第十二話 査定 ‐サテイ‐

 時刻は午前零時過ぎ。空には雲が少しかかり、顔半分のお月様。

 五日折市から一駅離れた街の外れ。微かな月の光だけを明かりにして、供助の後ろを付いていく形で、猫又は歩いていた。

 今夜は気温が高く、蒸し暑い。供助はダメージボトムに黒いTシャツ。猫又はいつもの黒い着物。

 二人揃って黒い服装をしていて、明かりの少ない夜道では闇に馴染んで見えにくい。


「のう、供助。まだ着かぬのかの?」

「もうちょいだ。あと五分くらいで着く」


 二本の尻尾を揺らしながら歩く猫又。

 尻尾だけでなく猫耳も隠さずにいるが、人気の無い今の時間帯では誰かに見られる心配はない。


「傷はもういいのか?」

「うむ、もう完治したの。供助から貰った傷薬がよく効いての、驚く程早く治った」

「そりゃ良かった。治ってもいないのに無理して傷が開いたら面倒臭ぇしな」

「あの薬はお前が作ったのかの?」

「いんや、貰い物みてぇなもんだ」

「やはりか。薬が調合出来るほど器用には見えんからのぅ」


 供助に拾われて手当をしてもらった時、包帯の巻き方が大分雑だったのを猫又は思い出す。

 手当といっても傷薬を塗って包帯を巻くだけ。応急処置よりも簡易なもの。

 かなりの深手だった傷が塗り薬一つで完治した。余程良い薬だったのだろう。

 そして、その薬を作った者もそれ相応の腕を持っていると考えられる。


「何より、妖怪にも効く薬を持っていた事に驚きだの」

「昔、よく使っていた人が居てたからな。その余りだ」

「ほう。その人というのは、あの横田かの?」


 なんとなく、何気ない問い。気になったから聞いただけの質問。

 それを問い掛けると、丸め歩いていた供助の背中が少しだけ……上がった。


「いや、俺の両親」


 供助は空を見上げ、そう答えた。

 どんな表情をしているのか。猫又からは後ろ姿しか見えない。

 ただ、声は。普段通りを装いながらも、どこか物悲しげであった。


「供助の両親も払い屋だったのかの?」

「あぁ、横田さんの元部下でな。強くて優しくて……尊敬する二人だった」

「あれ程の薬を作るという事は……かなりの手練だったのだろうの」

「払い屋としての技術も、両親から教わった。お陰であったけぇ飯が食えてる」


 横田の“元”部下。尊敬する二人“だった”。

 供助の言葉に、猫又は確信に近い予想がついた。

 若い歳で一人暮らし。探している妖怪が“人喰い。そして、その人喰いに対しての激しい怒りと憎しみ。

 答えを聞かなくても、猫又は答えを察した。


「……着いたぞ」


 猫又は少し物思いに耽っていたところを、供助の声で我に返る。

 気が付くと目の前には、酷く廃れた大きな建物があった。

 コンクリートで構造され、窓ガラスは殆んど割れている。周りは草が伸びきり、長く放置されていた事は見て解る。

 他に、平地になった場所にはショベルカーやトラックが数代置かれてあり、それらは建物と違い、使い込んではあっても古臭くはない。


「この小させぇ工場跡地が、今日の現場だ」

「なんとまぁ、ぼろっちぃ建物だの。野良猫の住処になってそうだの」

「野良猫なら俺達が来る必要も無かったんだけどな。野良猫の代わりに妖怪が住んじまってる」


 入口に張られた一本のロープに、一枚の張り紙。

 書いてあるのは『立入禁止』というありきたりな言葉。

 普通ならば私有地だったり、老朽化が激しく危ないといった理由で張られている。

 だが、今回はそれ以外の理由がある。


「何年も放置されていたところ、最近取り壊しが決定したらしくてな。準備しようと業者が工場に入ったはいいが、そこで問題が起きた」


 供助はロープを跨って工場の敷地内に入る。

 そのあとを追って、猫又も付いていく。


「業者の人が突然、腕や足から血を流して倒れたらしい」

「物騒だのう」

「なんでも、傷口は鋭利な刃物で切られたかのようにスッパリいってたって話だ」

「ふむ。刃物、か」

「日に日に被害者も増えていってな。見えない何かに切られるってんで、ただ事じゃねぇと依頼が回ってきた訳だ」


 工場の入り口。ドアは壊れて扉すらない状態で、外からでも中が見える。

 見えるといっても、殆んど真っ暗だが。


「夜中の廃墟というのは不気味だのぅ」

「妖怪のお前ぇが何言ってんだ」


 工場の二階を見上げて呟く猫又に、供助はつっこむ。


「だが、やはり……居るの」

「わかんのか?」

「うむ、匂いでの」

「猫も鼻が利くたぁ驚きだ」

「舐めるでない。犬程ではないが、嗅覚は人間よりも優れておるわ」


 優れた嗅覚と言えば犬が真っ先に浮かびやすいが、実際は猫の嗅覚も敏感である。

 犬は人間の嗅覚の百万倍に対して、猫は数万から数十万倍はあるというのはあまり知られていない。


「ただ、他にもそう遠くない所に人間の匂いがするのぅ」


 振り向き、辺りを見回す猫又。

 この辺りは町外れで山に近く、住宅は全く無い。

 しかも、時間が時間。こんな所で自分達以外に人が居るというのは不審である。

 尤も、一番不審なのは自分達なのだが。


「どっから匂いがする?」

「あっちの方だの」


 猫又が指差す先は、工場の敷地から外に離れた森の中。

 こんな時間のこんな場所に人が居るだけで怪しいのに、さらには森の中ときた。


「多分、そいつがお前の査定役だ」

「そういえば姿を見ないと思っておったが……そいつは木こりかか何かかの?」

「今回のターゲットである妖怪に見られねぇよう姿を隠してるんだろ。俺達が危なくなったら不意打ちで妖怪を仕留められるようによ」

「なるほどの。もしそうなったら私の評価は目も当てられん結果になっているんだろうのぅ」

「そうだな。そうなったら依頼が減る上に報酬も下がる。つまり金が無くて飯も侘しくなる」

「そ、それはなんとしても避けなければならないのぅ!」


 供助はポケットに両手を突っ込んだまま肩を竦ませた。その様子に、猫耳を立てて慌てる猫又。

 供助と猫又が一緒に住むようになって一週間とちょっと。まだ長くない期間ではあるが、互いの性格も解ってくる。

 傷の治療の為に安静にしなくてはならないのもあったが、家に篭りっぱなしだった猫又。

 外に散歩も出来ず、一番の楽しみが飯になっていた。その楽しみが侘しくなるのは、猫又にとって大問題である。

 しかしまぁ、供助が集めている漫画を読んだり、ゲームをしたりと他人から見たら自堕落な生活を送っていたようにも見えるが。


「んじゃ、早速稼ぎますか」

「うむ! 華やかな食事の為にのぅ!」


 供助は首の関節を鳴らし、猫又は腕を組んで。

 二人は廃墟と化した工場の中へと入って行く。

 中は当然、明かりなど一切無い。殆どが闇の黒い色に塗りたくられている。

 懐中電灯なども持たず、割れた窓の外から射し込んでくる僅かな月明かりを頼りに足を進ませていく。

 かつて使っていたであろう机や椅子が転がり、所々にはスプレーで書かれた落書き。

 壁にはヒビが入っている部分も目立ち、埃臭さが鼻を突く。


「どうだ、猫又。何処に居るか解るか?」

「外より匂いは強うなっておるんだがの、埃で鼻がムズムズするのぅ」


 右手で鼻をぐしぐしと擦り、猫又は答える。


「だが、解った事がある。ここに居る妖怪の匂い……複数居るのぅ」

「なに? 本当かそりゃ?」

「うむ。似た匂いがする……恐らく、同種類だの」

「一匹だけじゃねぇのか、面倒臭ぇな」

「横田から何か聞いておらんのかの?」

「いんや、なーんも。今回の依頼内容は妖怪の確認と、可能ならそいつを祓う事だ。ここに住み着いている妖怪の情報は殆んど無ぇよ」

「そうか。では手元にある情報は切り傷を与えてくる、という点のみかの。なんの妖怪か解らぬ以上、警戒はした方がいいのぅ」

「心配し過ぎだ。適当でなんとかなる」

「供助は危機感が無さ過ぎだの」


 真夜中の廃墟内を、二人は怖がりも怯えもせず歩き進んでいく。

 肝試しでよく使われそうな場だが、払い屋と妖怪の二人には怖がる要素が無い。


「……おい、これ見ろ」

「なんだの?」


 不意に足を止め、供助が壁の一部を親指で差す。

 差された場所を、猫又は横から覗き込む。


「老朽化による傷……にしては不自然過ぎるの」

「あぁ、ここに居る妖怪の仕業だろうな。事前情報で聞いたのと同じだ」


 供助が気に止めた理由は、壁に付けられていた傷。

 ヒビやへこんだ傷ではなく、横長に抉れた不自然で不可解なもの。

 他に血痕までもが生々しく残っていた。恐らく、ここで傷を負ったという取り壊し業者のものだろう。


「まるで、刀か何かで切りつけたような傷だの」

「刀、ねぇ……今回のターゲットは落ち武者の霊ってか」


 供助は皮肉めいた冗談を言い、ハッと鼻で笑う。

 物心付く前から霊感を持っていて沢山の幽霊や妖怪を見てきたが、今までに落ち武者の霊は見た事がない。

 よく定番な幽霊としてあげられる事があるが、実際はそうでもなかった。


「広い所に出たな」


 通路に沿ってもう少し歩みを進めると、広い部屋に出た。

 地面にはゴミに混ざって『中央ホール』と書かれた札が転がっていた。


「どうするかの、供助? ここは部屋が沢山ある。手分けして妖怪を探すかの?」

「いや、面倒だ。ここで迎え討つ」

「向こうから姿を現すのを待つのか? 随分と悠長だの」

「あっちから出てくるように仕向けりゃいい」


 供助はおもむろに、ポケットから商売道具を取り出す。

 霊印が描かれた軍手。それを両手に付け、馴染むよう一、二度手を握り締める。


「なんだの、それは?」

「霊印を付けた手袋だ。これでブン殴るのが俺の方法なんだよ」

「えらく変わったものを使うのぅ」

「かさ張る道具は苦手なんだよ。不器用だからな」

「うむ、不器用なのは知っておる。包帯もまともに巻けん程なのもの」

「うっせぇ。猫又、今からちょいとした事をすっけど機嫌悪くすんなよ」

「ぬ?」


 供助は軽く息を吐いて、腹の底に力を溜める。

 そして、猫又の返事を待たずに。


「ふっ!」


 一瞬、自分の霊力を辺りへと放出させる。

 廃墟内だけでなく、外の敷地内まで届く強さで。


「私の返答を待たずにやりおって」

「だから言っただろうが、機嫌悪くすんなってよ」


 供助は霊力を放ったが、威力や量は非常に弱いもの。攻撃を目的としたものではない。

 猫又には肌がピリッとした程度で、痛みはほぼ皆無。

 例えるなら、ちぎった消しゴムの欠片をぶつけられた感じと言えばいいか。


「だが、確かにこれなら向こうから現れるだろうの」


 猫又は腕を組み、納得といった様子。

 供助が霊力を辺りに放ったのは、妖怪を誘き出す為。

 いきなりちょっかいを出された上に、自分達の寝床へ勝手に入って来たのだ。

 相手が頭に血が上るには十分。


「いつ現れるか解んねぇんだ、準備だけはしとけよ」

「言われんでも、もう出来ておる」


 猫又は腕を組んだまま、辺りへと意識を向ける。

 供助も同様、霊感だけでなく耳も澄ませ聴覚も集中させる。


「……供助」

「来たな」

「うむ」


 猫又は鼻を鳴らし、自分達が歩いてきたのとは別の通路の方に目をやる。

 また供助も同時に、同じ方を向いた。

 ――――そこには。


「……キキ、キキキ」


 一メートル程の大きさの物体。

 茶色い毛並みに、狸のような丸みのある尻尾。四足歩行で手足は短く、鼻周りが黒い。

 パッと見では動物に見えるが、供助達に向けて放たれる敵意の篭った妖気。

 本日の依頼標的が現れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る