろう」

「……あー」


 供助が頭を動かした事で落ちそうになり、猫又は慌ててバランスを保つ。そしてまた、ぺしぺしと額を叩いてきた。

 ここにも頭痛の種が一匹いた。頭痛の種というか、目の上ならず頭の上のタンコブか。


「のぅ、供助。ドクペ、ドクペが飲みたいのぅ」


 猫がドクペを飲みたがるのはいかがな物か。

 まぁ猫といっても妖怪だから大丈夫なんだろうが。


「さっきから気になってたんだけど……この猫、喋ってるよね?」

「うぬ? 私の事かの?」

「わっ、やっぱり喋ってる!」


 猫又が顔を向けて返事すると、リョーコは驚く。

 妖怪である猫又にも、幽霊のリョーコが見えていた。


「あぁ、こいつ妖怪」

「えっ、妖怪!? 猫にしか見えないんだけど!?」

「街中だからな。猫又なんだよ、こいつ」

「ネコマタ? 確か猫又って尻尾が二本だよね?」


 リョーコは供助の後ろに回り込み、頭に乗っかってる猫又の尻尾を見てみる。しかし、尻尾は一本しか無かった。


「でも一本しかないよ、尻尾」

「妖怪ってバレねぇよう猫の姿だってのに、尻尾を二本出してたら意味無ぇだろうが。隠してんだよ」

「隠したり出来るんだ、凄いねぇ妖怪は」


 リョーコは興味深々といった様子で、まじまじと猫又の体を見る。


「じゃあさ、妖怪って事なら私にも触れるかな!?」

「あん? まぁ、姿は猫でも一応は妖怪だからな。浮遊霊のリョーコでも触れるんじゃねぇか?」


 リョーコは幽霊の為、基本物に触る事が出来ない。となると、猫も当然触る事が出来ないのだ。

 更に猫や犬は感覚が鋭く、霊的なモノに敏感なものも多い。リョーコは悪霊ではないが、近付いただけで唸られる事もしばしばあったりする。


「おい供助、一応とはどういう意味かの? 私は正真正銘間違いなく妖怪だの」

「悪ぃな、俺ぁ今までドクペを飲みたがる妖怪は見た事ねぇもんで」


 そもそも、なんでそんなにドクペを飲みたがるのか。前に飲んだ事があって好物になったのか、前々から興味があったのか。

 後者ならば高確率で一口飲んだだけで満足するだろう。


「声からして女の子かな?」

「私かの? うむ、性別は女だの」

「猫なんだから女じゃなくて雌だろ」

「ふんっ」

「あだっ!」


 供助の額に猫パンチ一発。

 とある業界ではご褒美である技。


「ねっねっ! 猫又ちゃんに触ってもいいかな!?」

「ぬ? 別に構わんがの」

「ホント!? じゃあちょっとだけ失礼して……」


 リョーコ手を差し出し、猫又の背中をそーっと触れる。

 もふっとした感触。さらさらした猫っ毛の手触り。


「うわーうわーうわー! 猫だ! もふもふだぁ!」


 目を輝かせながら、感銘を受けるリョーコ。


「そんな喜ぶような事かね」

「だって猫を触れるなんて何十年振りだよ!? そりゃ喜ぶよ!」

「……もしかしてリョーコ、猫好きか?」

「猫好き! 超好き!」


 背中を一頻り撫でた次は、猫又の頭と喉下を両手で撫でる。猫好きで生前はよく猫と遊んでいたのか、撫でるのが手馴れていた。

 猫又も気持ちよさそうに喉を鳴らしている。そして、撫で続ける事十分。


「っはー、満足満足」

「どんだけ撫でてんだよ……」


 ようやく満足してリョーコが猫又から手を離した。

 供助が十分の間に何度か止めさせようとしたが、リョーコから止めるに止めれない物凄いオーラが放たれていて無理だった。

 恐るべし、猫好き。


「久しぶりに獣分を補充できたわー」

「なんだよ獣分って。養分みたいに言うな」

「猫と遊べただけで散歩をした甲斐があったよ」


 満足気に手の甲で額の汗を拭うリョーコの顔は生き生きしていた。

 すでに死んで幽霊なのに、生き生きというのはいささか矛盾している気がするが。


「至福のひと時を過ごせたし、私は散歩に戻ろうかね」

「まだ散歩すんのかよ」

「そりゃあね、あたしは浮遊霊だから。気ままに浮遊するよ」


 リョーコはなんでこの世に浮遊霊として残っているのか解らない。

 気付けば死んで、この街に浮遊霊として存在していたと言う。三十年以上も前から。

 覚えているのは自分が事故で無くなった事だけ。それ以外は何も覚えていない。どのような事故だったかも、浮遊霊として残っている理由も。

 ただ、元々が明るく細かい事はあまり気にしない性分。思い出せないならそのままでいいと、今の幽霊生活を満喫していた。


「じゃーね、供助」

「おう」

「猫又ちゃんも、また撫でさせてね」

「うむ。またの」


 ひらひらと手を振って、リョーコは歩道へと出て行き。

 文字通り溶け込むように、人並みに飲まれていった。


「リョーコと言ったか、あの幽霊は」

「あぁ。俺が生まれる前から浮遊霊をやってるらしい」

「何か理由や未練があって残っているのかの?」

「さぁな。覚えていねぇってよ」

「払い屋として記憶を思い出させたり、成仏に協力してやらんのかの?」

「金にならねぇボランティアは御免だぁね。ま、本人は今の状態を楽しんでるみてぇだから別にいいんじゃねぇの?」

「リョーコもリョーコなら、供助も供助だの」


 二人のいい加減な性格に、猫又は呆れると同時に関心する。

 そんな性格の二人だから、生きた人間と死んだ幽霊であそこまで仲良くなれたのだろう。


「しかし……やはりお腹が減ったのぅ」


 思い出したように、猫又の腹がまた鳴った。


「我慢しろ。お前の腹の虫を聞いたせいで、俺も腹ぁ減ってきたじゃねぇか」

「お兄ちゃん、お腹減ってるの?」

「ッ!?」


 リョーコが居なくなって油断していたのか、知らない内に供助の目の前に少女が立っていた。

 身長は百四十センチ位。黒いショートヘアで、前髪は花の飾りが付いたヘアピンで止めいている。

 さらに背中には赤いランドセル。一目で小学生だと解る。


「……お前、いつから居た」

「んーと、お兄ちゃんがお腹減ってきたって言ったところから!」


 一瞬、猫又と話している所を見られたかと焦ったが、杞憂きゆうだったらしい。

 供助は心の中で胸を撫で下ろす。


「これ、お兄ちゃんにあげる!」

「あん? なんだ、これ?」


 少女がスカートのポケットから取り出したのは、ピンク色の小さな包み紙。開け口には留め具の代わりに可愛らしいリボンが結ばれていた。

 供助は少女の目線に合わせてしゃがみ、差し出された小包を受け取る。


「クッキー! 家庭科の授業で作ったの!」

「いらねぇよ。てめぇが作ったんならてめぇで食え。俺は受け取れねぇよ」

「でも、猫ちゃんは食べたいって言ってるよ?」

「猫……って、あ、お前ぇ!」


 少女に小包を返そうとすると、頭に乗っていた猫又が素早くそれを奪った。

 奪った小包を口にくわえ、少女の元へと近付く。


「猫ちゃん、クッキー食べたい?」

「にゃー」

「じゃあ食べさせてあげる!」


 少女はリボンをほどいて小包の中からクッキーを一枚取り出すと、猫又の口元に差し出した。


「猫ちゃんもお腹減ってたんだね」

「ったく……この駄猫が」

「この猫、お兄ちゃんの猫?」

「あー、まぁ一応な」


 クッキーにがっつく猫又を見て、情けなさを感じる供助。

 いくら腹が減っていたからといって、小学生からクッキーを貰う猫又に涙が出そうだった。


「悪ぃな、お前のおやつを奪っちまって。あとでちゃんと躾とくからよ」

「いいよ。最初から人にあげるつもりだったから」

「それなら尚更悪ぃ事したな。友達にあげる予定だったか?」

「んーん」


 少女は猫又の頭を撫でながら、小さく首を振った。


「お父さんとお母さん」

「……そうか」


 父親と母親。今は亡き両親を思い出し、供助は懐かしむ。

 強かった父親、優しかった母親、楽しかった毎日。温かかった、日常。

 幸せだったあの頃を、思い出した。


「お父さんとお母さんの事、好きか?」

「んーん」

「嫌いなのか?」

「大好きっ!」


 少女は首を振ったあと、供助を見て。

 満面の笑みで答えた。純粋無垢な、眩しい笑顔で。


「お父さんとお母さん、大切にしろよ」

「うんっ!」


 供助が言うと、少女は笑顔のまま頷いた。


「はい、お兄ちゃんの分」

「あ? いいよ俺は。残ったのはお父さんとお母さんにあげろよ」

「でも、これが最後の一枚だから……」


 少女と話している間に、猫又は殆どのクッキーを平らげていた。

 今は満足そうに口の周りを舌でペロリ。そして一言、にゃー。

 供助は家に帰ったら拳骨を喰らわすと誓う。


「いらないの?」

「……わーったよ、一枚きりじゃ親にあげれねぇだろうしな。もらうよ」


 一枚だけじゃ二人いる両親にあげらない。童謡みたくポケットに入れて叩けば二枚に増やせるかもしれないが、見栄えが悪いったらありゃしない。最悪、粉砕粉々だ。

 供助は少女から最後の一枚を受け取り、口に入れる。

 少し湿気ったようなもっさりした食感に、甘さをあまり感じない味。市販の物と比べれば美味いとは言えないが、小学生が作ったと聞けば納得出来る。


「おいしい?」

「まぁまぁだな。悪くはねぇ」

「本当!? よかった!」


 供助の感想に、少女は疑いもせずに喜ぶ。


「それじゃ私、帰るね。お兄ちゃん、猫ちゃん! ばいばーい!」


 空っぽになった包み紙を綺麗に折り畳んでポケットに仕舞う。

 そして最後に、少女は猫又を撫でてから走って帰っていった。


「供助」


 ひょい、と。猫又は軽やかに供助の肩に飛び移る。


「てめぇ、がっつきやがって」

「気付いたかの?」

「気付いた? 何にだ? お前ぇの食い意地の悪さにか?」

「あの少女……私に菓子をくれていた時、とても悲しそうな顔をしとったの」

「お前ぇをあわれんでたんだろ」

「真面目に聞かんか。それにの」


 猫又は珍しく、真面目な口調で。

 少女が走っていった方向を見つめながら、こう言った。


「――――あの少女から、妖怪の匂いがしたの」

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