二章 哀願童女
第十六話 結果 ‐ケッカ‐
とあるビルの地下。
完全に外の喧騒からは隔離され、コンクリートで固められた周壁。僅かに光を放つ電灯は心細く、青白い明かりが不気味に灰色の風景を照らす。
一定間隔で立ち並ぶ支柱。地下は相当広く、駐車場として使われていた。地面に残る白線と、書かれた駐車番号。よく見れば消えかかっている部分が多々ある。
ヂ――ヂヂ、ヂ。
唯一の光源である電灯は切れる寸前で、不定期に光が弱まる。
普段、ここには人は居ない。地下にも、真上にそびえ立つビルにも。元々使用していた持ち主は経営不振から夜逃げしたらしく、何年も放置されていた。
新しくこの土地を買い取る者が現れ、古くなったこのビルを取り壊して立て直すらしい。
なのに何故、誰も居ない筈の地下の明かりが点いているのか。居ないのは普段だけである。そう、普段だけ。
ならば今、この時。人工的な明かりが地下を照らし、冷たい空気が漂う現在。
普段とは違かった。少なくとも、この地この場所に住み憑いていた妖怪にとっては――。
「全く、逃げ足が速い妖怪だのぅ……!」
やれやれ、と。事がスムーズに進まない煩わしさに、嘆息する猫又が居た。
地下を疾走し、黒い着物の袖が靡く。支柱の間を縫うように、黒い影が風を切る。
前に実力査定を受けてから三日後。結果が横田からの電話によって告げられ、猫又も払い屋として働く事になった。
同時に、供助とタッグを組む相棒にも。
そして、結果報告を聞いた翌日……既に日が変わり本日、早速依頼を受けて妖怪を祓いに来ていた。
「横田が言う通り弱い妖怪ではあったが、面倒な相手だの」
愚痴を零しながら猫又が追い掛けるのは、今回の標的である妖怪。横田からの情報通り妖力は弱く、大した妖怪ではなかった。
ただ、強さの他に問題が起きていた。それは、速さ。先日戦った鎌鼬と同等に近い素早さを今回の標的は持っていた。
さらに鎌鼬の時とは違って相手が好戦的では無く、戦闘が始まってからは防戦一方で中々仕留められずにいる。
もう三十分以上は経っているが、未だに追いかけっこの最中。そして、その高い素早さを持つ妖怪というのが――――。
「ケケケケケケケッ!」
白柳徹子みたいな髪型をした、白髪のババア。
婆さん、おばあちゃん、老婆、おばば。呼び方はどうでもいい。だが、仕留められない苛立ちから猫又達はババアと言っている。
それに、おばあさんちかおばあちゃん、なんて呼べるような可愛いモノじゃない顔はしわくちゃ、目は剥き出し。大阪のおばちゃんみたいな紫色の服。妖怪のくせに自己主張が強い。
そんな格好のババアが腰の後ろに両手をやり、中腰の状態で高速移動するのだ。奇妙珍妙極まりない。
ちなみに紫の派手な服を着ているが、相手は有名な紫婆とは違う妖怪なのであしからず。
「ケケッ、ケッケッケッケッケーッ!」
「ぐぬ……小馬鹿にした笑い方をしおって!」
ババアは首だけ振り向かせ、猫又に対して笑い声を上げる。
奇声にも似た笑い声は、猫又が言った通り馬鹿にする意が含まれていた。
口を大きく開けて、不揃いで汚い歯を剥き出して。ババアは物凄い速さで地下を駆け回る。
「ぬっ! そっちではない……のぅ!」
ババアが左折して地下の中央へ行こうとする。
猫又は右手の人差し指に妖気を溜め、野球ボール大の小さな炎を生み出す。
篝火の派生技――灯火。
それをババアの目の前へと投げ込む。
「ケケッ!? ケキッ!」
灯火は支柱の間を突き抜け、ババアの目の前を通り過ぎた。
ババアは炎に驚き一瞬足を止めるが、直ぐさま身体を反転させて別の地下駐車場へ続く通路に入っていく。
灯火は威力が弱く、妖力の消費も低い。使用目的は火種や明かり代わりが殆んど。
ババアを倒せる程の力は無い……が、これでいい。当たる事はなかったが目的は果たせた。
当たらなかったのではない、当てなかったのだ。
「うむ、予定通りだの」
外した灯火はコンクリートの壁に当たり、火の勢いは無くなる。小さな焦げ跡だけが残り、火はすぐに消えた。
猫又は方向転換したババアを追い掛けて通路へ入る。通路の長さは二十メートル。隣の地下駐車場まで一本道で、地下なので窓も何も無い。
「供助、そっちへ行ったのぅ!」
通路に入ってすぐ、猫又は出入口の前で足を止めて叫ぶ。
そして、反対側の出入口。そこに立っていた人間の名を呼んだ。
「オーライ、上出来だ」
霊印入りも軍手を装備した両手。右手を左手に打ち込み、パンッと小気味の良い音が鳴る。
予定通り、作戦通り。通路の出入口を両側塞ぐ事で、ババアの動きを制限させる。通路もそう広い訳ではない。これで大きく動け回れず、真っ直ぐしか移動出来ない。
ババアは先に立つ供助の存在に気付くも、もう遅い。回れ右して戻ろうにも、その先は猫又が居る。
前門の打撃、後門の爪撃。これであとは供助が殴るか、猫又が切り裂くだけ。
「ケ……ケギッ!」
ババアが選んだ方向は……そのまま前進。供助の方へと速度を保ってひた走る。
供助も迎え打たんと腰を落とし、右腕を後ろに引く。左手は相手を捉えるように、前へ出して。
相手の動きは速い。だが、一方通行一直線なら仕留めるのは容易い。
大きなまんじゅう頭を揺らし、ババアは不気味に笑い突っ込んでくる。
「年寄りは年寄りらしく……」
見ていて気持ちが悪い顔に狙いを定め、右手を力の限り握り。
「縁側で茶ぁでも飲んでろっ!」
その手をフルスイング。
フォン、と空気を切る音が聞こえ、次には。
「ケケケ……ケブッ」
――――パァン。
大きな破裂音。風船が割れたような、爆竹が鳴ったような。地下の通路にはよく響く。
ババアの下顎から上は吹き飛ばされ、ご自慢の白柳ヘアーは見る影もなく。
供助の数メートル後ろに力無く倒れた。
「手間ぁ掛けさせやがって」
戦闘態勢を解いて、ごちる供助。
破壊された妖怪の頭部は辺りの壁や地面に肉片が飛び散った。
供助の右手に付けた白い軍手も、今は返り血で赤く濡れている。
「ようやく終わったの」
猫又が肩を竦ませながら供助の元へやってきた。
妖怪を追い掛け回したせいか、少し疲れた様子。
「あぁ、面倒臭ぇ奴だった」
「ひたすら逃げ回り私達を馬鹿にしていたからの」
供助は軍手を外し、ズボンの尻ポケットに突っ込む。
返り血から死んだ妖怪特有の白い煙が出ているも、気にする様子はない。今は血で汚れてはいるが、最後には全部消えて無くなる。
それに霊感が無い人には妖怪の返り血も、この白い煙も見えない。このまま街を歩いても特に問題は無い。
「それにしても凄い威力だの、供助の打撃は」
「そうか? ま、今までこれ一本でやってきたしな」
「ふむ……馬鹿なのは知っていたが、馬鹿力も備えておったとはの」
「馬鹿にしてんのか?」
「褒めてるんだの」
猫又は供助の横を通り、仕留めたババアの遺体を見下ろす。
地面に横たわる遺体からも白煙が立ち上っていた。
「……んし、横田さんにもメールしたし帰るか」
猫又が後ろを向くと、供助が携帯電話をポケットに仕舞っていた。依頼が完了した旨を、横田にメールしたのだろう。
供助は踵を返し、外へと繋がる出口へと足を動かす。
「今回のあれはなんだったんだ、あのババアはよ」
「妖怪だの、ババアの」
「ババアなのは解ってんだよ。何の妖怪だったのかを聞いてんだ」
他に人も居ない地下では、供助達の足音はよく聞こえる。
「紫色の服を着てはいたが紫婆とは違ぇ。
「あの妖怪はあれだの、ほれ。都市伝説の」
「都市伝説?」
「うむ、ジェットババアだの」
「ジェットババアだぁ?」
供助は返ってきた言葉に呆れる。
ジェットババアとは有名な噂、都市伝説で、昔から子供の間ではメジャーな話だ。
地方によって呼び名が違い、ターボ、ハイパー、高速など、ジェット以外の派生が存在する。
「都市伝説の妖怪なんて存在すんのか? 噂は噂だろ」
「噂を嘗めるでない。人間の噂は馬鹿に出来んぞ?」
猫又は袖の中に手を入れ、腕を組む。
「言霊も一つ一つの力は微弱だが、集まれば想像以上の力を生む」
「言霊、ねぇ。そりゃお経やら呪文に使われているけどよ」
「大多数の人間が噂をし、その話を聞き恐れる。元々力が無かった言霊には力が付いていき、徐々に形の無い言の葉は形を作っていくんだの」
「もっと解りやすく簡単に言え」
「はぁ……火の無い所には煙は立たぬというがの、この場合は煙が見えたから火があると周りが信じ込むんだの」
理解力が低い供助に、猫又は大きな溜め息を吐く。
「つまり……どういうこった?」
「話を聞いた者達の恐怖心が集まり、広がった噂に宿った言霊の力がそれを現実に生み出してしまうんだの。“本当に存在したら……”という恐怖心が」
「あー、なるほど。なんとなく解った」
供助は目線を上げ、右手で顎を摩る。
猫又が丁寧に説明して、ようやく“なんとなく”理解してくれたようだ。
本当に理解したのか怪しいものだが。
「今じゃメジャーな口裂け女も元々は都市伝説からだったしな。確かに噂も馬鹿に出来ねぇか」
「塵も積もればなんとやら、だの」
「けどよ、ジェットババアってトンネルに現れる妖怪だろ? なんでこんな地下駐車場に居たんだ?」
「それは解からん。言葉も話せんかったし、聞いても答えられんかったろうしの」
いつもの通り、祓い始める前に二人は“人喰い”と“共喰い”の事をジェットババアに聞いた。
しかし、不気味な笑いを浮かべるだけで何も答えず、情報は全く無かった。
「この地下は薄暗く、コンクリートで出来てるからの。トンネルと似ているから間違えたんじゃないかの?」
「そんな間抜けな話があるか?」
「ネジが抜けた阿呆な人間が居るのだから、間抜けな妖怪が居ても不思議ではないの」
「それは俺の事か、あぁ?」
「自覚があるのならネジは抜けず、緩んでおっただけみたいだの」
「よーし、いい度胸だテメェ。夕飯は覚悟出来てんだろうな?」
「うむ、供助は凄いのう! 一撃で妖怪を仕留めるとは流石だのぅ!」
夕飯の話題を出されると、猫又は掌を返して供助を褒める。
機嫌を損ねては最悪、飯抜きにされる可能性もある。猫又としてはそれはなんとしても避けたい。
「ったく」
ジト目で猫又を見やり、供助はポケットへ手を突っ込む。
「ところで聞きたいのだがの」
「なんだ?」
「今回の依頼で、報酬は幾ら貰えるのかの?」
「あー、難度はDくらいだから……六、七千円ってとこか」
「ふむ。あの程度の妖怪ではやはり、その程度かのぅ……」
猫又は少し眉間に皺を寄せるが、妥当だと納得する。
「俺達のレベルじゃあ難しい依頼はまず回って来ねぇからな。地道に稼ぐしかねぇ」
「そうだのう。実力に見合わぬ依頼を受けて大怪我をしてしまっては元も子も無いからのぅ」
「ま、でも俺達の合計実力査定結果がBだったからな。そのうち割のいい仕事もくるだろうよ」
昨日の夜、供助に横田から電話があった。
内容は先日行われた猫又の実力査定、その結果報告。結果は供助と同ランクの“B”。
高火力の
しかし、動きにムラが多いのと技の燃費の悪さも考慮した結果、平均よりも高いBだった。
「そのBという結果の基準が解らんのだがの」
「基本的な能力で、低級を問題無く払えるレベルだとC。Bはそれよりも頭一つ抜き出て、発展途上って感じだ」
「なるほど。妥当と言ったところだの」
「俺もランクはBだけど、退治方法のせいで依頼が限られてたらな」
「武器も道具も持たず、拳骨のみだからのう」
「お前と組んで受けれる依頼の幅も広がっただろうし、これからはいくらか依頼が増えるかもな」
「うむ! そしたらご飯もリッチになるのぅ!」
「飯の事ばっかだな、お前ぇは」
片手で頭を掻き、供助は呆れる。
確かに依頼が増えて稼ぎが増えるのは嬉しい限りだが、それでも基本、主食が半額弁当なのは変わらない。
節約出来る所は節約する。自炊をした方が安上がり知っていても、不器用な供助が料理を作れる訳が無い。作れてもゆで卵ぐらいだろう。あとはカップラーメン。
話をしていると、地下駐車場の出口である鉄製の扉に着いた。
「おい、猫又」
「ぬ? あぁ、そうだったの」
供助が猫又を見ると、猫又は何を言いたいのか察して思い出す。
そして、ぼふんっと煙を巻き上げ、人型から猫へと姿を変える。
「開けるぞ」
供助が扉の取っ手を引くと、鉄が擦れる音が鳴った。
ギィ、と重々しい音も鳴り、錆び付いているのか開きが悪い。
少し強めに押して、扉を開ける。
「っと、暗い所から出ると眩しいな」
外の明かりに目が眩み、供助は額に手をやって目を細める。
空はまだ青く、陽は昇り。辺りは車の音や人の声、様々な雑音で騒がしい。
いつもなら深夜に依頼をこなすのだが、今回は珍しく、陽が落ちる前から行っていた。
一仕事終えた供助と猫又は、薄暗くもひんやりと涼しかった地下の扉を潜り。
少しまとわりつく暑い空気にうんざりしながら、外に出た。
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